第4話 静かなる森の中で

 夜の静寂に、生木の爆ぜる音が響く。

 炎の揺らめきに照らされながら、ノゾムは黙々と剣を振り続けていた。

 斬るべき相手を思い浮かべ、急所となる位置へ正確に刃が通るよう静かに、滑らかに、羽毛が宙を舞うかの如き速さで振るう。

 体勢を変えながら、時に不利な姿勢も混じえて、何度も、何度も、何度も。

 既に一時間以上は続けた鍛錬に、足元は汗を吸って随分と泥濘んで来ていた。


「っせやぁっ!!」


 一転、裂帛の気合とともに鋭く剣を振り抜く。が、想定の軌道から僅かにずれてノゾムは眉を顰めた。

 魔物から奪った直剣は刀身が酷く歪んでいる。重心がズレているのか、扱い切るには今少し修練が必要のようだ。


 気息を整えながら運動後のストレッチを行う。

 剣を鞘に収めて焚き火の側に座り込めば、腹の虫がぐぅと鳴った。

 今夜の食事は少し豪勢だ。野兎が丸々二羽、きれいに焼かれて香ばしい香りを当たりに漂わせている。


「いただきます」


 手を合わせて、早速とばかりに齧り付く。油を帯びた肉の繊維が口の中で解け、旨味が広がる。

 久しぶりの普通の肉の味に堪らず、もう一口、二口とかぶりつく。

 しっかりと咀嚼し、水とともに飲み下した。


「さて……と」


 胃の中にいくらかの肉が落ちたのを確認すると、ノゾムは食べる手を止めて瞑目した。

 意識を集中させ、起こすべき現象をしっかりと思い描き、回復魔法を行使する。


「んぐ……っ!? がっ……ぎぃ……っ!!」


 途端に、ノゾムの全身を激痛が這いずり回る。食い縛る歯の隙間から呻きが漏れた。体の各所が高い熱を発し、まだ乾ききっていなかった汗が湯気となって立ち上る。


「……っはぁ、はぁ。

 肉……肉…………ッ!!」


 次いで襲いかかってきた強烈な飢餓感に誘われるまま、手にした肉をがっつく、がっつく、がっつく。二羽あった野兎の丸焼きは瞬く間になくなり、それでも足りずに背嚢から堅焼きパンと干し肉の幾つかも食い散らかした所で、ようやく落ち着いた。

 気分を落ち着かせるために今度は水をゆっくりと含み、倒れ込むようにして大の字に寝っ転がる。


「はぁ……はぁ……。はは、やっぱり、筋肉痛を五分に圧縮するは、やっぱり何度やってもキツイな」


 ノゾムが使ったのは、回復魔法のちょっとした応用だった。つまり、運動で傷ついた筋繊維の修復を魔法によって強制的に早回したのだ。

 当然、その際に要求される栄養分やエネルギーも、発生する熱や痛みも、五分間に凝縮される。熱は時に自身の肉を焼くこともあるが、それも含めてのである。

 全身を襲う倦怠感に、腕で目元を覆う。そのまま目を閉じれば、王都を出る前に言われたアシュリーの言葉が蘇る。


「命の早回し、か。そうさ、その通りだよ。

 でも、だからこそ、僕は、戦えるようになった。なったんだ。

 あんな強そうな魔物にだって、勝てたんだ」




「……そう、勝てたんだ。

 テサがくれた力で……僕は…………」









 夜の木々をさざめかせ、冷気を孕んだ風が抜けていく。


「ん…………」


 横になっている内に、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。

 寒気に目を覚ましたノゾムは、ゆっくりと体を起こした。

 焚き火はすっかり消えてしまっていて、当たりは仄かな闇に包まれている。


「……いつも、ありがとう」


 白く息を零しながら、ノゾムは闇の底へと向けてそう囁きかけた。


「……っと言っても、君たちはきっと、そういうつもりなんて無いんだろうけど、ね」


 そして、苦笑する。



 ノゾムの視線の先には――――――、




 いや、その先だけではない。







手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。手。







 周囲を取り囲むように青白く光を付く無数の手が地面から突き出され、何かを求めるように天へ伸ばしたまま、ゆらりゆらりと揺れている。

 ノゾムのすぐ近くに生えたものだけは、天ではなくノゾムに掴みかかろうとするものもあったが、それは途中で何かの壁に阻まれるようにして、その動きを止めていた。

 彼らがノゾムに危害を加えることは無い。こういった怨霊による干渉も災いに含まれるのか、アイツの災い避けの祝福呪いが効いているらしかった。

 だからこそ、ノゾムはこの異常なただ中で、むしろ安らぐことが出来る。獣も、魔物も、人間も、皆等しく近づいて来ないのだから。

 アイツ祝福呪いのお陰という、ただそれだけが業腹ではあるが。



 火を熾し直して暖を取りながら、ぼんやりと周囲の手の群れを眺める。



 彼らとの付き合いも、もう二年程になる。いや、実際には三年か。

 音も無く、天を求めて揺れる彼らの姿は、あの奈落の底で見た光景そのままで……、きっと、あの日、あの時から彼らは憑いて来ていたのだ。

 ただ、今のように初めて現れたのはノゾムが傭兵団に囚われてからだった。

 繰り返される劣悪な扱いと僅かにしか与えられない食事の日々に、逃げ出すための力も尽きかけてきた頃、彼らは現れた。


 外の光が差し込まない暗い暗い部屋の中で朦朧としていると、突如聞こえてきた幾つもの悲鳴。怨嗟の声。

 あれらが、彼ら死霊の声だったのか、それとも外で乱痴気騒ぎをしていた傭兵達の上げたものかは分からない。

 ただ、呼び覚まされた意識の中、逃げるチャンスだという事だけは理解した。

 群がる手の亡霊に恐怖を覚えない訳はなかったが、その時のノゾムにとっては生存の可能性の方が余程重要だった。


 いつもは外から鍵が掛けられている扉は開け放たれていた。見張りの男たちは扉の直ぐ側で腕に溺れていた。

 偶々近くに落ちていた折れた直剣だけを拾い上げて、ノゾムは傭兵達のアジトから一心に逃げ出した。

 外へ出れば、月の無い澄み切った夜だった。見上げる星が綺麗だったことだけは、今でもはっきり覚えている。


 以来、彼らは夜になると必ず現れるようになったのである。

 生者には見境なく襲いかかるために街の中で夜を過ごすことは出来なくなったが、元より宿に泊まれないノゾムには関係のないこと。

 むしろ安全に野宿出来るようになった喜ばしくもあった。


「いけない、ついつい、探してしまうな。

 こんなモノの中に居るはずがないって分かってるはずなのに」


 苦笑して頭を振る。

 焚き火へ残る枯れ枝を全て焚べてから、外套に包まった。


 こんな呪い塗れの自分が、あんな平和な街に長居する訳には行かない。ただでさえ、自分は不幸を撒き散らすのだから。



 ――――明日はなるべく日の高い内に隠れ里へと訪れて、早々に魔物退治へと出発しよう。



 自身にそう言い聞かせて、ノゾムは再び目を閉じる。

 すぐに聞こえてきた安らかな寝息を、揺らめく焚き火と無数の青白い手が音も無く見守っていた。

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