第19話 ヒトデナシ

 エリックが少女の世話を始めてから数日が経過した。分かっていたことだが、その間エリックを手伝ってくれるものは誰も居なかった。

 もっとも、仕方がないことだとエリックは思う。今のこの状況で他人に気を配れる余裕などないのが当たり前なのだから。



 魔王軍の行軍は、未だ目的地に着かない。しかし周りの森の様子は少しずつ違ってきている。冬支度というだけではない枯れ木に目につくようになり、木々の密度も徐々に疎らになってきている。

 籠の中でも幾らか変化があった。まず、この数日の内でまた、籠の中が少し広くなった。脱走を図った子ども達が無事に逃げおおせたのかどうか、それは分からない。ただ、今もこの場に残る者達はもう逃げ出す体力も声を上げる気力も枯れ果ててしまったようだ。あんなに賑やかだった怨嗟の声も今はなく、すすり泣く声が偶に聞こえる程度。そんな中で一人、エリックは未だに気力を保っていた。



 少女の世話を焼く内にいつしか抱いた想い、少女を守る、守りたいという気持ちがエリックの心の支えとなっていた。

 それに少女にもまた、少しだけ変化があった。それは少女の心が少しでも戻ってきてくれるように、と少女の手を両の手で包んでいた時だった。ほんの微かにだが、確かに少女が手を握り返してくれたのだ。

 その時のエリックを満たした感情は、なんと表現すれば良いのか分からない。ただ静かに、決して流すまいと決めていた涙がとめどなく流れ続けた。

 それ以来、少女には少しずつ回復の兆しが見え始めた。今も相変わらず心は何処かに置き忘れてしまったままだが、時を追うごとに握り返す力は強くなり、ついには手を引いて促せば立ち上がり、昨夜の食事の時には手を引かれるままにエリックに着いて歩いてくれるようになった。



 他にも、エリック自身にも変化があった。この移動中に一つ歳を取り、十一歳になっていた。十歳ではなくなった。その事が何よりもエリックの心を軽くする要因となってくれていたのだ。なぜなら、


(漸く、『厄年』が明けた……。これで、きっとマシになるはずだ)


 エリックは流れる森に区切られた細い空を見上げる。仮に前世からの自分の性質が変わらないのなら、特に大きな不運を呼び込むのは五年に一度だけ。アイツ祝福呪いの影響でどうなるか未知数の部分もあるが、周囲への被害はきっと減ることだろう。


(改めて、考えなきゃいけない。

 この娘を助けるためには魔王軍ここから無事に逃げ出してどこかの街へ辿り着くのは、最低限。

 でも、それだけじゃだめだ)


 エリックは護るべき少女の横顔を眺める。


(……四年。そう、四年だ。

 四年以内に準備を整え、脱出して、誰か信頼できそうな人を探そう。

 そして――、)


 森が切れた。真っ赤に濡れた西日の向こう、荒野の果てに黒い巨大な影が浮かんでいるのが見える。あれが、魔王城なのだろう。


(そして、僕はこの娘の前から消える。出来る限り離れるんだ。

 でないと、きっとまた次の『厄年』に大きな災いがこの娘へ降りかかってしまうだろうから)


(それが僕に出来る唯一の責任。生きてしまった僕の、唯一の罪滅ぼしだ)





 それから更に一昼夜、荒野を走り続けた末、一行はついに魔王城の、その膝下に辿り着いていた。到着するなり子ども達は籠から外に出され、一列に並ぶよう指示された。エリックは少女の手を引いて籠から降りた後、列に並ぶ間に背後へ広がる荒野に目を向けて考える。


(歩いて抜けるのなら、どの位掛かるだろう? 三、四日位かな?

 脱出用の水と食料、どうにか確保しないと)


 それから今度は視線を前へと転じた。並ぶ子ども達の列の向こうに魔王城が嫌でも目に入る。魔王城の外観は、大きく分けて二つに分かれていた。基部の岩山をそのまま利用した部分と、その上部に築かれた壮麗な城塞部分。基部の岩山には大小様々な穴が切り立った崖部分に穿たれ、細い通路のような部分も刻まれているようだ。一方、城塞部分は暗い色の石を削って作られたらしいレンガを積み上げた造りで、数々の尖塔とその間を渡す回廊、装飾の彫刻など、魔王のイメージとはややかけ離れた荘厳な雰囲気を漂わせている。

 どうやって暫し観察を続けていると、魔物の命ずる声が聞こえて列全体が動き出した。向かう先は魔王城の基部の最下部、ぽっかりと空いた巨大な穴のようだ。陽のあたる荒野から昏く先の見えない闇の中へ、子ども達が足を引きずるようにして呑まれていく。彼らの手足には特に鎖や縄で繋がれていない。それでも粛々と子ども達は魔物に連れられ歩いていく。エリックもまた、気合を入れ直すようにグッと腹に力を込めると、それに倣った。

 やや俯きがちに歩きながらも視線はあちこちへと這わせる。洞穴の入り口には、これまで見た中でも一層強力そうな獣型の魔物が五、六匹ずつ、左右に別れてこちらに注意を向けている。耳も目も鼻も異様に大きく、屈強な四肢が時折地面を掻いている。


(門番か……番犬か……。

 どっちにしても、単純に隙を突いて逃げるのも難しそうだ)



 中に入ると、そこはだだっ広い巨大なホールになっていた。天井も高い。エリックの家が一体何軒収まってしまうのだろうか、と考えながら観察を続ける。

 ホールの壁も単純なノッペリとした壁では無く、あちこちに凹みが設けられた構造になっている。特に今しがた通ってきた入り口側からは完全に死角となる場所には大きめの空間が用意されている。ホールから続く通路に見える穴も、恐らくダミーも混ざっているのではないだろうか。明らかに、知恵ある者が外敵からの防衛を合理的に考えて作っているようだった。


(入り口のホールでこの複雑さだと、きっとこの先も……。

 これは脱出ルートを見つけるのも、思った以上に大変そうだぞ)



 ホールの中央へと導かれたエリック達。そこでは更に四つの列に分けられていた。列の最前では一人一人が魔物に呼び出され、そこで何かをされている。


「…………行こう」


 エリックを視線を上げて少女に話しかける。年のせいか、エリックが小柄なせいか、少女の方が頭一つ背が高いために目を合わせようとするとこうなってしまうのだ。何となく締まり悪く感じながら、エリックは少女の手を引いて列の一つに並ぶ。

 列の進みは思いの外早いようだ。エリックは列の横から頭を突き出して様子を伺った。呼び出された最前の子どもは、魔物に何かの道具を翳されていた。その道具は水晶玉のような形をしており、子どもに翳すと淡く光を発する。魔物は暫しその光った水晶玉を覗き込んだあと、子どもを更に奥の、幾つかグループ分けされた集団の一つに子どもを向かわせた。殆どの子どもがその繰り返しで、最後に振り分けられるグループが違う。ただ、中には水晶玉を翳されない子ども達も居た。

 一人で歩く気力も失くした様子の子ども。身体を欠損してしまっている子ども。大怪我を負ってしまっている子ども。彼らは全員水晶玉を翳されることもなく、決まった一つのグループへと分けられていた。

 他はともかく、そのグループの意味だけは何となく察せられた。魔王軍にとって価値の薄い子ども、つまりはそういう事なのだろう。

 列が進み先頭が近付く。それにしたがって、水晶玉を持つ、カエルとトンボを合わせたような魔物の声が聞こえるようになってきた。


「…………ノ……………カ。

 オマ…………ニ イケ。

 ツギ、コイ」

「キヒヒヒ、アレガ何ヤッテルカ、教エテヤロウカ?」


 突然、上から声が降ってきて、エリックは驚きに身を竦ませる。睨み上げれば、紫色の小悪魔、エクォッドの姿があった。


「また、僕のことをからかいに来たのか」

「オイオイ、ツレネェナァ。オレサマガ嘘ツイタ事アッタカァ?

 コノ エクォッド様ガ慈悲深ク声ヲ掛ケテヤッタッテノニヨォ。イヒヒヒヒ!」

「…………それで?」

「ヒヒ! アレハナ、オマエラ人間ゴミドモノ『タスク』ヲ調ベ、更ニハ『タスク』の力ヲ有効化スル魔道具ヨ」

「っ!!」

人間ゴミドモハ『タスク』ガ無ェト クソノ役ニモ立タネェカラナ。

 魔王様ノ御慈悲ニハ ヨック感謝シトケェ?」


 エクォッドの言葉には応えず、エリックは黙って魔物が持つ水晶玉を見つめる。少女と繋いだ手に自然と力が籠もった。


人間ゴミノ持ツ『タスク』ニ応ジテ、アアヤッテ割リ振ッテンダガ……ヒヒ、マァ安心シロ!

 オ前ノ『タスク』ガドンナニ ゴミデモ、オレサマノ奴隷トシテ拾ッテヤルカラヨ! ソッチノ メスト一緒ニナ! ケヒヒヒヒヒヒ!

 サァ、出番ダゼェ?」


 エクォッドの耳障りな声に合わせて、視界が開ける。エリックはついに列の先頭に立っていた。一つ前に居た子どもの鑑定はすぐに終わり、自分の番となる。

 エリックは少女の手を引いて歩き出す。その上空を鬱陶しくエクォッドが着いて来る。

 一人ずつ来るはずの所に大所帯で来たせいだろう。水晶玉を持つ魔物がまずエクォッドに、次いで背後の少女を一瞥し、しかしすぐに興味を無くしたようにしてエリックへと水晶玉を持った、ぬめつく触腕を向ける。


(『タスク』……! 何だって良い、必ず脱出の糸口になるはずだ!)


 緊張と期待に、エリックの奥歯がギリと鳴る。

 そして水晶玉がエリックに翳され――――、しかし暫く待っても、何も反応が起きない。

 魔物が首を傾げ、二度三度と水晶玉を振ったり、軽く叩いてみたりしてから再度エリックに翳す。

 しかし、他の子どもに翳した時のように水晶玉は光らない。

 異変に気づいたのか、他の列の魔物も鑑定の手を止め、エリック達を見ている。ざわめきがホールを満たす。

 再度首を傾げた魔物が、今度は背後の少女に水晶玉を翳す。水晶玉が光った。

 道具が故障していない事を確認できた魔物は一つ頷いて、もう一度エリックに水晶玉を翳した。しかし、


「ブッッッ!!! クッッッッ!!! アヒャ!!! アッヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!

 ダメダッ! モウ耐エラレネェッ!!」


 ざわめきを強めるホール内に、エクォッドが腹を抱えて上げる笑い声が鳴り響く。

 それを遠くに聞きながら、エリックは愕然としていた。

 今、ホール内に居る全てを視線が、エリックへと向けられている。魔物も、人間も、この時ばかりは皆関係なく同じ目を、まるで道端で汚物でも見つけた様な眼差しを等しくしていた。


「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!! ヒトデナシダッ!! ヒトデナシガ イルゾ!!

 流石ノエクォッド様モ、マサカ『タスク』ヲ持タネェ人間ゴミ未満ガ紛レテルナンテ予想モ出来ネェヤ!!」


 水晶玉を持つ魔物が雑な動作でエリックの身体を払い除け、ある一角に集められたグループの元へ行くよう指示を出す。

 体を押し出されて、エリックは無様によろめく。エクォッドの甲高い笑い声が耳鳴りのように響く。


「気ガ変ワッタ! オ前ノヨウナ ゴミ未満、奴隷ニスル価値モ無ェヤ! オトナシク鉱山デ野垂レ死ネ!

 アッヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」


 一頻り笑って満足したエクォッドは、軽快な動作で何処かへと飛んでいく。



 エリックへ注がれる無遠慮な視線と潜めき交される囁きの中、呆然と歩み始める少年の袖を心の無い少女が小さく掴んだ。

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