14. 結婚式
ホールでは披露宴の最中、扉は全て閉まっており、前には受付けのカウンターとホテルスタッフが並ぶ。迷うことなく中へ進もうとする亨の右肘を、摩衣が懸命につかんで引き戻した。
「披露宴に乱入するつもりですか! 斎藤家と山岸家ですよ」
「家名はどうでもいいだろ。魚は中に入ったんだ」
「見たんですね? 絶対ですね?」
「ああ。幻覚なんかじゃない、絶対だ」
真正面から彼の目を見た摩衣は、止める無駄を知って覚悟を決める。
記帳を求めるスタッフの声を、二人は揃って無視して入り口の前に立った。自分が先に行くと告げ、彼女の手が扉を押す。
披露宴はちょうど新婦の挨拶が終わった頃合いで、マイクを持って立つドレス姿の花嫁が入ってきた二人へ顔を向ける。新郎の知る人物かと隣に助けを求める彼女へ、摩衣が高らかに祝福した。
「ご結婚、おめでとうございますっ!」
「ありがとうございます」
知らない顔であっても、新婦が受け入れれば誰も咎めはしない。両人どちらかの知り合いだろうと、ホールスタッフが空いた席へ案内するべく近くに寄った。
聞き分け良く端のテーブルへ誘導される二人に、会場の皆も気を緩めて平穏な進行に戻る。しかし、亨の目は一点を見つめて着席しなかった。
雛段の横、背の高いウェディングケーキに、魚たちが出たり入ったりと纏わり付いて遊ぶ。ピンクのクリームと魚が白い下地を可愛く装飾する。ツカツカと前まで歩み出る彼を見て、司会は言葉を止めて訝しんだ。亨に付いてきた摩衣も、このあと彼がどうするつもりなのか分からずに戸惑う。
「矢賀崎さん……、ケーキ?」
「そうだ。ケーキを見せたいらしい」
列席者たちのざわめきが大きくなり、亨を引き戻そうとスタッフが走り寄った瞬間だった。ウェディングケーキは天井へ噴き上がり、白いクリームを吹雪の如くホール中へ撒き散らす。
爆散したクリームは会場全体に行き渡り、ぼた雪となってテーブルや人々の頭へ降り掛かった。もちろん至近距離で浴びた亨は白
彼をホール脇へ引っ張ろうと駆け寄った黒スーツのスタッフは、クリームを踏んで派手に尻餅をついた。花嫁衣装を台無しにされ、顔面まで汚された新婦が、犯人と思しき男を指して絶叫する。
「爆弾! そいつを捕まえて!」
真っ先に動いたのは、スタッフではなく新郎だった。新妻の要請に応え椅子を蹴った彼は、亨へと両手を挙げて飛びつく。
先までケーキがあった空間を呆然と見ていた彼は、新郎のタックルを受けて床に倒された。ウェディングケーキが消えても亨の知ったことではないが、魚たちまでいなくなっては困る。
自分は何故ここに連れて来られたのか、疑問を頭の中で転がしながら彼は床に落ちたクリームに顔を沈めた。傍らの摩衣が必死で弁明に努めるものの、彼の頭と背中を押さえ込む力は増すばかりだ。
自作品がどこかにあるのでは――そう周囲を探そうとしても、拘束がきつくて顔を上げるのも叶わない。いつの間にかスタッフたちも助力しており、三人掛かりでのしかかられては
過去……そうだ、過去に戻れるはずだと、次に考える。これまでなら魚を追うと、別の時代に連れて行かれた。魚の魔法でパッと世界が切り替わる。そんな舞台転換の瞬間を、今回こそは見逃すまいと目だけは見開いて待ち構えた。
新婦はお色直しの部屋に引っ込み、汚れの酷い来客へはクリーニングの案内がされる。亨を押さえる新郎も、スタッフと交替して着替えに向かった。
業務妨害の容疑者となった亨は、一旦、ホールスタッフの控え室へ連行され、摩衣と一緒に閉じ込められる。ホテルが警察に通報するかは微妙なところだろう。一応、タオルを渡され、騒ぎが治まるまで部屋で待機しろと命じられた。
ホテルからの事情聴取はあとで行うつもりらしく、スタッフは控え室から出払い、二人だけが残される。会場と直結した部屋には、外で交わされる怒号の応酬が丸聞こえだった。パイプ椅子に座った亨が、顔を拭きながらポツリと呟く。
「遅いな……」
「何がです? もうっ、これ全然取れない」
髪に付いたクリームを拭う摩衣が、彼へ首を向けた。散々な目に巻き込まれても、さほど怒った様子は無い。
「時間が、世界が変わると思ったんだけど」
「そうなったら、私はどうなるのかな。ちょっと楽しみかも」
摩衣の期待は外れると亨は予想する。彼女はこの世界に残るだろう、と。
であれば、時間線を越えた亨は、彼女には気を失って倒れたように見えるのか。意識不明になるなら、次に目が覚めた時は病院のベッドで寝ているかもしれない。
「もし俺が倒れても、心配は要らないから」
「馬鹿言わないでください。救急車を呼ぶに決まってるでしょ」
口を尖らした摩衣が、どこか他人事な言い草の彼を覗き込む。亨の頬に血が一筋、垂れ落ちた。
「やだっ、出血してます」
「床でかな。擦り傷だろ」
傷はこめかみの上辺りで、さして痛みは無く、彼はタオルで押さえて済まそうとする。実際、絆創膏で間に合いそうな小さな切り傷だったのだが、摩衣は消毒すべきと主張した。新しいタオルと傷薬を貰ってくると言い、彼女が控え室唯一の扉を開ける。
部屋の外では、監視役のつもりなのか、男性スタッフが一人立っていた。本来は給仕係なのだろう、銀色の大盆を抱えているのが、部屋の中からも見える。開けたドアから摩衣が手を離すと、勝手にバタンと閉まって、話し声だけが伝わって来た。
彼女は結構な大声でまくし立てており、理由はどうあれ、怪我人を放置するつもりかと抗議している。スタッフもその剣幕にたじろぎ、他の者を呼び付ける指示が聞こえた。
扉越しの喧騒をBGMにして、亨は自問自答に沈んでいく。
黄色い魚もシャチも、最後は砕けた。役目を果たせば、砕け散るのでは? だとすると、ピンクの魚はまだ消えていない。再びどこかから姿を現すはずだ。
あの魚は何をモチーフにしたのだったか。スズメダイ、だったような。一匹が十センチほど、群れて泳ぐ濃い桃色の魚は、モデルになった熱帯魚がいたと思い出す。本来は青い体色を、より非現実的にと変更した覚えが――。
――静かだ。
思考を遮る騒音は止み、壁掛け時計の秒針が正確に時を刻む。
「摩衣?」
呼び掛けに応える者はおらず、扉は閉まったままである。タオルを机に投げ、すっくと立った彼は部屋の入り口へと足を進めた。ノブを捻り、片開きのドアを大きく押し開く。
ワインやビールが注がれたグラス、食べかけのデザート皿。どれも披露宴が開かれていた会場のままだ。違うのは、白いウェディングケーキの塔が復活していること。そして、誰もいないこと。
列席者もスタッフも、雛段に座る新郎新婦も消えた。時間が止まったかと思える静寂の中、ケーキに落ちる影が僅かに揺れる。無人の会場の中央へ
いや、場所は同じ、ホテル・リュミレである。しかしいつの? 瀬那とどう繋がるのか。
覚えていないだけでこれは自分の結婚式ではないか、それが最初の推測だった。だが、全く確証を持てない。かつてリュミレに来た記憶も無いのだ。
会場の外から、盛大な拍手と歓声が届く。皆は廊下にいる、それを聞き付けてホール中央の扉へ走った。弾くようにドアを押して飛び出した彼は、自分へ振り向いた顔に面食らう。
数メートル先で馴染みのある顔が二つ、彼を見て笑った。よく知った顔――昨夜会った二人だ。
「なんだよ。記念写真に並んでなかったのか?」
「えー、せっかくなのに」
朗らかに笑う新郎は真田、寄り添う新婦は水原だった。
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