第33話 君と共に
「よし、そろそろ大丈夫そうだ。行こう」
岩の陰から様子を伺っていたエリックが、そう告げて右足へと重心を乗せる。
しかし、そんなエリックの手を引っ張ってテサが止めた。
「テサ?」
「ぅ……ぁ…………」
掠れた声でテサが指差す方向を見れば、こちらへ歩いてくる魔物の陰が見える。
暫しそれを眺めみやってからエリックは息を吐き出し、再び岩陰に身を潜めた。
「ごめん、ちょっと焦ってたみたいだ」
「ぉ…………」
肩を落とすエリックをテサが優しく撫でる。
隠しておいた物資の回収は想定以上にスムーズに行った。今は脱出場所へと急いでいる最中である。
隠し場所は奴隷部屋から一番近い水没坑道。そこから更に移動して坑道の
そう、
始めここに連れてこられたあの広場とは全く違う方向、広場と奴隷部屋とを直線で繋いだとすると丁度その線とは直交する向きへと進んでいる。
この先にあるのは、エリック達奴隷が何の意味も無く掘らされていた区画だ。そこの、岩を投げ捨てていた縦穴こそがエリック達の目指す脱出ポイントだった。あの縦穴は外と繋がっているようなのだ。
エリックがその可能性に気がついたのは奴隷生活の最初の日。テサの手を引いて岩を捨てに来た時だった。
縦穴の側に寄ると彼女の髪が風に流されサラサラと揺れるのを見て空気が流れていることに気付いた。それはつまり、この縦穴が外と繋がっている事を意味していた。
それから時間を掛けて確認を続けて確信を深めた。縦穴の深さも凡その当たりをつけていた。
(先回りして勉強していた高校の内容が、まさか今になって役に立つなんて、ね)
さて、そうなると残る問題は縦穴を安全に降りる手段だけ。その手段が手に入る可能性があったからこそ、エリックは魔王城本城への潜入なんて危険な仕事を請け負ったのだ。
結果、首尾よくロープも手に入れることに成功し、後はマール達の脱出計画を隠れ蓑に別方向から脱出を果たすだけ。
単純に脱出する事を考えた場合と比較すれば大きく外れることとなるこのルート。魔物に見つかる危険性も少なく脱出できるというのが当初の目算であった。
だったのだが――――。
エリック達が隠れる直ぐ側を、大型の魔物が一体歩いていく。左手には切れ味鈍そうな鉈のような武器。
右手には、奴隷部屋から散り散りに逃げ出した奴隷の一人が抱えられている。いや、だったもの、と言うのが適当だろうか。
物陰から魔物を見送り、エリックは一人歯噛みする。
犠牲者を見送ったのはこれで何人目になってしまうのか、もはや分からなくなっていた。
更には、エリック達自身もは足止めを余儀なくされている。縦穴までもう少しという所まで来たというのに。
さっきのような魔物が次から次に、途切れることなく前後から魔物が行き来するせいで、エリック達はすっかり動けなくなってしまっていた。
あの魔物が何処へ向かっているのかは容易に想像がつく。行きは片手に死体を抱え、帰りは手ぶらで帰っていくのだから。
そう、捨てに行っているのだ。まさにエリック達が向かおうとしている、その縦穴へと。
時間短縮のためにと縦穴への最短経路を選んだのが完全に裏目に出てしまっていた。
エリックは名も知らぬ犠牲者に暫し瞑目し、そうやって諸々の気持ちに整理をつけて己の焦りも魔物への怒りも押し殺す。
「よし、こうなったら我慢比べだ」
「ぅ……! ぅ……!」
二人肩寄せて微笑み合う。幸いな事に、側を通る魔物達がこちらに気がつく気配は今のところ無い。
また、この坑道内には魔物が運ぶ『荷物』から溢れた血の匂いが充満している。いつかの時のように魔物の嗅覚でバレる恐れも少ないだろう。
(大丈夫。テサと一緒なら、きっと大丈夫)
肩に乗せられたテサの頭の重みと体温を感じながら、それでも緊張感だけは切らすこと無く待ちに徹する。
この行き来する魔物の列も、ずっと続くはずが無いのだから。
まさにそんな事を考えていた矢先だった。あれ程続いていた魔物の列が、ピタリと無くなった。
テサと二人周囲を覗い、顔を見合わせ、恐る恐る岩の陰から出る。
不気味なほどに、坑道内は静まり返っていた。
だが、チリチリと首筋を焦がすように嫌な予感が増していく。
どこか異様な雰囲気はテサも感じ取ったのだろう。この場から直ぐにでも離れるべく足を出したのは同時だった。
「っ!?」
直後、感じる強烈で鋭い悪寒。
咄嗟にテサを抱き込みながらエリックは横へ飛んだ。
この、刃が体内を滑らかに通り抜けていくような怖気を、エリックは一度感じたことがあった。
ほぼ同時に、最前までエリック達が立っていた場所を、地面を斬り裂いて漆黒の風が吹き上がる。
風はそのまま天井をも斬り裂き、何処かへと抜けていった。
隙間から、僅かな陽の光が差す。
「クハハハハ、今のを避けてみせるかっ!
愉快だ! ああ、実に愉快だぞ!」
哄笑が響き、床に拓かれた巨大な斬傷から、一つの影が飛び出す。
それは赤い紅い女だった。血濡れ色の髪が微かな陽の光を受けて艶めく。纏う装束は茜色の甲冑。
左腕と右脚は半ばから無いが、右腕には長大な逆反りの曲刀を携えている。
女は残る片足で器用に音もなく降り立つと、黄金の双眸を爛々と輝かせながらエリック達へと向けた。
「さぁ逃亡ごっこもお前達二人で終いだ。
他は皆、死んだぞ? お前達は、どう足掻いてみせる?」
エリックはテサに手を貸しながら起き上がり、油断なく身構える。逃げることすら許されない圧倒的な威圧感に、背中を冷や汗が止めどなく落ちていく。
それでも、覚悟を決める。何としてでもテサを逃さなければならない。
そんなエリックの内心を見透かしてか、女は朱色の唇を舐め上げて蠱惑的な笑みを浮かべた。
「良い。良いな。良い瞳をしている。
さて、汝と見《まみ》えるは三度目になるが、こうして言葉を交わすのは初めてであるな」
「クク、良かろう、既に戦士としての資質を汝は十分に示している。
ならば、狩りの前にせめて名乗りを上げるが狩人たる我の礼儀よ」
女は右手の曲刀を床へと突き立てると、エリック達へと見せつけるように右腕を顔の横へと掲げた。
紅の手甲に、剣を模した紋章が刻まれている。
「我は『右腕』。魔王様の意を阻む一切を
「■■より賜りし
「さあ、戦士よ」
「 死 力 を 尽 く せ 」
斬姫から放たれる威圧が弾けた。
隣のテサが耐えられずにヘタリ込んだ。
それでもエリックは歯を食いしばり、盾になるべく前へ一歩踏み出す。
恐怖だけで、体がバラバラになってしまいそうだった。
それでも、
更に一歩、
踏み出す。
と、唐突に重圧が消え失せた。
呼吸することを思い出して、エリックの肺が大きく動き出す。
「ククク、その意気、実に見事である。
安心せよ、無手の貴様らに斬りかかる程、我も飢えてはおらぬわ。
わざわざ本城より逃してやったのも無駄になるしな」
「……逃した? それじゃあ……まさか……」
「おうとも。癒やしの力を持つ娘がいるのは分かっておったからな。
生き延びるチャンスをくれてやったまで。
汝らは、それを見事にモノにした」
「ふむ、折角の機会だ。
我も日々の政務に飽いておる。問答を許そうぞ」
傲岸に言い放つ斬姫に、エリックは呼吸を整えながらテサの様子を一瞬だけ確認する。
(まだ、動けそうにない、か……)
微かに首を振ったテサに頷きを返す。斬姫が亀裂から飛び出してくる直前、事前に取り決めていた合図がテサからあった。
それは、足を怪我した事を伝えるもの。声を出せないテサに何かあった時を想定して決めていたのだ。
魔法で治すにしても、一瞬で癒える訳ではない。
ならば、今やるべき事は決まっている。
(大丈夫だ。テサが動けるようになれば、まだ可能性はある!
一つだけ、アイツを出し抜けるかもしれないモノが今なら視えているから!
だから――――っ!)
エリックは腹に力を込めて、艶然と笑む斬姫を睨み上げる。
(どうか勇者様、僕に力を貸して下さい!)
あの日、たった一人でこの化物へと挑んだ老勇者の姿を胸に思い、エリックは勇気を奮い起こした。
「まず、教えて欲しい。お前は、どうして僕達の事をすぐに殺そうとしない。
何故、魔王城に潜入したときも助けるような事をした」
エリックが問えば、斬姫は鷹揚に頷いてみせた。
「そこを疑問に思うのは当然であるな。
魔王様に目的があるように、我にも求めるものがある。
そのためよ」
「求める、もの?」
「左様」
斬姫が頬を紅潮させながら、その両腕を大きく拡げてみせる。
「我が求めて止まぬのは、闘争だ。死合だ。
ただ、一方的に弱者を蹂躙するのではなく、互いに肉を削り合い、血で大地を彩り、骨を頒かつ、死力と気力の限りで以て描く
「嗚呼、かの勇者との死合は実に有意義であった。彼の人との幸福な一時、は今もこの身を濡らして止まぬ。
故に――」
斬姫が顔を傾けて、エリックを流し見る。
「故に強者になりうる芽が、我には愛おしくて愛おしくて堪らないのだ」
熱を孕んだ視線に耐えかねて、思わず一歩後ずさる。そんなエリックを、テサが後ろからそっと支えた。
「じゃあ、どうしてだ? どうして、あの黒鎧は僕を殺そうとしたんだ」
「良き戦士を織りなすに不可欠な魂の錬磨は、死生の狭間にて足掻かせるのが最も効率が良い故な。
死なば、それまで。生きれば、より美味く成長する。
この問答とて、その一つよ」
「…………っ」
語られる言葉に、では、と言おうとして寸での所で思いと留まる。
きっと、あのコロッセオで見た光景も同じ様な目論見で行われていたのだと、エリックは思い至った。だが、そこにいた人物の安否を問うた所で何になるというのか。むしろ、エリックと関係のある事を知れば、藪蛇になるかもしれない。
そのまま二の句を告げないでいるうちに、斬姫は緩やかな動作で曲刀を手に取った。
「……ふむ、問答はもう終わりか? 汝の連れは、まだ傷が癒えておらぬようだぞ?
クク、問うべき言葉か見当たらぬなら、それもまた良かろう」
「覚悟はよいな? では、己が限界を超えて死中に活を見出してみせよ」
全てを見透かされて、エリックの心臓が早鐘を打つ。
合図はまだない。時間をもっと稼がねばならない。しかし、眼前の魔物と己とのあまりの隔たりに問うべき言葉が見つからない。
それでも、声だけは上げる。少しでも、足掻くために。
「待て! 待ってくれ!」
「うん?」
ゆっくりと構えを取りつつあった斬姫の動きが止まる。
その時、エリックの脳裏に一つの引っかかりが思い起こされた。
「名乗り……。そうだ、名乗りだ!」
意図を掴みかねてか、斬姫が不審げに顔を歪める。
「汝の名か? 今は不要である。
いつか、我を殺せるほどになった時に改めて上げるが良い」
「違う、お前の名乗りに知らない言葉があった!
それを、教えてくれ!」
エリックの発した問いは余りに考慮の外であったのだろう、斬姫の表情が完全に虚を突かれたものとなった。
「慮外ではあるが……そうであるな、折角上げた名乗りを理解されぬというのは、確かに面白くない。
どれだ?
不機嫌に口をへの字に曲げていた斬姫であったが、直ぐ様その表情は得心したものへと変わる。
「……そうか、■■か。
そうであった。殆どの人間は知らぬのであったな」
再び、聞き慣れない単語を口にしてから、斬姫は曲刀を床に突き立てた。
「■■とは、御座に
朗々と、斬姫が告げる。
「総ての始まり」
言葉が坑道を反響し、押し潰すように音が拡がる。
「礎の根幹」
空気が変わる。
「流転と停滞を司るもの」
喉は渇きを覚え、
「楽園の管理者」
闇がその濃さを増した。
「それを称して――――」
「即ち、『神』と呼ぶのだ」
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