花を冠する少女
雪の降りかかった道と樹木を背景に、清楚な少女が立っていた。頭身は高く二次元の人間かと見紛う。長い髪はオパール色だ。光が当たる角度によってルビー・黄金と、色を変える。
一見するとか弱い少女だ。細長い手足が儚げに映る。不良の前に姿を現して大丈夫な人間だろうか。彼女が彼らのせいで傷つく光景を想像すると、手のひらに汗がにじむ。不安のせいで痛みも薄れた。
「この八方美人がよ。よく俺らをこき下ろしてくれたもんだぜ」
真っ先に刈り上げの男が振り返って、指をさす。
少女は間をおかずに答えた。
「結果的に傷つけたことは謝るわ。だけど、悪気はなかったのよ」
彼女は落ち着いた態度で気持ちを口に出す。
「私は国に住む全ての者を愛しているわ。たとえ相手がいかに汚れた人間であったとしてもよ。それが、花を冠する私だから」
両手を大きく広げて訴える。芝居がかったモーションだ。
途端に襟足の長い男が怒りを表す。額にピキッと青い筋が浮いた。
「舐めるのもいい加減にしやがれ」
男が地面を蹴る。
「俺はよ、テメェに不満をぶつけたくて、仕方がなかったんだよ」
相手が握りこぶしを作った瞬間、声を上げそうになった。
少女が地面に沈むビジョンが頭をよぎる。彼女が立ち向かったところで、傷つくだけだ。血が凍りついたような感覚が背中を走る。血染めの顔は青白くなり、歯がガチガチと鳴った。唇をわずかに開いて悲鳴を呑む。
しかし、青年の心配は杞憂に終わった。
攻撃を当てようとした瞬間、敵の体を突風が押し流した。男は力をなくして地面に落ちる。少女は涼しい顔で立ったままだ。肌はつるんと光っているし、よく見ると健康的な肌をしている。
なぜ、無事だったのだろうか。
常識から外れた光景を目の当たりにして、目を見開く。夢またはイリュージョンを見たような気分だ。
彼女がなにをしたのかは気になるけれど、本人は口を閉じている。全員が黙り込んで繰り出すべき質問を呑んだ。
「お前の態度よほど大事な者だったとお見受けする。助けた理由はなんだ?」
歩道にエンジンの音のみが響く中、リーゼントの男が冷めた目を少女へ向けた。
ていねいな口調で飛んできた問いに対して、淡い紅色の唇がゆるむ。
「一方的に被害に遭っている人を助けるのは、人として当たり前でしょう」
「ウソをつけ。知り合いなんだろ?」
首を横に振る。オパール色の髪が左右に揺れた。
「赤の他人よ」
「平然と答えるか」
リーゼントの男は舌を打つ。
「なんなんだよいったい」
襟足の長い男は身を起こした。顔を歪めながら立ち上がって、ズボンについた砂をはらう。
「帰るぞ」
リーゼントの男が低いトーンで、指示を出す。
「やることは済んだ。関わってもろくなことは起きん」
「だけど」
地面に転がっていた男が、声を荒げる。
「あきらめろ。今ので分かっただろ」
正論だ。
厳しい指摘を食らって最初に仕掛けた男は、肩を落とす。
彼らは相手の選択に納得したようで、市街地のほうへ去っていった。
不良たちの影が遠ざかっていく。
彼らの後ろ姿を目で追って眺めていると、少女がすっと近づいた。
「大丈夫? ケガをしているけど」
穏やかな声を不意に聞いて、少年は瞬きをする。
「あ、その」
声に詰まる。
あらためて視界にとらえると花のような美少女だ。間近で見ると目をつぶしかねない。
「よかったら」
淡い紅色の唇で言葉をつむぎかけて、途中でやめる。
少女は真剣な目をして立ち上がった。振り返って後方より迫る影を見すえる。
シルエットの正体が歩道へ駆けてきた。車のごとき勢いで速度を飛ばす。十秒後、相手は少女と一メートルの差まで詰め寄った。
「あんたのせいよ」
汚れた湖のような緑色の瞳と、萌黄色の瞳がぶつかり合う。
「分かる? あんたが現れたせいで、こっちの仕事がなくなっちゃったのよ」
水色の巻き毛を持つ女が早口でまくし立てる。目が血走っていた。鋭い眼光がバチバチと火花を散らす。
黙ってさえいればスタイルのいい美女だ。目つきの悪さがもったいない。
されども次に彼女が取り出した物体を見ると、見た目の美しさすら意識から抜けた。
「とにかく追い詰めたわよ」
犬歯をむき出しにして言い放ってから、ナイフを取り出した。金属のシャープな匂いが鼻につく。切っ先の鋭さにぞっとした。
巻き添えを食らう可能性が頭に浮かんで、鼓動が速まる。気配を消すために、息を殺した。
「受け入れなさいよ。とんでもない悪人なんだからさ」
「あなたが言うんですか? 人を殺そうとしているのに」
「関係ないわ。あんたはいつもそうやってニコニコ。愛想笑いってのは分かってるのよ。いい加減、素を見せなさい」
「やだな。今も素ですよ、私」
巻き毛の女が憎しみをたぎらせる中、少女はクールに対応する。
「困ってらっしゃるんですか? 相談なら乗ります。なんなりと申してください」
幼い顔立ちと落ち着いた態度がミスマッチだ。
「仲良くしましょうよ。こちらだってリスペクトしてるんです。あなたは気が強いじゃない。私も見習おうって思って」
「皮肉かしら、そのセリフ」
少女が柔和な笑みを作ると、相手は眉を寄せた。
「こうなったらヤケよ」
「ちょっと待って」
今にも飛びかかってきそうな相手を、止める。
「彼も見ています」
彼女の言葉を聞いて、巻き毛の女が地面に視線を落とす。
つり上がった目が地に伏せる少年の姿をとらえた。緑色の瞳に彼の引きつった顔が映る。
頭上から日の光が差し込んだ。彼女の胸元で蘇芳や紫の宝石が輝く。
「誰?」
「えっと、その」
顔に汗をかいてうつむく。
切羽詰まっていた。異形じみた瞳に捕まった以上、降りかかる悲劇が予想できて、頭が真っ白になる。
女性は数秒目を丸くしたあと表情を戻して、ナイフをしまった。
「ふん。目撃者がいたんじゃ仕方ないわね。今回ばかりは見逃してあげる」
巻き毛の女はツンとそっぽを向いた。
吹き通っていった風に髪がなびき、耳が表に出る。吸血鬼のように尖っていた。長く伸びた爪まで視界に入って、真白は顔を歪める。
「わざわざ雪野まできたのに、昼間じゃ不利ね。人気のない場所でなら暗殺できると思ったのにな」
物騒な言葉が耳をかすめる。
真白が凍りついている間に、巻き毛の女はもときた道を引き返して、歩道橋のあるほうへ消えた。
緑色の瞳から解き放たれた真白は、真っ先に自分の手のひらを見つめる。実体はあるし、無事だ。生き残った事実に息をつく。
安心するのは早い。先ほど巻き毛の女は『暗殺』と口にした。不穏なワードに胸が騒ぐ。頬を汗がつたった。血の海に沈む少女の姿が脳裏をかすめた。最悪の事態を考えると背中に
「助かったわ。ありがとう」
雲の広がる空をにらんでいると少女が目の前までやってきて、両手をつかんだ。手袋でおおった手は、温かい。生地の上質な感触が真白の意識を現実に引き戻した。
「今ならきちんと話ができるわね。まず、あなたの名前は?」
「真白、ですけど」
戸惑いながら答えると淡い紅色の唇がほころぶ。
彼女が腕を引っ張って、真白は立ち上がった。
「真白。そう、真白くんというのね」
セリフの繰り出し方がわざとらしくて、ほんのりとした違和感が頭をかすめる。気のせいかと頭を振った。しかし、ドラマの撮影に加わったような空気感は濃さを増す。もしくは儀式だろうか。「成し遂げてから次の行動に移る」と決めた内容を演じたように、真白の目には映る。
「じゃあ、私と一緒に来てくれる?」
唐突に少女が熱のこもった瞳で誘う。
真白は目をパチクリした。
「どういうことですか?」
「おわび。私にも責任があるもの」
彼女はゆったりと語りだす。
「三〇分前に町を歩いていたとき、彼らが現れてアタックしてきたの。私は国民の全てを愛するわ。情報や秘密ならともかく、感情は平等に分け与えるつもりよ。だから特定の人とは付き合わないの」
「振ったんですか?」
「きっぱりと」
「怒ったでしょうね」
眉をつり上げて肌を赤く染めた不良の姿が、頭に浮かぶ。
つまり不良から八つ当たりで、真白は攻撃を受けたのだ。理不尽な展開で、損をした気分になる。
「ね、分かったでしょう? おわびをさせてほしいの。それに、あなたは恩人でもあるのよ。もしも現れなかったら、私は殺されていたわ」
確かに、偶然とはいえ危ないところを助けたのは事実だ。報酬を受け取ってもよい立場にいる。しかしながら本人は複雑な気持ちを胸に抱く。なにしろ「助かった」とはこちらのセリフだ。真白こそ彼女に恩を返すべき立場にいる。
眉をハの字に曲げて無言で訴えた。彼女はニコニコしたままだ。体からフローラルの香りをただよわせながら、少年を誘う。
「別荘に招待するわ」
「いいですよ。別に」
「遠慮しないで。お礼なのだから」
「だから、そういうのは、望んでなくて」
目をそらして拒否したものの、いかんせん相手の押しが強い。タジタジになる。
「さあ、いくわよ」
彼女は少年の腕をつかむと、歩きだす。
なんてパワーだろうか。力を入れて綱引きをしようとしても、引き寄せられない。
抵抗しても無駄だとすぐに理解した。彼女は普通のひょろりとした者とは違う。当のもやしっ子も苦い顔をして、全身の力を抜いた。体が重たくなったと感じつつ、ついていく。穏やかな香りが鼻をかすめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます