第16話 籠の中

 晩秋の色に染まる草原に冬の訪れを待つ森が広がっていた。赤に黄色に茶色に緑、鮮やかに塗り散らされたその森には、朝靄に紛れるようにして一筋の道が刻まれている。その道を進む一団があった。

 整然と隊列を組んで進むその一団は、しかし人ではない。そもそも、それらを生物の括りに入れて呼んでしまっても、果たして良いものなのか。それ程までにそれらの姿は歪で、不自然で、そして邪悪だった。

 かつての楽園の末裔達は、これらを称して魔物と呼んでいた。

 この隊列の中には、一定の間隔を置いて荷車を曳く馬のような鮫のような魔物姿もあった。

 何かの骨や腱で作ったとおぼしきその荷車には、多くの武具や食料が雑多に積まれているもの、鳥籠めいた形状の大きな籠を一つ積んでいるものなどがあった。籠の中では何か小柄なものが犇めき、蠢き、犇めき、細い呻き声を漏らしている。それらは全て泣き声であり、怒声であり、漏れてくる声の色に違いはあれど、その殆どは父母を呼ぶ子供の声であった。



 そんな鳥籠の一つに、エリックは居た。



 エリックは眼前に広がる地獄から目を逸らすため、きつく目を閉ざす。

 村が魔王軍の襲撃を受けた昨日の夜、結局救いの手はエリックの鼻先を掠めるも掴み上げる事が出来なかった。目蓋に浮かぶのは騎士達と巨大な竜のような魔物達が繰り広げた死闘。幾筋もの光が飛び交い、逆巻く炎と雷がぶつかり合う。黒い巨人の魔物に担がれた肩の上で必死に抗いながら、エリックには徐々に遠ざかるその戦いを見ているしか出来なかった。そして騎士達の奮戦も、炎に焦げる夜も纏めて昼に染め上げた、あの巨大な銀光の柱。

 眩んだ目が再び星明かりに慣れる頃には、エリックはこの籠の中へと押し込まれていた。

 何が起こったのかは分からない。だが、あの光が尋常なもので無い事は、未だこの世界の魔法について詳しくないエリックにも理解出来た。それ程に鮮烈で、胸に迫るものがあった。


(勇者様……)


 次いで浮かぶのは、あの老勇者の優しくて怖い顔だ。昨夜見たその姿は、記憶のものよりも随分痩せていたように思えた。あの眩い銀の光が嫌でも頭を過る。老勇者は無事なのか。自分の不幸を周囲にもたらす呪いが老勇者をも巻き込んでしまったのではないか、とエリックは怖くて仕方がなかった。

 不安な事は他にもある。


(アリー……クーン……)


 昨日の混乱の中、村の人々がどうなったのか、エリックには何も分からない。少なくとも、今居る籠の中には村で見かけた顔は何処にも無い。唯一分かっているのは、大人達は大勢殺されていた事だけだ。両親も、含めて。


(僕が、のうのうと生きていたばっかりに……っ!)


 閉じた眼尻から涙が滲みかけるのを、エリックは必死に噛み殺す。ここに入れられてから、エリックは決して泣くまいと、喚くまいと決めていた。それはきっと何処かで見ているはずのアイツに、悲嘆に喘ぐ自分の姿を見せたくなかったからだ。

 これは、ただの意地である。それでも、今出来る唯一の抵抗であるに違いなかった。


(父さん……母さん…………っ!!)


 未だ耳にこびり着くあの時の笑い声から耳を塞ぎ、エリックは只々己を掻き抱いた。





 それからどれ程時間が経ったか。滲む涙が漸く収まり、エリックは顔を上げる。籠は今も激しい音と振動を上げながら、すっかり薄暗くなった森の中の悪路を進んでいる。昨夜出発した時から一時も休むこと無く走り続けであった。籠の中の様子も勿論何も変わらない。一度目を閉じてからまた開けば村での日常に戻っている、などという事はあるはずも無く。

 エリックは鼻元を隠す様にして抱え込んだ膝に顔を埋める。籠の中は酷い臭いなのだ。激しい振動に酔った子ども達の吐瀉物に我慢しきれなかった糞尿がそこらに垂れているからだ。魔王軍がどのような目的で子ども達を籠に押し込んでいるのかエリックには分かりようもないが、今後どのような扱いを受けるかは容易に想像がつく光景であった。


(僕は、どうすれば良いんだろう……)


 エリックは考える。夜から一睡もせず、叫喚の様を眼前にしながら悲嘆を握り潰す事を繰り返す内に、徐々に冷静さが戻りつつあった。


(どうしたいか、なら、もう決まっている。けど……)


 心の裡に目を転じれば、そこに灯るのは一つの昏い炎。怒り、悲しみ、憎しみ、恨みつらみ。エリックが今ここにこうしている最たる元凶、それに向けられたもの。

 即ち、復讐。アイツへと一矢報いること。いや、一矢程度ではきっと収まらない事だろう。

 村を襲い、両親を殺した魔王軍に対しての怒りは勿論ある。だがそれ以上に、周囲へ不幸を撒き散らすを押し付け、この世界へ引きずり込んだアイツへの殺意は、時を経る程にいや増すばかりだ。燎原の火のごとく、他のありとあらゆる感情をアイツへの怒りが塗りつぶしていく。

 しかし心が如何にそれを望もうと現状はあまりにも困難であることも、エリックはよく理解していた。


(一つ一つ、整理しよう。どうせ今は禄に身動きも出来ないんだ。冷静に、頭を働かせろ)


 エリックは頭を下げ、赤く充血した目を再び閉じると、思考に集中する。



 問題はいくつもある。その中でも最も深刻なのが、アイツに関する情報が一切無いことだ。

 姿形はもとより、男なのか女なのか、それ以前に性別があるかも分からない。当然何処にいるかも分からなければ、どうやれば殺せるのかも分からない。そもそも、『神』を意味するこの世界の言葉すら聞かない程だ。この情報の無さは厄介極まりない。

 唯一推測出来ている事は、楽園の力の中枢にアイツがいるかも知れない、という事だけ。


(逆に言えば、『神』って言葉を使う奴を探し出せば、そこから尻尾を掴めるかもしれない。

 それか、楽園の力、楽園とは何か、それを調べる事が出来れば…………?

 ………………。

 ……。

 駄目だ、今はこれ以上考えられそうにない。別のことを、考えよう)


 次いで深刻な問題が、正しく今エリックが置かれている状況だ。エリックは魔王軍に囚われ、何処かへ運ばれている。

 わざわざ籠に押し込めて運ぶという事は、何かしら生かして連れていく事に目的があるのだろう。



 何故、何の為に、目的地に着いたらどうなるのか。



 何れにせよ村を皆殺しにして連れ去られたのだ。碌でもない事が待ち受けているのは間違いない。

 故に、何とかしてここから逃げなければならない。

 だが、どうやって逃げれば良いのか。何の力もない、ほんの十歳の子どもである自分が。

 周りを走っている魔物の中には、散々追いかけられ、喰われかけたあの裸狼の姿もあった。少し隙を付く位では到底逃げられそうもない。


(せめて、どんなものでも良い、僕にもタスクが与えられていれば……。

 アイツに起因する力に頼るのは気分が悪いけど、それでも何も無いより遥かにマシだ。

 アリーやクーンと合流できれば、それが一番だけど……。でも……)

「オヤオヤオヤァア? ソノ汚ネェ小麦色ニ曲ガッタツムジ、ドコカデ見タゾッ!」


 突如聞こえてきた耳障りな甲高い声に考えを中断されて、エリックは眉を顰めながら声の主を探した。頭上を見やれば、籠の外側に紫色の小悪魔めいた姿をした魔物が宙に浮いている。その姿はかつて見た時よりも僅かに大きくなっているように見える。角も心持ち伸びているようだ。


「ケケケ、ヤッパリダ! ヒヒ、三年ブリ! アア、ナンテ ミジメナ サイカイダ! イヒヒ、イイザマ ダナ! キヒ、キヒヒヒヒ!」


 それはかつて裸狼をエリック達にけしかけ、そして老勇者に追い払われた、尖兵と呼ばれていたあの時の魔物だった。


「マッタク、アノ時ハ勇者ノ クソヤロウノセイデ トンダ目ニ アワサレタ!

 ダガ ソコハ コノ天才エクォッド様! キッチリ人間ドモノ巣ヲ見ツケ出シ、ノルマヲ見事果タシタ ッテ訳ダ!

 ドウダ、スゲェダロ!」


 自らをエクォッドと称する小悪魔は右に左に辺りを飛び交い、時に籠を叩いて中の子どもを泣かしながらエリックに喚き立てる。喧しい事この上なかった。


「今回ノ収穫ハ中々ダッタカラナ! 俺様ノ昇格間違イナシダ!

 ンー……? ナンダァ、ソノ目ハ?」

「別に……」


 エリックは鋭くなる視線を隠しもせず、エクォッドを睨めつけていた。先程からこの小悪魔が勝手に喋っていた内容から察するに、エリックの村が魔王軍に襲われたのは、コイツの報告があったからという事になる。こんな、明らかな小物を相手にした所で復讐の足しになるはずも無いが、機会があるならばついでに相手にするのも悪くはない、エリックはそんな事を考えていた。



 そんな事よりも考えるべき事がある。エリックはエクォッドから視線を外すと、思考に集中するべく虚空に目を合わせた。


(どうにかして力を、復讐する為の力をつけないと。それも出来れば、タスクに頼らずに……)

「アッ!? テメ、俺様ノ事無視スルナ!?」

(ここから逃げるのにもだって力が必要だ……)

「オイッ! オイッテバ!!」

(身体を鍛えるのは当たり前として、後は魔法か。それから――――)


 と、突如エリックの体に強い力が掛かり、宙に釣り上げられた。


「ぐっ…………!」


 引き絞るように籠へと引き寄せられ、逃げ場を求めた空気が肺から漏れる。エクォッドが、その小柄な体に見合わぬ怪力でエリックを籠の外から持ち上げていた。


「テメー、自分ノ立場ワカッテンノカ!? オメーハナ、俺様達ノ奴隷ナンダゾ!

 コレカラノ ゴ主人様ニ向カッテ ソンナ態度ヲ取ルナラ飯、食ワセネーゾ!!」

「ど、れい……?」

「ソウダ、奴隷ダ! ナンダ、ソンナ事モ知ラネェノカッ!?

 ッタク、ヤッパ人間ッテ奴ハ馬鹿バッカリダナ!」


 耳元で喧しく響く金切り声と籠に押し付けられている痛みに勝手に顔が歪む。だが同時に、エリックは今の状況がとても幸運に満ちている事に漸く気がついた。エクォッドが口走った内容から、今エリックが置かれている状況の一つが分かったのだ。

 魔王軍は、エリック達を奴隷にする為に運んでいる。という事は、少なくとも連れて行かれた先で直ぐに殺される事も無いだろう。直ぐに殺してしまっては、運ぶ労力が全く無駄になってしまうのだから。

 エリックは釣り上げられたまま、目だけを動かしてその腕の先にいる魔物を睨みつける。

 エクォッドは注意が再び自分に戻ってきた事で満足したのか、力を緩めてエリックを開放した。重力に従ってエリックの体が汚物塗れの床へと落ちる。


「ぐ……っ! ごほっ! ごほっ!」


 エリックが咳き込み、呼吸を整えながら自分を宙吊りしていた相手を見やれば、かつて裸狼に喰われかけた時の様に、ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべているのが目に入った。

 エリックは冷静になれ、と自分に言い聞かせる。


(情報……。そう、情報だ。

 僕は馬鹿だ。魔王軍についての情報が直接得られるチャンスなんて、滅多に無いはずだろうが。

 今はコイツから、何とか話しを引き出すんだ、エリック!)

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