勇者の魔王の物語 『序』

 発進から三〇分後、バスは駐車場に停まる。ドアが開いて空気が動き出した。先に五名の客がゾロゾロと下りる。真白と彩葉も彼らに続いた。外に出ると暖かな空気が、彼らを包む。雰囲気がガラリと変わった。町には花壇が目立ち、鮮やかな花々が町を彩る。


「上映まで時間があるわね」

「映画でも見に行くんですか?」

「いいえ。劇場よ。あなたも知ってるでしょう? 私の職業」

「ああ、まあ、はい」


 彩葉は女優であり、舞台役者でもある。記事の内容を信じるのなら、むしろ後者がメインだ。


「僕はどうしたら?」


 見知らぬ町には見知らぬ匂いがただよう。あらためて町を眺めると直線が多いと気づいた。菫町は都会と称すには郊外だが、全体にはにぎやかな雰囲気がただよう。カラフルな店が並ぶ通りをスーツ姿の人間が行き交っていた。くすんだ色の服を着た少年はとても浮く。戦場の真ん中に立つような気分だ。今にも硝煙の臭いがただよってきそうで、体を縮める。


「安心して。悪いようにはしないわ」


 甘い声が耳を襲う。真白にとっては不意打ちだった。音も立てずに近づいていたという事実が、彼の心を揺らす。視界に映る光景は全て光を浴びたように白く溶けた。


「舞台はきちんと観てね。チケットは無料よ。いいでしょう?」


 彩葉は薄い桃色の髪をふわりと揺らす。彼女は彼の細い腕を取って、上目遣いになった。バラの香りが全身を包んだかと思うと、虹色の女優は彼の手のひらの上に紙切れが乗せる。大きな文字と画像をプリントしたチケットだ。


「ああ、はい。楽しみに、しています」

「気に入ってもらえたようでなによりだわ。でも、昼間からじゃないとダメの。生殺しにするようで、悪いわね」


 彼女はナチュラルに重大な事実を告げて、彼方を向く。

 アクアブルーの瞳に似た色をした空が映った。太陽の位置は低く、頂上には届かない。


「昼まで、暇をつぶせと?」

「当たり前よ」


 シリアスな空気をかもし出す少年とは裏腹に、彩葉は明るい声で答えて、親指を立てた。「大丈夫」と背中を押すような態度を見て、体から力が抜ける。あやうく体勢を崩して、転びかけた。


 彼にとって今の状況は、頭を抱えたくなる。暇が苦手だからだ。特にパソコンと隔絶した環境に身を置くと、禁断症状が出る。彼にとってパソコンを使用できるか否かは、命にかかわるのだ。要するに、暇をもてあまして死にかねない。


「じゃあ、お小遣い。自由にして」


 彩葉がさらっと真白の手に紙を載せる。おずおずと確かめると一万円札が手のひらの上に折り重なっていた。


「三万円じゃないですか?」

「ええ。これくらいあれば、遊び倒せるでしょう?」

「そういう問題じゃありませんよ」

「大丈夫よ。女優の財力を舐めないで」


 さすがは国民的ヒロインだ。稼ぎは庶民の一億倍と見た。凡人との差を見せつけられて、乾いた笑いが出る。なお、会話は全く噛み合っていない。


「町が怖いのなら、途中まで一緒に行くわ。劇場の前までね」


 女優はグイグイと少年を引っ張る。二人は商店街を抜けて、広場にやってきた。


 真白は前方に建つ劇場を見上げる。大きな建物だ。神殿かと見紛うほどにいかめしく、神聖な雰囲気がただよう。周りを囲うのは一〇以上のクスノキとレンガの店だ。中央には噴水が水を噴く。手前には花壇があり、華やかな香りを放っていた。


「じゃあね。昼に会いましょう」


 セリフと言い終わると、彩葉は背を向けた。真っ白なブーツが五つの段差を越える。コースを着た後ろ姿は、入り口へ吸い込まれていった。


 相手は有名人で自分は凡人。スポットライトで目立つ女優に対して、少年は真っ暗な席で群れに交じるだけ。彼女とは住む世界が違うのだ。今さらながら実感して、心を風が吹き抜ける。


 女優を見送った少年は歩き出し、建物が伸ばす影の中で立ち止まる。広い空間の片隅に逃れて、一息ついた。空は青く、日差しは暖かくて、ほっこりする。和んでいると、風と葉がすれ違った。かすかに音を立て、線香に似た匂いを鼻に届ける。開けた場所で一人になった自分に気付いて、ほろ苦い感情が湧いた。


 彩葉と別れて三時間後、真白はポリ袋を片手に広場にたたずむ。彼が買ったのは菓子パンと、シルバーのアクセサリーだ。前者は今もぐもぐと食べている。後者はプレゼントだ。


 太陽は空の頂上で、灼熱の光を放つ。劇の始まる時間だ。急いで劇場の中へ向かう。


 そして、ホールに入って、衝撃を受けた。

 広くて、スケールが大きい。劇場が肉体を飲み込むビジョンが浮かぶ。怪物の口の中に放り込まれたような感覚だ。背筋が凍りついて、皮膚が泡立つ。


 身をすくめている間に、二〇〇〇人の客が席を埋める。


 照明とイスが暖色だからだろうか。夏のような熱気にむせ返る。香水やタバコなどの一〇〇〇を越える匂いが混ざりあい、絶妙な空気を作っていた。冬の寒さと一人の環境が恋しい。真白はダラダラと通路を進んで、端の席に座った。


 上映が始まる前にスマートフォンの電源を切って、カバンにしまう。菓子パンは食べ終わって、ロビーのゴミ箱に捨てた後だ。最後にペットボトルを取り出して、口をつける。ミネラルウォーターの硬い味がした。さらに一口飲んでから蓋を締める。


 ペットボトルをカバンにしまおうとしたとき、電気が一斉に落ちた。あたりは真っ暗になる。初めての体験に心がどよめく中、観客は一気に静まり返った。重たい音を立てて幕が上がる。スポットライトが照らすステージの中央に、青年が現れる。彼は城のセットを背景にまっすぐな姿勢で立っていた。整った顔立ちも相まって、勇者の衣装が様になっている。彼こそが主役だ。目を瞬くと同時に、肌で感じる。いよいよ、劇が始まろうとしていた。


 ☆★☆


 銀色の丸い月が浮かぶ、静かな夜だ。


 城のホールもひっそりとして、重たい空気によどむ。深刻な事件が起きたのだろうか。十名の男が口をへの字に曲げて、顔を突き合わせている。彼らは皆ボロボロの衣を身に着けていた。足元の絨毯には陣を刻んである。複雑な模様と西洋の文字が禍々しい雰囲気を放っていた。


「魔王が現れ、はや数年。世界の八割がやつの手に渡った」

「今のままでは残りの二割も落ちる」

「今宵、必ずや、勇者の召喚を果たすのだ」

「失敗は許されぬぞ」


 眉にシワを寄せて、言葉を交わす。彼らの張り詰めた声に応じるように、陣が青白く光った。薄暗い空間に、強烈な光が満ちる。男たちが目を見開いた。彼らは絨毯の真ん中を見やる。誰もが固唾を飲んで見守る中、光の中心にシルエットが浮かんだ。ついに『彼』が地上に降り立つ。陣が放ったエネルギーが空気を揺らした。風が荒れ狂う。さながら嵐の中にいるかのようだ。端にあるテーブルの上で書類が舞う。紙には陣と同じ模様が書いてあった。


 光が消える。風が止んだ。シルエットの正体が姿を現す。相手は、炎の色に染まった鎧をまとう戦士だ。背負っているのは、異国の剣。特別な力を宿した武器だとひと目で分かった。それを証拠に鞘の内側から、神聖な光が漏れ出している。


「本物だ」


 誰かがつぶやく。事実、召喚は成功だ。

 嵐の名残が黄丹色の髪を揺らす。金色の瞳が闇夜にきらめいた。眼差しは理知的で気品がただよう。

 引き締まった体と活力に満ちた表情が、頼もしい。男たちの口角がつり上がった。


 勇者のオーラが男たちを圧倒する中、一人の女性がホールに入る。高貴な身分を思わせる風貌だ。豪華な着物をまとい、髪には派手な髪飾りをつけている。表情に愛想がないせいか硬い印象を受けた。


「魔王の出現により、世界は危機に瀕しています」


 空気を切るように堂々と、下駄をはいた足を運ぶ。

 気がつくと距離が詰まっていた。足音はない。勇者にとっては不意打ちを食らった気分だ。


「私は使命を伝えねばなりません。どうか、聞いてください」


 一秒の間を開けて淡々と語りだす。


「数年前、神は魔王を大地――クルールに呼び出しました。いわく、人間への試練。乗り越えなければ停滞してしまうのだそうです。魔王も召喚に応じて、現世に姿を現しました。そして、世界を征服に乗り出します。神の命に従い、責務を果たすために。

 今や軍は一億を越えました。残ったのは、辺境の東のみ。我々は、魔王に対抗するために勇者を呼び出しました。今後、あなたは城に乗り込んでもらいます。自身に降りた、または神から受け取ったギフトを使って、戦うのです。世界を魔王から解き放つために、あなたは勝たなければならない」


 懇願の目を、青年に向ける。


 一方で彼は展開についていけない。結論を出すには時間がかかる。青年は腕を組んで悩みこんだ。その間も相手は黙って返事を待つ。


 十分がたって心の中に、ある感情が湧いた。


『世界を救ってみたい』


 ヒーローに対する憧れが今、形となりつつある。


 元から勇者に憧れていた。弱者を助けるヒーローに今こそなりたい。いや、なる。ならなければならない。


 覚悟は決まった。引き締まった顔で相手を見つめる。


「あなたは異世界で暮らしていたのでしょう。退屈だけど満たされた生活だったのではありませんか? 戦いに赴く。すなわちそれは穏やかな日常を捨てることを意味します」


 最後の忠告のように女性の言葉が耳に響いた。

 確かに相手の願いに応じたら最後、青年の生活や常識は崩壊する。彼はいままでいさかいとは無縁の生活を送ってきた。見知らぬ土地で生きることに対する不安もある。ぬるま湯に使り続けた者にとって、異世界はハードモードだ。心を折る展開も旅の途中で待ち受けている。


 それでも勇者の意思は固まっていた。


 女性も口では逃げ道をちらつかせているが、心の底では『戦ってほしい』と願っている。せっかく世界の命運を託して呼び出したのだから、クルールにつなぎとめるはずだ。勇者として呼び出された青年に、拒否権はない。彼の役割はただ一つ、『魔王を倒して、世界に平和を取り戻すこと』だ。それは勇者だけが果たせる使命。果たすべき義務だ。


 握りこぶしを作ると、体の底から力があふれ出す。


「はい。世界を救ってみせましょう、勇者として」


 青年は勇者として、力強く宣言した。



 夜明けと同時に、旅に出る。


 国に残っていたのは、非戦闘員のみだった。戦士は全員が戦士したため、戦力は皆無。おかげで勇者は、単独で敵地へ赴く羽目になった。


 城を抜けて草原に出る。


 旅の途中で数々の困難と出逢った。第一に、魔王軍の攻撃によって国は疲弊している。村人は貧しい生活を強いられていた。盗賊も横行する。勇者も三〇回は遭遇した。ときには不良とも絡みがあり、そのたびに彼は敵を倒す。


 野宿は当たり前で、夜にはアンデットとも出遭った。幸いにも勇者の属性は光である。闇の属性を持つ敵には有利だ。難なく突破して無傷で旅を進める。


 勇者の高い戦闘力が戦闘を呼び寄せ、青年を巻き込んだ。いつの間にか戦いが日常と化したことに気がつく。手のひらを血で濡らしながらも、金色の瞳は輝きを失わない。勇者たるもの世界に希望をもたらす装置であればよいと考えた。不満は心の底に押し込めて、背筋を伸ばして歩く。召喚を受ける前よりも生き生きと、勇者は目的の場所を目指すのだった。

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