0-2 彩葉

状況を整理する

「ここは宿泊施設もかねているのよ」

「見た目はキャンプ場によくあるロッジに似てましたしね」


 夕日が窓から差し込む。時刻は午後七時だ。

 はちみつ色に染まった廊下を、二人は進む。真白が彩葉についていっているため、金魚の糞のようだ。青白くなったほおに自嘲の笑みが浮かぶ。


「本当にいいんですか?」

「大丈夫よ。きちんと個室も用意しているもの」

「いや、そういうんじゃなくて」


 実際は『平凡な少年に、よくしすぎではないか』と尋ねたかった。


 彼女の善意はありがたい。身に余る待遇だ。恐れ多くもある。明日、交通事故に遭っても、運命を受け入れるつもりだ。


 本音を言うと『気にしなくてもいい』とフォローしてほしい。乞うような目で前を向くが、彼女は廊下の奥のみを見つめている。天然かわざとか。


 息を吐くと、乾いた空気と木材の匂いが、鼻と口から入る。淡く苦い味を噛み締めて、少年は唇を一文字に結んだ。


「着いたわ。ここよ」


 彩葉が扉の前で足を止める。細い指先が手前に伸びていた。


 少年はためらいがちにとなりに立って、ドアノブをひねる。ダークブラウンのドアを開くと、ひんやりとした空気が肌を撫でた。


 彼が立ちすくんでいると、すっと彩葉が中に入って、壁に触れる。カチッ。音が鳴った。薄暗かった室内にナチュラルな光が生まれて、明るくなる。少年も遅れて中に入って、天井を見上げた。照明は丸い。本物の太陽に似ていた。


 寒さに慣れてきたところで、部屋をぐるりと見渡す。

 内装はシンプルだ。アイボリーの壁と茶色のカーペットに、温かみを感じる。ベッドやテーブルなどの必要最低限の家具はそろい、全てがクリーム色でまとまっていた。


「暖房は遠慮せずに使って。あとは自由にお願い」


 彩葉はきらめくような笑顔を見せてから、外へ出る。


 扉の閉まる音を背中に聞いて、ため息をついた。

 可憐な女優と一緒の時を過ごすと、息が苦しくなる。ドッと疲れが出て、目が真っ黒に死んでいた。


 部屋の寒さも身にこたえる。壁際にある石油ファンヒーターの電源をつけた。黒いファンの内側で、青い炎が灯る。流れ出した風の暖かさにホッと一息ついた。


 しかし、一人になったことによる静けさが、胸に刺さる。甘い香りは消臭剤に吸い込まれて、周りから消えた。窓の外で雪がちらつく風景も相まって、全体に無機質な雰囲気がただよう。


「切り替えようか」


 しぼり出すように言って、思考を無にする。


 せっかく一人になったのだから、今のうちに状況と情報の整理するべきだ。

 ベッドに腰掛けて天井を見上げる。


 自我が芽生える前に彼は真っ白な空間で、厳かな男の声を聞いた。


――『これから君はクルールという星に降り立ち、世界を救わなければならない』


 三〇〇〇年前、異世界に召喚された少年は、魔王と戦った。彼は勇者である。


 結末はどうなったのだろうか。分からない。思い出した記憶に抜けがあるせいだ。具体的にいうと魔法陣を踏んだあとのエピソードが空白であり、予想すらつかない。


 強いていうなら、悪を仕損じた失態と最後に自らを封印したことは、知っている。ただし、他人事だ。今は「一般人として生きたい」と願っている。


 気分は重くて心象風景に引きこもろうとした。ゴロゴロと怠惰を決め込んでいると、例の声の主は彼を追い出す。気がつくと、雪の降る町に立っていた。


 五分後、イライラしている不良と出遭って、八つ当たりを食らう。傷だらけになったところへ、彩葉が駆けつけた。彼女が攻撃をいなすと、敵も退く。彩葉はボディーガードを頼み、真白も従う。居候が決まった。


 今日――カレンダーには三月二四日――から、女優と同じ屋根の下で暮らす。問題は今いる世界が現実か異世界のどちらであるかだ。


 真白は目に鋭い光を宿して、アイボリーの壁をにらむ。


 ぼうぜんと突っ立っていたころから、心の中では「異世界であってほしい」と願っていた。実際に花咲彩葉や龍神ミドリはカラフルな髪と瞳をしている。異世界である可能性は高い。真白は皮膚を熱くして、無言で何度もうなずいた。


 しかし、町には現代の技術を使っている。ファンタジーらしさはなく、現実世界に近い。真白の戦闘力も低いため、神が別の場所に飛ばすミスをした可能性も、考えた。


 それはそれでありだと感じる。危険を避けることを第一にしているため、安全な場所で暮らせるのなら、それに越したことはない。彼の理想はのんびりと、気楽に過ごせる環境だ。田舎で畑を耕す生活を送る光景を頭に浮かべる。されども、運命は必ず自分を悪い事件に巻き込む。そんな予感がした。


 願望と現実に葛藤し、頭と心をモヤモヤとした霧が包む。

 疑問は解決せずに、ぼんやりと頭の中をさまよっていた。


 今のままではなんの解決にもならない。


 立ち上がって、デスクの前にあるイスに座った。


 慣れた手付きでノートパソコンの画面を開く。電源ボタンを押す。ウインドウズが立ち上がった。デスクトップの青い背景に、アイコンがずらっと並んでいる。下のタスクバーに注目すると、『2538/03/24』と表示してあった。


「二五三八年……?」


 最後に見た日付を頭に浮かべる。二〇一八年四月七日だ。


 仮に五二〇年後の日本だとしても、おかしい。四捨五入をして一〇〇〇年の時がたったのなら、技術が過剰に発展してしかるべきだ。タイムマシンや仮想現実VR――夢のアイデアが実現していなければ、納得ができない。


「でも、まだそうと決まったわけじゃないし」


 異世界か現実世界かというクエスチョンは、歴代の総理大臣を調べるだけでハッキリする。


 今回は現在の年と月・日付が分かっただけでも収穫だ。残りの記憶はいつかは必ず思い出すと、気長に構える。


 真白はインターネットを開いて、検索窓に『日本』と打ち込んだ。検索結果は一秒も待たずに表示される。本来は百科辞典に飛ぶが、今回はWikiの『W』の字も載っていない。国の名前は、日本以外に変わったのだろうか。


 歴代の総理大臣を覚えている分だけ入力――しようとしたものの、フルネームでは一人も分からなかったので、『総理大臣』と検索する。


 さすがに国のトップの名くらいは、出てくるはずだ。ひそかに期待を高めていく。


 ところが実際は、四〇一ときた。「エラーです」と、真っ白な画面に大きく書いてある。


「さすがにおかしいだろ」


 名前すら出ないとは存在そのものを消されたようで、気味が悪い。背筋が凍りつく。手のひらに冷たい汗がにじんだ。頭が真っ白になるかわりに、視界はやけにクリアになる。画面が映す「エラー」の文字がくっきりと目に飛び込んだ。


「確定ってことか」


 口角をつり上げながらも、心には複雑な感情が流れ込む。


 元よりなくした記憶の中身に興味があった。勇者と魔王の激闘を安全な場所から眺めたいと、夢を見ている。


 自分の目的は現代風の世界でも、果たせるのだろうか。難しそうだなと考える。


 同時に、次のように思った。今いる世界はまるで、『歴史を消してゼロに塗りかわった、新しい世界のようだ』と。


 なおも現実から目をそらすように、首を振る。何度も瞬きを繰り返した。画面に映る文字は変わらない。やがて彼はノートパソコンを閉じて、ベッドに横になった。

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