検索『花咲彩葉』

 昨夜は食事と入浴を済ませて、部屋に戻った。電気を消して眠りにつく。


 朝に起きると傷が癒えていた。脱衣所でガーゼと包帯を外すと、鏡にツルンと光った肌が映る。


 次にガラッと扉を開けて、彩葉が入ってきた。彼女に顔を見せると、「まあ」と喜ぶ。予想していたかいなかは、女優ゆえに判断がつかない。


 これは勇者としての能力だろうか。もしくはRPG特有の宿屋に泊まると回復するシステムを、再現したのかもしれない。

 答えを聞くかわりに彩葉がひとりごとをつぶやいた。


「今は勇者じゃないから、ノーカンか。加護だけは発動したみたいだけど」


 彼女のセリフに首をかしげたまま、真白は朝食の時を迎えた。


 午前六時三〇分。


 リビングには香ばしい匂いがただよっていた。テーブルの上には瑞々しいサラダ・ふっくらと焼いたパン・具だくさんのスープ。パッと顔が明るくなって、気持ちが盛り上がる。


 食事は二人分だ。先に彩葉は食事を進めている。彼女と向き合う位置に座って、箸を取った。手を合わせてからサラダの入った皿をつかむ。緑と赤の色彩が鮮やかだ。爽やかな匂いも鼻をかすめる。よく噛んで食べるとレタスの水気とトマトの甘みが、口いっぱいに広がった。シャキシャキとした食感に、目が覚める。


 今日から新たな一日が幕を開けるのだ。新生活の匂いを意識したころ、淡い紅色の唇が動く。


「一緒に町を歩かない?」


 途端に思考が固まった。サラダを混ぜる手も止まる。


 一緒に町を歩く――すなわち、デートだ。


 脳内に稲妻が走る。手の甲に汗が浮かんだ。噛んでいたサラダを無理やり飲む。ドレッシングの酸っぱさがハッキリと舌に残った。


「今日から護衛をおねがい。職場まで」

「目立ちませんか?」


 弱々しい声で尋ねる。


「安心して。町を歩くときは姿を変えるの」

「変装といっても、限度がありますよね?」


 パンを握る手を震わせながら、問いかける。

 胃がキリキリと痛む中、前方にたたずむ少女は堂々と答えた。


「私を誰だと思ってるの? ある人は玉虫色の女優だって揶揄やゆするけど、裏を返せばいろいろな色を出せるって意味よね。私の演技力や変装スキルの高さは、天をも超えるわ」


 胸を張る女優の姿は、頼もしい。声もハキハキしていて、意思の強さがうかがえる。よほど自信があるのだろうか。


 曇った気持ちをごまかすように、ちぎったパンを口に運ぶ。勢いよく噛んで味を感じる前に飲み込んだ。


「もし見つかったときは?」

「そこまで疑うのなら、見せてあげる。私の実力を」


 虹色の女優が立ち上がる。勝ち気な目が少年を見つめた。


 次の瞬間、彼女の体を光が包んだ。まぶしさに目がくらむ。腕で目を守った。


 爆発が起きたのかと思ったが、あたりは静かだ。真っ白になった視界に、女性のシルエットが浮かぶ。影が服の形を作り出した。体型もゆるやかに変わっていく。真白は女児に向けたアニメでよくある、変身のバンクを連想した。すぐに腕をどけて、目を見開く。食い入るように見つめた。


 濃密な蜜のような匂いが、鼻をさす。

 邪なものを見ているような気がして、顔がほてる


 体も熱くなって、やけどしそうになったところで、光は止んだ。

 なおも心拍数が上昇を続ける中、少女は第一声を発する。


「ね、言った通りでしょ?」


 テーブルの向こう側に見知らぬ人物が立っている。オフホワイトのコートに、紺色のスカートを合わせた少女だ。肩の上で薄い桃色の髪がふわりと舞う。目が切れ長であるせいか、顔立ちは涼しげだ。二対の瞳はアクアブルーで、透き通っている。ツルンとした肌は心配になるほど白かった。


 美しい。体の内側で喝采が響く。甘いものを食べたように脳はとろけて、皮膚にしびれが走った。思考すら忘れて、見入ってしまう。これではダメだ。ぼんやりとしている自分に気付いて、我に返る。首をブンブンと振った。


「変装といっても、限度がありますよね?」


 数分前に発したセリフを、意味を変えてもう一度吐き出す。

 真白が冷水を浴びたように立ちすくんでいると、彩葉は平然とした顔で、信じがたい言葉を口にした。


「ええ。私、魔法使いだもの」


 衝撃の告白に目が回る。

 現実離れした展開が、少年の心をもみくちゃにした。


 リアルで『魔法使い』だと聞けば、冗談だと〇秒で決めつける。ただし、ここは異世界だ。実際に彼女は『変化』を見せたため、本物だと信じてもよい。


 しかし、鵜呑みにしても大丈夫だろうか。

 自分に夢を見せた少女を疑って、いいのだろうか。


 超能力に憧れる子どものような心と、魔法はないと断じる心が、水面下でぶつかり合う。


「あなただけに見せてあげたの」


 白いタイツをはいた足が、テーブルの角を曲がる。

 まっすぐに進んで、少年に近づいた。


「そう、特別なのよ」


 甘い声で耳元でささやく。

 胸がドキッと脈を打った。


「言いふらしちゃダメよ。あなたを信じて打ち明けたのだから」


 フローラルな香りがふんわりとただよう。

 甘くうっとりとする声を聞いて、思わず首を縦に振った。


「じゃあさっそく行きましょうか」


 温かい手が少年の冷たい腕をつかむ。

 皿は空っぽ。外へ出る準備は整っていた。


 外へ出ると透明な空気が肺を満たす。

 山を抜けて市街地に出ても、空気は清らかだ。

 日光が雪を溶かして、アスファルトを濃い灰色に濡らす。


「なんで徒歩なんですか?」

「ベンツを使ったら私が花咲彩葉だと、誰かが気づくじゃない」

「持ってるんですか、高級車」


 苦笑いを浮かべる真白をよそに、彼女は続ける。


「正確にはバスを使って、雪野から東のエリアに行くの。あ、雪野とは」

「今いる町の名前ですか?」

「そう。今から向かうのは、すみれ町。ついてくるわよね?」

「はい、まあ」


 頬をかきながら誘いに応じる。


「あとは、これよね」


 なめらかな動きで真っ黒な平たい板を差し出す。真白は素直に受け取った。

 物体の正体は聞かずとも分かる。スマートフォンだ。


「帰るときになったら呼び出すから、応じてね」

「は、はい」


 すばやく答える。見目麗しい女優からの頼みを断る男がいるはずがなかった。


 ほどなくしてバス停にたどり着く。標にあった通り午前七時になると、鉄の箱が走ってきた。頭についた電光掲示板に『菫町』と映っている。


 二人はすばやくバスに乗って、窓際の席につく。ドアが閉じて、目的地へ向かって走り出す。エンジンの音が耳に入った。金属の無機質な匂いと、生ぬるい空気が鼻につく。周りは物音一つしない。窓の外には黒い田んぼと雪の積もった道が延々と続く。定食メニューのようにありふれた光景だ。食べても水っぽい味が広がるだけだろう。


 真白はスマートフォンに視線を移して、電源を入れた。


 ★☆★


 花咲彩葉(本名、聖辺ひじりべ花純かすみ)は、東国の女優・舞台役者である。

 身長一六〇センチ・体重五〇キログラム。

 スリーサイズは上から、八五・五八・八五。


 別名、七の色彩を持つ女。彼女の演技は変幻自在。一つの役でも、万華鏡のようにさまざまな色をのぞかせる。


 生年月日・出身地ともに不明だ。役の年齢は、下は高校生役から上は二十代後半の社会人と、幅が広い。特に恋する少女の役には定評がある。


 現在は舞台を中心に活動する。メディアの前にはめったに姿を現さず、プライベートは謎に包まれている。


 ☆★☆


 二五三五年、新人ながら連続ドラマ(原作は少女漫画)で主役を演じる。タイトルは『薔薇ばら色』、役の名はフローラだ。ドラマが始まると、感情のこもった演技が視聴者を引き込む。液晶の中で彼女は強烈なエネルギーを放った。彼女の声は架空の存在であるフローラに血を与えて、命を吹き込む。彼女は現実に生きた人間だと、国民の全てが思った。最高視聴率は右肩上がりに上昇。最終回は四〇パーセントを記録した。同年に彼女は新人賞を獲得する。


 二五三六年に入ってからも、彩葉は精力的に活動をする。『日の当たる道』『夢うつつのお人形さん』『希望に喝采を』と、たて続けにヒロインや物語の鍵を握る人物を演じた。彼女はスクリーンやテレビの前で、虹色の輝きを放つ。知名度の上昇に比例して物語への出演も増した。年末には『国民が選ぶ好きな女性ランキング』の第五位に入選する。


 二五三七年になると、『禁断の果実』で主人公を裏切る魔女を演じて、新たな一面を見せた。つづく『色欲のカルマ』では快楽を求める女を完璧に表現する。『女心と血染めの楽園』の地に堕ちた天使も、評価が高い。


 そして二五三八年、主演女優賞を獲得した勢いに乗って、『世界で輝く女優、第一位』となる。ネット上では祝福のコメントによって、SNSサイトのサーバーが落ちた。


 今後の活躍にも期待が集まる。


 ☆★☆


 以上が花咲彩葉に関する記事の中身である。


 まさか相手が国民的な人気女優だったとは、サプライズだ。


 同時に頭が痛む事実でもある。一度、想像するべきだ。平凡な男と華やかな女優がともに歩く光景を。明らかに身分が違う。衆人は二人の写真を撮って、ネットに拡散。全国の五〇〇〇万人以上の男たちは集団で、透明な少年を刺し殺しに向かう。真っ白な少年が血の海に沈んだところで、物語はおしまいだ。


 ひぃー。

 情けない悲鳴を飲み込んで、体を震わす。


「心配しすぎよ」

「うわっ」


 となりから唐突に声がしたため、体が跳ね上がる。さながらブーブークッションを踏んだドッキリの被害者のようだと、自嘲した。


 彩葉と一緒だと緊張する。気持ちを静めるために、一人でバスに乗ったことにしたつもりだ。少年は心にバリアを張る。しかし彼女は壁をすり抜けて、内側に入ってきた。本人にとってはたまらない。鼓動が速まる。口の中もかわいた。


「私の情報、おかしなところはあった?」

「別に、大して」


 声が上ずった。


「強いて言うなら、捏造してませんか? スリーサイズとか、どの数字もキリがよすぎます」

「秘密」

「教えてくれないんですね」

「謎めいたところを売りにしてるのよ」


 堂々と構える女優を見て、プロフィールに『不明』が多い理由を悟る。


「でも、本名だけは公表しているんですね?」


 聖辺花純。

 神々しさと可憐さが組み合わさった、いい名前だ。


「わざと見せているってこと、ありませんか?」


 本人に向かって問う。

 乗客は無口だ。バスの走る音がしきりに耳に入る。彩葉は席に深く腰掛けたまま、ゆっくりと唇を開いた。


「本名よ」


 しれっとした答えだった。


 ナチュラルな言い方に「なんだー」と口を閉じかけて、直前で止める。仮にも相手は女優だ。嘘をつく可能性もある。


 もっとも、真白の目は節穴だ。小学生のころ、同級生に「売買」と称してカツアゲにあった経験がある。彼は鈍いし他人を信じやすい。クラスメイトは少年に、ガラクタを高値で売りつける。例えるなら不幸な人にツボを売りつける感覚だ。合計で一万円を失ったと記憶している。


 詐欺に遭うたびに彼は「騙された自分が悪い」と割り切って、生きてきた。次こそは嘘を見抜くと気を張っても、敵の手のひらで踊る羽目になる。今回も結末は同じだ。とはいえ、彩葉なら信頼してもいい。内心では軽く考えながら、窓の外を眺める。


 不安はいつの間にか消えていた。


 真白は今、国民的なヒロインと一緒に暮らしている。三月二四日に交わした契約は、特別な体験への入り口だ。意識をした途端に気分が盛り上がって、体の表面が熱を帯びる。となりからただよう花の香りが心地よかった。

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