第5話 銀鏡の泉
老勇者に連れられて、エリック達は森の奥へと進んでいく。道中、老勇者はエリック達に様々な事を話してくれた。魔王軍との戦いの事は勿論、あちこちに旅して周ってそこで見聞きしたこと。
ちょっと可笑しかったのが、食べられる野草や魔法を使わない火の熾し方を教わった時の事だ。
「え~、食いもんも火も魔法でちゃちゃっと出来るじゃん。何か意味あんの、それ?」
「さてのう。意味があるやも知れぬし、無いやも知れぬ。
どちらにせよ、坊主達はまだ魔法は使えぬじゃろう? ほれ、やってみい」
「え~~……」
などと、特にアリーはぶつくさと文句言いながら打ち金と石を合わせていた。その癖、いざ三人の中で一番に火を付ける事に成功すると得意気に歓声を上げるのだった。その様子が可笑しくて、エリックはクーン、老勇者と顔を見合せて大笑いするのだった。
そんなこんなで休憩を挟みつつ、エリック達は老勇者と森を進む。
道々話してくれる老勇者の冒険譚もとても面白くて、三人は大いに心くすぐられるのだった。
そんな老勇者との貴重なお喋りを目一杯楽しむ中、エリックは一人、とある疑念に胸の奥を燻られていた。
この出会いは、本当にただの偶然なのだろうか、と。
この世界でエリックになってから七年。拍子抜けする程に何も起こらなかった。
運の悪さに悩まされることもなく、例の『神』が何か干渉してくるような気配も無い。何かが起きないか、仕掛けられないか、と、産まれてからずっと気を張り続けていたエリックだったが、この拍子抜けな日々は警戒を緩めさせるには十分であった。
(……
エリックは思う。結局、五歳の
(……まあ、本当に
いつまでも警戒して気を張りつめたまま、と言う訳にもいかないし。それに……)
エリックは今世の両親の顔を思い浮かべた。最近は、前世と今世の両親の事も、少しずつ気持ちの折り合いがつくようになって来ていた。
(それならもう少し甘えてみても良い、よね?)
そこまで考えて、エリックははたとあることに気がつく。
(……父さん、母さん心配している、よね?)
今回、エリック達は朝早くから誰にも言わずに森に分け入ってしまった。きっと心配しているであろう両親の事を想うと、エリックは何だか無性に早く帰りたい気分に駆られた。
いつの間にか、すっかり考え事に耽ってしまったエリックを幼馴染の声が引き戻した。
「ねえ、アリー、エリック。なんだか明るくなってきてない?」
言われてエリックはキョトキョトと辺りを見渡す。陽の光が高い木々に遮られるせいで薄暗かった森の風景がいつの間にか変わっていた。茂みの向こうでも見晴らせる位に明るい。それも、どうやら下から照らされている風であった。
「本当だ。アリーのお父さんの勘違いなんかじゃなかったんだ」
エリックの言い様にアリーがむっとした表情をする。
「ひでえなぁ。父ちゃんが勘違いする訳無いじゃん。父ちゃんは狩人だぞ?」
「あはは、ごめんごめん」
「…………あれ? 勇者様は?」
キョトキョトと周りを見ながらクーンがポツリと漏らす。ついさっき迄目の前にあった逞しい後ろ姿が確かに無い。
エリックとアリーも一緒になって森を見渡し、随分先の方を歩く後ろ姿を見つけた。慌ててエリック達は後を追い縋る。
「ちょっと勇者様! 速い! 足速いって!」
「……お? お、おお!」
アリーの必死の声に気付いて老勇者が漸く気付き、足を止めてくれた。それでどうにか追い付いたものの、折角乾いた衣服がまた汗で濡れてしまった。
肩息するエリック達に申し訳なさそうに老勇者が声をかける。
「すまぬな、年甲斐もなく気が急いてしまったようじゃ。じゃが、ほれ。着いたぞ」
老勇者がエリック達の前が開けるよう、体を横にずらす。ふわり、とエリック達の視界が一層明るくなった。
「「「うわぁ…………」」」
とても明るいのに決して眩しくない。日の光を受けて輝くそれは鏡と言うより、ダイヤモンドとか、そういった類の宝石の様にエリックには見えた。
ややしてエリックは気付く。日の光を返しているだけでなく、泉自体からも光が湧き出している。二つの光が混じり合ってこの輝きが産まれているのだ、と。
暫し惚けたように四人はその光景を見入る。
辺りには動物の気配は無く、風が奏でる葉擦れの音も無い。泉から広がる空気は少しひんやりしていて、森の中に満ちていた濃い草熱くさいきれもここには無い。
エリック達の汗も、いつの間にかすっかり乾いていた。
「見事、じゃの。名付けるならば
老勇者は一歩、二歩と泉に近付くと肩に担いだ大降りな革袋をそこへ降ろした。
「さて、坊主達よ。儂はここで少しやらなければならない事がある。それまで好きに遊んでおって良いぞ」
「やった! なぁなぁ、勇者様、この泉って触っても大丈夫か?」
「問題無いはずじゃよ。ただ念の為、口にするでないぞ。こんな所で腹を下されたら堪らんからのぅ」
「おっしゃあ! よし、じゃあ行こうぜ!」
「あ、待ってよ! アリー!」
早速とばかりに駆け出すアリーと、それを追い掛けるクーン。そんな二人を見送りながらエリックもゆっくり歩きだす。
老勇者はと言えば、革袋から取り出した水晶の小瓶へ泉の水を汲み、そこへ何か黒い粒を入れている所だった。
老勇者は瓶の口へ栓をすると、じっと中の様子を伺っている。
エリックは興味を引かれ、邪魔にならないようにそっと老勇者へ尋ねかけた。
「勇者様は何を見ているのですか?」
「うむ、この泉が本当に探しものと相違無いか、最後の確認をしているんじゃよ。ほれ、ご覧なさい」
そう言って、老勇者は水晶の小瓶をエリックが見やすいように掲げてくれた。小瓶に移されても泉の水は光を失うこと無く、ぼんやりと瓶全体が輝いている。
エリックは瓶の中を覗き込む。瓶の角で屈折して二つに見える中身は先程老勇者が入れていた黒い粒。その粒から淡い緑色をした帯が少しずつ伸びているのが見えた。
「…………芽?」
「うむ、その通りじゃ。これは異郷に育つ珍しい植物の種での、少し特殊な水辺でしか育たんのじゃ。
儂はこの辺りでこれが育つ場所をずっと探しておったのじゃよ」
老勇者は満足気に何度か頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
「……漸く、見つける事が出来たの」
「勇者様は一体何のため――――」
エリックが老勇者に理由を問おうとする声に被せて、アリーの大声が畔に響いた。
「おーーい、エリックーー! ちょっとこっちに来てくれ!
あ、あと、勇者様も!」
「儂の事はついでかの?」
「そうみたいです」
エリックは老勇者と笑い合うと、アリーの所へ向かうのだった。
「どうしたの、アリー?」
「へへ、この樹を見てみろよ! どうだ、でっけえだろ!
これなら丁度良いと思わないか、エリック?」
アリーが自慢気に振り返るそこには見上げる程の大樹がそびえている。幹周りも非常に立派で、アリー十人分でも囲うには腕の長さが足りないだろう。
「丁度良い? 何が?」
「あのね、アリーと話してたんだ。ここまで来た冒険の証を、何か残したいね、て」
エリックが首を傾げているとクーンが足りない説明を補ってくれて、ようやくアリーが何をしたいか、どうして呼んだのかおぼろげに分かってきた。
「と、いう訳でだ、エリック! お前、字、書けるか? 俺もクーンも書けねーんだ!」
「樹に印を入れるだけじゃ他の人が見ても分かんないからさ、僕達三人の名前をここに入れたいね、ってアリーと話したんだ」
二人の言葉に、エリックは渋面を作る。
「名案だけどさ……。僕だって書けないよ、文字なんて」
実は、エリックはまだこの世界の文字を見たことが無かった。家の中には本など無いし、村の中に立て札が立っていることも無い。当然、文字を教えられる機会も無かった。
その一方で、大人達は誰もが文字を読めるようでもあった。大人達の話しを横から聞いていると、端々から『読む』という言葉が聞こえてくるからだ。何処で何を読んでいるのか、いつ文字を習ったのか、未だに分からないこの世界の謎の一つである。
「えっと……、その、勇者様?」
出来ない事を悩んでも仕方がないので、エリックはそっと老勇者を伺う。
老勇者はエリック達三人の視線を受けてヤレヤレと溜め息を吐いた。
「……念のため、もう一度坊主達の名前を聞いても良いかの?」
「勿論! 俺がアリーで、こっちの丸っこいのがクーン、ちびっこいのがエリックだ!」
「ふむ。……アリーにクーン、エリックじゃと、こう、じゃな」
老勇者は近くに落ちていた枝を拾うと、サラサラと地面に文字を書いていく。
「……これが『アリー』。……これが『クーン』。……これが『エリック』じゃ。
間違わんようにな」
「へへ、ありがとう! 勇者様! さぁて、じゃあ俺から……あ~~…………」
アリーが早速とばかりに樹に向き直り、そしてそのまま一周回って、再び老勇者を見上げた。
「……勇者様、ナイフ貸して」
「そう来ると思っておったわい。
……ほれ、こいつを使え」
老勇者が懐から取り出して渡してくれたのは、柄に精緻な彫金細工が施された見事な銀の短剣だった。
「…………すごい」「おおー!」「きれー!」
「その短剣は儂にとって大切なものでもあるから、雑に扱うんじゃないぞ。
良いか、絶対に雑に扱うんじゃないぞ!」
「うん、大切にするよ。ありがとう、勇者様!」
笑顔で言ってアリーは大事そうに胸元に銀の短剣を抱く。その様子に老勇者は慌てて声を上げた。
「待て待て待て! ちょいと待て! その言い種じゃ儂が坊主にナイフをくれてやったみたいではないか!」
アリーは短剣を取り戻そうとする老勇者の腕をスルリと躱して樹へ取り付く。銀の刀身が、キラリと日の光を返した。
「あはは、冗談だって! ちゃんと大切に使うよ、勇者様!
道具は大事にしないと父ちゃんにも叱られるからな!」
そんなアリーを、それでも老勇者はハラハラとした表情で見守る。その様は少しでも雑に扱おうものなら直にでもナイフを取り上げようと思っている風である。
しかしそんな老勇者の心配もなんのその。アリーは思いの外慎重に、丁寧に幹へ文字を刻み始めた。その姿に以外なものを感じた老勇者は、思わず覗き込んだアリーの顔を覗き込んでしまう。大樹に文字を刻み込むアリーの表情は真剣そのもので、だから、刻む文字に誤りがないかだけを気に掛けることに老勇者はしたのだった。
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