第2話 母の寝物語

 むかしむかし、この地には楽園がありました。

 その楽園では、春も、夏も、秋も、冬も、いつだってたくさんのお花が咲き、おいしい果物がどこにでもありました。

 楽園に住む人々はそこでみんな仲良く、幸せに暮らしていました。それは本当に、とても幸せで、暖かな日々だったそうです。


 しかし、その幸せな日々は余り長くは続きませんでした。

 いつからその終わりが始まっていたのか、それは誰にも分かりません。ある日気が付くと、空が厚い雲に覆われていたそうです。

 楽園の人々は初め、雨が降る前触れかと思って慌てて家に帰り、戸を閉め、干していた洗濯物を取り込みます。そして、今か今かと雨が降ってくるのを待っていました。

 楽園の人々にとって天の恵みの雨もまた、楽しみの一つだったからです。だけれども、待てども待てども雨が降ってくる気配がありません。それどころか、雨の匂いを運んでくる風さえ吹いている様子がありません。家の中の楽園の人々はとても不思議がりました。


 やがて、一向に雨の降らない空模様を不思議がった楽園の人々が、ちらほらと家から顔を覗かせていた時です。大きな大きな雷が一つ、鳴りました。

 楽園の人々はその雷にびっくり仰天します。ゴロゴロと鳴る雷の音に驚いたのではありません。楽園の人々が驚いたのは、その雷の光でした。色でした。

 その雷は、赤い赤い血の色をしていたのです。

 ゴロゴロゴロゴロ。赤い雷が鳴り響く中、ようやく何かが天から降りてきました。でも雨が降ってきたのではありません。それは赤い、黒い、霧でした。

 瞬く間に霧は楽園を包んでいきます。見た事のない霧に人々はとても怖がります。しかもその霧は、ただ見た目が不気味なだけではありませんでした。その霧に触れたると全身に怖気が走り、具合を悪くしてしまうのです。


 人々は霧が入って来ない大きな家に集まり、どうやってこの霧を追い払おうか、と話し合いを始めました。ああでもない、こうでもないと人々が話し合います。しかしその話し合いの終わるより先に、世界へ次の災いが降りてきました。そう、異変はまだ始まったばかりだったのです。


 ドスン。ドスン。ドスン。暗い暗い空から次々と何かが降ってきます。雹ではありません。降ってきたのは、様々な奇怪な姿をした生き物、魔物でした。

 魔物は大地に降り立つと次々に人々を襲い始めました。それはそれは、とても恐ろしい光景でした。恐ろしい魔物の群に、あの沢山のお花が咲いていた美しい大地は瞬く間に霧と同じ色に染められていきました。

 それでも人々は絶望しませんでした。人々には楽園から与えられた魔法の力があったからです。

 人々は必死に戦い魔物と戦いました。そして、少しずつ少しずつ魔物を倒していきました。魔物が減るごとに人々の心には安心が戻っていきます。しかしその一方で、空の曇りが晴れる様子はありませんでした。

そして魔物をあらかた退治した頃、とうとう奴等が現れたのです。


 殆どの魔物を退治し終えた人々が家族の待つ暖かい家に帰ろうとした時です、暗い暗い空から今度は三つの竜巻が降りてきました。今度はどんな災いが降りて来たのか、と人々は身を固くします。

 まず始めに人々から向かって右の竜巻が弾けました。中からは大きな大きな魔物が一体と、その魔物を取り囲むようにして沢山の魔物がいました。

 緊張する人々に向けて、驚く事に大きな魔物が人間の言葉で話しだしました。


『私は魔王様の左腕。この世界へ、魔王様の意をもたらす先触れである』



 継いで今度は向かって左側の竜巻が弾けます。中には同じように、大きな魔物と沢山の魔物がいました。そして同じように話しだしたのです。


『我は魔王様の右腕。この世界の、魔王様の意を阻むものを打ち倒す剣である』



 そして最後に真ん中奥の竜巻が弾けました。中から一際巨大な魔物が魔物が一体だけ、姿を表します。その魔物は一言も言葉を発しません。しかし、人々にはそれで十分でした。そう、その魔物こそが、魔王だったのです。


 それからの人々の戦いはとても辛く、苦しいものでした。今までバラバラに襲って来ていた魔物が、軍勢となって襲いかかって来たのです。人々には軍勢の勢いを止めきれず、多くの村や町が飲み込まれていきます。そして、魔王の魔の手がまだ届いて街にも沢山の傷ついた人々が流れついていました。


 人々の間にもう駄目か、と諦めが拡がりだした頃です。まず一つ目の奇跡が起きました。その女の子は、何処かの村から魔王軍の手を逃れて来た人々の一人だったそうです。ずっと晴れる事のなかった空に小さな隙間が開き、スッと女の子を祝福するように一筋の光が射しました。

 するとどうした事でしょう。女の子と、そして女の子を抱きしめていた母親の怪我がみるみる治っていきました。周りにいた人々は大層驚きます。

 一体何が起こったのか、と一人の男の子が女の子の手を掴んで問いかけます。するとどうでしょう、今度は男の子の傷がたちどころに治っていきました。そう、女の子は触れただけで相手の傷を癒す力に目覚めたのでした。


 女の子は目覚めた力を使って街の人々を次々と癒していきました。戦う力を取り戻した人々は、その力で魔王の軍勢を押し返します。そして、人々はその女の子にとても感謝し、いつしかその女の子を聖女と呼ぶようになりました。


 聖女の力を得て、人々は魔王軍と戦い続けます。その戦いは一進一退。なかなか魔王を倒す事が出来ません。そんな中、聖女は一人の男の子を見出だします。その男の子が剣を振るうと、銀色の輝きが辺りを照らしました。そしてその輝きは、魔物に大きな手傷を負わせるのです。しかも、それだけではありません。男の子が大きく空に向かって銀色光を振るうと、これまで誰も払えなかった暗い雲に、ぽっかりと大きな穴が空いていたのです。

 久々の青空の下、人々は男の子の事を勇者と誉め称えました。


 さぁ、反撃の開始です。聖女と勇者、二つの力が揃った人々の前に、魔王軍は次々に討たれていきます。まず左側を倒し、そして右腕を倒しました。

 長い長い戦いの果て、遂に勇者と聖女は魔王の下へ辿り着きます。

 魔王との戦いは、それは激しいものでした。天を裂き、地を飲み、海を燃やす恐ろしい魔法が飛び交います。その激しい戦いは七日七晩に及んだと言います。

 そして戦い始めて八日目の朝、勇者はその命と引き換えとして遂に魔王を討ち果たしたのです。


 朝の光と共に世界を覆う霧と雲が晴れていきます。世界に平和が戻ったのです。人々は互いの無事を喜び、勇者の死を悲しみました。しかし、人々は悲しんでばかりもいられません。魔王が滅びる間際、残した言葉があったのです。それはいつか魔王が復活する、といったものでした。

 人々は楽園と勇者を失ってしまいましたが、楽園から与えられた力は残っていました。その力で、人々は傷ついた世界を復興していきます。いつか再び表れる魔王と戦うために。


 その後、宣告通り魔王は何度も復活しました。しかし、心配する事はありません。

 だってその度に、人々は新たに生まれた勇者とともに戦い、打ち勝ってきましたのですから。


 そしてその戦いは今に、母さんやエリックに続いているのです。



 おしまい。




 ね。だからね、エリック。


 悪い子の所にはこわい、こわ~い黒い霧が降りて来るかもしれないから、ちゃんと良い子に育ってね。

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