第28話 二人の日々

「それじゃ、また岩を捨ててくるよ」


 今日も今日とて軽快に岩を突き崩す幼女に声を掛けて、エリックは背負子を背負う。


「それじゃあ行こうか、


 坑道の入り口で同じようにして待っていた白亜麻の少女に声を掛け、二人並んで手を繋ぎ歩き出した。柔らかな感触を通して暖かな熱がじんわりと掌に広がる。硬い岩盤にツルハシを振り下ろしていたせいで腕いっぱいに満ちていた痺れが追い出され、溶けていくようだ。


「……ぇう。……えぅ」

「うん? 何、テサ?」

 テサと呼ばれた少女が、儘ならない喉を震わせてエリックの事をエル、エルと呼ぶ。つい、ついと袖を引かれてエリックが顔を向ければ、テサが空いた手で小麦色の髪にくっついていたホコリをパタパタと払った。


「えう、……ぁう…………ぉ……」

「ん、ありがとう、テサ」

「ぅ…………」


 若干のくすぐったさを感じながらエリックが礼を言えば、テサは音にならない掠れた声でニッコリと頷いてみせた。



 テサが、あの少女が心を取り戻してくれてからおおよそ一週間、それでも、二人が行動をともにする生活は変わらなかった。

 そして食事の時、寝る時、起きた時、奴隷仕事の合間合間など、隙を見つけては沢山の事を話しあい、寄り添い、笑いあった。二人で話している時のテサの表情と身振りはとても言葉豊かで、彼女の声が未だ失われたままであることなど実に些細な事だった。どうしても言葉に頼らなければならない時は、地面に引っ掻いて文字を書いた。エリックには初め読むことは出来なかったが、これにはマールが率先して手伝ってくれた。



 そうして、少女の名をテサと知ったのだ。

 後に少女が説明するには、『テサ』とは古い古い言葉で空を意味するのだという。話を聞いて少女の瞳にその色を見出したエリックは、「とても似合ってるね」と、はにかんだのだった。



 エリックは隣を上機嫌に歩く少女を覗き見ると、身長差のせいで最初に目に入ってしまったのは形の良い艷やかな唇だった。意図せず見てしまった薄桃色のそれに、しでかしてしまった六日前の大失敗が思い出されて顔中に血が昇ってくるのを感じてしまう。

 弁明がゆるされるのならば、エリックはただ、いつも通り夕食にしようとしただけなのだ。しかし、すっかり習慣化してしまっていたソレを深く考えもせずに繰り返そうとした事には大いに問題があった。大いに、問題があった。



 いつも通りに空いた列で二人分の椀にスープを注いで貰い、いつもの奴隷部屋の隅へと向かう。

 夕食を待っていた少女――この時は、まだ名前を知らなかった――の隣にいつも通り腰を下ろして、自分の分の椀は横に、少女の分の椀に手を付ける。



 いつも通りに相変わらず硬い肉を念入りに噛み砕きながらスープを一掬い、少女の口元へと運ぶ。

 ピクリ、と何だか今日は少女が硬直するような雰囲気があって若干の疑問を感じるも、いつも通り少女がスープに口をつけてくれたのでそれ以上考えることはしなかった。



 いつも通り口内の肉が柔らかくなっているのを確認してから身を乗り出すと、いつもは前を向いているはずの少女が何故だか顔を目一杯背けている。

 いつもと違う様子に、おや、と首を傾げる。白亜麻色の髪から覗く耳が随分と赤い。

 一体どうしたのだろう、と混乱していると睨みつける潤んだ空色の瞳とエリックの目が合った。



 暫しそのままそうしていて――、



「っぐっほ!? ……んっ!? んんんんっ!?」



 盛大に咽た。

 動揺の余りに口内の肉が違う道へと入り込み、呼吸を阻害する。

 息が出来ない。

 四つん這いになって激しく胸を叩けば、少女もまたオロオロとエリックの背を擦る。



「っっ!? っかひゅっ! ひゅー……っ! ひゅー……っ! ひゅー……っ!」



 意識が遠のき掛けたその時になって、ようやく肉片が口から溢れ落ちた。大切な食料を無駄にしないようしっかりと右手でキャッチしつつ、新鮮な空気を求めて喘ぐ。

 今世で明確な死を意識させられたのは、先日のコロッセオの時に引き続き、この時が二度目だった。



「ふー……」



 一頻り呼吸が落ち着いたところで、今度はエリックが顔を背けながら、まだ手を付けていない方の椀を少女に差し出して事なきを得たのだった。


(慣れって怖いよなぁ……)


 あの時の事を振り返り、エリックは心の中でため息をつく。あれで嫌われなくて本当に良かった、と反省しながら視線を上げると半眼の瞳。

 そう言えば、いつの間にか立ち止まっている。


「ええっと……、テサさん?」


 気不味げに声を掛けるも、応えはない。


「……もしかして、何処を見てたか気づいてた?」

「ぅ……」


 コクリと頷いて、テサが目を細める。


「い、いや、ええっとね、この前の事を思い出していたとか、そんなんじゃなくてね、その、あのっ!」


 ワタワタと往生際悪くエリックが両手をフリフリ弁明すれば、後ろに手を組んで凍える視線でテサが見下ろす。

 そのままじっとりとエリックの事を眺め見やってから、不意にクスリと笑みを零した。

 突然の変化に戸惑うエリックの隙を突いてテサは少しだけ身を屈め、すぐさま体を起こす。そしてエリックの腕を掴んでズンズンと歩きだした。



(……耳が真っ赤になってるよって言ったら、きっとまた怒るかよね)



 唇に淡く残る感触に触れながら、エリックは手を引かれるままにテサの後へと続いた。

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