第六章 : 居心地のいい場所

6-1

 仕事で使う技術書を買い込んだ帰り、浩は渋谷の街を当てもなくブラついていた。萌衣の待つマンションに直ぐに帰ってもいいのだが、何となく学生時代を思い出して後ろ髪を引かれていたのだ。そしてCDショップの前を通りかかった時のことだ。見覚えの有るような無いような、男性四人組のポスターが目に入った。それは横浜の赤レンガ倉庫辺りで撮影されたと思しき写真で、黒っぽいスーツに身を包んだ四人が、それぞれ好き勝手な方向を向いている。唯一、ボーカリストと思える一人だけがカメラ目線で、左腕に巻いた包帯の端部を口で咥え、引き千切ろうとしているかのような演出だった。そのポスターには、大きな文字でこう書かれている。


LEONHARD

3rd Album " Continuum "

Now on Sale!!!


 レオンハート。恵が一時期、在籍していたバンドだ。浩が一般企業に就職し、新しい生活に馴染もうと悪戦苦闘している頃に、そのバンドで恵がメジャーデビューしたことは知っている。その当時は、まだ恵とLINEが繋がっていて、おめでとうメッセージなどを送ったものだ。ただ、そのデビューアルバムを聴いてみても、特に目新しいものは感じず、恵らしさは影を潜めている印象だった。従って、それを繰り返し聴くことは無く、今では部屋のどこかで埃を被っているはずだ。確か恵も「恥ずかしいから聴かないで」みたいなメッセージを返してきたような気がする。浩はその当時、メジャーデビューするためには、ある程度はそういった我慢・・が必要な時期も有るのだろうと、一人で合点していた。

 そう考えてみると、世の中の全てのアマチュアミュージシャンたちが憧れる、プロとしての生活は、傍から見るほどバラ色なわけではないということか。結局、プロになるという夢の実現と引き換えに失うものは、予想以上に大きいのかもしれない。超大物ミュージシャン以外で、自分の好きな音楽を好きなように演奏できるのは、アマチュアだけの特権なのだろう。

 結局、レオンハートに恵が参加したのは最初のアルバム一枚だけで、二枚目からは別のベーシストに代わっていた。おそらく、つまらない音楽性に嫌気がさして脱退してしまったのだろう。折角メジャーデビューしたのに、「まったく、恵らしいよ」という会話を萌衣とした記憶がある。萌衣も「あの、堪え性が無いから・・・」と、半ばあきれ顔だった。以降、恵のミュージシャンとしての活動を耳にする事も無く、いつの間にかLINEも繋がらなくなっていた。音楽業界に失望した恵はキッパリと引退し、今頃は誰かと結婚して幸せにやっているのかもしれない、などと浩は勝手に考えていたのだ。「ひょっとしたら大地と?」というアイデアを思い付いた浩は、何となくウキウキした気分になっていたものだ。


 CDショップの前で立ち止まり、一人でニヤニヤしていた浩であったが、そろそろ帰らないと萌衣にどやされると思い、駅に向かって歩き始めたその時だ。浩の全神経は、たった今、横を通り過ぎた一人の女性に根こそぎ持っていかれた。

 「恵!」

 女性は振り返り、そしてその目を大きく見開いた。

 ショートボブの髪に革ジャン。下もレザーのミニスカートで決め、目の粗い大人びたストッキングが、そのすらりとした脚を包んでいる。少し踵の有る編み上げブーツも黒く、全身をモノトーンで武装していて、それは紛れもない恵であった。当時よりだいぶ痩せていて化粧も濃いめであったが、浩が恵を見損なうはずはなかった。

 恵の方も、いきなり声を掛けられてビックリ、それが浩であることに二度ビックリ、といった様子だ。

 「浩さん!」

 恵は浩の元に駆け寄った。

 「久し振り! 元気でやってたか?」と問う浩に、はち切れそうな笑顔で恵が応えた。その笑顔はプライム・ノートの頃・・・ いや、お茶の水の楽器店で声を掛けてきた、あの頃と全く同じであった。浩の両腕に手を添えて恵が聞く。

 「うん、元気だよ。浩さんは?」

 ちょっと痩せ過ぎの感じがして心配になっていた浩であったが、その笑顔を見てそんな杞憂は吹き飛んだ。

 「俺も元気でやってる。相変わらずだよ」そう言ってこめかみ辺りをポリポリと掻いた。その時、左手の薬指に光る指輪を見つけ、恵が聞いた。

 「結婚したんだ? ひょっとして、萌衣さん?」

 そう聞いた恵の声が若干沈んだのを、浩は感じ取ることが出来なかった。

 「あぁ、籍だけ入れてある。式はまだなんだ」

 「そぅ・・・ おめでとう」

 「あぁ、ありがとう。そんなことより、お前今、何やってるんだ? あのバンド辞めちまって」

 浩は先ほどまで見つめていたCDショップのポスターを指差した。

 「うん・・・ まぁ、色々とね・・・」

 恵は視線を逸らして、少し神経質そうに爪を噛んだ。思い出したくないことを思い出してしまった。そんな様子だ。恵にそんな癖有ったっけな、と思った浩だが、そのことには触れず、その代わりにこう聞いた。

 「お前のスマホ、どうなってるんだ? LINEが繋がらないんだけど・・・」

 浩はスマホを取り出した。

 「あっ、ゴメンね。私、スマホ替えたんだ」

 「じゃぁ、番号教えろよ。俺の方は変わってないから」

 電話帳を開いてリストをスクロールし始めた浩に、恵が釘を刺すように言った。少し、困ったような顔だ。

 「ゴメン、私、行かなきゃ。男が待ってるんだ」

 思いもよらない恵の言葉に、浩の動きが止まった。恵の「男」か。そりゃぁそうだ。恵だって女だ。いつまでも、あの頃の女子高生のままであるはずなど無い。

 「えっ・・・ あ、あぁ、そうか・・・」

 「ホントにゴメン。急いでるんだ。今度、私の方からメッセ入れるから。約束する」

 そう言いながら後ずさりする恵に、浩はもう何も言えなかった。何だか様子が変というか、何かを隠しているとういか、とにかく浩の知る恵とは何か違う感じだ。しかしそれは久し振りに会ったからで、その間に恵の身に起きた諸々の出来事が、彼女の印象を少しだけ変えてしまったとしても、何ら不思議はないとも思えた。それだけ長い間、二人は顔を合わせることすら無かったということのなのだから。

 「あぁ、待ってるよ・・・」

 「じゃ、じゃぁね」

 恵は踵を返し、原宿方面に向かって歩き出した。そしてすぐに横断歩道を渡って、道路の反対側に移った。それを見た時、銀次を助けるために道路に飛び出した恵の姿を思い出した。浩はその後ろ姿を見つめ続けた。最後に恵は振り返り、浩がまだCDショップの前で恵を見ていることに気付き、右手を挙げた。それを見た浩はニコリと笑い、同じように右手を挙げた。元気づける様な気持ちを込めて、それを振ると、恵の表情がパッと明るくなり、掲げた腕を大きく振って返した。そしてイタリアンレストランの角を曲がって見えなくなった。

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