第7話 冒険の終わり

「すっかり、遅くなってしまいましたね……」


 暗い森の中を、エリック達は老勇者を先頭にしてゆっくりと歩いていた。木々の隙間から時折覗く空はまだ薄い藍色をしているが、それも直に濃紺に染め上げられることだろう。森の茂みのそこかしこから夜を呼ぶ虫の声が響き、寝起きの夜鳴き鳥がホーと鳴く。

 老勇者のすぐ後ろを歩くエリック達三人の右手には、あの泉の水が入った水晶の小瓶。泉から遠く離れた今もなお輝きを保ち続けるそれは、暗い道行きを照らす貴重な光だ。先頭を歩く老勇者はその小瓶を腰のベルトから吊り下げ、片手は有事に備えて油断なく剣へと添えられている。

 因みに老勇者の荷物袋には松明も入っているが、流石に子ども達に火を扱わせるのは不安だということで使わせてはくれなかった。その代わりが、あの光る泉の水という訳だ。

 その荷物袋も、今はクーンが一所懸命に抱えている。もしもの時に老勇者が素早く対処できるようにするためだ。ただ、老勇者の荷物袋は見た目よりずっと重く、三人で持ち回りして運んでいた。


「とはいえ、もう大分歩いたから、そろそろ森も抜けられると思うがのう」

「お父ちゃん、お母ちゃん、心配してるよね……」

「ぜったい、怒ってる! カンカンだよ、きっと! ……やばい、帰りたくなくなってきた」


 時折ガサリと揺れる草むらにクーンがビクビクしながら言うと、アリーもブルリと身震いしながら応えた。


「馬鹿言ってないで早く帰ろう。僕はお腹空いたよ。

 それに、勇者様から色々お礼の品も貰ったんだから、それを渡せば母さん達もきっと許してくれるよ」


 エリックはお腹を擦る手をずらして、腰に下げた麻袋を軽く叩く。カラカラと軽い音が薄暗く照らされた森に吸い込まれていった。



 泉から出発する前、エリック達三人は今回の冒険行の『報酬』を老勇者から譲り受けていた。麻袋の中には干し肉の束に拳大の岩塩の塊、そして小さな木箱。これにエリック達が手にしている水晶の小瓶が今回の報酬だ。金銭の類では無く実用的な物品ばかりなのは、行商人があまり訪れない辺境に住むエリック達への老勇者の配慮である。

 因みに木箱の中には傷や病に良く効く希少な薬草が詰まっているらしい。エリックはその薬草の名前は初めて聞いたのだが、アリーとクーンはどうやら知っていた風だった。仰々しく報酬を手渡されて大喜びするエリック達に老勇者が小箱の中身について説明している時、らしく無い様子を見せるアリーと、それを心配しているクーンが印象的であった。

 もっとも、それも一瞬の事で、すぐさまいつもの調子を取り戻したアリーであったのだが。



 そんなこんなで今に至る。老勇者から報酬を受け取ったことで最初は意気揚々と元気良く泉を出発した一行であったが、日が暮れてきたと思ったらあっと言う間に真っ暗になってしまった森の闇に、歩みを鈍らさざるを得なくなってしまっていた。

 エリックは足元から視線を移して老勇者の背中をチラリと見る。

 黙々と周囲を警戒しながら歩く老勇者は、一定の、ゆっくりとした速度で一行を先導している。

 遅々とした歩みにエリックは今すぐ駆け出したい気持ちに駆られる。しかし、そう思って一歩踏み込んだ所で木の根に足を取られかけて、断念せざるを得なかった。


「ねえ、勇者様。まだかな?」


 クーンの声に、いつの間にか自分達が黙々と老勇者の後を歩いていた事にエリックは気付いた。いつもどんな時でも明るく騒がしいアリーも、今ではぎゅっと口を引き結んで歩いている。

 エリックには、二人の気持ちがよく分かった。なぜなら、きっと自分も同じだからだ。こうして先の見えない森の中を歩いていると、すぐそこの藪の向こうに、あの不揃いな赤い目が浮かび上がるのではないか、暗いあぎとが開いて牙を向けてくるのではないか。老勇者の出会いとの衝撃で朝に置き忘れていた恐怖が今、夜の闇に染みてヒタヒタとエリック達の元へ這い戻って来ていた。


「ほれほれ、どうした。しっかり歩かんか。我が勇者の仲間達はこの程度のじゃったか?

 森を抜けるのも、もう僅かじゃぞ?」


 そんなエリック達を元気付けるように老勇者が明るい声を上げる。そして、顔をエリック達へ向けてニヤリと笑いかけた。


「お主達にはまだこれから最後の大仕事が残っておるのじゃから、今からへこたれている暇はないぞ」

「……大仕事?」

「そうじゃそうじゃ。大きな大きな大切仕事じゃ。

 親御さん達にこってり、みっちり、しこたま叱られると言う、な」


 そう言って老勇者は前に向き直ると、大きく笑い声を上げた。


「う゛……っ!? い、いやいやいや、でもでもでも、ほら、あれだ! 勇者様から貰った報酬が俺達にはあるし!」

「うむ、うむ、そうさな。多少は親御さんの説教も少しは短くなるやもしれんな。……先に渡す暇があれば、じゃが」

「……渡せても、叱られることには変わりないんですね」

「うむ。かっちり、きっちり、叱られなさい」

「うえぇ~」「そんなぁ」「はぁ……」

「ほれ、そうこう話している内に――――、見なさい。

 漸く抜けたようじゃ」


 老勇者の言葉に顔を上げると、木々の間から月に蒼く照らされた草原が見えた。



「あ…………」



 漏れ出るように声を上げたのは誰だったのか。エリック達は知らず立ち止まって、木々の隙間から見える草原を見つめ――――、


 ダッ、とまずアリーが駆け出した。次いでクーンが、荷物をその場に降ろして。

 そして最後にエリックも二人を追って走りだす。

 森を出た途端、先程までとは違う澄んで透明な空気がエリックの頬を撫で、鼻腔を洗っていく。



 走り、目指す先に揺れる橙色の光がちらつき、風に乗ってエリック達を呼ぶ声が届く。

 三人は滲む視界をこらえ、走った。走って、その先に目指す人物を見つける。

 走る勢いそのままに飛び込んで見れば、その人は優しく抱き締めてくれた。


「エリック、エリック! 心配したのよ!」

「母さん、ごめん。ごめんなさい!」


 母の腕に抱かれた途端、エリックの胸に巣食った魔物に喰われかけた恐怖がついに牙を覗かせた。ぐしゃぐしゃになる感情そのままに、エリックは母にすがり、泣きじゃくった。



 月と松明が照らす草原に三人の子ども達の泣き声が木霊する。

 エリックはこの日、この世界に産まれて初めて、心から母に甘えたのだった。

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