第24話 潜入
「ボクが案内出来るのは、ここまでだよ」
魔王上への潜入について話したその翌日、夕食も終わって皆が寝静まるころを見計らってエリックはマールと二人、大部屋から抜け出していた。来たのは大部屋のある坑道から少し奥に行った所だった。
マールが案内出来るのがここまでと言う事は、それはつまりこの先に魔王城への入り口がある事になる。だとすれば、エリック達は鉱山の随分と奥の方で生活していたようだ。
その事を問うと、マールは息を潜めて小さく頷いた。
「うん、みんなの夕食を取りに行くときは、魔物に連れられてこの先に行ってるんだ。
この真っ直ぐの通路を右に曲がった所に、小さな門がある。その先が魔王城だよ」
一見すると何の変哲もない普通の通路だが、ここの何処かに目に見えない境界線があるのだろう。
「いつもは門から入ってすぐの所に食事が置かれているから、その先の事は分からないの。注意して」
「分かった。それじゃあ、行ってくる。もしもの時はあの娘の事、頼むね」
「任せて。でも、絶対、無事に戻ってきて」
エリックはマールに頷いて返すと、慎重に歩を進める。辺りは夜の静寂に包まれていた。マールが大部屋へとそろりと引き返していく足音だけが、後方から微かに聴こえてくるばかりだ。
直角に折れた通路に身体を寄せ、角の先を伺う。生き物の気配は無い。死角になるような窪みも見当たらない。
乾く唇を舌で湿らせて、先を進む。すぐにマールが言っていた門が見えてきた。それは確かに門と呼ぶに相応しい作りをしていた。
大きさは背の高い魔物に合わせたためだろうか、少し広くなった通路の終わりに高さ五メートルはある巨大な両開きの金属製の扉が構えている。表面には何かの文字のようなものが緻密に刻まれており、荒々しく彫り抜かれた何かの獣の姿も相まって重厚な威圧感を湛えている。
(マールの話では、岩に隠されるようにして小さな勝手口があるらしいけど……あれかな?)
見れば門のある壁の隅に似たような形状の巨岩がバランスを取るように一つずつ置かれている。エリックは意を決してその内の一つに近付く。果たして岩の影に隠すようにして、身を屈めなければ通れないほどの小さな扉がそこにあった。
(鍵は……掛かってない! よし!)
扉のノブに手を掛けて、エリックはゆっくりと押し開く。金属と金属が擦れる耳障りな音が押し殺すように周囲に響いた。小さく開けた隙間から中の様子を伺い、身体を押し込む。今日ばかりはエリックは自分の小柄な身体を感謝した。
勝手口を閉じて、改めて周りの様子を伺う。そこには、これまで自分が居た場所とは全く異なる世界が広がっていた。
その別世界をソロリ、ソロリと歩いて行く。
一歩踏み込むたびに、分厚い赤い絨毯がエリックの小さな足を受け入れる。目を転じれば繊細に彩られた絵画に、艶やかな花が生けられた壺、磨き上げられた鎧兜などなどなど、美術館も斯くやと言わんばかりに数々の美術品が飾られている。
今世は当然のことながら、前世でも然程美術品というモノを見た事の無いエリックでも、それらがどれも一級の品物であることは肌に感じられた。そんな数々の宝物を照らし出すのが壁のあちこちに設えられた燭台だ。複雑に彫刻されたそれらから投げかけられる魔法の光は眩く、足下に落ちる影すらよく見えないほどである。
勝手口から忍び込んでから少し進んだ限りであるが、その様子はまさに壮麗の一言。邪悪な魔王の城、と言うには真反対の様相を呈していた。
(……誰も居ない。見張りもいないなんて、どういう事だろう)
そろり、そろりとエリックは歩き続ける。床に敷き詰められた絨毯が足音を殺してくれるのは有り難い。が、魔物と鉢合わせになりそうな時はこの明るさのせいで隠れるのには苦労しそうだ。
飾られた鎧の陰に隠れるか? 壺を飾った小机に下、いやいっそ壺の中はどうだろうか?
(これがゲームならダンボールでも被れば良いのだろうけど……っと!)
すぐ前に迫った角を曲がろうとした時、嫌な予感を覚えてエリックは足を止めた。魔王軍に捕らえられてからというもの、前世の頃に鍛えに鍛えられた第六感がかつての鋭さを取り戻しつつあるのだ。
正直な気持ちを言えば素直に喜べない所なのだが、お陰で落盤を回避出来たりと、今の環境では頼まざるを得ない。
エリックはすぐさま身を翻し、隠れられそうな場所を探す。
足音は聞こえない。当然だ。エリックの足音が分厚い絨毯に阻まれているのだから、他者の足音もまた抑えられるのは道理である。
同様に、数々の照明が照らし上げる白塗の壁に影が揺らめく事もない。
だが、エリックはガンガンと警鐘を鳴らし続ける己の勘に従い、動く。
壺……駄目だ、小さ過ぎる。鎧の中……間に合うはずがない。
フーッ。フーッ。と何かの音が聞こえる。
風の音ではない。生き物の、荒い呼吸の音だ。
早く、早く隠れなくては! 焦る思考必死に宥めながら、元来た道を辿り、視線を這わす。
なかなか、安全を確信出来る場所が見当たらない。
そして遂に、魔物が角から姿を現す。
大きい。天井へ擦らない様に少し身を屈めて歩くそれは、背を伸ばせば六メートルを優に超えるだろう。
死蝋色の肌に、人や猿と言うよりはサイに近そうな厳つい顔。左腕には切れ味鈍そうな肉厚の片刃剣を携えている。
その魔物がゆっくりとした動作でこちらへ歩いて来る。尤も、ゆっくりなのは動作だけだ。一歩が大きいせいでエリックが走るより余程速い。
魔物が歩く。
ふと、魔物が歩みを止めた。フン、フン、と何かを確認するかの様に頻りに鼻を鳴らす。
そして、身を大きく屈めて、すぐ側に飾られた騎士鎧、それが捧げ持つ大楯の裏を覗き込んだ。
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