第一章 : ママズ・コンプレイン

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 菅野浩すがのひろしは都内の私立大学に通う二年生だ。高校卒業と共に上京し、今は高円寺のアパートに住んでいる。趣味はギター。田舎ではロックバンドを組んでいたが、大学入学と共にジャズに目覚め、今ではそれにのめり込んでいると言っていい。そんな彼が正式メンバーとして参加しているのが、学内の有志が集まって結成されたジャズバンド、プライム・ノートである。ジャズと言っても、ビバップディキシーの様な正統派ではなく、このバンドにブラスは居ない。「これぞジャズです」という様な、お決まりの音作りには興味が無いメンツが集まって出来たプライム・ノートは、ジャズだけに留まらず、ロックなども含めた都内各所で行われるアマチュアバンド・フェスなどの常連で、実力派と呼ばれるまでになっていた。一部、固定ファンなども居て、それなりの知名度を持っており、事情通を気取るファンからはプラノーなどと略された。


 プライム・ノートのキーボード奏者は高木萌衣めい。学部は違うが浩とは同学年で、二人は恋人同士という扱いになっていた。いや、「扱い」というのは間違いで、確かにそういう関係であった。中野の老舗和菓子店の一人娘であり、家系の持つバックグラウンドと不釣り合いな音楽に浩同様、ハマっているが、実は浩にジャズを吹き込んだのは、何を隠そうこの萌衣の仕業であった。典型的なジャズ以外の音を欲していた萌衣は、サックスでもなくトランペットでもなく、高校時代はギターを弾いていたという浩を無理やりバンドに引き込み、今やバンドでもプライベートでも、二人は強い絆で結ばれていた。

 ドラムは同じく二年の伊藤裕明。学部は同じだが、応用化学科の浩に対し、裕明は電気電子工学科であった。皆からは、意味も無くヘッドロックされるような、いわゆるいじられキャラである。ベースは法学部三年の時田雄二で、彼が一応、プライム・ノートのリーダーだ。リーダーと言っても、音に関して何らかの決定権を持っているわけではなく、ライブの段取りなどマネージメント的な仕事を率先してやってくれるので、年長であることも考慮し、リーダーという扱いになっている。こちらの方は、文字通りただの「扱い」であった。あともう一人。どう見てもジャズとは関りが無さそうな、商学部三年の新田茂がパーカッションで不定期に参加していた。ただし、新田はあらゆる楽器をひと通りこなすことが可能で、バンドの音作りにおいてバリエーションを持たす上で必須のメンバーとなっていた。

 このバンドでボーカルものを演奏することは基本的には無いのだが、スキャットのように声を使ったアクセントがどうしても必要な場合は、何故だか浩の担当であった。彼自身、自分が歌が上手いと思ってはいないし、実際のところ、それ程の歌い手ではないのは事実だ。だが、バンドメンバー全員で同じメロディーを歌ってみたところ、様になりそうなのはどうやら浩だけという状況だったので、仕方なく引き受けている。と言うか、楽器を弾く癖に、みんなは何故そんなに音痴なのだ? というのが、浩の素直な感想なのだが、それを言うと波風が立つので言わずにいるのだった。


 その日の最終講義を終えた浩は、アパートに帰る前にお茶の水まで足を運んだ。別に特別な用事が有ったわけではないが、こういう風に訳も無くこの街を訪れることが好きなのだ。楽器屋に寄って試し弾きしたり、新しいエフェクターの音を確認させてもらったり。セコハン店舗に行って、掘り出し物の中古ギターを漁るのも悪くない。この日は、雑誌や楽譜の取り揃えが豊富な店に行って、色々なバンドスコアをパラパラと眺めては暇を潰していた。その時だ。棚に収まった楽譜を見上げる浩の背後から、知らない女子高生が声を掛けた。

 「アンタ、プライム・ノートのギタリストでしょ?」

 身長は日本人女性にしては大きく、160cm台後半といったところか。髪は茶色く染めたショートボブで、如何にも女子高生的な服装をしてはいるが、その極端に短いチェックのスカートから延びる脚は肉感的で、アダルトビデオにそのまま出演していてもおかしくはない程の艶めかしさを持っていた。首には、スカートと同じ柄のタイを結び、薄手のシャツが彼女のボディラインを想像させて、かえって卑猥な印象さえ与えていた。ただ、薄っすらと施された化粧は過度な印象は与えず手慣れた感じで、無理して背伸びしている風には見えなかった。それは年相応の若々しさを発散していると言えた。元々、秋田の田舎育ちの浩が、そのような都会の女子高生と会話したことなど有るはずも無く、いきなり話しかけられても、どう答えて良いのか判らなかった。同じ都会育ちの萌衣も、女子高生の頃は、こんなにも目のやり場に困る様な感じだったのだろうかと思わずにはいられなかった。

 「え・・・ っと、そうだけど・・・ 何か?」

 浩が目をパチクリさせながら答えると、その女子高生が言った。

 「ねぇ、私とらない?」

 そして右手を差し出した。

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