第5話 隠れ里

「こんにちは」

「……ああ」

「こんにちはっ!」

「…………ああ」

「こ~ん~に~ち~はっ!」

「………………こんにちは」

「えへへ~っ!」


 何がそんなに嬉しいのか、頻りにノゾムへ挨拶を投げかけてきた幼児が満面の笑みを浮かべて走り去っていく。

 飛び跳ねる栗色の髪を見送って、ノゾムは再び歩き出した。左右には広大な畑が広がり、進む先に目的の隠れ里が見える。

 小さな悲鳴を聞きとがめてその方を見れば、勢い余って転んでしまったのだろう、先程の幼児が両親と思しき男女が慌てた様子で駆け寄っている所だった。

 当の幼児はすっかり土に塗れてしまっているようだが、畑の土が柔らかいせいか怪我はしてないようだ。泣くこともなく、両親に抱き上げられたことで嬉しそうに、幸せそうに笑い声を上げている。

 暫しして、いつの間にか自分が立ち止まっていた事に気付いたノゾムは、彼らから視線を切って歩を進めた。前へ、前へと進みながら、荷物袋を持っていない左腕を背中に回し、そこにある刃の感触を確かめる。


(……良い集落だな。

 畑は綺麗に整えられているし、何処の畑でも人々が真面目に働いている)


 隠れ里の周囲の畑は、区画ごとに育てる作物が決められているようだ。この平地に入ってすぐの当たりには葉物や根菜類が、進む先には麦の揺れる青い穂が見える。ノゾムが今いる辺りは休耕中なのか、白詰草の花が一面に咲き乱れ、緑と白の鮮やかな絨毯が広がっていた。遠くには家畜の世話をする影も見える。

 その風景は、エリックが産まれたあの北の村よりも余程豊かなものに見える。


(『楽園』の力になんか頼らなくても、これだけのことが出来るんだ)


 そんな事を考えながら、更に三十分は歩いただろうか。

 隠れ里の入り口へと、ノゾムは辿り着いていた。左右に続くは木製の塀。眼前には大きな門。高さは二メートルと少しぐらいか。

 今は門は開け放たれ、そこに四人が出迎えていた。

 腰の曲がった老齢の男を真ん中に、それなりに体格のいい若者二人が槍を手にこちらを睨んでいる。左右の二人はそれなりに訓練しているようだが、実戦馴れの匂いは感じなかった。少し後ろに控えているのは、活発そうな少年だ。


「遠い所を、ようこそおいで下さいました。

 私がこの里の長を務めております、カナックと申すものです」

「ノゾムだ。依頼を受けて、ここに着た」

「はい、賢者様からお話は伺っています。

 まずは中へどうぞ。詳しい話は我が家でいたしましょう」


 里の中を身振りで示す老人に、ノゾムは首を振った。


「いや、それには及ばない。

 必要な事をこの場で教えて貰えれば、すぐに退治に向かう。

 里の中へ入るつもりはない」

「まあまあ、そう仰らずに。

 私は見ての通り足腰を悪くしておりましてな。立っての長話は堪えるのです。

 それに、食料などの補給も必要ではないですかな?」

「…………そうだな。分かった」

「必要な物は、この子に言いつけて下されば用意させます」


 カナック老人の言葉に、少年が前に出てきて小さくお辞儀した。ノゾムは頷いて返し、


「助かる。代金はどう払えばいい?」

「不要です。報酬の一部だとお考え下さい」


 近くに駆け寄ってきた少年にノゾムは屈んで目線を合わせ、必要なものを伝える。それを聞いて大きく頷いた少年は、里の何処かへと走っていった。


「では、こちらへ」


 カナック老人に促されて、二人の若者に続いて里へと足を踏み入れる。門を潜った所で更に二人、ノゾムの後ろに槍を持った男が続いた。


「招いた立場でありながら、申し訳ありません。

 ですが……」


 カナック老人がノゾムの方を振り返りながら、軽く頭を下げる。


「気にするな。アンタ達の事情も、気持ちも分かる。

 警戒しない方が、どうかしている」

「……外は、やはり相変わらずなのですね」


 遮って話したノゾムの言葉に、カナック老人は遣る瀬無く零す。その後、老人は家に着くまで口を開くことはなかった。

 前後の見張りからの警戒に満ちた眼差しなど普段のことを思えばどうという事はない。

 そもそもの話、警戒するのはノゾムの言ったように当たり前なのだ。何故なら、彼らにはノゾムが本当にタスクを持っていないのか、知りようがないからだ。

 タスクを持たない人々が亜人と蔑まれ、迫害される現実を考えれば、この隠れ里がにバレてしまった時、果たしてどうなってしまうのか。彼らがその事態を恐れ、警戒することは当たり前なのだ。


 それに恐らく、もう一つある。


「なあ、あんた。『タスク』も無いのに魔物と戦ってるって、本当なのか?」

 後ろに着いた内の一人が、おずおずと問いかけてくる。

「本当だ」

「魔法も無いのに、どうやって? 本当は『タスク』を持ってるんだろ?」

「鍛えた」

「え……? きたえ……?」


 呆れたような、疑うような背後からの視線を特に気にするでもなく、ノゾムは隠れ里の様子に目へと視線を転じる。


 人口はどの位だろうか。千は超えている気がする。

 平屋の住居は木製が多い。板の組み合わせで作られているようだが、たまに見かける劣化した部分を見るに、どうやら二重か三重の構造になっているようだ。

 穴の空いた板の内側に土と藁を捏ねたような建材が覗いていた。

 屋根は板をそのままのようだが、風に飛ばされないよう幾つもの重石が載せられている。屋根の傾斜も、歩道側に石が落ちないよう考えられて付けられている。

 家々が建てられている場所も無造作なものではなく、幾つかの明確なブロックに分けられているようだった。ブロックの中央には必ず井戸もあった。

 驚いたことに、それら井戸には木製の手押しポンプらしきものまで取り付けられている。魔法でなんでも済ませてしまう人間達の街では決して見られないものだ。


 外の畑でもそうだったが、街の区画割りやポンプなど、この隠れ里を作った人間は相当の知恵を持っていることが伺えた。


(さっき、賢者がどうとか言ってたっけか。そいつなのか?)


 道を歩く人々は誰も忙しそうにしているが、どこか気力に満ちているようにも見える。王都などでもよく見かけた、道端に座り込んで酒盛りしているような連中はは何処にもいない。足元が舗装されていないせいもあるのかもしれないが。

 ただ、主要な道路には砂利を敷き詰められており、雨天時のことにも気を払われているのが伺える。


 ややして通されたのは、隠れ里の中心に近い位置にある、大きめの家だった。近くには物見櫓が立ち、半鐘が備え付けられているのが見えた。


「さて、それでは依頼のお話をしましょうか。

 先程の様子からも、早速本題に入った方が良いのでしょうから」


 案内された一室で向かい合って座り、ノゾムの意を汲んでくれたカナック老人が切り出す。


「……いや、一つだけ先に聞きたい。

 『神』について何か知らないか?」


 ごく僅かな期待を込めて、ノゾムは問う。楽園の人々と異なるここならば、あるいは、と。


「か……? それは何かの名前ですかな?」


 しかしやはりと言うべきか、返された反応は想定していた通りのものだった。


(やっぱり、人は知らないのか。なら、知っている魔物を探して聞き出すしか無いな)


 あの時、『右腕』が語った言葉を思い出す。

 魔王軍とアイツとに何らかの繋がりがあるのは、確実。未だその詳細も、アイツが何処にいるかも分からないが。

 だからこそ、ノゾムは魔物を殺し求める。アイツの情報を持った魔物を求めて。

 確実に情報を持っているだろう魔王や、その側近達を殺す力を磨くために。

 恐らく、斬姫と名乗ったあの『右腕』も想定しているのだろう。いつか必ず、力を磨いた末に舞い戻ってくる、と。

 だからこそ、見逃されたのだ。魔王城からの逃亡を。


「知らないなら、構わない。

 本題に入ってくれ」

「そうですか。では……」


 気を取り直してノゾムが言えば、カナック老人は少し申し訳なさそうに咳を払ってから話し始めた。


 そうして語られた概要を纏めれば、こうだった。


 問題の魔物が現れたのは半年ほど前。三、四メートル程の人型の魔物で、手が地面を擦るほど酷く長い。指には鋭い鉤爪が生えている。

 ただの獣の類ならともかく、里の自警団ではとても対処が出来るはずもなく、賢者に救援を求めたという。


(『楽園』の力が無いなら、普通はそんなものだろうな)


 エリックの村では、多少の魔物なら大人達が『タスク』で得た身体能力や魔法で退治していた。エリックの父も、よくクワを振り回しながら自慢話していたものだ。


 だが、この隠れ里ではそうもいかない。誰も『タスク』を持たないから。


 幸いなことに、今の所、目立った怪我人は出ていない。というのも魔物は人を襲うよりも、畑を荒らすことを意図しているかのように行動するのだという。


「直接見た者の中には、まるで耕そうとしいていた、と話す者もおりましたが、本当にそうなのかは分かりません。

 まともな知性も無いような様子でしたから」

「現れるのは?」

「いつも東から、夜中に現れることが多いです。

 怪我人が出ていないのは、そういった理由もあります」

「……東か。少なくとも昨晩は感じられなかったが」


 隠れ里までの山深い道中を思い返しながらノゾムは呟く。

 と、ノゾムの耳に何かが打ち鳴らされる甲高い音が突如響いてきた。半鐘だ。半鐘の音だ。

 直後、慌ただしい足音と共に勢いよく扉が開かれた。


「カナックさん、大変だ! 魔物が、あの魔物が現れた!」


 息を整える暇も惜しいとばかりに、飛び込んできた男が叫ぶ。それを聞いて、カナック老人が青ざめた表情で立ち上がった。

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