第32話 ただ、君のために

「待って! みんな、待って!

 闇雲に逃げちゃ、駄目っ!!」


 すっかり混沌に呑まれてしまった室内で、マールは必死に叫んでいた。

 何人かはその声に気付き踏みとどまってくれた子もいたが、おおよそ半数程はマールの想いも虚しく無軌道に飛び出して行ってしまった。

 マールだってその気持は痛いほどよく分かる。ここに連れられた者は誰だって思い描くし、焦がれることだ。



 ――家に帰りたい、と。



 だからこそマールは仲間たちとともに計画を一歩一歩積み上げ、こうして今、皆と共有して逃げ出そうと思ったのだ。

 であるのに。


(一体、誰があんな煽るような事を……!)


 耳に残る記憶を頼りにマールは声の主を辿ろうとして、


「お姉様、少しよろしいですか?」


 双子の姉妹の片割れに声を掛けられて、やむなく中断する。


「どうしたの、ローゼリッテ?」

「……お姉様にとってはお辛いことだと思います。ですが、こうなってしまっては、もうどうしようもありませんわ。

 幸い、冷静に残ってくれている子達も居ます。

 行ってしまった子達の無事を祈りつつ、わたくし達もそろそろ行きませんと」

「そうだよ、お姉様! あんまり時間無いよ!」


 さらに双子姉妹のもう一人、フレデリカも現れてマールを急かす。


「そう……そうだよね。うん、分かった。

 事前の話し合い通り、二人が先導役、ボクとガイが殿しんがりだ!」

「マール、残ってた奴らの整理も終わったぜ」


 ガイが近づいてきて、顎で後ろを示す。

 その先へと視線を転じれば、二列縦隊になってこちらを真剣に伺う頼もしい同胞なかま達が見える。

 ここからは時間が勝負だ。異変に気がついた魔物達が追ってくる前に、ここからの脱出を果たさねばならない。

 マールは一つ息をついて気持ちを切り替えると、声を張り上げた。


「よし、行こう! みんなで、家に帰るんだっ!!」

「「「「おうっ!」」」」


 声が合わさり、辺りが震える。

 すぐさま双子の姉妹が先頭に立って予め決めておいた脱出ルートへと誘導を始める。

 マールはガイとともに列を見送り、その最後尾へ着いて走り出した。



 何年も過ごしてきた奴隷部屋をこうやって出るのは、やはり感慨深いものがある。

 そうして外へと飛び出す直前、マールはその一角へと顔を向けた。そこにいるのは、立ったままこちらを見送る一組の男女。

 仲良く手を繋ぐその姿を瞳に焼き付けてから、マールは前を前を向いて走り出す。

 振り返ることは、決してしなかった。





 薄暗がりの中を幾つもの足音が響き渡る。それらは硬い坑道で複雑に反射し重なり合い、やがて元の形を亡くして闇の奥へと消えていった。


「ここですわ!」

「さぁさぁ、力を貸して! 邪魔な岩を退かすよ~!」


 反響を切り裂いて、集団を先導していた双子から明るい声が上がる。


「さぁさぁ力を合わせて!」

「行きますわよ! そぉれっ!」


 掛け声に合わせて、人の背丈より巨大な岩がず……ず……と横にずれていく。途端に冷たく、湿った風が巨岩の裏側から坑道内へと吹き込んできた。


「この先は狭いそうですから、一人ずつですわ。落ちないように、気を付けて!」


 人一人分の隙間が空いた所で、ローゼリッテが隠されていた空間へと体を滑りこませる。


(ちょっと狭いですわね。お姉様は、ちゃんと通れるかしら)


 殿しんがりを務めてくれている敬愛する女性の事を想いながら隙間を抜ける。

 空気が変わる。勢いよく流れる水音と冷涼な湿った空気。


発動エグゼ『フローティング・トーチ』」


 明かりの魔法で照らし出せば水路の上に刻まれた細い通路が浮かび上がる。


「これが、かつて勇者様達が通られた道……」

「進む方向は逆だけどね!

 さあ、後ろつっかえてるんだから、ローゼリッテちゃん、行った行った!」

「そうですわね。行きましょう」


 フレデリカに押されながら、ローゼリッテは慎重に足を踏み出す。

 もし、すぐ側を流れるこの水路に魔物が棲んでいたら。嫌な考えが浮かんでは消える。

 自由に身動き出来ないこの場所で襲われたら一貫の終わりだ。

 じっとりと汗が出てくるのは、ここまで走ってきたからか、緊張のせいからか。逸る心を抑え込みながら、飛沫に濡れた足元に気をつけながら一歩一歩と歩を進める。

 そんなローゼリッテの内心とは裏腹に、呆気ないほど何事もなく通り抜けることが出来た。



 双子の姉妹は、想定以上にこの脱出計画が上手く行っていることを互いに喜び、後続に声を掛ける。


「さぁさぁ、ここまで来れば後は一本道、みんな急ごう!」

「焦って転ばないようにだけ、気をつけて下さいませ!」


 ここは何代も前の勇者が使ったとされる、今は廃棄された隠し通路。魔物なんて居るはずがない。

 廃棄されていたせいで所々道が崩れかけている所もあるが、言ってしまえば危険はそれだけ。坑道を進んでいた時のように魔物との遭遇を警戒する必要も無くなった。

 人一倍元気に溢れているフレデリカを先頭として、奴隷にされていた子どもたちがばらばらと一斉に駆ける。



「見て! 光だ! 光だよ!!」



 誰かが前方を指差し、そして皆で歓声を上げる。

 ホール状の広間になっているその最奥から、もう二度と見ることは叶わないと思っていた陽の光が溢れている。

 暖かな気配に活力を得た一行の速度が上がる。先頭を走っていたフレデリカは、あっという間に二番手、三番手と下がり、あっという間に集団の中程まで追い抜かれてしまった。



 そして最初の一人が、ついに出口へと足をかけようとした時、それは起こった。



 ドンッと、重く腹に響く音が広間一杯に響いた。



 同時に舞い上がった粉塵で陽の光が遮られる。



 薄茶色の靄から塗って出てきたのは、真っ黒な巨人。



 血塗られた両手を見せびらかすように大きく拡げて叫び声を上げれば、広間のあちこちから地響きと砂煙が巻き起こる。



 希望に溢れていた一行が、一気に絶望と混乱に塗りつぶされた。



「ま、魔物だ!? 魔物だぁ!?」

「やだやだ、死にたくない!」

「馬鹿、逃げるな! そこが出口なんだ! 戦え!」

「お父さ~ん! お母さ~ん!」



 天井の暗がりから取り囲むように魔物が降り立って行く。



 一行の反応は様々だった。

 果敢にも戦いを挑んで活路を見出そうとするもの。

 全てを諦めてその場にへたりこんでしまうもの。

 媚びへつらって命を助けてもらおうとするもの。

 来た道を戻り、逃げ出すもの。



 その尽くを、わずか八体ばかりの魔物が無慈悲に蹂躙していく。



「そんな、待ち伏せだなんてっ!? どうしましょう、お姉様!!」

「ヤバイ! ヤバイよ、お姉様!

 一旦ここから逃げなきゃ! 別の道を探そうよ!」


 焦り、叫びながらも、双子の姉妹はここを抜けるのは無謀と捉え、後ろへと駆け出す。どの方向も絶望的には変わりないが、逃げた奴隷たちを外へ取り逃がさない事を目的としてか若干出口側に布陣が偏っている。そのため、後方には僅かな隙があった。

 下がりながら殿しんがりを務める二人に向けて声を張り上げ続ける。

 混乱と喧騒の中でも、そうしていれば伝わるはずだから。



「「お姉様?」」



 しかし、応えが無い。

 魔物の腕を辛くも掻い潜り、水路まで戻るに至ってもマールと、ガイの姿が何処にも見当たらない。

 水路に刻まれた細道を渡る他の奴隷の子ども達が、その半ばで巨大な魚のような魔物に襲われ喰われていく。

 そんな光景を目の当たりにしながら、双子の姉妹はようやく、あることに思い至った。



「「ちくしょう、あんの腐れへにゃポン野郎っ!!!! あたし達の事、売りやがったな!!」」



 双子の姉妹は、背中に掛けていた大きな革袋を地に叩きつけて激しく罵る。

 その間にも、聞こえてくる悲鳴が徐々に近づいてくる。

 退路も進路も絶たれていた。

 一頻り罵詈雑言を喚いた二人は、それでも諦めきることはせずに生き残る目を探す。



 すぐに、二人はある方向を同時に見つめ始めた。



 すると、激しく音を立てる水流から水棲の魔物が再び勢いよく飛び出す。



 さらに、もう一度。



 哀れな犠牲者が増えていく様を観察しながら、双子はどちらからともなく目配せしあい、手を取り合う。



 再び魔物が姿を現したその瞬間、彼女達はその奔流へと自ら身を投じた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 一方、マールはガイに強く手を引かれながら広い坑道を歩き続けていた。


「痛いっ! 痛いよ、ガイ! 手を離して!」


 絞られる指先がむき出しの肌に食い込み、堪らず悲鳴を上げる。


「駄目だ。手を離せば、すぐに戻ろうとするだろ?」

「当たり前じゃないか! どうして皆に黙って離れたんだ、ガイ!

 いくらキミでも――――」

「それが『代案』の条件だったからだっ!」


 後ろを見ること無く告げられた内容に、マールの息が詰まる。問いただそうとするも、体が震えて上手く言葉にならない。背中で揺れる大きな革袋が水音を立てるたびに、悪寒が這い上がった。


「良いから、さっさと足を動かせ。

 大丈夫だ、俺が助けてやるから。だからお前は黙って着いてくればいいんだよ」

「そんな……そんなの、ボクは頼んじゃいない! 望んでない!

 ボクは……っ! ボクは……っ!!」


 顔を青ざめさせ、マールは腕を振りほどこうと必死に藻掻く。歩みを止めさせようと全身を使って引っ張る。

 しかし、腕はギリギリとより強く締められ、歩く速さはもはや駆け足に近くなってしまっている。

 この様子では、仮に足をもつれさせて転んだとしても、これ幸いと抱え上げられて運ばれてしまうことだろう。そうなっては、もうどうしようもなくなる。


「……本当は、あの亜人野郎だけを囮にするつもりだったんだがな。

 失敗しやがったあいつが悪い。恨むんなら、あれを恨め」

「ガイ、キミは、どうして……」

「何度も言った。何度でも言ってやる」


 そこで初めて、ガイがマールの方へと顔を向けた。


「俺はお前の事が好きだ。この世界の何よりも大切だ。

 だから、俺はお前を生きてここから出す為ならなんだってやる。

 どんなものでも利用するし、犠牲にする」

「…………っ!」


 坑道の横幅と高さが急激に広がり、巨大な空間へと二人は躍り出た。

 そこは忘れもしない。自分たちが魔王軍へ捕まって、最初に集められた場所。

 タスクを調べられ、奴隷としての日々が始まった場所。

 マールが、いつかここから逃げ出すと心に決めた場所。


 あの時とは違って今はガランとしているその中央に、一人の女の姿があった。

 血のように赤い髪。茜色の甲冑。

 右脚と左腕が無く、右手に持った逆反りの曲刀を支えに立っているようだった。

 他には何の気配もない。が、こんな所に一人で居る存在が、ただの人間であるはずがない。


「よう、あんたか。話した通り、予定の場所へ誘導しておいたぞ」


 しかしガイは臆すること無く、あまつさえ親しげな様子でその女へと声を掛けた。

 女の金の瞳が、マールとガイへと向けられる。


「何も知らないあいつらは、今頃一網打尽になっているはずだ。

 ……それじゃ、約束通り、通らせてもらうぜ」


 肩を大仰に竦めてみせるガイ。しかし、女は何も反応を示さない。

 その沈黙をガイは肯定と受け取ったのか、マールの手を引いてそのまま横をすり抜けた。

 自由をもたらす明るい光が、徐々に近づいて来る。



 そんなガイの前途を祝福するかのように、背後から颶風ぐふうが吹き抜けた。


「これで自由だ。これで、俺はお前と……」


 光を見つめながらガイが熱に浮かされたように呟く。手の中の、マールの腕を強く握りしめながら。



 赤い女は外へと歩いていく人影を、剣を振り抜いた姿勢のまま見送っていた。

 そして、気付く。


「しまった。確かあの革袋も報酬の一つであったか。

 諸共に斬ってしまうとは、我とした事が抜けておったな」


 片足でバランスを取りながら、酷くつまらなさそうに呟いた。


「肘から先も残してしまったようであるし……。

 やれやれ、未だに、かの勇者から受けた傷は深いと見える。

 ……ククク、いや、実に愉快な事よな」

「斬姫様。予定通り、処理完了にございます。

 ……二名を除いて」


 気配もなく現れた黒鎧の魔物が、赤い女、斬姫の耳元で囁く。


「ほう?」

「残す二名を捕らえるため、バラバラに逃げた奴隷を追わせていた魔物も順次投入しております。

 しかし、その尽くを躱してのけているようです」


 上腕まで再生を果たした左腕を薄く笑いながら撫でていた斬姫の目が細められる。


「クク、良いな。期待以上ではないか」


 斬姫は上機嫌に頷くと、左脚と右の曲刀を器用に使い、歩き出す。

 その三歩後ろを、黒鎧が付き従った。

 途中、斬姫が背後を冷めた瞳で一瞥する。


「……つくづく、つまらぬ奴よ」


 刹那に視線を切って、向かう先に潜む獲物へと意識を向ける。

 釣り上がる表情を隠そうともせず斬姫は熱く吐息を漏らした。



「さあ、ここからが本番ぞ。ゆるりと、兎狩りを愉しもうではないか!」

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