第7話 追跡
甲高い、石をこそぐような音と共にけぶる視界の中で火花が散る。
(ちっ! 硬いっ!!)
刃を返してもう一撃。投げ出された長い足の関節を狙う。
が、剣筋がズレる。
僅かに逸れて脛の辺りで、再度の火花が舞った。
「ゥォオオオォォォオオォオオオオ……ッ!」
不気味な唸りを上げて、巨人が身震いする。
巨人が地面についた手と足に力を込めると、グルリと巨体が後ろ周りに回転。
勢いを利用して、四つん這いの姿勢に起き上がった。
その姿は、手足の長さも相まって、四本脚の蜘蛛のようである。
視界を遮る埃が風に流されて、その姿がより鮮明になる。
姿形はおおよそ事前に聞いた通りか。顔には大きな虚。そこに知性や理性が宿っている気配はない。
表皮は先程の感触からしても相当に硬いようだ。灰を押し固めたような色の肌は樹皮のように節くれだっている。
ただ、左足には二筋の傷が走り、そこに僅かな血が滲んでいるのをノゾムは見逃さなかった。
(刃が通らない訳ではない。なら、死ぬまで何度でも斬るだけだ)
手にした歪んだ長剣に軽く目を通せば、刃が溢れている様子もない。期待以上に頑丈なようだ。運が良い。
「アンタは、さっきの旅人の……!?」
ノゾムを見上げて、尻もちをついたままの男が驚きの声を上げる。
視線を巨人に据えたまま、それに舌打ちする。
「まだ居たのかっ! 早く行け!」
「だ、だが……」
「邪魔だと言っている! 行けっ!」
「……すまないっ!」
慌てて身を起こす男を放っておいて、ノゾムは巨人へと駆け出す。
虚の顔がノゾムを捉え、身を深くする。
(来るか!? だが、死の気配は――――、ない!)
過酷な日々の中で磨き続けてきた感覚を頼りに、ノゾムは迷わず踏み込んで渾身の一太刀を浴びせる。
狙いは、顔。
四足のせいで位置の下がった急所を狙う。
「なっ……!?」
が、空を斬る。直前で、それまでの緩慢な動作が嘘のように巨人が素早く後退し、躱してみせたのだ。
反撃に備えてノゾムは体勢を整える。が、目に映ったのは、意外な光景だった。
「逃げ、た……!?」
巨人が四肢を機敏に蠢かし、ノゾムに背を向けて一心に走り出していたのだ。
これで一先ずは里を襲った危機は去った、とも言えるが。
「逃がすかよっ!!」
放り捨てた荷袋を急ぎ拾って、ノゾムは後を追う。
徹底的に追い詰めて殺さねば、ここにノゾムが来た意味がない。
(追うのは、なんとかなりそうだな)
既にかなりの距離を離されていたが、地面に点々と赤い跡が残っている。これを辿れば、逃すことはないだろう。
「おにいちゃーーーんっ!!」
駆け出すノゾムの背中を、幼い声が引き止める。
振り返れば、栗色の幼児を抱えた親子の姿が見えた。
「ありあとーーーーーっっ!!」
母の腕の中で、里を訪れた時に挨拶を交わした子どもが大きく手を振り振り、元気な声を出していた。両親が深々と礼をしている。
それを一瞬だけ目に留めてから、ノゾムは先を急いだ。
(誰かに礼を言われたのは、何年ぶりだろう……?)
痕跡を辿りながら走るノゾムの口元には、当人も気づかぬ程小さな笑みが浮かんでいた。
鬱蒼と下草の生えた森の中へと分け入る。足元は悪いが、追跡は然程困難ではなかった。
血痕に加えて、薙ぎ倒された草木が良い道標となっていたからだ。
たまに転がってくる倒木や落石にだけは注意しながら、着実にゆっくりと進んでいく。
これだけ分かりやすく跡が残っているのなら、体力は温存した方が良いだろう。
進む方角は、途中から少し北に逸れた。行きにノゾムが鉢居合わせしなかったのも、このためか。
「北、か。あまり行きたくはないけど、仕方がない」
辿る、辿る。痕跡を辿る。
(いつかは追いかけられる側だったのに、な)
皮肉に笑みを浮かべながら歩き続けると、やがて勾配が平坦になった。
追跡を初めて、もう二時間近く経っているだろうか。
少し先で、森が切れているのが見えた。
「ここは……?」
森を抜ければ、そこは小さな広場になっていた。
そこここに切り株が残され、地面には均されたあとが残る。明らかに、人の手が入っているのが見て取れた。
中央には、家と呼ぶにはあまりに粗末なあばら家が一つ。その横には、小さな畑のようなものも見える。
広場の縁に立って周囲を観察するも、あの巨人の痕跡らしきものがぱったりと途絶えてしまっていた。
音も聞こえない。辺りは静寂に包まれている。
「あいつは、ここをねぐらにしているのか?
ここを、作った? あの魔物が?」
警戒しながら、あばら家に近付く。中からも気配が感じられない。
建材には、周囲に生えている灌木を切って、そのまま使っているようだ。
紐で結わえて繋げてから地面に突き刺して立て、どうしても空いてしまう隙間には木の葉や土を詰めて埋めてある。
何度か試行錯誤したのか、結んだまま途中で切られた紐が幾つもある。
(いや、違うな。元は誰かが作った家を、あの魔物が奪った……のか?)
あの巨人の手足を思い出して、推測を修正する。こんな、灌木を紐で結わえられるような器用な指先には見えなかった。
何より、あの巨人に対して天井が低すぎる。ノゾムでも少し気を使う必要がありそうな程だ。
では、仮にあの巨人が奪ったのだとして、元の住民はどうなってしまったのか。
苦労して立てられたらしきこのあばら家には、大穴が空いている場所があった。
穴の周囲には、元は壁だったらしき木片や土塊が飛び散っている。その広がりようは隣の畑にまでかかる程だ。
中を伺うべく穴の前へと移動してみるも、しかし、流石に外からでは闇がわだかまっていて見通すことは出来そうにない。
(……他に手がかりはない。行くしか、無いか)
ノゾムは緊張に乾いた唇を舌で湿らせると、散乱した破片を踏み越えてあばら家へ近付く。
瞬間、背筋が凍る。
悪寒に促されるまま左肩で支えるように剣を構えると、直後に強い衝撃があった。
力に耐えようとせず、自ら地を蹴って衝撃を最小限に逃がす。
優に十メートルは飛ばされたか。
滑るようにして勢いを殺し、立ち上がった時には広場の縁まで戻されていた。
眼前には、立ちふさがるようにして灰色の巨人。
「現れたなっ」
ノゾムは右手に直剣を構え、左手で投石紐を回し始めた。
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