序 章 : プライム・ノート

 それは朝焼けが薄曇りの空を温め始める前の刹那に、柔らかな光の圧力が世界に満ちだすかの如く始まった。これから訪れるであろう、太陽の賛歌の高まりを期待させる様な静かな音色が、暗く沈んだ空間に僅かばかりの希望をもたらしている風だ。DX7が奏でる物静かでそれでいて荘厳な音に、Dー50によるサンプリング音源が重なり、それは次第に音量を上げていった。時折聞こえるパーカッションのキラキラした音が、そこに輝きを加えている。そして、ピチカートではなくアルコで奏でるカール・ヘフナーウッドベースが、足の長いトーンで下支えに加わり厚みが増した時、パーカッショニストはコルネットを手にマイクスタンドの前に立ち、テーマとなる旋律を高らかに歌い上げていた。次第に音圧と音数を増してきた空間に、遂にTAMAのドラムが、痛烈なスネアショットで加わった。一小節に一打、二拍目に加えられるその衝撃はいつの間にか四拍目にも加わるようになり、ステージ上で繰り広げられる壮大な音楽世界に、観客たちは飲み込まれて行った。最後に爆発的な噴火へと続く地鳴りの如く、地の底から這い上がる様な呻き声が聞こえ始めた。しかしそれは人の声ではなく、ギタリストが弾くEー335の音だった。そして、その感情が爆発した。


 ギターが泣いていた。それはフレーズが泣いていたのではなかった。プレイヤーの心がそのまま音となり、ギターという楽器を通じて表に放出されていると言うべきだった。もの悲し気な音色は聴く者の心の中にそっと忍び込み、そしてその心を鷲掴みにしたかと思うと、今度は容赦なくを揺すぶり始める。無防備となった観客は、なされるがまま心の奥底に仕舞い込んでいた感情のひだをさらけ出し、ただただ打ちのめされた。左右の連続パンチを喰らって、ダウンすることも許されないボクサーの様だ。次第に正常な判断が出来なくなり、自分がどうなっているのかすら判らなくなって、むしろ感情の奔流に飲み込まれて幸福感に満たされていると言ってよい。追い打ちをかけるギターは絞り出すようにむせび泣き、観客の心のさらに奥へと沁み込んだ。観客たちは沸き返る感情の沸騰を抑え込む術を持たず、それが両目から溢れ出すと頬を伝って流れ落ちた。心の耐性を持つ者ですら、固く閉ざされた堅牢な鎧がばらばらと剥がれ落ちる様に弱体化し、そして降伏した。感情の昂りと呼応するかのように徐々にハイトーンへと移行していったギターは、観客の心に触れ、愛撫し、掴み上げ、取り出し、そして各々の手中にポンと置いたかと思うと、それを置き去りにしたまま最後に悲鳴にも似た絶叫で歌い終えた。再びメンバー五人による静かな空間が観客を包み込んだ。そしてその曲は、静かに終わりを迎えた。


 観客は引き摺り出されてしまった己の感情を持て余し、呆然とその余韻に浸っていた。誰もが燃え尽きた残渣の様に座り込んでいた。泣き崩れている者もいた。感動のあまり、わなわなと震えている者もいた。そして躊躇いがちに、散漫な拍手が起こる。一人、そしてまた一人とそれに加わり、その拍手は次第に大きなものへと変わっていき、いつしか割れんばかりの拍手と歓声が会場を包み込んだ。ギタリストがステージ上から丁寧にお辞儀すると、他のメンバーも併せてお辞儀をした。拍手と歓声は、いつまでも鳴り止むことが無かった。

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