第15話 老勇者
老勇者アレスと『魔王の右腕』斬姫、両者の距離は10メートル程。
それが互いの一足の踏み込みで詰まる。
老勇者の地の底から抉り上げるような一撃が斬姫を襲う。
それを斬姫は左の逆反りの曲刀で受け、右で首を刈るように薙ぎ払う。が、老勇者の一撃の重みに斬姫の上体が浮き上がり狙いがブレる。
老勇者は僅かに首を捻って躱すと、踏み込みの勢いを殺さぬまま当身を行う。
金属同士が激しくぶつかりあう音が響く。両者の距離が、再び少し離れた。
「
自由になった老勇者の剣から銀の剣閃が放たれる。
「『斬消』!」
斬姫が流れるように後転しながら描いた軌跡が黒の三日月となって銀閃と十字に交わる。
そのせめぎ合いを今回は斬姫が突っ切り、左右の曲刀で老勇者を責め立てる。余波を受けて斬姫の白磁の頬に赤い筋が奔った。
五合、十合と常人では目にも留まらぬ連撃が交され、火花が舞う。
踊り狂う二刀と一刀が時には避け、流し、弾き、合わせる。さらに老勇者は単に剣で防ぐだけでなく、受ける度に僅かに身体を捩った。そうしなければ逆反りの曲刀の、ピック上になったその剣先を躱しきれないのだ。
一際大きな衝撃が弾け、二人の身体が大きく離れた。
「ふーーーーーー……」
斬姫を見据え、老勇者が深く息をつく。その頬を一筋の汗が伝った。
再び距離を詰めようとして、老勇者の視線が横に動く。周囲で老勇者と斬姫の戦いを伺っていた魔物の幾匹が迫ってきていたのだ。
迎撃の為に剣を構え――、しかし、その剣を振るわれることは無かった。老勇者を攻撃せんとしていた魔物の首が尽くズレて落ちていく。
老勇者が視線を戻すと、指を弾いたような格好の斬姫の姿が目に入った。
「愉しいなぁ。ああ、実に愉しい。我は貴様と死合う為に生み出されたのだな。
無粋な横槍など、誰にも入れさせんよ。つまらぬ助勢など、無用。無用。無用」
「ふむ、若い娘さんとのデートでそのように言って貰えるのは、この年になっても嬉しいものじゃの。
では、もう暫く儂と付き合って貰おうか。何、安心せい。ここからは邪魔入らんよ」
その言葉と共に、老勇者の背後から多数の光の刃が飛来する。それらはまだ無事だった周囲の魔物を次々と蹴散らした。
「
胸の前に剣を掲げてそう唱えると同時に、老勇者を中心に拡がる銀の波動に照らされて騎馬隊が背後から躍り出る。
「ライアス! 彼奴らの奥に、生存者! 恐らく『籠』もそちらじゃ!」
「了解! 全隊、遠距離攻撃で牽制しつつ一気に駆け抜けるぞ!」
「「「おおっ!」」」
銀の加護を受けて騎馬隊の速度が僅かに上る。騎馬隊は馬上から魔物に向けて斬撃を飛ばして牽制しつつ、老勇者と斬姫をやや迂回するようにして駆け抜けていった。
斬姫はなびく長い髪を抑えながら、それをただ見送る。
「ふむ、貴様の配下か。中々の練度だ」
「良かったのかの、素通ししてしまって。儂らの主な目的は、お前達の人間狩りから子ども達を救い出すことなのじゃが」
「百も承知よ。だが、問題ない。
本隊は既に出発させてあるし、それなりの守りも居る。ついでに言えば、ここの収穫は数の面ではイマイチであったしな。多少奪還されたとて、痛痒もない。
それよりも――」
口の端を歪めて斬姫が再び構えを取る。
「今は貴様と死合うことが何よりも重要よ!」
「まったく、なんとも積極的な嬢ちゃんじゃ。かつての『右腕』も戦好きであったが、お主は輪をかけて好んでおるようじゃな。
じゃが、ここには先約の相手がおっての、いつまでもお主を構っている訳にもいかんのじゃよ」
老勇者は騎馬隊の戦いの音を遠くに聞きながら、大上段に剣を構えた。
斬姫が全体重を片足に乗せ、一気に蹴り込んだ。大地が爆ぜ、唸る一本の矢となる。
対する老勇者は一歩も動かず、
「
まだ間合いが詰まっていないにも関わらず、大きく剣を斬り下ろした。すると、燃える家屋の煙を吹き飛ばして天から幾筋もの銀光の長槍が、耳鳴りにも似た高音を鳴らしながら次々に斬姫へと殺到した。
「小癪なっ!!」
打ち下ろされる長槍を躱し、弾き、折り砕く。散る銀の燐光。響く鈴鳴り。数本が防御を掻い潜って身体に突き刺さるも、それを厭わず老勇者へと肉薄する。
首を刈る為、右腕を僅かに引いた瞬間――、
「
僅かに引いた右拳に優しく添えるように、もっとも力の入らない場所、タイミングで小さな銀の障壁が現れる。
「なっ!?」
動きの始点を完全な想定外で阻害され、斬姫の身体が硬直する。
その隙を、老勇者は見逃さなかった。
切り上げで無防備な右腕を切り飛ばし、返す刃で袈裟懸けに切り込む。
紅い戦場に、なお鮮烈な赤が舞った。
斬姫が後方に飛ぶ。肩から胸にかけて大きな傷を負っているも、致命傷には至っていない。退避の動き出しが早かったのだろう。
勢いを緩めず、さらに追撃をかける老勇者。
それを何事か呟きながら、斬姫は肘から先を失った右腕を振って迎え撃つ。
と、突然、何もない虚空に石組みの壁が突然現れる。
石壁はある程度の勢いを持って宙を進み、老勇者を弾き飛ばした。
二度、三度と地面を転がって、ようやく身を起こす。額から流れる血を拭い、視界を確保した。
「何とも……侭ならぬものじゃな…………」
老勇者は大きく肩で息をしながら、零す。強行軍からの激しい戦闘に、身体のあちこちが悲鳴を上げ始めていた。
「!? うっ……ゴホッ……ゴホッゴホッ」
ついには堪えが効かなくなり、老勇者は激しく咳き込んでしまった。口元に当てた左手の隙間から血が滴る。
襲いかかるならば絶好の隙であった。だが、斬姫がそうする事はなかった。
「…………歴代最強と呼ばれた貴様も、年には勝てぬのだな。
せめてあと五年早く、貴様とは相対したかったものよ」
寂しげに漏らして、斬姫は残る左腕を構える。右腕や正面に受けた傷からの出血は収まりつつあった。
「……ふん。敵が弱味を見せただけでもう勝った気分か、ひよっこめ。
そのようでは容易く足元を掬われるぞ、馬鹿者めが!」
老勇者は口元の血を乱暴に拭うと、剣を構える。老勇者の周囲の大気が鳴動しながら渦巻き始めた。
「くく、面白い。そうだ。そうでなくてはな。
だが、良いのか? 死ぬぞ、確実に」
「構わぬ、見たようにこの身体じゃ。どうせ長くは持たん。
それに、ここでお主を討てば後に続くものが楽になる」
鳴動する大気を
光の向こうで、蕩ける様な笑みを浮かべた斬姫が残る左の曲刀を大地に突き刺して大きく腕を拡げた。
「では我も、その一撃に相応しい力で迎え撃つとしよう」
メキリ、と骨が軋む音が響いて斬姫の影が歪に歪む。
瞬く間に形を変え、本性を現す強大な魔物を見据えながら、老勇者は今にも弾けそうになる力の暴流を手の中に圧縮するように押さえ込み、そして瞳を閉じる。
(儂に出来ることは全てやった。心残りが無いわけではないが、後の事はまだ見ぬ次代に託すとしよう)
目を見開き、剣を肩越しに構え直す。込められた力は臨界に達しようとしていた。
(さらば、アレクシア。願わくば、巡る輪廻の果てでまた語り明かそうぞ!)
剣から溢れた銀の光が夜を焦がし――――――、
「
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