第14話 銀の閃き
「ふっ……!」
秋波揺れる草原の一角で、辺り一面を覆う草穂よりも鮮烈な銀の閃光が奔る。
その一撃に、猿と蛇と鳥を混ぜ合わせたような醜悪な怪物が地を揺らして自然が生み出した銀の海へ沈んだ。
「お見事です、勇者様。
これでこの辺り一帯に出没していた『左腕』の軍勢は、ほぼ掃討できたことでしょう」
「うむ……」
背後に控えていた全身鎧の男の言葉を受け、老勇者は小さく頷いて剣を収めた。眼下では、今しがた倒した魔物が風化するように身体を崩していく。
同時に、辺りの景色に似合わぬ嫌な臭いが広がった。
「何やら、浮かないご様子ですな。まだ、何か心配事が御座いますか?」
男はガチャリと鎧を鳴らして老勇者に歩み寄る。兜を外し、一瞬だけ顔を顰めてから老勇者の横に並び立った。
「この臭いは、何度嗅いでもなれぬものですな」
「ふ、まったくじゃな。じゃが、これもまた勲いさおの一つじゃよ。
……それにしても」
「なんでしょうか」
男の顔を目を細めて見やる老勇者に、首を傾げながら問いかける。ここ数日は連日連夜の先頭続きであったため、男の口周りには無精髭が浮いていた。
「いや、お前も年を取ったものだ、と思ってな。まったく、寝小便しては泣いていたあの鼻垂れ坊主が、今は髭を生やしたおっさんとは、な」
「なっ!? 止めてくださいよ、昔のことは! 大体、それを言うならば勇者様だってそうではありませんか!」
老勇者に言われて、男は慌てて口元を隠すように仰け反る。動揺が鎧に伝わりガチャリと鳴った。
「かっかっかっ! それもそうじゃな!」
その様子に老勇者は快活な笑い声を上げ、そして己の掌をジッと見る。
「本当に、儂もここ最近はすっかり衰えてしまったわい」
僅かに震えるその腕は、数年前に小さな冒険者達と短い旅を共にした時とは比べるべくもない程痩せ細くなっていた。
「あ……、その様なつもりでは……。申し訳ありません」
「良い良い。事実じゃ」
頭を下げようとする男を手を上げて制すると、老勇者は笑みを収めて向き直る。長年、対魔王軍の戦士団を代わりに束ねてくれている己の副官へと。
「それで、何を懸念されていらっしゃるのですか?」
「うむ。今回の魔王軍の遠征について、じゃ。些か、手応えが無さ過ぎるとは思わなんだか?」
未だ風化を続ける魔物へチラと視線を移す。
「そうでしょうか? 私にはいつもと変わらぬように感じられました。団が今回受けた被害は確かに少々マシではありますが」
「それじゃよ。儂が引っ掛かりを感じておるのは」
「どういう事でしょうか」
「儂は衰えた。ここ一年では、特にな。
だのに、直近の戦で感じられる手応えはこれまでと変わらぬ。
楽観的に見るならば、儂らの戦いによって魔王軍の勢いを削いだと言えるやも知れぬが……」
「まさか、これらは陽動であった、と?
しかし、今の魔王軍に、他に動かせる軍勢など……」
「何を言うておるか! 居るじゃろうが、馬鹿者!」
老勇者の叱責に男は肩を竦み上げ、次いで大きく目を見開く。
「勇者様は、まさか『右腕』、と仰るおつもりですか? そんな! 奴はあの日、私が助け出された時に勇者様によって討たれたはずです!」
「左様、確かに彼奴はこの手で切り伏せた。
故に復活したか、新たに生まれたか、つまりそういう所であろうな」
老勇者は遠くを見るように目を細め、副官の男はブルブルと拳を大きく震わせる。
「まさか……。もう30年も、現れていなかったのです。今更……」
「お前の気持ちも分かるがの……。儂がモタモタしている内に、十分あり得る時間が経ってしもうた。
ある所で怪しげな兆候も見かけた故、こうして各地に赴いて戦いつつ情報を集めていたのじゃが……」
「緊急! 緊急!」
二人の元に若い伝令役の兵が駆け込んでくる。ただ事でない様子に、副官の男が硬い表情で一歩前に出る。
「何事だ!」
伝令兵は息もロクに整えぬまま、跪いて声を張り上げる。
「北の、辺境に、魔王軍が現れたとの、情報です!
規模は未だ、確認中で御座い、ますが、その編成は、巨人や獣、甲虫型が主とのこと!
恐らくは――――っ!」
「「『右腕』の軍勢っ!!」」
風そよぐ銀の草原に、二人の男の声が鋭く響き渡った。
晩秋の色濃い草原を、多数の騎馬に跨る集団が猛然と駆けていた。
一行の先頭を走る老勇者に、全身鎧を着込んだ副官の男が追い縋り馬を並べる。
「お待ち下さい、勇者様! いくらなんでも飛ばしすぎです!」
「ならん! 儂らは奴らに先手を打たれてしまっておるのじゃ!
間に合わなくては、今日までの戦いの意味がない!」
老勇者の元へ急報が伝えられてから既に五日。王都北部で魔物の掃討を行っていた老勇者一行はすぐさま手勢を纏め、魔王軍の侵攻する北へと馬首を巡らせた。
中継の町や村で馬を変えながら先を急ぐ一行であったが、しかし後手に回ってしまった遅れはどうしようもなく、今朝方立ち寄った村はとうに蹂躙され、無残な姿を晒していた。
残された痕跡から魔王軍が北上を続けていると見た一行は、さらに行軍の速度を上げた。
「し、しかし、あの村に残っていた痕跡。
此度の魔王軍の陣容は
強行軍で消耗した状態で戦っては、いくら勇者様と言えどご無事では済みません! それに、帰りの馬も潰れてしまいます!」
老勇者は副官の男をチラリと一瞥する。兜から覗くその瞳には老勇者の事を気遣う心がありありと表れていた。
「うむ、あの建物ごと斬ったような痕跡、そこらの将ではとても出来ぬ。
恐らくは『右腕』自ら軍を率いておるのだろうよ」
そう言って老勇者は少し速度を緩める。
あからさまにホッとした様子の騎士の男に、老勇者は微笑みかける。
「じゃからこそ、尚更早く儂が行かねばならんのじゃ。
それに、儂には行きの馬さえあれば、それで問題ないしの」
そう言って、老勇者は懐から彫金細工が施された銀の短刀を取り出すと、騎士の男へ突き出した。
男の目が溢さんばかりに大きく開かれる。
「勇者様、これは……」
「これを、元の持ち主の元へ返して欲しい。
長年仕えてくれたお前にしか頼めぬ。良いな」
「駄目だ! 駄目です! 受け取れません!
これを、これを受け取ってしまっては、勇者様は……っ!」
渋る男に老勇者はゆっくりと頭を振る。
「良い良い。そろそろ、世代交代をするべき時なのじゃよ」
老勇者達の進む先、夜の帳の降り始めた地平を睨む。その向こうに、かつて小さな冒険を共にした仲間の住む村が見える頃だ。
(どうか、間に合ってくれ!)
念じる老勇者の視界に、小さく村の家々が見え始める。
その視界の中で、赤黒い閃光が二度、三度と奔った。落ちてしまった陽の光の代わりに、紅々とした劫火が天を焦がしている。
「あれは!? 勇者様っ!」
頷き、老勇者は腰に佩いた剣をスラリと抜き放ち夜天へ掲げた。よく通る太く低い声が風に乗った。
「抜剣っ!! 剣士隊は斬撃の準備っ!」
「「「はっ!」」」
老勇者の号令に、副官の男以下五十騎余りの戦士が各々の獲物を抜き放つ。
「以降の戦闘指揮は全てライアスに任せる。儂はこのまま先行し、彼奴らを叩く!」
「っ!? お待ち下さい、勇者様っ!!」
「……後の事は、頼んだぞ。
声と共に、老勇者の周囲を包み込む様に銀色の羽の様な物が幾枚も舞い踊る。老勇者とその騎馬が、銀の羽が溶け込むように生み出した皮膜に包まれると、それまでの倍する速度で猛然と駆け出した。
幾度か馬に鞭をくれ、愛用の剣を構える。
見据えるその先に魔物の影を見る。
人の背丈を優に超える巨人。歪な五つ足の獣。騎士と見紛う二足で立つ甲虫。
そして異形達の中心に悠然と立つ、赤い設えに全身を包んだ長髪の女。
視線が交わり、女が口の端を吊り上げた。
女がクルリと優美にその場で廻れば、その指先から黒く巨大な三日月が老勇者へと飛ぶ。
老勇者と女の間に横たわる草原の草々が鋭利な鎌で刈られるより滑らかに斬り裂かれていく。
「
眼前に迫るそれを、中空に出した銀の盾で受ける。三日月に合わせたそれはさながら草原に架かる銀の極光。
黒と銀が軋み打ち合い、金属が擦れ合う音を激しく立てた。
「おおおおおおおおおおおおおおおっっっっっ!!!!」
対消滅し、拡がる淡い粒子の帯を突っ切って一条の矢が疾る。
女が足元に刺し立てていた長大な逆反りの曲刀を二振り、ゆるりと持つ。
直後、二人が交差し、雷轟に等しき激励な音と衝撃が辺りをつんざいた。滅茶苦茶に疾り回る余波に、周囲にいた幾体もの魔物がズタズタに引き裂かれる。
老勇者が両手で振るった愛剣を女は曲刀を交差させて受けたものの、そのあまりの衝撃に血で緩くなっていた大地が女の足を咥えるように沈み込んだ。
老勇者は突進の勢いを殺さぬまま、剣を支点に回転するように馬から飛び降りる。
激しい水音を掻き鳴らしながら体を滑らせ、勢いを殺す。
流れる景色に視線を巡らせ、その中に見知った顔を見つけて声を張り上げた。
「坊主! 生きておるか、坊主!」
かつて小さな冒険を共にした内の一人、エリックという少年が炭のような肌の巨人に担がれ、運ばれている所だった。
すぐに駆け寄って助け出したい所であるが、間には多数の魔物と、少し角度がズレた所に恐らく『右腕』と目される女。それは叶わない。
だから代わりに老勇者は声を張り上げる。辺り一面に散らばる残骸と違って、これが魔王軍の人間狩りならば子供は生かしている公算が高い。
果たして幾度目かの呼びかけに応える様にエリックの体がピクリと動く。
生存の確証を得られた所で、血のような長髪を靡かせて女が視界に割って入った。
女は優美に一礼すると、その所作と美貌に見合わぬ笑みを浮かべた。
「クックックックッ……! よもや、これ程早く貴様が現れるとはっ! 望外の逢瀬に、我が血肉も歓喜に沸いておるわ!」
「貴様が新たな『右腕』か」
対して老勇者は油断無く青眼に構えて短く問う。
「左様。我こそ魔王様の新たな『右腕』よ。
さあ勇者よ、存分に死合おうぞ!」
『魔王の右腕』と答えた女が歓喜に頬を上気させ、両腕を広げる。
「自ら出向いてくれた事だけには感謝しようか。
じゃが、ここまでじゃ。貴様は早々に手折ってくれようぞ」
老勇者は軽く頷き、それから前傾に深く静かに重心を落とす。正面に構えていた剣も、切っ先を地に触れさせる程に低く、低く。
『右腕』は長大な曲刀の重みを感じさせぬ動作で一回しすると、その華奢な両腕を上下に構えた。
晩秋の冷たい風が二人の髪を揺らす。
「神より賜りし我が
「今代勇者、アレス=シルヴァスタイン」
「「参るっっ!!」」
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