真っ白な少年は、勇者である

 空間というよりもはや点。透明な世界には縦も横も存在しない。


 音という概念が消えたかのように静かな場所だ。ひっそりとしたまま永遠に時だけが流れるかに思えたとき、不意に何者かの目が瞬く。


 誰かの心象風景と称すべき空間で、少年は夢を見ていた。彼は目を閉じたまま出番を待つ。


 一瞬にも無限にも感じる時の流れに閉じ込められたまま、一人で過ごした。なにも考えずに、なにも感じぬまま、なにもない場所を漂い続ける。


 視界を霧が覆っていた。手のひらの形すらぼんやりしている。文字通り自分を失っていた。


 おのれはいったい、何者なのか。


 思考をした瞬間を狙ったようなタイミングで、世界が波を立てる。


『真白と、仮に名をつけましょうか』


 低くて張りのある声。やわらかな口調には気品がただよう。

 謎の空間の外側から話しかけているのだろうか。


『よろしい。君にはぴったりの名です』


 相手の声が弾む。真白と名付けた相手を放置して、男は勝手に満足した。


 一方で声をかけられた本人は、キョロキョロと目を回す。

 初めてだった、自分の世界に他者の侵入を許したのは。

 真っ白な世界で見知らぬ声を聞いた瞬間、心を直接つかまれたような感覚があった。


 予想外の出来事に声を出しそうになる。

 ところが彼は、謎の声に驚いた自分に最も衝撃を受けた。


 真白には心がない。無色透明の影が感情を得た――すなわちそれは、無から有を作り出すに等しい所業。全てが声の主の仕業なら男の正体は神だろうか。少なくとも普通の人とは異なる領域にいる者だと悟る。


 考察を進めようとしたとき、男は急に本題に入った。


『君には責務がある。聞きなさい』


 芯の通った声であり、真剣な雰囲気があったため、聞き手の気も引き締まる。


『これより君はクルールという世界に降り立ち、世界を救わなければならない』


 一呼吸置いてから、男性はゆっくりと説明を始める。


『「なぜ」か。それは、君が勇者だからです』


 勇者。

 馴染みの薄い単語だ。


『三〇〇〇年前、魔王の誕生によって世界は危機に陥った。そのためにクルールという世界に召喚されたのが、君です。そして君は戦いの後に自らの肉体を封印して、眠りについた』


 淡々と、声の主は語る。


 情報はすんなりと頭に入ってきた。『聞かされた』というより、『物語の内容を脳に直で、刷り込んだ』と表すほうが正しい。先ほどから長い文章が目の前をスクロールしている。


『分かりましたか?』


 相手の問いに、心の中でうなずく。


 とはいえ他人事だ。男の話したストーリーは現実離れしているし、実際に起きた話か疑わしい。


「どういうことか」と尋ねたかった。もっとくわしく教えてほしい。頭に生じた雲はふくれあがっていく。されども声は出せなかった。唇を動かすための肉体を形作るには、まだ早い。時がくるまで羊水の中で眠る胎児のように、自らの誕生を待たねばならなかった。


『春、クルールの東の国で災いが起きる。全ては勇者が悪をし損じたために起きる悲劇だ。君としては他人の尻拭いをするような感覚でしょう。申し訳ないがこれも運命。さあ、今こそ立ち上がって剣を振るい、悪を倒すのです』


 話を聞き終わって、男は神らしく高みの見物を決め込むつもりだと、真白は気付く。


 彼に文句を言う資格はない。素直に事実のみを受け入れる。

 三〇秒たって声は去った。


 帰る前に魔法をかけていったのか、少年の視界はクリアになる。くっきりと目に映る手のひらを眺めて、真白は『自分』を得たと判断した。今なら現実に生まれ落ちても、大丈夫だろう。


「でも、足りない」


 無意識のうちに唇を動かす。


 直後に頭の中に億を超える映像が、高速で流れていった。かすかに脳がきしむ。顔をしかめるマネをしつつ、これが『記憶』だと感じ取った。


 念のために脳に入ったメモリーを一つひとつ、確かめる。壊れやすい物体を扱うように、慎重に。



 彼は高校に通う一年生だ。出身地は田舎。家の周りには田んぼや山が多く広がっていた。事件や争いとは無縁のまま、平和に暮らす日々を送る。


 十五年間、少年はひとりぼっちだった。休み時間には一人で弁当を食べ、二人組を作るときは当然のようにあまる。毎日一人で登下校をして、放課後も家でゴロゴロするだけだ。ほかの生徒がキラキラと輝く中、少年の人生は灰色に染まる。原因は彼が怠け者だからだ。授業は聞き流して、部活動は休む。友達を作る努力は怠り、声をかけてくる者を待つばかりだ。


 不満はあれど身の程はわきまえる。高望みはやめて現状に甘んじた。自分が平凡な人間だと分かっていたからである。貧弱な体の地味な少年では女子生徒にもウケが悪い。なにもかもをあきらめ、放棄した。


 彼が成長を止めたため、春も去る。


 安定した日常が崩れ去った時期は、くしくも春だった。


 四月七日の朝、少年は生徒玄関から中に入って、廊下を進む。階段を上って、教室を目指した。その途中でいきなり青白い光が出現して、複雑な模様を床に刻む。見た目は物語によく出る魔法陣だ。少年はとっさに陣を避けようとしたが、遅かった。スリッパを光の中に突っ込んでしまう。彼の体も光に包まれて、異世界に飛んだ――


 記憶はそこで途切れている。


 エピソードを思い出したときから、妙な違和感があった。自分が勇者だといっても、実感が沸かない。脳に入った思い出すらも疑って、なかなか現実を受け入れられずにいる。


 気がつくと、一時間くらい経っていた。正確には、透明な時計が秒針を刻んでいるような気がする ・・・・。気を抜くと、津波のような時の流れが体を押し流しそうで、落ち着かない。


 もっとも時が移ろうが彼の心は、眠っていたころと同じである。波さえ立たなければ、世界も真っ白に凪いだままだ。


 延々にぬるま湯にひたりながらも、一ミリほどの不安を胸に抱く。果たして、いつまで怠惰を決め込んでいればよいのだろうか。悩みこむ。


 今は自分の正体を理解した。その気になれば現実の肉体のまぶたも、一瞬で開く。


「でも、今さら起きてもな」


 三〇〇〇年も経てば優秀な人間が地上に生を受けてもよいころだ。


 例えば突然変異で強大な魔力を持った人間が生まれたとする。性別は男。彼は勇者が永い昼寝をしている間に、悪を滅ぼす。男は真の勇者となり、世界に平和をもたらした。


「うん、いい感じだよ」


 真白は口の中でつぶやく。


 脳内で構想したストーリーはただの妄想だ。幻だと分かっていながら、新たなヒーローの誕生を期待する。


「まあ、無責任だよな。使命に背く気でいるなんて」


 独り言を吐きつつ自嘲をこぼす。


「あきらめたほうがいいかな」


――声の主には逆らえる気がしないし。


 いくらあがいたところで外に出る羽目になる。具体的にいうと強制的にテレポートを受けて、現実世界に飛ばされたり。

 直感で察しつつ大きなあくびを漏らす。


「そのときはそのときだよ」


 けだるげにつぶやくと眠たくなってきた。本能に身をまかせてまぶたを閉じる。彼は眠りについた。

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