序-2:少女Escape
生きてみたい。
そう心の底で想うようになってから、少女はこの世界のバグになった。
輝く電灯の空の下。透明なビルが幾つも立つ無機質な都市。大きく区切られた道を少女は進む。その黒き四つ脚を使い。一心不乱に。
その四つ脚は人である彼女の物ではない。黒く機械的な装甲を身にまとう獣の如き脚。犬や猫が行う野性的な跳躍を繰り返し、人通りのない白い道を駆けている。
「ハルシス! もっと速くッ!」
黒毛の獣。その体内で少女が操っているのだ。
淡い蛍光イエローの髪を持つ少女であった。この階層では誰もが着る白色の制服を身にまとう、外見だけでは普通で強気な女の子。
そんな彼女は獣の胸部にある操縦席に座り、両手は側面にあるレバーを握り締めている。その青い瞳をしきりに動かし、目の前のモニターに映るだろうゴールを探している。
聞こえる警報音はこの都市に住まう人を諭し逃がしていた。幸いにも獣の四つ脚の巻き添えを喰らう者はいない。それは喜ばしいことだが、同時に行き過ぎた統治を思わせる。
「後方……来てない! 降りる道は……」
ゆえに、彼女は逃げ出そうとしているのだ。
この透明と昼光色の世界は間違っていると解ったから。この安寧は虚栄であり、少女の内に宿した疑問はこの世界の癌であると判断されたのだから。
生きたいと願い、少女は機械仕掛けの黒獣を駆ったのだ。己の心が下した決断は、間違いではないと信じて。
「――ッ!?」
だから、当然としてそれは立ちはだかる。
『君が何をして、何を想い、こうなったかは知らない』
抑揚の少ない男の声と共に、この正しい世界を象徴する騎士が虚空から現れた。同時に見えるのは水色の光の線。この世界に充満する機械の残光だ。
純白の鎧の巨人である。兜を被っているがバイザーの隙間から目が二つ見えていた。紋様として金色の炎のような装飾が目立たないように描かれている。そんな騎士のような機械人形。
絵本で見るようなファンタジーな姿だが、この世界においてその様相は決して見掛け倒しではない、真の意味での世界の守護者である。
『しかし、この世界において君は不必要である、と彼女は仰せられた』
「ベルジュ……となると、ミクス・アージュッ!」
『いかにも。我が名はミクス。半身なる鎧、ベルジュを纏いてここに召喚された』
『ぐるるるる……ッ』
獣は動きを止め、しかしいつでも動けるように態勢を低く整えた。少女の心を表すようにそれは唸り睨む。
世界を間違いと認めるのであれば確実に彼が立ちはだかる。それを知っていたのだから急いで逃げていたのだ。この目の前の粛清者に敵うなど、不可能であると知っていたから。
逃れやしない。この世界は
『私の名前を知っていてなお、この状況に至った事は決して良い判断ではない』
「……そうね」
『なぜ、
「機械的ね……流石は女神様から寵愛を受けているだけはあるわ」
この世界を統治する
当然だ。少女の言葉には冷や汗が滲んでいる。震えた声が騎士の心を揺さぶることなどない。
『そういう君は自然的だ。メカニズムの整ったこの社会で変動を求めている』
「光栄ね……私は生きたいの。こんな閉塞的な空の上、純白だけを良しとしてシミは排除するこの世界は、間違っているんだから!」
焦りは確実に少女の決意を急かさせた。
言葉の勢いと共に両手のレバーを前に倒す。その動作に合わせるように、ハルシスと呼ばれた黒猫型の機械は前方への跳躍をする。
狙うは白騎士の頭。右前足に生える三本爪が白く発光し熱を帯びる。
『……コール、コォンヴィクトッ!』
対し、白騎士は迫りくる獣に対して右手を伸ばす。
開かれた右手から走る淡い水色のスパーク。それらは光の一閃を描いて姿を作り上げ、刃と柄を構成していく。
「ハルシスの光の爪なら――ッ!」
『であれば、我が剣は神光の具現と言えようッ』
光は質量を手に入れ、瞬時に構築した姿を物質とし現出させる。形状は剣。金の紋様が描かれた美麗なる白の大剣――名称、コォンヴィクト。
騎士は己が呼び出した剣の柄を握り、強襲者の爪に相対する。
剣と爪は接触し鈍い音を奏でた。振り下ろされた獣の右前足は、獣の全体重をかけているにも関わらず、白騎士のたった一薙ぎで弾き返される。
「くッ!?」
『君が操る獣は確かに獰猛だ。しかし如何に凶暴であろうとも、我が洗練されしハードメイルには敵うまいよ』
それらはハードメイルと呼ばれている機械であった。強固なる鎧の意味を持ち、確かにそれらは人を包む鎧の如き機械人形である。
体長は共に10mほど。ハルシスの場合は二足で立ったとすれば、だが。
しかし体長が同程度であろうとも差は歴然。研鑽された剣撃に、未熟な一撃が届くわけがない。
弾かれた旧き獣は上手に着地し、再び後ろ足で無機質な床を蹴る。
「知ってる、わよッ! でも――」
金色の髪が乱れながらも、少女は剣を構える白騎士の先を見る。
見つけたのだ、この世界から逃れる方法を。生きるために探していたゴール地点を。
そのためにはこの最悪な状況を突破するしかない。加速の中で、明白な性能差をどうにかして覆さなければならない――。
「ハルシ——ッ!?」
――だから少女の宣言よりも先に、獣は少女に手段を与えた。
二度目の刃の接触。その瞬間に胸部から何かが飛び出した――白色の服を着た蛍光色の髪を持つ少女。困惑と動揺、不安を顔にしながら数秒間だけ宙を舞う。
10メートルから前方へ押し出されるように飛び出した少女は、大地との接触に際して咄嗟に受け身を取り、身体全体を使ってその残った勢いを殺していく。
転がり遠ざかっていく少女の姿を、背後の二機は見ることなく接敵している。
「こほっ……げほっ……ハル、シス」
咳き込みながらものそりと立ち上がる少女は、白騎士との戦闘を続ける相棒の雄姿を見る。
胸部は開かれていた。接触の勢いと共に少女を操縦席から排出したのだ。これは少女の意志ではない。ハルシスと呼ばれる生きた機械が見せた主人への忠誠心だ。
「……ごめん!」
主を失った機械は更なる性能差を広げてしまうだろう。だが逃げる事を最優先とする少女のために、戦いに負ける選択をハルシスは取ってみせたのだ。
白騎士は動きの鈍ったハルシスを剣で弾き、そのまま縦に振り被って一撃を与える。主人を失った獣はそれを悟られないように必死に抗って見せる。
その一幕を見終える事をせず、少女はそのゴール地点――ダストシュートへと飛び込んだ。
R/R
そこからは果てのない落下であった。それが最後の記憶である。
そう認識している少女は、この記憶の再生がいわゆる走馬燈と呼ばれるものなのではないか、と一つの結論を出した。
即ち、だ。
「――ッ!?」
「う、うわぁッ!?」
ガバリと身体を起こす。重い髪の起き上がる感覚と、側から聞こえる誰かの声を感じる。
見知らぬ個室。ガラクタが散乱しているが、自分の寝ていたスペースと机の周りは確保されている誰かの部屋。
そして彼女の横で顔を赤らめて動揺している少年が一人。
それが少女の青い瞳が捉えた、生きているという実感の光景だ。
「あ、あなた、誰!」
「……良かったぁ……生きてた」
状況を把握しきれない少女に対して、困惑から安堵の表情になった少年は少し嬉しそうにその問いに答える。
「僕の名前はラグナ。ラグナ・レガリシア。この国のしがないジャンク屋だよ」
赤い髪。赤い瞳。落ち着いた雰囲気を持ち、首には厚めのゴーグルがかけられている。そんな彼女の知らない自由を感じさせる少年。
最下層『クルセア』にて、少女は出会った。この世界のもう一つのバグに。
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