第6話 種を蒔く
「よいしょっと、これで合ってる……かな?」
「うむ、問題ないぞ」
老勇者のお墨付きを貰ってエリックが文字を刻み終える。
『アリー クーン エリック』
樹の大きな幹の、少し平らになっている所に、上から順に三人の名前が並ぶ。
「えへへ、なんだか楽しいね」
「ああ、俺達の冒険の証だ!」
エリック達は木の幹に刻まれた自分達の名前を見上げる。老勇者が書いてくれた手本に比べればとても拙い文字ではあるが、三人にはそれが何よりも輝いて見えた。
「どれ、少し貸しなさい」
老勇者はエリックからナイフを受け取ると樹の前で屈み、三人の名前の下に何かを刻み始めた。老勇者の扱うナイフは、まるで熱したナイフをバターに入れるようにスルスルと幹を刻んでいく。
最期に文字を刻んだ辺りに手を翳して何かを呟くと、銀のナイフを大事そうに懐へ納めた。
「うむ、これで良いじゃろう」
「何をしたの、勇者様?」
「何、ちょっとしたおまじないじゃ」
問うクーンに悪戯っぽく片目を瞑って見せると、老勇者は立ち上がって手を叩いた。
「ほれ、それよりも儂を手伝ってくれ、坊主ども。
予定よりも随分遅くなってしまったわい。このままでは帰るのが夜になってしまうぞ」
老勇者の言葉に、この後自分達を待ち受けるものに思い当たった三人の顔がさっと青くなる。
「やばい……、父ちゃんにぶん殴られる!」「ゆ、ゆゆゆゆ、勇者様、僕達何をすればいいの?」「早く、教えて下さい!」
老勇者はクツクツと喉の奥で笑いながら何かが詰まった麻袋を取り出し、エリック達に中身を見せた。中に詰まっていたのは、あの水晶の小瓶に入れられていた小さな黒い種だった。
「この種を今からいくつか渡すから、それを泉の周りに蒔いてほしいんじゃ。
この種は
老勇者は麻袋の中から半分程を掴み出すと、適当に分けてエリック達に手渡した。
「泉の側に蒔けば良いんだな? へへ、任せろって!」
アリーは泉を一度見てニヤリとすると、軽い足取りで泉の対岸側へ走っていった。エリック、クーンも二手に分かれ、老勇者と手分けして泉の周りに種を蒔いていく。
泉の淵に小さく穴を掘って一粒入れて土を被せる。そんな作業を何度も繰り返し、そして、もうじき種が蒔き終わる頃だった。
ドボン! という大きな水音がしたかと思えば、続いて激しく水面を蹴立てる音が辺りに響いた。
エリックが驚いて泉を見やると、丁度荒っぽく泳ぐアリーが泉の中程にある小島に取りついた所だった。唖然とそれを見ていると、すっかり聞き慣れた老勇者の叱り声が響いた。
「こりゃ! 何をやっとるか!」
しかし叱られた当人のアリーはそんな老勇者に笑顔で手を振ると足元を掻いて土を掘り出した。どうやら小島にも種を蒔くつもりらしい。
「はぁ、……まったく」
老勇者はやれやれと言った様子で首を振ると、泉に向かって踏み出す。
泉に落ちる、とエリック達が目を見開いたその時、老勇者の足元に銀の板が顕れる。
「
老勇者の声と共に現れたそれはエリック達を裸狼の牙から護った、あの銀の壁だった。あの銀の壁が、今は泉の縁から小島までを繋ぐ銀の架け橋となって顕れていた。
銀の架け橋の上を金属質な足音を立てながら老勇者が歩いて行く。エリックとクーンも恐る恐るその後に続いた。
「まったく、こんな森の中で服を着たまま泳ぐなどと! 溺れたり、風邪を引いたりしたらどうするんじゃ!」
「へへ、だって勇者様が、あの種は泉の水の側が良いって言うから、さ!
あんな良い所があるんだから、蒔かなきゃ勿体無いじゃん!」
「む…………」
そう屈託無く話すアリーに、老勇者は二の句を詰まらせる。
「……確かに、な。小島にも種を蒔く事は考えから抜けておったよ。
じゃが、それなら先にそう言わんか、まったく」
そう叱りつけながら老勇者は羽織っているマントを脱ぐと、やや乱暴にアリーに被せた。
「うわっぷ!? うえ~~……埃臭い」
「埃臭くて悪かったのう。
ほれ、嬢ちゃんならあまり身体を冷やすものじゃない。その外套は熱を保つから、暫くそうしておれ」
「ぅえ!? あー……うー…………はい」
気まずそうに明後日の方を見やるアリーに、エリックはぱちくりと目を瞬かせる。
「え……? アリーって、女の子だったの?」
「あちゃー、ばれちゃった。さすが勇者様だなぁ」
「うるせー! 悪いかよ!」
「いや、別に悪くないけど、でも……」
そっぽを向いたままのアリーにエリックは首を傾げる。クーンは知っていたみたいなのに、どうして男の子の振りをしていたのだろう、と。
しかし、エリックがどうして、と問うより早くアリーが急き込むように声を上げた。
「それより! それより、な、勇者様! 俺達、勇者様の役に立てたか! 立ったよな? な?」
拙く話題を変えようとするアリーの様子に老勇者は小さな咳払いで微苦笑を隠すと、未だ水滴を滴らせるアリーの頭へ老勇者は大きな掌を載せた。
「うむ、実に助かった! 勇敢な冒険者達よ、貴殿等の働き、実に見事であった!」
老勇者の突然の厳かな言い回しに、三人は一時言葉の意味を拾い損ねる。三人で思わす顔を見合わせ、そして言葉の意味が頭へ染み込むにつれて誇らしさと充足感が胸を満たしていく。
三人の顔にはいつしか笑顔が浮かんでいた。
「へへっ!」「良かったね、アリー」「えへへ……」
互いに笑い合い、照れ隠しに突き合う三人の冒険者の姿に老勇者は笑みを深くする。
「ありがとうな、坊主達。
さて、それでは急いで帰るとしようかの」
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