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 こうして作成したアルバムは、『LEONHARD』というシンプルなタイトルで店頭に並んだ。宣伝文句の『あの衝撃のバンドが遂にデビュー』みたいなノリは、恵に首筋をくすぐられるような不快感を与えたが、「確かに衝撃的につまらない音ね」と、シニカルに納得するのであった。それでも、そこそこのCD売り上げ、配信ダウンロードを記録し、小宮の戦略が正しかった・・・・・ことが裏付けられていた。その商業的な成功が、全ての判断基準になるのであれば、確かに小宮は成功したようだ。成功者である小宮が次に選択した戦略は、このデビューアルバムを引っさげてのコンサートツアー・・・ と言いたいところだが、さすがにそこまでの博打は打たない。だからこそ小宮はこの業界で、成功者側の住人の顔をしていられるのかもしれなかった。


 次の手は、とりあえず先輩ベテランバンドである、スモーキー・エアー・カンパニーの前座から始まった。鮮烈デビューを飾ったとはいえ、まだまだ知名度という意味では、先行するアシッド・クローラーやネクスト・モンキーには敵わない。そこで、同じ事務所の大御所バンド、SACスモーキー・エアー・カンパニーの前座として経験を積みつつ、名前の浸透を図るという定石通りの手法が小宮の戦略であった。その際、恵のナチュラルのジャズベースが「レオンハートのイメージと合わない」と主張する小宮によって、ワインレッドの様な深紅のジャズベースに替えられた。恵にとっては、楽器のカラーリングなどどうでも良かったのだが、鮮烈デビュー感を出すためにも、赤が必要だとの小宮の意見が採用されたわけだ。そもそも、鮮烈などと謳っているのは売り手側の勝手なセールストークで、それを鵜呑みにするような客は、結局その程度の聞き手でしかないと恵は思っていたが。

 SACは、バンドとしては全く異なるジャンルで、ブルースに根差したロックが売りの、大人の音楽ファンに根強い人気を誇るベテランだ。当然、レオンハートがターゲットとするファン層とは異なるが、アリーナを満杯にする実力を有するバンドの前座として場数を踏むことは、決して無駄ではない。

 恵だけでなく他のメンバーも、今まで経験したことの無い大規模な会場と大勢の観客を前に、緊張もするし興奮もしたが、肝心の演奏そのものは小宮の指示通り、例のパッとしないサラリーマンサウンドだ。当然、観客の反応もイマイチで、恵たちは特に何の手応えを感じることも無く、レオンハートとしての初演奏を終えた。会場を温める・・・という、前座に求められる最低限の仕事すら出来てはいないと感じていたが、それでも小宮はご機嫌だった。彼を調子付かせているのは、CD売り上げにおける予想以上の健闘であることは明白であった。小宮には、自分のやり方が失敗するかもしれないとか、もっと良い方法が有るかもしれない、という視野の広さは無く、従って、他人の意見を聞くなどと言う姿勢は端から持っていなかった。

 「いいよいいよーっ! 最初としては上出来だったよーっ。この調子で、もう暫くSACの前座をこなして、来月には単独ライブだからねーっ!」


 そんな前座演奏が続いたある日、遂に恵の本性が姿を現した。「そうだよ。私が大人しく演奏してるなんて、昔の仲間が聞いたらビックリしちゃうじゃないの」みたいな自由奔放な気分が沸々と沸き上がってきた。スタジオでは小宮の言いなりになったが、ステージ上は自分のフィールドなのだ。恵は自分の悪戯心に火が点くのを感じた。

 前座なので、そんなに曲数は多くない。恵は二曲目が終わった時に、いきなりそれを始めた。"Purple Haze" だ。お付き合いでパラパラとした拍手をしていただけの観客が、いきなり食らい付いた。それまで、つまらなそうにしていた連中が、「やればできるじゃん!」みたいに盛り上がり始めた。会場を埋め尽くしているのはSACのファンだ。彼らにジミヘンを与えれば、マタタビを貰った猫のように大騒ぎするに決まっている。他のメンバーは、このような楽器を使ったテロ行為に慣れていないのでどうしていいのか判らず、ただ恵のパフォーマンスを見守ることしかできなかったが、前座とは思えない盛り上がりから三曲目に突入し、その日のレオンハートは確かな爪痕を観客の心に残した。


 「すっげーよ、メグミちゃん! めっちゃ盛り上がったじゃん!」

 「あはは、ホントだね。やっぱSACのファンは判ってるよね」

 ステージを掃け、楽屋で四人が騒いでいるところに、小宮が血相を変えて飛び込んできた。四人は、これまでに無い盛り上がりを見せた演奏に上機嫌であったが、それは小宮が目指しているものとは、明らかに違っていた。

 「メグミっ! あれはいったい何だっ!?」

 この小さな男は、絶対に恵の脱線・・を許さないだろう。そんなことは百も承知だし、それこそ想定内の反応だった。小宮に認めてもらいたくて演奏しているわけではないのだ。仕方なく恵は答えた。

 「ジミヘンです」

 恵の挑発的な態度に、小宮が切れた。

 「いったい何のつもりだって聞いてるんだっ! 誰が勝手なことしていいって言った!?」

 「小宮さん、そんなに興奮しないで・・・」

 タクローが間に入ろうとしたが、むしろ恵はそれを断るかのように小宮に正対した。

 「以前、小宮さんが『コンサートなら少々の脱線は許される』って言いました」

 「『少々』だと? あれが『少々』だと思ってるのかっ!?」

 「私には、あれは『少々』ですが・・・ それに観客が盛り上がっていたのは、小宮さんも見てましたよね?」

 「ふざけるなっ、あれはSACのファンだからだっ! あれは、俺たちが狙っているファン層じゃないと、何度言ったら判るんだっ! クビだからなっ、今度やったらクビだからなっ! お前の代わりのベーシストなんか幾らでも居るんだ! 判ったかっ!」

 「はぁーぃ」

 恵はむしろ素直・・に返事をした。ミュージシャンでもない小宮に、自分の音楽についてくどくど説明するのは嫌だったし、言い訳をするつもりなどサラサラ無かった。元々、相容れない音楽観の持ち主同士が、共通項を見いだす為に労力を割く価値も無いように思われた。世の中のシステムの一部として、小宮が人に指図するという役割・・を与えられているのであれば、その役は演じさせてやろう。アンタのお仕事・・・の部分は、アンタの思う通りにやればいい。ただし、私の音楽に関してアレコレ言うことは許さない。彼の様に、自分に能力が無いことに気付かない奴が発言力を持つと、その集団が徐々に腐り始めることに、どうして上の連中は気付かないのだろうか? 恵は自身の父親の影を小宮に投影し、こういう下衆な奴らを膿として排出できない会社なり組織は、徐々に沈みゆく運命なのだろうと想像した。そして、むしろご機嫌な様子で楽屋を出て行った。

 「お疲れ様でしたーっ」


 楽屋の裏口から表に出て、錆び付いた階段を降り切ったところで、後ろから声を掛けられた。そいつは階段の陰の、上からは見えない一角に潜んでいたようだ。

 「よう、恵」

 突然掛けられた声に驚いて振り返った恵は、目を見開いた。隆二だった。

 「アンタ・・・ 何しに来たの?」

 「何しに来たのは無ぇだろ。つれねぇな・・・」

 恵は警戒感を強めた。二人の間に起こった諸々と、尻切れトンボの様な最後が頭を巡り、隆二にどう相対してよいのかが判らない。親し気に「あら、お久し振り」などと言うべきだろうか? いや、二人は決して、そのような間柄ではない。恵には、隆二の目的が計りかねた。

 「今更、何の用なの?」

 「用なんか無ぇよ。昔の仲間が頑張ってる姿を見に来ただけさ。ダメかい?」

 恵の突き放すような口調にも、隆二の態度は変わらなかった。そういった扱いを受けることを予測していたのだろう。

 「ダメだね。私はアンタの顔なんか見たくもないんだ。それに呼び捨てにするなって言ったはずだよ!」

 「そんな言い方、無ぇだろ? お前が俺たちを見棄ててメジャーデビューしちまって、その後、ラジカル・ボンバーがどんな運命を辿ったか知ってるのか?」

 隆二の声が棘を帯びた。思わず恵のトーンが落ちた。

 「別に見棄てたわけじゃないよ・・・」

 明らかに狼狽えた恵に、隆二のサディスティックな部分が触発された。やはり後ろめたい気持ちを抱いているのは恵の方なのだ。隆二の言葉は徐々に激しさを増し、最後には厳しく追い詰める様な口調に変わっていった。

 「よく言うよ。裏切ったんだろ、俺たちのことを。足手まといの俺たちを切り捨てて、自分だけ良い思いしようとしたんだよな? そうだろ!? 違うのかいっ!? あぁっ? 何とか言えよっ!?」

 隆二の目を直視できず、恵は視線を逸らした。

 「ち、違うよ・・・」

 「・・・・・・」

 何も言わず、恵を睨みつけていた隆二の顔からフッと力が抜けた。そして大声で笑い出した。

 「ファッハッハ、アッハッハ・・・」

 ひとしきり笑った後に、目に涙を浮かべながら隆二は言った。その間も、可笑しくてしょうがない様子だ。

 「冗談だよ。本気にするなよ。俺だって素人じゃねぇんだ、それくらい判ってるさ」

 隆二はまだ腹を抱えて笑っている。

 「ラジボンでモノ・・になる奴は恵、お前しか居なかったってことだろ。下手くそなバンドの中で、お前だけが別次元の演奏してたもんな。恵だけにお声が掛かるのは、まぁ、当然っちゃぁ当然だな」

 隆二の様子に少し安堵した恵は、自分の心にわだかまっていたことを口にした。

 「悪かったとは思ってるよ。何も言わずに抜けて、自分だけプロになって・・・」

 「構わねぇよ。別に恨んだりはしてねぇって。ただ・・・」

 「ただ?」

 「折角メジャーデビューしたのに、随分と大人しい演奏してるんだな、って思ってね」

 恵は、思わず隆二の顔を見つめた。隆二も見つめ返した。

 「昔の恵を知ってる人間としては、元気でやっているのか心配になっちゃったってわけさ」

 そんな風に言う隆二に、何か言葉を返そうかとも思ったが、やっぱりやめた。それを言ってしまったら、二人の間に和解の様なものが成立してしまうような気がして、口元まで出かかった言葉を飲み込んだ。恵は隆二を無視して歩き出した。

 「呼び捨てにするなって言ってんじゃん」

 捨て台詞を吐いたつもりだったが、それには最初ほどの力は籠っていなかった。そんな恵の後姿を、隆二は黙って見送った。

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