第29話 三つと一つと二つ、そしてもう一つ

「さて、そろそろ気持ちを切り替えていこう!」

「ぅ……?」


 奴隷部屋の片隅、夕食を終えて一息ついたところでエリックはパチンと掌で両頬を打った。突然の行動にテサが小首を傾げる。


「いつまでもこんな所にいられないから、さ。

 マール達も脱出に向けて色々動き出してるみたいだし、僕らも準備を始めるべきだと思ってね」

「ぉ……っ! う……ぁえ!」

「うん、僕も頼りにしてるよ」


 両手をぐっと握りしめて鼻を鳴らすテサに笑いかけた。



 現状、この魔王城から逃げ出すにあたっての障害は三つだある。

 一つ、エリック達に付けられた監視の魔物。朝から夕食の時間まで複数の魔物が着いて回る。夜は監視も緩むものの、日中の掘削作業で体力を使った後ではとても無理である。朝、体力を消費する前にうまく目を誤魔化すか、なんとか排除するしかない。



 二つ、魔王城から外へ抜け出るためのルート。エリック達が居る鉱山は長年に渡る掘削によって非常に入りくんだ構造になっている。闇雲に進んで出られるものでは無いし、ここに連れてこられた時の様な分かり易い道には監視がある。タスクを検知するという警戒網も仕掛けられていることだろう。



 三つ、魔王城の外に広がる不毛の荒野。跋扈する魔物の目を掻い潜ったとしても、通り抜けるには水と食料を予め用意する必要がある。その為の先日の潜入であったが、結局成功はしなかった。表向きには。



「監視の排除と脱出ルート、食料は任せて欲しい、っていうのがマールの話だったけど」

「ぅ……っ! あぅっ……!」


 エリックがそう言えば、テサが真剣な面持ちで両手を掴んで首を振る。


「うん、大丈夫。僕もあいつらのことは信用していないから。

 何も考えずに着いて行ったら、絶対に囮にされる。だから、この前話したあの場所を使おうと思う」


 少し背伸びして安心させるようにテサを撫でてあげれば、お返しとばかりに頬を両手で挟み込まれてむぎゅっとされてしまった。

 可笑しさがこみ上げて来て、二人して笑い合う。



「主な障害は今言った通りだけれど、妙なことと言うか、不安なことが一つあるんだよね」


 エリックは背中に手を回す。そこは斜めに切り裂かれて大きく穴が空いてしまっていた。


「え……ぅ、ぃぁ……い?」

「んん、大丈夫。テサが治してくれたから、今はどうって事無いよ。

 ただ――――」


 顔を曇らせるテサに笑顔を返して、エリックはこの大凡一週間の間感じ続けている懸念点を話す。

 それは、今エリック達がこれまで通りと何も変わらず過ごせていることについて。

 テサの心が戻ってくれた事はエリックにとっては何よりの変化だったのは勿論のことだが、それ以外のこと、事に監視の魔物の様子に何の変化が無いことが逆に不気味だった。



 あの時、エリックは見つかったのだ。あと一歩の所まで逃げた所で黒鎧の魔物に追いつかれ、袈裟斬りにされた。その時の痛みは熱となって記憶に焼け付いているし、事実、服は見事に穴空きになってしまった。テサが傷を癒やす魔法を使えなければ今頃自分はどうなってしまっていたか、考えるのも恐ろしい。

 鉱山で働かされている奴隷が魔王城に潜入していた事は魔王軍も理解っているはずである。にも関わらず、何の変化もないことに、意図を測りかねていた。

 奴隷の動向など元から歯牙にも掛けていないのか、それとも、エリックを斬って捨てたことで問題は全て処理したとでも思っているのだろうか。それならば、あるはずの死体がいつの間にか消えていた事に疑念を抱かないのは何故なのか。



 しかも、それだけではない。



(僕が斬られたのは門を抜ける前。なのに、気がついたのは奴隷部屋の近くだった。

 ――――ああー、くそ、分からん!)


 熱を拭き上げそうになる頭をぐしゃぐしゃと掻きむしる。あちこちに跳ねてしまった髪の毛を可笑しそうに整えようとするテサを見つめながら、でも、と心を正す。


(それでも、やるしか無い。そうだろ、エリック)



「ちょっと良いかな、お二人さん」


 そんな二人に近づいて声を掛ける者があった。マールだ。


「ぅ……っ!」


 テサが目付きを鋭くして、エリックの事を隠すように体を前に出した。その様子にマールは気分を害するでもなく、ただ困ったような悲しむような表情を浮かべる。

 マールは少し距離を空けたまま立ち止まると、しゃがみ込んで視線を合わせた。


「決行日が決まったよ。今から、一ヶ月後」


 声を潜めてマールが言う。そして両の眉を一層傾けながら続けた。


「ネックになってた革袋なんだけどね。どうやら、目処が立ったみたいなんだ。

 代案、が有ったらしくてね……その…………」


 徐々に言葉少なくなるマールに、エリックは密かにため息をついた。態々聞かなくても分かる。

 マールはきっと、その『代案』について知らされていなかったのだろう。だから彼女が罪悪感を感じる必要はないのだ。



 エリック一人に危険を押し付けて手に入れようとした革袋、それを含む様々な物資はテサの膝枕で目を覚ました時にはが無くなっていた。恐らくはあの黒鎧に回収されてしまったのだろう。

 何かと突っかかってくるガイなどは持ち出しに失敗した事を酷く攻めてきたので、近くに散らばって落ちていたという事も無いはずである。


「エリックに怪我がなかったことだけは本当に良かったけれど……。

 ごめん、違う方法でこんなに簡単に手に入るなんて、やっぱり気分良くないよね」

「いや、別に気にしなくて良いよ」


 頭を振る。エリック達もまた、マール達に隠し事をしているのだから、おあいこなのだ。

 代案がどういうものかは分からないし、興味もない。簡単に調達できている事に思うことが無いと言えば嘘になるが、それでもだ。


「代案で手に入る革袋は、サイズは大きいけど数は少ないみたいで一人一つと言う訳にはいかないみたい。

 だから当日はボク達が代表して持つことになる予定だけど、大丈夫かな?」

「うん、それで構わないよ」


 未だ両手を拡げたままのテサの肩へ手を置いて閉じさせながら、マールへ向けて頷き返す。

 そう、誰が持っていようと問題ないのだ。

 何故なら、テサとエリック二人分だけは持ち出す事が出来ていたから。服の下に仕込んでいた革袋二人分と一束のロープだけは残されていたのだから。



 エリックがマール達にしている隠し事は二つ。

 一つが魔王城から持ち出せた物資のこと。どちらにせよ全員分にはとても足りないのだから仕方がないのだが、エリックとテサ、二人の分を確実に確保しておくためにエリックはこの事をマールにも話しはしなかった。

 もう一つがテサの事だ。マール達はエリックが怪我せず脱出してきたと思っているが、それは違う。エリックが無事だったのはテサの癒やしの力のお陰だ。

 エリックは一度、その事をマールに話そうとした事があったのだが、テサに強く腕を引かれて止められてしまった。

 後でテサに聞いてみた所、この癒やしの力というのはとても珍しいものらしい。使える人間はごく僅かで、それは楽園の力『タスク』とも関係なく現れるらしい。

 唯一、『勇者』を見出す『聖女』だけは必ず癒やしの力を持つらしいのだが、それも『聖女』だから使えるのではなく、癒やしの力を持つ者の中から『聖女』が現れるから、だと言う。


「ありがとう。ボク達が持つことを許してくれて。

 本当なら危険を冒したエリックが持つ権利を一番持っているはずなのに」

「いいよ。マールも、色々と苦労しているみたいだし。

 代わりに、保存食は多めに持たせてくれると嬉しいかな」

「ふふ、それは任せておいて。前日の夜に配る予定だから、その時にボクの所に来てよ

 ……それから、テサちゃん、これを」


 胸元から手の平ほどの木片を取り出して、マールがテサに手渡す。表面には数字と、何かの記号が複雑に刻まれている。


「……ぅ? ……! ぁ…………いぅ……!」


 渡されたものが何か気づいたテサが目をまんまるにしてマールに詰め寄る。


「うん、そう。少ないけれど、ボクの全財産。

 エリックにはきっと、ここから出た後に必要になるものだろうから。

 それと、必要ないかもしれないけど、これはテサちゃんの分ね」


 そんなテサの手に重ねて、マールがもう一つ木片を置く。それには何も書かれていないようだった。


「さて、そろそろ就寝時間だし、もう行かなくちゃ。

 ……ばいばい、テサちゃん、エリック」

「……ぁ…………っ!」


 立ち去るマールの背中を引き止めるようにテサの腕が伸ばされ、しかし力なく宙を掴んで降ろされた。そんなテサを促して、エリックは就寝の準備を始める。



(もし、マール一人だったのなら……)



 手早く麻布を拡げながら、エリックは思う。

 或いはマール一人だけであったならば、エリックも隠し事などせず、脱出に向けて協力しあっていたに違いない。

 しかし現実はそうではない。あの双子が居て、ガイが居て、名も知らぬ仲間達が彼女の周りには大勢居る。彼女の周りに居る者たちがエリックを拒絶している限り、協力しあうことなど不可能なのだ。

 その事はきっと、彼女も分かっていたのだろう。マールがエリック達に魔王城潜の時にあったことを詳しく聞こうとはしなかったし、また、この日を堺に彼女からエリック達に近づくことも無くなった。



 部屋を薄暗く照らし出していた魔法の明かりがゆるゆると力を失い、消えていく。

 上掛けを掛けて、二人手をつないで横になる。

 と、ふと思いつくことがあって、エリックはゴロンと横を向いた。そんなエリックに気がついて、テサもエリックへと体を向ける。首を傾げて、白亜麻色の髪がしゃらりと揺れた。


「ねえ、テサ。癒やしの魔法って、『タスク』とは関係なく使えたり使えなかったりするんだよね?」

「ぅ……」


 こくり、と小さく頷く。


「それじゃあ、さ。『タスク』を持たない僕でも、練習したら使えるようになったりしないかな?」

「!」


 考えてみたこともなかったのだろう。エリックの言葉にテサは吃驚した顔をしてみせた。お陰で空色の綺麗な瞳がよく見える。


「えぅ……、……ぁぅ……ぅ?」

「うん、やってみる」

「ぅ……」


 差し出されたもう片方の手を握りあって、コツンとおでこを触れ合わせる。

 瞳を閉じれば、ほわほわとしたどこか懐かしさを感じさせるような暖かさが、繋いだ両手の辺りから漂ってくるのを感じる。

 癒やしの魔法といっても、別に光ったりなどする事はない。

 ただ、全身に拡がるこの暖かな感触の出処を求めてエリックは己の感覚を総動員する。


「ぅ……?」


 ほんの一分程だろうか、魔法を掛け終えてテサが何か掴めたかと再び首を傾げた。


「正直さっぱり、かな」


 エリックは苦笑で持ってそれに返す。


「でも、なんだろう、不思議と出来ない気はしないんだ。

 ねえ、テサ。明日からも練習して良い?」

「ぅ……! ぅ……!」

「ありがとう、テサ。じゃあ、おやすみ」

「ぉぁ……ぅ……ぃ」


 ニコニコ笑顔でコクリと頷くテサにおやすみの挨拶をして、エリックは仰向けになって目を閉じる。



 暗闇の中で考えるのは、今日、テサと話し合った脱出に向けての事柄だ。



 脱出に向けての障害は三つ。



 懸念が一つ。



 マール達への隠し事が二つ。



 そして、もう一つ。テサにも話していない大きな問題があった。

 それはエリック自身の、想いの問題。



(このまま、ずっと一緒に……)



 眠りに誘われゆく意識の底で、エリックは少女のことを一人想う。



 想いながら、同時にエリックの中に残された昏い熾火おきびが燃え上がって強く警鐘を鳴らしていた。



 忘れるな。忘れるな。



 自分が何者なのか、忘れるな、と。



 テサを、少女の事を大切に想うならば、本当は一緒に居てはいけないのだ。



 早く、彼女の側から離れなければならないのだ。



 いつか必ず、自分が招き寄せてしまう不幸が彼女に降り掛かってしまうから。





 テサの事が好きだから、ずっと離れたくない。



 テサの事が大切だから、早く離れなければならない。



 二律背反する窮愁きゅうしゅうしとねに、エリックは今日もまた寝付けぬ夜を過ごしていた。

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