第17話 小悪魔の囁き
生き残るため、そして何より復讐を成し遂げるため、エリックは一度顔を伏せて短い時間に忙しく頭を回す。顔を下すときに盗み見た小悪魔は、ニタニタと笑みながら明らかな上位者としての雰囲気を放っていた。
どうすれば情報を引き出せるのか、猛然と頭を働かせる。エクォッドと名乗ったこの小悪魔がどのような立場にあるかは不明だが、明らかにサボっているにも関わらず周囲の魔物が咎めることも無いことから身分が低いという事はなさそうである。その一方で三年も前の事を持ち出して、態々エリックに絡みにきた。エリックからすれば逆恨みも甚だしいのだが、あの時老勇者に阻まれた事を未だに根に持っているのだろう。
(という事は……自尊心をくすぐってやれば、もしかしたら?)
エリックはそう結論づける。そして出来るだけ、弱々しく、絶望した風を装って顔を上げた。
「僕は、お前の奴隷になるのか……?」
そうして目を向けた所には、しかし何も居なかった。完全に虚を突かれ呆然とするエリックの頬に、至近から生温い吐息がかかる。
「ナンダァ、下手ナ芝居シヤガッテ? 何ダ、逃ゲル為ニ俺達ノ事知リタイッテカ?」
耳元でそう囁かれた言葉にエリックは表情が凍りついてしまうのを感じた。そんなエリックを見て、エクォッドがけたたましく笑い上げながら腹を抱える。一頻り笑い転げ、目尻に溜まった涙を拭うと、ひどく上機嫌にエリックに語りかけた。
「アッヒャハハハハハッハハハ!!
イイゼ、イイゼ! ドウセ暇ダシ色々教エテヤルヨ。キヒヒヒヒヒヒヒヒ!」
エクォッドは中空に寝転がるような姿勢を取り、たまにケヒケヒと笑いながらエリックがどうにかして聞き出そうと思っていた事を勝手にベラベラと喋りだす。それは危うく呆気にとられて聴き逃しそうになる程だった。
曰く、この魔物の軍団は人間の村からの略奪を目的とした部隊である。率いるのは魔王軍の幹部、『右腕』。
行く先々の村を焼き、大人は殺し、子を攫い、食料を根こそぎ奪う。エリックの村も漏れなく綺麗に収穫した、と小悪魔は笑みを深めた。
子どもを攫うのは、使い捨ての労働力として魔王城で働かせるため。つまり奴隷とするためだ。タスクを得ていないか、或いはレベルがまだ低い子どもは実に扱いやすいのだと、そこでまた喧しく嗤うエクォッドは、指を一本立てて取って置きの情報だ、と小声で付け加えた。
「実ハナ、寛大ナル魔王様ハ奴隷ガ タスクノ
「っ!? それって……」
エクォッドの囁いた言葉の意図と意味についてエリックが問う間も無く、魔王軍の情報流出は続く。
今向かっているのは魔王軍の本拠地、魔王城。そこは楽園の東の果ての果て、水も血も枯れ果てた塩の浮き出る麗しの死の荒野に築かれた壮麗な城。そこでは魔王軍の幹部、『右腕』と『左腕』配下の魔物達、総勢十万以上が詰めており、様々な種類の魔物がいるお陰で魔王城の守りは昼夜共に盤石である。
「ヒヒ、ツマリ オ前ガ何考エテヨウガ、逃ゲ出スナンテ無理ッテ訳ダ。仮ニ魔王城カラ抜ケ出セテモ死ノ荒野ガアル。餓鬼ノ足ナラ抜ケルノニ一週間、干物ヲ作ルニハ十分ダゼ?」
エクォッドは寝そべる様な体勢を変え、高く浮かび上がる。
「ソレデモ逃ゲテエッテンナラ、好キニシナ。無駄ニ足掻イテ野垂レ死ヌヲ見ルノモ、俺様ハ好キダカラナァ」
「………………」
目一杯高い位置から見下すエクォッドを、エリックは静かに睨む。つまる所、生きて脱出することなど不可能なのだと、この小悪魔は確信しているのだ。だからこんなにも簡単にベラベラと話したのだ。
「ソレジャ、俺様モ暇ジャネエカラ、モウ行クゼ」
散々っぱら暇を潰して満足したのか、エクォッドはそう言って身を翻す。と、そこで、一つ言い忘れたとばかりに顔だけエリックに向き直した。
「ア、ソウソウ、助ケヲ期待シテモ無駄ダゼェ?
アノ クソジジイハ 我ラガ斬姫様ガ微塵ニ刻ンデ下サッタカラナァッ! アヒャハハハハハハハッッ!!」
哄笑しながら飛び去るエクォッドの言葉に、エリックは一人静かに瞑目する。
(そんな……勇者様…………)
目蓋の裏に、あの老勇者の優しい笑顔が浮かぶ。あの鮮烈な銀の柱を見た時に只事では済まされないとは感じていた。それでもエリックは、あの老勇者が死ぬはずないと、本当はそう信じていたのだ。その淡い希望も砕けてしまった。
エリックは震える腕で襟元を握りしめる。復讐の炎を灯す事で立て直そうとしていた心を、絶望と、それを上回る恐怖が糊塗されていく。暗い視界の中で、意識を失う直前で聞こえたあの笑い声が再び喧しく聞こえた気がした。
(勇者様が死んでしまったのも……僕のせいなのか……?)
あの闇の中で、
災いが降りかかる範囲も、期間も何も分からない。彼ら彼女らに降り掛かった不幸が本当にただの偶然であると、どうして言い切れるだろうか。
怖い。たまらなく怖い。どうしようも無い恐怖がエリックの心を、体をきつく縛り上げる。引き結んだ口の中で、奥歯がカチカチと不協和音を奏でる。
愚かなエリックがのうのうと生きてこなければ、実は老勇者も死ぬことも無く、ここの子ども達も、アリーやクーンも、温かく穏やかな日々を過ごしていたのではないか。そんな考えが尽きること無く、エリックの中で渦巻く。
それなら、いっそ――――
(舌を噛み切れば死ねる、というのは本当だろうか……?)
そこまで考え、いよいよ実行に移してみようかとした時、ガタリと大きく台車が傾いだ。あまりの揺れの大きさに思わず見開いたエリックの目に映ったのは、車輪で弾かれたらしい小石が側の魔物の頭を手酷く打っている所だった。その魔物は受けた衝撃そのまま仰向けに倒れ伏せ、後に続いていた魔物と荷車の列に呑まれ、そして見えなくなった。
先の魔物が上げたらしき細い声を遠くに響き、すぐに途切れて、消えた。
自殺を試みてみるという気持ちは、最早失せてしまっていた。
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