第25話 その先に見た物

 巨大な魔物が身を屈めて飾られた大楯の裏を覗き込み、鼻を鳴らす。

 しかし、そこに何も無い事に結局頭を傾げ、そしてまた歩み出した。



 そんな魔物の背中を、すぐ真後ろからエリックは見送っていた。脈打つ動悸が聞こえてしまわないよう、必死に右手で抑えながら。



 最前まで、あの大楯の陰に身を潜めていた。そこを覗き込まれる直前に背中へと廻ったのだ。

 その際、魔物の持つ巨大な剣が運良く目隠しとなってくれたらしい。



 未だに打ち止まない鼓動もそのままに、先へと進む。

 今回は事なきを得たが、エリックの危険を感じる勘もあまり万能なものでもない。何かに熱中していれば気付かないこともあるし、危険を感じたとしてもそれを回避する方法がなければ意味が無い。前世の神崎望が死んだのも、その証左だ。

 だから急がなくてはならない。見つかってしまう前に、早く。

 目指すのは食堂か炊事場、あるいは倉庫だ。マールと事前に打ち合わせた限りでは、それらの施設は然程入口から離れてはいないはずだとの結論だった。

 エリックは心持ち足を速めて進み、覗き、探した。



(見つけた!)



 いくつか目の部屋を覗いた時、漸く目的の場所をエリックは見つけた。

 グツグツと煮え立つ大鍋に、鉈の様な包丁を振るう八手の魔物。

 部屋の隅には八十センチ角の立方体に切り出された何かの肉が積み上げられている。



 エリックは身を屈め、調理の喧騒に紛れて室内へと潜入した。かなり忙しいのだろう。エリックのすぐ目の前を何体かの魔物が通り過ぎる事もあったが、気付く気配もない。


(あるとしたら、あの食器棚の辺りかな?)


 調理台に身を隠し、時に皿に載った料理を摘まんで顔をしかめながら、部屋の一面に設けられた棚へと向かう。

 そして体を伸ばして探ってみるのだが、


(駄目だ、多分ここじゃない。どの食器も豪華過ぎる)


 早々に探すのをやめて棚から離れた。

 そして改めて辺りを見渡した時、気付いていなかった小部屋への入口を見つけた。丁度、入って来た場所からは死角になっている場所だ。


(少し、距離があるけど……うん、ぎりぎり行ける)


 魔物達の動きを探り、見極め、今、と見極めて走る。

 多少音が立つのは無視だ。



 そうして飛び込んだ先は、やや雑然とした倉庫。そこで目的の、水を持ち運べる革袋をいくつも見つけた。

 いくつ持ち出せば十分かは分からない。だからエリックは可能な限りを服の中へ入れ、体に括り着けた。

 その最中に保存食の類も見つけたエリックは、これも幾つか持って行く事にする。

 この革袋の代わりにマール達が準備している食料を融通して貰えるはずであるが、保険が必要だろうと感じたのだ。



 岩塩の塊を一つ懐へ忍ばせた時だった。

 何体もの魔物が倉庫へ入って来る音をエリックの耳が聞きつけた。



 そっと伺えば、あの時の黒巨人が倉庫の入口で部下らしき魔物へ何かを指示しているのが見えた。



(やばい、欲張り過ぎた?)



 すっかり重くなってしまった荷物を抱えて、エリックは黒巨人の反対側、倉庫の奥へ奥へと移動する。



(大丈夫、まだバレてないはず。すぐにいなくなる)



 そんなエリックの想いも虚しく、魔物達は一向に去る気配は無く、一体何を探しているのか、一つ一つ丁寧に棚を改めながら倉庫の奥へと近づきつつあった。それに比例して、嫌な予感が段々強くなってくる。

 このままでは、まずい。エリックは魔物達の目から逃れられる場所を必死に探し始めた。

 そして見つける。壁の上の方に通風口が開いているのを。

 高さは棚をよじ登ればなんとか届くくらいだ。だが、棚を登るのは否が応でも目立ってしまう。見つかるリスクはかなり高い。

 エリックは視線を転じ、魔物達の様子を探るも様子に変かは無く、確実にこちらに近づいてきている。



 時間は無い。



 エリックは意を決して棚に飛びつき、必死に手足を動かした。体の重みに棚がギシリと軋み、載せられた物品がグラグラと揺れる。


(頼む、倒れないでくれ! 何も落ちないでくれ!)


 一段、二段と足を手を掛ける。上に登るにつれ揺れも大きくなる。


「届いたっ!」


 それでも何とか通気口へと手が掛かり、エリックは思わず小さく快哉を挙げた。

 すぐさま腕にぐっと力を込めて体を引っ張り上げ、体を押し込める。

 と、それとほぼ同時だった。魔物の足音が響き、次いで今し方散々足蹴にしてきた棚を魔物が探り始めたのは。

 エリックは擦るようにして体を動かし、見つからないよう奥に身を潜める。



 そのまま、どれ程の時間がたっただろう。実際は大して長い時間ではなかったはずだが、魔物達の立ち去る足音が聴こえた。


(やり過ごせた?)


 エリックはどうにかこうにか体の向きを変えて通風口から顔を覗かせると、棚を改めていた魔物の後ろ姿が見えた。とは言え、用事が済んだ訳では無さそうで、今度は行ったり来たり、物品の出し入れを始めてしまった。


(元の道を戻るのは無理そうだ)


 暫し様子見を続けるも一向に終わる気配が無い。エリックは溜息をついて顔を引っ込めようとした時だった、ここに居れば見つかる事もないだろうと気を緩めていたのも原因か。



 胸元からコロリと、岩塩の塊がこぼれ落ちた。



 宙で回る拳大のそれに、エリックの目が見開かれる。



 手を伸ばす。



 下に落としては、音が響いてしまう。



 腕を、肩を、背を目一杯使って。



 何かがここに居ると、知られてしまう。



 空を何度か掻きながら必死に。



 落とす訳には、いかない。



 そして――、



「はっ……、はっ……、はっ……、はっ……っ!」



 短く荒い呼吸を繰り返す。

 手の中には、岩塩が収まっていた。



 手から滑り落としてしまわないよう注意しながら、ゆっくりと引き戻す。

 腕を伝って冷や汗が滴った。



「ふーーーーーーっ」



 通風口の奥に引っ込み、エリックはその場に突っ伏した。全身の嫌な汗が引かない。


「このまま……ここに、居るのも拙い気がする。

 奥に、別の道から戻れる所を見つけなくちゃ」


 再び体を無理くり捻って体の向きを変えると、エリックは奥へ奥へと進む。潜入する初めにも感じた事だったが、体が小さい事に今は感謝するばかりである。



(光……?)



 そのまま進んでいると、行く手の先から光が溢れているのが見えた。それも、ここまで見てきた煌びやかな光を遙かに上回るぎらついたもの。と同時に、確かな風の感触が頬を撫でていった。

 明らかに様子の異なる雰囲気にエリックは警戒の色を強くする。

 強い光だが、自然のものでは無い。エリックが抜け出してきたのは皆が寝静まったタイミングだったから今は夜のはずである。夜明けにも早すぎる。

 わざわざ夜の闇を明々と照らし出して何をしているのか、それを確認するためにも緩めていた息を引き絞り、狭い通気口を少しずつ這い進む。やがて、何かを打ち合わせるような音がエリックの耳に届くようになってきた。



「うっ……?!」



 通気口を抜けた。眩い光が瞳を刺し、慌てて腕で庇を作る。

 細めた目に映るのは、擂り鉢状の広大な観客席とおぼしき石製の長椅子の列と、そしてその中央部。そこは客席から崖のように高さを下げられた構造になっており、底部には砂を敷き詰められた広場が広がっている。

 それら全てを八方に設けられた巨大な照明台から投げかけられる魔法の光が、上空に浮かぶ満月と共に冷たく照らしだしていた。

 エリックの、神崎望の知識の中にこれに類似したある建造物があった。



「コロッセオ?」



 エリックは周囲に何の気配も無い事を十分に確認して、通気口から這い出す。そして身近の観客席の影へと身を隠した。そして覗き見る。

 先ほどからずっと耳に響く剣戟の音、その出所たる中央部を。



 そこには、いくつもの動く影があった。



 この建造物がエリックの想像通りのものだとしたら、そしてここが何処なのかを考えれば自ずと中央で行われているのかも嫌でも予想が着いてしまう。

 中央部の影を観察すれば、二つのグループに分かれているのが簡単に見て取れた。比較的小柄な影が複数、中心に、それを取り囲むような形で巨大な影が四つ。

 そしてその中央部の一団とは別に、エリックが居る場所とは真反対の観客席側、他の席よりも一段も二段も高くなっているそこにも、いくつかの影が見えた。

 明るさに慣れくるに従って、その詳細が徐々に明らかになってくる。

 そしてエリックは、気付いたら驚きの声を上げていた。



「クーンっ!?」



 コロッセオの中央、巨大な黒い狼に囲まれた子ども達の一人に、よく見知った焦げ茶色の髪が混ざっていたのだ。

 生きていた、という強い喜びと共に強烈な絶望感がエリックを襲う。目の前の状況が、単純に喜ぶ事を許してはくれなかったのだ。

 中心に集められた子ども達は、全員なにがしかの武器を構えている。しかし、それらが棒きれに見えてしまう程に、周りを囲む黒狼のプレッシャーが圧倒的なのだ。



 子ども達の内の一人が、槍を構えて果敢に飛び込む。『タスク』の力に支えられているのだろう、その踏み込みと一撃は鋭く、速い。

 それを黒狼は難なく避け、代わりに左足を軽く払うように振るった。

 槍の少年はそれをすんでの所で柄で防ぎ、衝撃に吹き飛ばされて元の位置に戻ってしまった。

 クーンがその少年を庇うように黒狼との間に立つ。が、黒狼はそれ以上追撃しようとせず、またジリジリと間合いを計るように周囲をゆっくりと歩き出した。



 そんな攻防に息を飲んでいる時だった。



 突如、世界が横に斬れて、ズレた。

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