第21話 暗闇の底で

「……っはぁ、疲れた」


 初日の労働が終わり、エリックは最初に通された大部屋に大の字になった。その横に、ストンと少女も腰を下ろす。一日中の肉体労働で全身の筋肉が悲鳴を上げている。どんな物が出るかは分からないが、来た時の説明の通りならば今から夕食のはずである。エリックの身体がエネルギーの補給を求めてぎゅうぎゅうと鳴る。

 因みに昼に食べたのは移動中に何度も出された粥のようなものだった。その食事はあの少女の分もしっかりと供された。背負子に入れた岩を運ぶだけでも労働とみなしてくれたようで、その時の安堵は一潮だった。



 エリックが荒い息に胸を弾ませていると、マールを先頭に鍋を抱えた数人が部屋に戻って来る。


「みんな、お疲れ様。誰も欠けて無いようで、ボクも安心したよ。

 それじゃ、夕食を配るね」


 マールはそう労ってから人数を確かめるように全体を見渡した後、一緒に鍋を運んできた仲間と何事か話し、椀に鍋の中身をよそい始めた。鍋からは、あまり美味しそうには思えない臭いが漂ってくるが贅沢は言っていられない。


「それじゃあ、ご飯を貰ってくるから、ここで待っててね」


 エリックは勢いをつけてなんとか起き上がると、鍋の前に出来上がっている列に向かう。

 途中、まだ地面に座り込んでる者から蔑むような視線を向けられ、すれ違う者からは遠巻きに避けられる。列に並ぶと前のものは嫌がって出来るだけ距離を取ろうとし、後ろには誰も並ばない。

 エリックは独りため息をつく。


(何と言うか、ここまで明ら様に蔑まれると、逆にどうでも良くなってくるなぁ。

 それだけ、『タスク』を持っている事が当たり前の事なんだろうけど……。

 でも、なんだろう? この感じ、何処かで……)


 ああ、そうか、とエリックの脳裏に過去の情景が蘇る。エリックの村の大人達、取り分け老人方からは時折似たような視線を向けられていた。あの視線は、つまりそういう事だったのだ。


(じゃあ、どうして、父さんと母さんはあんなにも優しくしてくれたんだろう。

 捨てられていたって、おかしくないはずなのに)


 決して忘れることの出来ない二人の優しげの笑顔をエリックは思い出してしまい、締め上げられる胸元をぐっと握り込んでやり過ごす。


(それに、アリーとクーンも、どうして僕なんかと。

 …………二人は、無事なのかな)


 エリックが物思いに耽る内にも列は進み、エリックの番となる。鍋の前に居たのはマールだった。彼女はエリックの後ろに列が続いてないことに訝しげにするも、すぐに気を取り直して粥の入った椀をエリックに渡した。渡されたのは二つだった。

 何も言うまでもなく二人分渡された事にエリックが驚いていると、


「君と、あの娘の分だよ。お昼も、君が食べさせていたよね?

 こんな状況で他の子の面倒を見るなんて、中々出来ることじゃないよ。君は、すごいね」

「いや、その……ありがとうござい、ます」


 完全な不意打ちだった。蔑まれる雰囲気に慣れてきた所にいきなり褒められたエリックは、辛うじてお礼だけ返してそそくさと立ち去る。頬が熱を持っているのが自分でも分かった。

 そんなエリックをニコニコ顔で見送り、マールは声を上げる。


「はーい、こっちの列空いてるよー! まだの人、こっちに並んじゃってー!」



 エリックは急ぎ足で少女が座っている隅の方へと向かう。他の皆がエリックに近づきたがらないのは既に分かっていることだったので、こうして邪魔にならない隅の方に陣取ったのだ。


「はい、ご飯貰ってきたよ」


 少女の隣に腰を降ろして、それぞれの前に椀を置く。注がれた椀の中身を覗き込んでみると、驚いたことにブロック状に切り分けられた肉がゴロゴロと、薄緑色のスープに沈んでいた。芋や豆、野菜といった他の具材は見えない。


「はは、村ではいつも肉をもっと食べたいってアリー達と良く言っていたけど、まさかこんな所でこんなに出てくるなんて、ね。

 ……何の肉かは、よく分からないけれど」


 エリックは椀に添えられていた匙で、まずはスープを一口含んでみる。途端に、何とも言えない味わいが口内を満たした。どう表現をすれば良いか、きっと赤錆びた鉄塊とアルミホイルを一緒に煮出して出汁を取ればこんな味わいになるのではないか、と眉を顰めながらスープを飲み下す。

 スープを飲んで暫し待って、特に身体に異常が出ない事を確認してからエリックは少女の分のスープを一匙、口に運んでやった。酷い味のスープだが、やはりと言うべきか、彼女は特に反応を示さなかった。


「さて、問題はこっちだけれど……」


 エリックは肉の一つを掬い上げて、じっと眺める。形状はカレーやクリームシチューに入っていそうな牛のブロック肉のようだ。しかし、色はずっと濃い。鼻元に近づけると獣臭さが際立つ。スープの臭いの元凶は、この肉で間違いない。


「ぐっ!? うぇ……っ!?」


 意を決して口に運ぶと、言い知れないエグ味が広がる。肉質は弾力豊かで筋張っていて、革靴を生で齧った方がマシと思えるぐらい固い。しかも一噛みする毎に独特のエグ味がより濃く広がっていく。エリックはえづきそうになるのを必死で堪えて、程々に噛んだ所で無理くり飲み下す。正直、ギリギリの所だった。これ以上口に含んでいれば胃の中と諸共に吐いてしまっていたかもしれない。


「はぁ……はぁ……。もしかして、これが毎回出るのか?」


 口の中を、多少はマシなスープで洗い流し、荒い息をつく。これからの食生活にエリックは戦慄を覚えながら、次に少女の分の肉を掬う。スープに沈む中でも比較的小さいサイズのものだ。


「これ、かなり固いけれど、君は食べられるのかな」


 不安を語り掛けながら、エリックはゆっくりと少女の口に肉を含ませてやる。もご、もご、と少女の口が動く。が、しかしすぐに口から出してしまった。やはり固すぎたのだろう。下に落ちてしまう前に慌てて空中でキャッチし、それからエリックは途方に暮れる。

 今日一日の仕事だけでも、体中が悲鳴を上げるくらい体力も筋力も酷使させられた。昼はあの粥が出てくるとしても、一日一食でこんな生活に耐えられる訳がない。しかし、今の少女にはこの肉を食べる事が出来ない。



(どう、しよう)



 肉を切り分けるナイフでもあれば話は別なのだろうが、当然のことながら奴隷部屋ここにそんな物は無い。

 千々に乱れる思考の中でエリックは必死に考える。その時、エリックの中の悪魔が囁いた。



 ここで生きていくにも、脱出するにも、そしていつか復讐を果たすにも、身体を造るのは不可欠だ。ならばこの娘の食事を奪い、自分の分にしてしまえ、と。どうせ食べる事が出来ないのならば、無駄にする事はない。これは仕方がない事なのだ、と。

 確かに、それは一理あるのだ。今日だけでも、楽園の力の有無の差を否が応でも認識させられた。あれに追いつくには、いや、追い越すには徹底的に身体を鍛えなければならないだろう。そのためには肉体の酷使と、積極的な肉の摂取が必要である。しかし…………。

 掌の上の、噛みかけの肉を眺め見やり、エリックは黙考を続ける。



 やがてその肉を少女の椀に戻すと、一転して自分の椀を流し込むようにして一気に平らげる。

 それから、少女の椀に手をつけた。



(そう。これは、仕方がない事なんだ)



 自分の口に放り込んだ肉を噛みしめる。



 ともすれば湧き上がる自分の感情も何もかも一緒に噛み潰してしまうように。



 何度も、何度も、仕方のない事なのだと自分に言い聞かせながら。
















 そうやって幾度となく一つの肉を噛み砕き、十分に口内の肉が柔らかくなった事を確認してから、エリックは身を伸ばしてそっと少女のおとがいに手を添える。



 少し引くように力を込めると、少女の薄い唇が僅かに開かれ――――――――、



 そうしてエリックは、二度の人生で初めての口付けをした。

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