第20話 奴隷生活の始まり

「みんな、よく無事で来たね。まずは兎も角、身体を楽にして休めるんだ」


 紺の髪を短く揃えた少女が、今しがた連れられてきたエリック達に労るように声を掛ける。年齢は十六歳程だろうか。女性らしい丸みを帯びた身体に、良く締まったスラリと伸びる手足が印象的だ。

 エリック達が今いるここは入り口のホールから暫く南に進んだ先、魔王軍の持つ鉱山の、そこで働かされている奴隷達の居室として割り当てられた一角。陽の光の代わりに何かの魔法で灯された光源は薄暗く、奥で思い思いに休む先輩奴隷たちの表情まではよく見えない。だが、この少女のそれは、絶望に全てを諦めてしまっているようには見えない。何か、秘めた覚悟のようなものを瞳の奥に感じさせられた。


「ボクはマール。ここの皆の纏め役をやっているよ。

 さっきも言ったけど、すぐに今日の仕事が始まってしまうから、今の内に少しでも休んでおくんだ。

 その、ここの生活は本当に辛いからさ」


 マールと名乗った少女に促されてエリックは腰を降ろす。隣には未だ名も知らぬ白亜麻色の少女。他の一緒に連れてこられた子ども達は、エリックから二、三歩距離を離してから座り込んだ。中には蹲るようにして顔を伏せてしまった子どももいる。マールはエリック達の様子を見て、悲しげに眉を寄せた。


「皆の気持ちは、ボクもよく分かるよ。ボクも、そうだったからさ。

 辛いよね。悲しいよね。でも、どうか希望だけは失わないで欲しい。

 さて、まずはここで生きていく上で注意しなければならないことを伝えるから、よく聞いて」


 そう言って、マールは説明を始める。聞き逃しの無いよう、ややゆっくりと。仕事の始まりと終わりは魔物によって決められること。少しでも働きさえすれば、昼と夜に食事が与えられること。掘る場所は特に指示される事がなく、何処を掘っても良いこと。

 そして、一度でも働かない時があれば、例え怪我をしていなくても何処かに連れ去られ、処分されてしまうこと。

 マールは右手を自分の胸に置いて最後に付け加えた。


「ボクは『採掘者』のタスクを持っている。これからの鉱山生活は過酷なものだけど、遠慮せずボクを頼って欲しい。

 無理に掘ったりすると崩れて怪我したりするから、そうなる前に怖いと思ったら直ぐにボクに相談するんだ。良いね?」

「そんな事言われたって、俺達はどうせ死んでもここから出られないんだろ?

 怪我に気を付けたって、しょうがないじゃないか」


 エリック達の中で比較的年嵩な少年が、不貞腐れたように零す。そんな声にマールは気を害する事も無く、マールは微笑んで続けた。


「ううん、大丈夫。きっと何とかなるから。だから諦めないで」

「んな事言ったってよ、俺は聞いたんだ! 勇者が――」

「ジカン オマエラ デロ シゴト」


 部屋の入り口から身の丈三メートルはある魔物が現れて、少年の言葉を遮った。魔物の顔には目が無い。光の無い鉱山内部に特化した魔物なのだろうか。

 魔物の登場に、マールはエリック達に背を向けて準備に向かった。奥に居た先輩奴隷達も同様のようだ。

 マールとの問答を遮られた少年は不満を顔にありありと滲ませながらも流石に魔物に歯向かうつもりは無いらしく、立ち上がって尻の土埃をはたき落としている。


(奴隷生活の始まりか……)


 エリックも少女と共に立ち上がると、魔物からの次の指示を待つ。

 自分に『タスク』が無いこと、晒された視線に少なくないショックを受けたエリックだったが、それでもエリックはへこたれなかった。へこたれる訳にはいかなかった。

 今や自分の中で大きなウェイトを占めるようになった少女と繋ぐ手に、エリックは小さく覚悟を込めた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「斬姫様、お帰りなさいませ。初の遠征、如何でしたか」

「ご苦労。中々に有意義であったぞ」


 魔王城の最奥区画で、魔王軍最高幹部『右腕』の斬姫は守護を任された一室に据えられた椅子に腰掛けると、側付きの黒鎧の労いに上機嫌に応える。


「左様で御座いますか。斬姫様が斯様な傷を負う相手、さぞや名のある方と死合う事が出来たので御座いましょうな。

 『沼』の使用は、如何なさいますか?」

「要らぬ。これは彼奴と我とが結んだ掛け替えの無い証よ。自然に癒えるまではこのままとする」


 斬姫は肘から断ち切られた腕を眺め見やり、陶然と答えた。斬姫は今、普通の生き物なら生きているのが不思議な程のボロボロの状態だった。戦闘中に勇者に斬り飛ばされた右腕だけでは無く、左腕と左足は付け根からもがれ、右足も足首から先が無い。身を包む赤い鎧のあちこちには大きな穴が空き、その下に覗く白い肌は火傷で酷く爛れていた。


「クククク、流石は歴代最強か。最後の最後で病魔に邪魔されなければ、躯を晒すは我の方であったろうな」

「歴代最強と言いますと……かの勇者に御座いますか。それは、我等が魔王様もお喜びになるでしょう」

「であるな」

「ところで斬姫様。そちらに置かれました頭蓋は、如何なる者で御座いましょうか」


 黒鎧に問われ、斬姫は側机に置かれた真新しい頭蓋骨に目を移す。これは斬姫が部屋に帰った時に持ち込んだものだった。

 さて、どのように答えたものか。斬姫が考えを巡らせ始めた時、丁度良く入り口の大扉が開かれた。次いで数体の魔物がゾロゾロと入ってくる。先頭を歩くのはカエルとトンボを合わせたような奇怪な魔物で、その姿に斬姫は要件の察しがついた。


「斬姫様ニ置カレマシテハ ゴキゲン ウルワシク。

 コタビノ遠征デハ、アノ メザワリナ勇者モ始末サレタトカ。

 斬姫様ニ掛カリマスレバ カノ勇者モ ゴミト等シキ」

「世辞はいらぬ。選別は終わったのか」

「ハ、ハハ! ホボ、モンダイ ナク」

「ほぼ? 煮えきらぬ言い方よな」

「ソ、ソレハ、ソノ……斬姫様ニ オ聞カセスル程ノ事デハナイト思イマシテ」

「ほう、我が下す判断を貴様が勝手に決めるか」


 斬姫の威圧に晒され、蛇に睨まれたカエルの如く選別を行っていた魔物が身を竦める。身震いに合わせてヌメる体皮から粘液が滴った。


「メ、メメ、メッソウモ ゴザイマセン!」

「ふん、まあ良い」

「ソ、ソレデハ私ハコレニテ」


 選定を行った魔物がそそくさと立ち上がり、大扉へと向かう。


「待て」


 が、その背中を斬姫の一言が止めた。


「貴様、私が言いつけた件の報告はどうした。よもや忘れたのではあるまいな」

「ヒ、ヒイイイイィィィッ! チ、チガウノデス、アレハ 本当ニ斬姫様ノ オ耳ニ入レル内容デハ――――ほぴっ」


 何か言い繕うとする魔物に、つい、と斬姫は無言のまま肘までしか無い右腕を横に滑らせる。その動きに少し遅れて、遠く離れた位置に居た魔物の首が滑らかにズレて落ちた。


「一応は『左腕』の配下ゆえ、二度までも失態失言を見逃してやったと言うに。

 で、代わりの者はあるか?」

「ハ、ハハハハ、ハイ! ワ、ワタクシメガッ!」


 金の双眸を細めて残る魔物を睥睨する斬姫に、その内の一匹が慌てて声を上げる。そうして上げられる報告に、斬姫は口元を釣り上げる。



 報告を終えた魔物達が逃げるように退出した後、斬姫は黒鎧に命じて頭蓋骨を近くに持って来させる。


(クク……かの勇者アレスが早々に死んでしまって、もう禄に楽しむ機会も無いのではと危惧していたが……。

 これは上手く愉しめるやも知れぬな)


 真新しい頭蓋骨を半分残った右腕で弄びながら、斬姫は艶然と独り嗤った。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 カツン――。ガツン――。カツン――。



 暗い坑道のある所で、ツルハシを堅い岩壁に打ち付ける音が響く。音の数は一つではない。そこかしこで、打ち鳴らすリズムも強さも場所も様々に、残響が仄暗い世界を縁取る。その中で一際弱く、ゆくっりとしたテンポを刻むのが、エリックの振るうツルハシだった。

 ガツッ――! 岩肌に拒まれたエリックのツルハシが、先端だけ僅かに食い込ませたまま動きを止める。


「っ痛~~~~~~~っ」


 衝撃に痺れる手を振りながら、エリックは手を休める。掌には既に幾つもの豆が出来、潰れてしまった。村に居た頃はアリー達と剣術ごっこによく興じていたものだが、やはり岩を相手にツルハシを振るうのは随分と勝手が違う。

 手を休めるついでに辺りを見渡すと、足元に随分と砕けた岩の欠片が溜まってきている。これの殆どはエリックが砕いたものではない。今でもすぐ隣でツルハシを軽快にふるい続けている小柄な――恐らくエリックより三、四歳年下の幼女が砕いたものだ。



 持つ者と持たざる者の差。楽園の力の有無による差を否が応でも突きつけられてしまう。



(そろそろ岩を捨てに行かないと危ないな)


 エリックは一声かけると、足元の岩を拾い集め、今掘り進めている坑道の入り口へ一端集める。入り口にはエリックが面倒を見ている未だ名も知らぬ少女が呆然と立っていた。その背中にはエリックのものより小振りな籠。そこへ申し訳程度に幾ばくかの欠片を入れ、残りの岩は全て自分用の籠に入れ込む。


「んぐっ、ぎっ!」


 岩を満載した籠は非常に重い。それを歯を食いしばって背負い上げて、エリックは少女の腕を引いて坑道を進む。目的地は、今日坑道に連れて来られる途中で説明された、岩を捨てるための大穴だ。掘った岩を選別しなくても良いのか、とエリックは問うたが、それは必要ないとの事だった。



 暗い坑内を、重みに耐えながら一歩一歩進む。思ったよりも凹凸が少ないことだけが救いだ。


(働かなければ処分される、か。これでこの子も働いたことになれば良いんだけど)


 坑道を進みながらエリックは思う。少女にも籠を背負わせているのは、少女が働いているという事実を作るためだった。

 どの程度の仕事量から働いた事になるのかは不明なのだが、どの道出来ることをするしかない。


「よいしょっと」


 大穴に辿り着いたエリックは、そこで背負っていた籠をひっくり返す。ガラガラと音を立てて中身が闇に吸い込まれていく。――底に落ちた音は中々聞こえてこない。随分と深いようだ。次いでエリックは少女の籠の中から岩の欠片を取り上げ、これも放り込んでいく。


「これで良し、と」


 最後の欠片を放り込んでエリックは少女に笑いかけ、サラサラと揺れる綺麗な白亜麻色の髪を遠慮がちに撫でた。


「何とかここで生き抜いていこう。そしていつか必ず、ここから君を出してあげるから。

 その時には、僕は君の名前を知ってるのかな。色々、君と話してみたいな。『タスク』を持たない僕の事を、君は嫌がるかも知れないけれど」


 エリックは少女に語りかけるも、相変わらず言葉は帰ってこない。日に日に返してくれる反応は増えてきているのだが、彼女の瞳は相変わらず虚ろを映したままだ。それでもエリックはこれからも根気良く彼女に話しかけてみようと思った。そうしていれば、いつか彼女が返事を返してくれるようになると思えたから。


「さあ、そろそろ戻ろう」


 エリックは一時の休憩を切り上げて、少女の手をそっと取った。



 元の坑道に帰り着くと、持ちきれなかった分と合わせて岩が既に随分と溜まってきていた。エリックは軽快に掘削を続ける幼女にツルハシを握ることを諦めて、ひたすら砕かれた岩を拾い集める事に専念した。

 岩を集めて大穴に捨てに行く。その往復を繰り返す内に、エリックと少女の魔王城での奴隷生活、その一日目が終わりを迎えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る