第56話 夜宵(ヤヨイ)

ミコト』の言葉には安らぎを感じさせる何かがある。

 持って生まれた才能とでもいうのか、魔性と言えばいいのか、人を惹き付ける魅力があるようだ。

 その容姿、身振り、小柄な身体の全てを使って、催眠にでもかけるように、見る者、聞く者の心に滑り込む。

 ケンにとって、それは、とても心地よいものであった。

 NOAに来て、数時間でケンは『ミコト』に摂り込まれた。

 なにより、NOAが所有する遺伝子のデータバンク、そこから新種の生命をクリエイトできるという未知の可能性、創造する…その万能感がケンの欲求を満たしいく。

 神にしか許されない領域に、自分が立てるのだという高揚は御し難く、それが『ミコト』に容易く懐柔された大きな要因であった。


「ケン…主には、新たな名をやろう、ARKと決別し、新たなる皇道を歩む、良き名をわらわが与えよう…そうよの『フラカン』というのはどうじゃ?」

「フラカン?」

「マヤの創造神の名じゃ、この世を浄化し、創造していく汝に相応しい名じゃ」

「創造神か…悪くない…」

「気にいったか?」

「あぁ…」

(さしずめ…朝倉ユキが人を冥界に送るタナトス、この男は…何になるか?)

ミコト』が値踏みするようにケンを繁々と眺める。

「では、フラカン…最初の仕事、ARKの駆除班を殺すための生命を創造せよ…ベースになる妖魔は用意させよう…頼むぞ」

 ニタッと笑う『ミコト』に、逆らい難い圧力を感じ、ケンは思わず、跪いた。

 この瞬間、ケンは『フラカン』として、この少女に従うことになった。


 1週間後…

ミコト』はユキが眠るカプセルの前に立っていた。

「よいな…この少年の記憶は抹消して目覚めさせよ、その後は童が…新しい人生を授けてやろう」


 ………

「ねぇ、ユキ」

「なんだいミコ」

「ううん…何でも無い」

「なんだよ、早く行こう、この映画観たかったんだろ?」

「うん」

 ユキの手を握る、小柄の少女…

 付き合い始めの中学生、どこから見ても、誰が見ても、そう見えるのだろう。

『ユキ』と呼ばれた男の子の傍らには不可視の大きな霊獣が付き従い、流行の服に身を包む『ミコト』と呼ばれていた少女が反対側に立つ。

 見る者が見れば、異様な光景である。


 時は少し流れる…

 季節は冬を迎え、穏やかな恋物語が紡がれていた。

 白き霊獣の赤い瞳は時を見据え、飽いた時間はアクビで終焉を迎える。


「ミコ…死なないでくれよ…ミコ!!」

 少女はユキの目の前で、妖魔に喰われた…


「うわぁぁぁぁー」

 ユキの叫びに夜叉丸が呼応する。

 妖魔に飛びかかり、久しぶりの肉を骨ごと喰らう。

 ゴリッ…バキッと牙で骨を砕く音が夜空に吸い込まれるたびに、ユキの絶望は広がり、また身体はナニカに満たされていく…


 自らの拳で、妖魔の半分喰われた顔面を殴りつけたとき、白き霊獣の悲しみとも怒りともつかない叫びが辺りに響く

 ゼェ…ゼェと息を整えようとする頃、霊獣の身体は漆黒に変わっていた。

 変わらぬのは瞳の赤色。


 何度も、何度も、地面に拳を叩きつけて、怒りが悲しみに変わる。

 ユキはミコの黒髪を一束握りしめ、泣いた。


 ほどなく、周囲にNOAの回収班がユキを車に乗せた。

「ユキ…泣くな、妖魔を差し向けたのはARKだ、オマエと霊獣を確保するために…ミコは…その犠牲になってしまった…すまない、もう少し早くオマエを送れれば…あるいは、間に合っていたかもしれなかったのに…すまない」

 ユキに声を掛けるケン、

「兄さん…」

「ユキ、NOAに来い、オマエに渡したいものがある」


 時は流れた…

 変えられた現在いまに気付く術を持たない少年は復讐鬼と変わる。

 ユキにとって幸せな日々の終焉を告げ、黒き霊獣とARKの前に立つ。

「夜叉丸…行くよ」


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