第6話 楚歌の静寂

 垓下という小さな城。

 いま項羽の軍は、その城に収まるほどの数しか残っていなかった。

 季布は周囲を見回していた。これまで共に戦ってきた鍾離昧はいなかった。項羽の元を離れ、韓信に庇護を求め走ったのだった。

「私もそうすべきだったのだろうか」

 ひとり自問しては、首を横に振る。

 何より、虞姫を置いて行くなど出来るわけもなかった。

 あの少女と共に生きる。それだけが季布の未来である筈だった。

 こんなところで死ぬわけにはいかない。

 だが。その虞姫は項羽の傍にいる。


 項羽は部屋の中を落ち着きなく歩き回っていた。片隅に立つ虞姫には目もくれない。

 まるで、檻に閉じ込められた獣のようだ。虞姫は思った。

 もう項羽に触れても、彼の心は伝わってこなかった。

 虞姫の頬を涙が伝う。

 もう、自分に出来ることはなくなってしまったのだ。

 一緒に死んであげることくらい、しか。


 項羽の足が止まった。

 何かに気付いたように耳を澄ませる。

 駆けだした彼を、灯火を持って虞姫が追う。

 虞姫が追いついた時、項羽は城壁の上に立っていた。


 無数の星が輝く夜空を背に、哀しき覇王はその巨体を震わせていた。

 眼下には、天上の星と見紛うばかりの篝火が、彼と垓下の城を取り囲んでいた。

「……!」

 虞姫は、息をのんだ。美しい光景だとさえ思った。

 この地獄の風景を。


「この歌が聞こえるか、虞よ」

 項羽は振り返った。この男が泣いていた。

 だが彼女にそれは聞こえない。

 星空の下の静寂だけが彼女のすべてだった。


 ただ、項羽の心の痛みだけが彼女の胸を震わせていた。


 ああ。もう一度繋がることができた。

 虞姫は目を閉じた。


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