第31話 決行

「みんな、ちょっとボク達の話を聞いて欲しい!」


 いつもと同じようにして始まった早朝、いつもは安心させるような柔らかい顔で皆に声を掛けて回るマールが、今日はひどく真剣な表情で声を上げた。

 寝起きの弛緩した空気に、一体何事かと緊張が混じる。


「今日、ボク達はここからの脱出を試みる。

 一緒に逃げたいと思う人は、ボク達に着いて来て」


 途端に奴隷部屋を包む雑多な喧騒。あちこちから、そんなの無理だ、とか、本当に逃げられるのか、とか懐疑的な声が聞こえてくる。


「っるっせぇ、黙れ! クソども!!」


 その騒ぎを収めたのがガイの攻撃的な一喝だった。


「本当は俺たちだけで脱出しても良かったんだぜ?

 なのにマールが、何にもしてねぇお前らクソどもも一緒にって譲らなかったから、こうやって仕方なく声を掛けてやってるんだ。

 分かるか? お前らは黙って着いてくるか、ここで縮こまって怯えているか、どっちかすりゃ良いんだ。

 口を開くな。さえずるな。お前らの意見なんざ必要ねえ。

 そんな暇あったら覚悟でも決めとけ。俺達はすぐにでも行動する」


 次いでフレデリカ、ローゼリッテの双子が体を伸ばしながら大きく両手を挙げる。


「はい注目! ワタクシ達が皆さんを先導しますわ!」

「食べ物も水も用意してるから、大丈夫だよっ!」


 そんな喧騒を横目に、エリック達は目立たないよう部屋の隅で肩を寄せていた。今日二人は、ここに居る誰とも行動を別にするのだ。だから、極力周囲の目につく事は避けるべきだと話し合っていた。


(……結局、間に合わなかったな)


 この一ヶ月、脱出に向けてテサと二人で準備を進めて来たエリックだったが、心残りもあった。

 クーンと、そしてアリーのことだ。



 実はこの一ヶ月の間、エリックは魔王城へ再潜入を何度も試みようとしてきた。あのコロッセオで見かけたクーンがどうなってしまったのか確認する為に、そして、もしかしたら同じく囚われているかもしれないアリーを探す為だ。

 村を襲われたあの夜から姿を見ていないが、クーンがいたのだから可能性はある。

 脱出を試みるなら出来れば幼なじみ二人も一緒に、と考えるのは自然な流れだったろう。



 しかし、そんなエリックの思惑は叶わなかった。



 何度行っても、どれ程時間をずらそうと門の前に邪魔な魔物が、あの小悪魔エクォッドが居たせいだった。

 どこかうらぶれた、哀愁漂う雰囲気で一匹佇むエクォッドがあまりにも邪魔で、エリックはとうとう再潜入を断念してしまった。


(ごめん、クーン。アリー。僕はテサの事を優先するよ。

 でも、いつか必ず、探しに来るから。助けに来るから。

 だから、それまでどうか無事で居て)


 瞼を閉じて心の中で謝り、覚悟を固める。


「ぅ……?」


 そうして再び目を開いてみれば、小首を傾げたテサの顔。その瞳はわずかに揺れている。


「大丈夫だよ、ちょっと覚悟を決めてただけさ。

 それよりも、僕達の計画は昨日改めて話した通りだよ」


 エリックが言えば、テサはコクコク頷く。



 脱出計画を簡単に言えば、こうだ。

 マール達に合わせて行動開始。

 最初に目指すのは、脱出に使う道具類の隠し場所。

 奴隷部屋には置いておけなかった革袋とロープを回収、魔物の目を掻い潜りつつ脱出ポイントを目指す。

 戦闘はしない。出来ない。

 タスクを持たないエリックには戦う力はない。テサの身体能力はタスクの補正でそれなりにあるが、声が出せないせいで癒しの魔法意外は使うことが出来ないからだ。

 一匹相手なら奇襲すればなんとかなるかもしれないが、複数匹や強い魔物と遭遇してしまっては、もうどうしようも無くなってしまう。

 この一ヶ月の間は互いの出来る事、出来ない事を話し合った。その結果、エリック特有の勘を頼りに見つからないように進むことが一番である、との結論に落ち着いた。エリックの勘、なんて曖昧なものを信じてくれたテサには感謝の言葉もない。

 因みに、同じく一ヶ月の間に練習を重ねてきたエリックの治癒魔法であったが、今一歩の所で発動までには至っていなかった。



 これからの事に思い巡らせていると、テサがエリックの頭へと手を伸ばした。そのまま、胸元へと抱き寄せられた。

 心臓の音が聞こえる。布越しに触れ合う肌がとても暖かい。


「テサ?」


 抱き締められた格好のまま名を呼んでみれば、ぽんぽんと二回背中を叩かれる。すると、ほろほろと心が解されるのをエリックは感じた。

 知らぬ間に握り締めていた拳をゆっくりと開いてから、お返事とばかりに二度、今度はテサの背中に触れる。

 体を離して見つめ合えば、テサはにかっと笑って力こぶを作る仕草をしてみせた。


「うん、そうだね。ありがとう。

 二人で力を合わせて、ここから脱出しよう!」

「ぅ……っ! ぅ……っ!」


 うんうんと大袈裟にテサが頷いてみせる。



 と、その時だった。

 奴隷部屋の入り口の方から、ワッと喚声が湧いた。

 エリックはテサと目配せしてから立ち上がると、落ち着いてそちらを見やる。

 入り口の近くでは、よく同じ坑道にいたあの幼女が今日も軽快にツルハシを振るっていた。

 一振りする毎に小気味良い音を散らしながら監視の魔物の頭が弾けていく。


「さあ、これで俺達はもう自由だ!

 今なら逃げられる! 逃げろ! 逃げるんだ!!」


 誰かが叫んだ。

 静寂が支配したのは、ほんの一瞬。

 次の瞬間には、奴隷部屋にいた子供達が我先にと出口へと殺到していた。



 喧騒の中、必死に引き止めようとするマールの声が微かに聞こえる。



 その光景を見つめながら、エリックはテサと二人静かに手を繋いだ。





 長い、長い一日が始まろうとしていた。

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