最弱の勇者
気がつくと雪の降る町に立っていた。
かすんだ視界がじょじょに透き通っていく。三〇秒も経てば目に映る景色も、鮮やかに見えるようになった。
「ひどいな神さま。もっとのんびりさせてもよかったのに」
本人にとってはテレビを見ているときに、他人がいきなりチャンネルを変えたような気分だ。
不明なところは神のせいにしてまずはあたりを見渡す。現在地は国道の歩道だ。並木道となっており、となりに枯れ葉をつけた木々が立ち並ぶ。湿った匂いが鼻をかすめた。後ろを向くと三角屋根の木造家屋が視界に飛び込ぶ。冷めた空気の漂う、寂れたところだ。
「ってか、寒っ」
思い出したかのように体を震わす。
雪景色にも関わらずパーカー一枚だ。体の芯から冷えていく。手も真っ赤だ。刺すように痛い。スニーカーは雪で濡れてくつしたまでグチョグチョだ。
「だいたい、ここはいったい」
白い息を吐く。見上げると、空も白い。周りでは車が行き交う。先ほどからエンジンの音が耳障りだ。顔をしかめる。
カラフルな鉄の塊を目で追うと、歩道橋が見えた。黄緑色の壁に信号機が縦向きに設置してある。
「現代じゃないか」
神は異世界に飛ばしたのではなかったのだろうか。目を見開いて棒立ちになる。
死んだ目で固まっていると視界に三つの影が映った。彼らは歩道橋の見えるほうから横に並んで歩いて、こちらへ近づく。
「なん……んだよ、……はよ」
「なにが……だ。俺らは騙されねぇよ」
「お前よ、……に会うためにワザワザ、雪野に来たんだろうがよ?」
「あいつは知らんが、俺は嫌がらせのためだ。きれいな顔を汚してやろうってな」
石を蹴り飛ばしながら三人の若者が愚痴をこぼす。
派手な頭をした者たちだ。左から一人目は耳の周りを刈り上げ、二人目は襟足を伸ばし、三人目はリーゼントに整えている。服装は皆ダボダボだ。ズボンのポケットに手を突っ込んでいるため、見ていてヒヤヒヤする。右側を歩く者だけが学校のジャージを校則通りに着ていた。
「俺はよぉ、特別扱いしてほしかったのさ。あんの八方美人がよぉ。誰にでも平等だったらいいと思ったら、大間違いだぜぇ」
「おうさ。次に見つけたら、ボッコボコにしてやろうじゃねぇか。そんで、二度と舞台に立てねぇように、こらしめねぇとな」
「いいぞ。きれいなもんを汚すのは、俺も好きだ」
トゲのある声が鼓膜(こまく)をたたく。
初めて見る不良にプレッシャーを感じて、体が強ばる。足は地面に張りついて、固まった。自然とへっぴり腰になる。
早く逃げなければ――
危機感がピークになったとき、不良と目が合う。
冷めた風が両者の間を吹き抜けたあと、不良の顔に朱がにじむ。
「なんだぁ? テメェはよぉ。バカにしてんのかぁ? アァ?」
「さっきから俺らのこと、舐め腐った目で見やがって。失敗した人間を見て、楽しんでんじゃねぇよ」
「退け、珍しい黒髪黒目の男。さっさと失せろ」
三人のヤンキーが口を大きく開けて、ツバを飛ばす。
「いや、そんなつもりじゃ」
あまりの迫力に後ずさる。
「いいぞ。喧嘩を売ろうと言うのなら、乗ってやらんこともない」
「退け」と言った本人が、最も逃がす気がなかった。
最初にリーゼントの彼が動いて、ペットボトルを取り出す。中身は薄茶色だ。キャップを開けて、真白の頭に泥水をかける。髪から水が滴った。汚い水がパーカーを濡らして手のひらにまで湿る。不快な感覚だ。体を震わす。目や口にも入ったらしい。舌でジャリジャリとした食感を得る。
「ほら、なんかやってみろ」
「ビビってんのかぁ?」
「抵抗しなけりゃ、殺すぜ。それでもいいなら、好きにすりゃぁいい」
最初は彼らの気が済むまで待つつもりだった。殺人以外なら、顔に落書きをした者も許す。泥の臭いに耐え忍ぶのもよかったけれど、気が変わった。『殺す』と脅すのならやり返すべきかと考える。仮にケンカになっても無傷で済む自信があった。なぜなら真白は勇者である。パンチを繰り出すと、不良は山の彼方へ吹き飛ぶ――そんなビジョンを頭に浮かべた。真白は日の光を浴びて澄んだ空気を吸う。
「早くしろ」
不良たちの目は獲物を見つけた肉食獣に似ていた。血の気にあふれて、今にも襲いかかってきそうな気配がある。「戦え」と命令を下すのなら、少年も動かざるをえない。
三秒後、顔を上げる。指を折り曲げて、ジャンケンでグーを出すポーズを取った。
いける。おのれを奮い立たして、心に炎を燃やした。見よう見まねでも攻撃は通じる。なぜなら、彼は知っていたからだ。異世界に召喚を受けて無双をするチーターたちの姿を。勝った。ニヤリと歯を見せる。背中に風を受けながら、今、勇者は拳を放った。
ところが、彼の拳は数メートル進んだところで止まる。刈り上げの男が受け止めたからだ。まるで、ボールをキャッチするようなあっさりさに、青くなる。
「なんだそりゃ。勢いだけでなんとななるほど、甘くはねぇんだよ」
となりに立つ襟足の長い男が、眉間にシワを寄せる。
事実、真白の攻撃は弱かった。繰り出したパンチは弱々しく、形をマネただけにすぎない。
「バカにしてんのかぁ? ヘタレがよぉ」
刈り上げの男が軽蔑の眼差しで、青年を見下ろす。
異様にあたりが静かになったと思った瞬間、耳元で打撃音がした。視界がぐるりと回る。電信柱と逆さになった淡い色の空が、目に飛び込んだ。真白は自分が宙に浮いたことに気付く。その瞬間、彼の体は地面に沈んだ。冷たいアスファルトと顔がぶつかる。口の中に砂の味が広がった。
「なんなら、正しいパンチの繰り出し方を教えてやろうじゃねぇか」
「殴ったあとに言うな」
「いいじゃねぇか。一回じゃねぇんだし」
襟足の男の言葉を聞いて、留まったことを悔いる。
一刻も早く逃げるために、立ち上がった。影が南に伸びる。渋い表情で顔を上げた途端に、少年はハンドボールの球のように吹き飛んだ。ふたたび空を見てから、地面に落ちる。指の先に力を入れて身を起こそうとした。そのとき、脇腹に打撃が入る。襟足を伸ばした男が真白を蹴り飛ばした。サッカーボールのようにアスファルトを滑る。刈り上げの男もやってきて、襟首をつかむ。相手は強引に青年を立たせると、顔にパンチを入れた。ふたたび、真白は歩道へ吹き飛んだ。
真白は勇者だ。勇者は無敵で、魔王を倒す存在でもある。しかし、現実は雪の積もった道に転がるばかりだ。
輝かしい理想に惨めな現実がからみつく。
立ち上がろうとするたびに、不良たちが彼を殴った。青年は何度でも地に沈む。
日が陰った。青年の白い顔に青墨色の影がかかる。
まさか、自由を失ったまま終わるというのだろうか。つぶれたトマトになると思うと、周りから色が消える。体の中心を貫く棒が折れる音が響いた。
文字通り踏んだり蹴ったりで、生き恥をさらしている。おとなしくひれ伏すのみだ。心が悲鳴を上げる。肉体よりも、精神が粉々になった。血の臭いと落ち葉の朽ちた匂いが混じり合う。凍てつく風が傷にしみた。鋭い痛みに脂汗を流した。
「ここまで弱っちぃやつは初めて見たぜ」
襟足を伸ばした男が青年を見下ろす。冷たい道に横たわるのは、十回目だ。地面に伸ばした手をスパイクのついた足が踏む。衝撃が骨まで伝わった。傷ついた箇所に血がにじむ。青年が身近な悲鳴を上げた。彼の細い声をかき消すように、不良たちがゲラゲラと笑い出す。
「いいぜ、これだ。これだよぉ。弱い者いじめってやつは最高だなぁ、おい」
「悪ぃな。全部、八つ当たりでしかねぇんだよ。テメェが地面を転がることに、なんの意味も価値もねぇ」
「無論、本気で謝るわけではないが」
殴る蹴るの暴行は続く。一秒も待たずに真白はボコボコになった。顔が腫れて、膝や腕には擦り傷が目立つ。
視界がかすんだ。
「その人から離れて」
彼女の第一声はハッキリと、鋭いナイフのように脳を貫いた。
やがて青年はゆっくりと顔を上げる。
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