第1話 王都にて

「ほら、要望の首だ。確認しろ」


 立ち並ぶ石造りの家と家の間、薄暗い路地で二つの影が顔を突き合わせていた。

 フードを目深に被った一人は大柄で、顔に掛かった影の奥で赤い瞳を昏く光らせている。

 その大柄な男が、黒い汚れのへばり付いた頭陀袋をもう一人の男へと渡した。その男は酷い猫背で、小柄な身体を一層矮小に見せている。


「ち、いつ嗅いでもこの匂いは好きになれねぇや」


 顔を背けながら口紐を解き、中身を確認する。


「ふん、確かにキマイラの首だな。

 ったくよくやるぜ。亜人の癖によ」

「……何か、文句でもあるのか?」

「いえいえ、滅相もない。旦那のお蔭であっしも今日は美味い酒にありつけるってもんでさ!」


 あれでバレないつもりだったらしい。亜人と呼ばれて声のトーンを落としたノゾムに、猫背男がビクリと肩を揺らす。


「ひっひひ、さぁ、それじゃ約束の金ですぜ?」


 愛想笑いを浮かべて猫背の男が尻のポケットから小さな木片を取り出して投げてよこす。

 受け取って、そこに刻まれた額を確認し、


「おい、足りてないぞ。レゾル」


 事前の取り決めと違う金額に眉をしかめてノゾムが顔を上げる。が、そこにはもう、あの猫背の男の姿は無かった。


「ちっ」


 舌打ちを一つ、諦めて路地裏から歩み出る。

 大通りを行き交う人間の群れに混ざりながら、ノゾムは一角にある入り口を大きく開いた建物に目を向ける。

 その中には媚びた笑みを浮かべた猫背の男レゾルと、それを取り囲むように鎧を身にまとった複数の人間が見える。傭兵斡旋所で、先程渡した首を早速金に変えているのだろう。

 すぐに興味も失せて、ノゾムは得た金の使い途へと思いを馳せる。右手で先程の木片を弄びながら。


(確か、北の方の店はまだ利用していないはずだ)


 そう思い立ち、角を一つ曲がる。

 歩きながら、街の様子を静かに観察する。


 誰も彼も、大通りを歩く人間たちは能天気そうな、幸せそうな顔をして歩いている。

 まぁ、当然だろう。ここはこの『楽園』の中で恐らく最も安全な街、王都なのだから。

 街の名前は知らない。何人かにノゾムは聞いてみたこともあったが、誰もが王都、としか答えなかった。

 街並みは、かつてノゾムが暮らしていた村と比べるとかなり文明的だ。王都の外縁部を除くほぼ全ての建物が石造りで高さも三階以上、足元もアスファルトとコンクリートの中間のようなものでしっかりと舗装されている。水を吸う力も残しているのか、余程の雨が振らない限り水溜リが出来ることすら無い。

 特に大通りに面している建物は地階部分が店舗になっているものが多く、各地の食材から日用品、あるいは武具の類まで賑やかに並べ立てられている。

 そして通りをを歩く人間も、店を巡り客もまた多い。この世界の住人は日々半日しか働かない――流石に都市部とあってか時間をずらすものも居るようだが――というのが、きっと大きいのだろう。

 人間もモノも街並みも、華やかさと希望に満ち溢れたそれらは、まさに『楽園』に相応しいと言える。


 その中の一店にへ足を踏み入れ、品物を物色する。求めるのは当面の食料と、武器の手入れ用の雑貨類。

 この店は外で魔物と戦うことを生業とするようなタスク持ち相手の商売をメインとしているようで、必要なものが無駄なく纏められている。

 諸々をカウンターへ山と積んで、ノゾムは店主へと声を掛けた。


「これをくれ」

「はいよ。こりゃまた、随分たくさんだね。

 どっかのギルドの買い出しかい?」

「そんな所だ。悪いが、支払いはこれで頼む」


 そう言って差し出したのは、先程レゾルから手渡された木片だった。

 それを見て店主は一瞬嫌な顔をする。


木幣もくへいか……。なんだってこんな面倒なものでお使いしてるんだい。

 ちょっと待っててくれ。お釣り用の木片を裏から持ってくるから」


 一度裏へ引っ込んでから、店主が新しい木片を持って現れる。

 そこに記載された金額が間違いない事を確認してから懐にしまう。今度は誤魔化されてはいないようだ。


「次は買い物してくれよな!」


 一式を手持ちの大きなザックへ入れたノゾムに背後から店主の声が飛ぶ。

 それにぞんざいに後ろ手で答えながら、通りへ戻る。


 店主の言っていた普通の買い物、とは楽園の力を介したものだ。この世界の人々は各人の持つステータスの項目の中に、金銭を管理する項目も持っているらしいのだ。

 一般的な買い物での金のやり取りはそのステータス上で数値をやり取りされる。いわば前世地球における電子マネー決済のようなものだ。

 当然、楽園の力を持たないノゾムではその普通の買い物をすることは出来ない。その代わりの手段となるのが、先程の木片だ。


 故に、そんな珍しい買い物姿を見せれば、こういう事もよく起こる。


「おっと」


 ノゾムは体を躱し、背後から突進してきた者を避けた。

 突進を寸前で躱され、その者は勢い余って地面に転げる。見れば十歳程の、薄汚れた格好をした子供だった。


「孤児か。狙ってたのは、これか?」


 ノゾムは屈んで、先程店主に釣りとして貰った木片を掲げてみせる。

 それは木幣と呼ばれているもの。現金がまず使用されないこの世界における例外、いわゆる小切手のようなものだ。

 かつて魔王城の脱出の際にマールから渡されたのもこれで、そのお蔭で、ノゾムは今日まで生きてこられた。


 孤児の少年の前で木幣をひらひらと揺らしてみれば、ノゾムのことをきつく睨みながら素早く手を動かして木片を奪おうとする。それを軽く避けてノゾムは少年と、そして周囲の様子の観察を続けた。

 それなりの騒ぎのはずであるのに、周囲の人々はノゾム達のことを見ようとするものもいない。ただ、通りの人間の流れに大きな空白が生じたのみ。

 理由は分かりきっている。この少年は孤児で、詰まる所彼もまたタスクを持たざる者なのだ。


「くそっ、馬鹿にするなよ!」


 何度か繰り返してるうちに腹が立ってきたのか、孤児の少年が叫んだ。

 その少年に一つデコピンをくれてやって、額を抑えて悶絶する少年の足元に木幣と幾らかの食料を置いてからノゾムはその場を発った。


(痩せてはいたが、怪我や病気の様子もない。あれで十分だろう)


 先程の孤児の様子を思い浮かべながら人間の流れへ再び紛れてノゾムは歩む。

 先程のような孤児は、この王都では珍しくない。華やかな街の陰に目を転じれば、そこかしこに似たような姿が見えた。

 彼らはまさしく、この『楽園』の陰そのものだ。

 王都がいくら安全とは言っても、外には魔物が徘徊している。魔物に喰われて親を失う子供は枚挙に暇がない。


 この世界で、親を失った子供の行く末は二つに分けられる。

 一つは、有用な、あるいは希少なタスクを持っている子供。そういった子供は然るべき所へ引き取られ、成人の儀を受けさせられる。

 もう一方は、言うまでもない。儀式を受けられなかった子供はタスクを持たないもの、すなわち亜人として『楽園』から爪弾きにされる。以降、誰も彼らを顧みるものは誰もいない。


 そう、成人の儀とは人として成ったことを祝う儀式ではない。

 文字通り、この『楽園世界』の人に成るための儀式、と言う訳だ。


(タスクを持たずんば人に非ず。故に亜人、か。

 つくづく、この世界は狂っている)


 二年前に言われた言葉を思い出し、この、人間にとってだけの『楽園』の不合理さにノゾムは拳を握り込む。


アイツを殺せば、この世界も少しはましになるのか?)


 全てを奪っていった憎い憎い仇にノゾムの怒りは滾り、激情が口から溢れる。


「どっちでも良い。どちらにせよ、殺すことには変わりない。

 それよりも、早くアイツの居場所を掴むためにも、もっと魔物を殺して殺して殺し尽くさなければ」

「ふーん、それでノゾムくんは闘ってるんだ? アイツって誰?」


 不意に横合いから声を掛けられて、飛び退るようにしてノゾムは振り返る。


「あ、酷い! その反応は結構傷つくんだぞっ!」

「うるさい、またあんたかっ!」

「そう、天才美少女魔法使いのアシュリーちゃんだよっ! 久しぶりだね、ノゾムくん!」


 臨戦態勢でノゾムが睨むその先に、キラキラな星でも振りまいていそうな雰囲気でウィンクする、胡散臭い女が立っていた。

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