混濁した意識の中で、キサラは顔を上げた。それだけで激痛が走る。かろうじて生きているが――これは生きているうちにはいるのだろうか?


 痛みが容赦なく、躰を打ち付ける。もう意識を手放した方が楽なのに、痛覚がキサラを叩き起こすのだ。

 鎮痛剤があったはずだ、と思うが指先を少し動かしただけで、イタミが身体中を駆け巡る。


「あぁ――」


 何かを吐いた。真っ赤なそれは、キサラの命の灯がワズカであることを物語る。


 人の生き死には腐る程見てきた。不思議とギルドの面々を治癒した患者の顔は浮かばないのに、無償で治癒した国から見放された人々の顔が浮かぶ。


 ――先生のおかげで、うちの子が助かりました!


 手を握られた母親の感触が何故か思い出す。この土壇場で?

 小さく笑んだ。助からない命もある。助かる命もある。この瞬間が最後の場合もある。ただ、それだけだ。


 そう淡白に伝えたキサラ自身が今、最後を迎えようとしていた。


 指先をのばす。走る激痛。朦朧とした意識の中で、それでも手をのばす。

 指先が何かに触れた。


(な、に?)


 刹那、仄暗い光の破片が、駆け巡る。ぼやけた視界にうつる光は、ロストセレブレーション特有の共通言語を示していた。


 その文字は50の音を礎とし、様々な象形文字で彩られる。現在の24文字では考えられない多様さだ。


 キサラは目を疑う。古代文字に混ざり、現在の24文字まで文字が入り乱れる。

 キサラは驚いて残った気力だけで顔を上げた。


 硝子瓶の中に、少年が眠っていた事に今気付く。硝子瓶の中は青い水溶液で満たされていた。溺れている訳ではない。何十という管が少年の体に繋がれていた。あまりの非常識な光景に唖然とする。


「……これ…って……パナケイア?」


 息を切らしながら、キサラは呻く。

 と、キサラが手を置いていた床が、同じように文字を踊らせながら燐光を発した。


≪パスコードを認証≫

≪生体コード解析開始する≫

≪声帯認証不一致≫

≪網膜認証不一致≫

≪指紋認証不一致≫

≪DNA認証一致≫

≪不確定ながらパスコードとDNA認証一致を認める。起動項目第三条第二項目の緊急措置によりブート起動了承。パナケイアを仮起動する≫


 文字が踊る。あまりの早すぎる展開にキサラの思考が追いつかないし、解読もできない。

 だが、認証と起動の文字は確認した。パナケイアが起動するのだ、もう死に行くしかないキサラの目の前で。


(悔しい、なぁ……)


 割れる硝子瓶。破片が雨のようで。文字が踊る。文字が舞う。文字が奏でる。文字が、文字が、文字が。

 少年が管を引き千切るモーションが残像のようで。キサラの視界が濁る。


≪体内組織は完全に保全。システムに問題ありません。ブート起動完了≫

≪オペレーションシステムの動作テスト開始。パナケイアのセルフメンテナンスを開始します≫

≪起動完了≫


 ちらつく文字の断片を最後に、キサラは意識を手放した。

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