第2話 闇の中で
(静かになった……。もう土砂に埋まってしまったんだろうなぁ。それとも、あの岩の下かな?
それにしても、土砂の中ってもっと冷たいものだと思ってたけど、意外と寒くないものなんだな。息も全然苦しくないし…………あれ?)
じっと目を閉じて自分に死が訪れるのを待っていた望は、違和感を覚えて上体を起こした。不思議な事に自分に覆いかぶさっているはずのあの大岩や土砂の気配は無く、すんなりと起き上がることが出来た。
(えと……? これは、どういう事だろう?)
目を開いてみるが、残念ながらそこには全く変わらない暗闇が広がるばかり。自分の手足も見えない。これでは自分が今目を開けているのか閉じているのか、分からなくなりそうであった。
手で触れている感触から足場はしっかりしていそうであったため、望はとりあえず立ち上がってみることにした。
「よいしょっと」
ややおっさん臭い声を出しながら立ってみたが、見える景色に変化は無い。相も変わらずの全くの闇だけだ。出した声も特に響くことも無かったことから、謎の洞窟に落ちてしまった、とかそう言う訳でも無いようである。
スンスンと鼻を効かせてみても何の臭いもしない。先程まで望を包み込んでいた濃密な水と土の臭いが嘘のようである。
光も無い。
臭いも無い。
音も無い。
全くの無の空間だ。
「もしかしなくても、コレが死後の世界ってやつ?」
だとしたらいつ死んだんだろうと思い返してみて、最初に受けた強い衝撃を思い出す。即死に足る程だったのかまでは分からないが、あの大岩は死因としては十分ではあったと望は思った。
「それにしても何ていうか、以外と冷静でいられるものなんだなぁ。これが諦めの境地ってやつなのかな?」
望は改めて周りを見渡す。が、先程と何も変わらなかった。
「ここが死後の世界だとして、この後どうすれば良いんだろう? ずっとこのままなんて無いよね?
ずっとこんな何も無い所を彷徨うなんて、そんなのただの地獄じゃないか」
別に地獄に落ちるようなことは何もしていないはずなのにと思った所で、望の胸がズキリと傷んだ。
「いや、そうか……。僕はお父さんとお母さんを遺してきてしまったんだっけ……」
望の脳裏に、今朝方心配顔で送り出してくれた母の顔が過る。母の言う通りにしていればこんな事にはなっていなかったのかもしれなかったのだから。
「ごめん、お父さん、お母さん」
望は項垂れて、拳を握りしめる。一人息子を喪った両親がどれほど悲しむのか、考えれば考えるほど望の心はジクジクと傷んだ。
「せめて一言だけでも良い。お父さんとお母さんに直接謝ることが出来たら……」
『その願い、叶えてあげようか?』
後悔に沈む望の元へ何処からか声が届いたのは、そんな時だった。
望はハッとして顔を上げた。その声は、この闇の中に放り込まれてから初めて感じた他者の存在だった。
『それだけじゃない、君には私が管理する楽園へと招待してあげようとも』
もう一度、声が響く。その声はまるで暗闇全体が震えて音を出しているかのようで、何処から聞こえてくるのか全く分からない。
また、その声質も性別が判然としない中性的な声だ。男にしては高いし、女にしては低い。しかし変声期前の子どもの声とも違う。
「楽園……?」
理解が追いつかなくて、望は呻くように呟いた。地獄へ落ちる理由について思い当たったばかりだというのに楽園とはどういう事だろうか。死後の世界の楽園とは天国や極楽、つまりそういうことだろうか、と望は回る頭でグルグルと考える。
『もしもし? 随分と混乱しているようだけど、大丈夫かい?』
「あ、えっと……はい。あの、あなたは誰なんですか? 神様?」
闇が震え、再び何者かの声が響く。望は返した言葉に反して未だ混乱の渦中であったが、辛うじてそう誰何した。
『うん? うん、まあそんな感じかな』
果たして、返って来た応えは望の予感していたものだった。望は続けて問うた。
「あの、神様が僕に何のご用なんでしょうか。楽園って?これから天国に行けるか裁判でもするんですか?」
『ふむ、まずは先に君の勘違いを正しておこうか。
楽園というのは、私が管理する多種多様な者達の住まう安定した世界のことだ。死後の世界ではないよ。
そして君への用事とは他でもない、君を是非その楽園へ招待したいと思ってね。そこでこうして君に来て貰ったと言う訳だ』
「その、どうして僕なんですか?」
そこで望は兼ねてより感じていた疑問をぶつける。望は神様と特に関わりある生活は送ってなかった(両親はよく神頼みしていたようだが)し、特徴と言えば運の悪いことと勘が多少鋭いくらいだ。選ばれる基準など望には見当もつかないが、只の中学生である望よりももっと相応しい人物が世界には沢山居るはずだ。
しかし、帰ってきた答えは望にとってもっとも受け入れがたいものだった。嫌な予感はしていたのだが。
『何故って、それは勿論、君がとても面白い人生の持ち主だったからさ。君、物凄く運が悪いんだね』
(……勿論、なのか)
肩を落とし釈然としない表情を浮かべる望に構わず、闇の中の神が続ける。
『楽園世界は安定しているのは良い事なんだけどね、あまりに安定しているために時折循環が滞ってしまうんだよ。
そこで停滞を防止する為に君のような外乱を定期的に楽園へ迎えている訳だ』
「……それで、僕は一体楽園で何をすれば良いのですか? 僕はこのまま楽園へ移るんですか?」
望は項垂れたまま神に問う。内心甚だ承服しかねる理由であるが、現実世界で望は既に死んでいる。恐らく選択肢は望には無いのだ。恐らくここで断っても、その結果はこの何も無い地獄のような空間を永遠と彷徨うこととなるだろう事は容易に想像出来る。きっと放浪はずっと続くのだろう。気が狂うまで、いや気が狂った後もずっと。永遠に、永劫に。
いつしか望の全身は悪寒に苛まれてガタガタと震え始めていた。
『楽園では別に何も特別な事をする必要は無いよ。私が向こうで君に働きかけることも基本的に無いだろう。
君はただ、君の思うまま好きに生きると良い。その特性を考えるに、ただそこに生きているだけで外乱としては十分な働きを期待できるからね。
君の役割はそれで十分さ』
神は楽園で望に期待することについてそう語ると、そこで一息ついてから続けた。
『それから君が楽園に移る手段だが、その世界の住人として新たに生まれ直して貰う事になるね。君の世界の娯楽小説の言葉を借りるなら、転生、というやつだね。
世界を隔てる壁というのは結構難儀なもので、魂の状態でないとこちらの意図した通りに運ぶのは難しいのだよ』
「転生……」
望は呟くようにその単語を繰り返す。
望も転生を扱った作品は読んだ事はあった。それらの作品は概して次のような流れのお話が多かった。地球で死んだ人物が、別の世界や過去の世界の人間(稀に人外の魔物)として生まれ変わり、保持したままの地球の記憶を活用して活躍していく、そんなお話だ。そしてそれらの主人公達の多くに共通しているのが、生まれ変わった先の人物として普通に名乗り、生活している。
異なる世界に、異なる人物として生まれ変わるのだ。それらはとても当たり前の姿なのかもしれない。
だが、いざ自分が実際にその立場に立ってみて、その姿は望には当体受け入れられるものではないと感じていた。異なる人物として生き直すその姿が、まるで前世の自身を上書きし、塗り潰すようなものに思えてしまったのだ。
自分も転生したらそうなってしまうのだろうかと、望は脳裏に浮ぶ両親の顔に胸がズキリと傷むのを感じた。
そしてこんな痛みを抱える位ならば、と断りの言葉を述べようとして、しかし先に続けられた神の言葉によって望の声は形にならなかった。
『ふむ、何やら思い悩んでいるようだが、君を楽園へ招待することは決定事項だよ。
特に今回の場合、本来死ぬはずの無かった君の運命を捻じ曲げるのに結構なリソースを使ってしまったからね。掛けたリソース分の成果は回収しないと、とても勿体無いんだ。
実のところ、こうして君と呑気に会話しているのも結構カツカツだったりするのだから』
ちょっとした秘密を暴露するような軽さで闇を震わす神の声が響く。しかし語られた内容に、望は氷の手で心臓を鷲掴みにされたような衝撃を感じた。体中から血の気が引き、代わりに怖気が奔っていく。
「死ぬはずが、なかった……? じゃあ、あの時土砂崩れが起きたのは……靴紐が切れたのは……」
死ぬ間際に起こった数々の出来事がフラッシュバックし、絞り出すように望は言葉を紡ぐ。身体を苛む怖気は、もはや立っていられなくなるほど酷いものになっていた。
『さて、そろそろ話も十分だろう。
一応、こちらが君を一方的に招待した負い目もあるからね。楽園へ生まれ直すにあたって、君にはいくつか祝福を授けようか。
時間が無いから説明は省くが、まあ、災い避けの類だよ。君にぴったりだろう?
内容としてはだね……』
「ま、待てよ! 運命を捻じ曲げたって、なんだよ!? それってつまり、僕はお前に殺されたって事じゃないのか!?」
一方的に話を締めようとしている神の言葉に被せて、望は声を荒げた。今や望の全身を苛んでいた悪寒は神へ強烈な不信と怒りへと裏返っていた。何処にいるともしれない神を無理矢理にでも掴んで引き留めようと望は神への呪いを吐きながら闇雲に腕を振り回す。が、望の怒りを載せた
「くそっ! 何処に、何処に居るんだよ! お前は、こんな理不尽な事をしていいって思っているのかよっ!」
『――――以上だよ。
別に理不尽なんて君には慣れたものだろう?
それではね。もう会うことはないと思うけど、今度こそ幸多い人生を送れるよう陰ながら祈っているよ』
そしてそれを最後に、それまで漠然と感じられていた神の存在が闇の中へ完全に溶けて消えてしまった。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! ふざけるなよ! くそっ!」
それでも神を見つけ出してやろうと、望は罵声を繰り返しながら闇の中を駆ける。
両親の事、死ぬまでに起こった一連の事、そして闇の中の神の事、それらを想い起こす度に腹の中からどうしようもない怒りが次々と湧き上がる。湧き上がり続ける怒りは吐き出しても吐き出しても足りず、吐き出せず身の内に残ったそれらの感情、篤く、濃く、神への呪いとして降り積もっていく。
「殺してやる! いつか、絶対に、お前を殺してやるぞっ!!」
吠える。ありったけの憎しみを込めて、望むは闇へ紛れた神へと。そんな望の心の澱に共鳴するかのように、望の心が荒れれば荒れるほどに辺りの闇は徐々にその粘度を増し、凝っていく。
やがてコールタールのようになった闇に囚われ、ついには口を開くことすら出来なくなってしまった望は、それでも神への呪詛を心の
遺してしまった父母を想い、理不尽に抗えなかった自分自身に怒りを募らせる。
やがて、どこまでが自分の身体で、どこからが自身の呪いを象った闇なのか解らなくなった頃、突然目の前に仄かな光が溢れだした。
その光はややして急に拡がり、辺りをぼんやりした光が満たす。
光が溢れたと同時に、望は己が体が再び動かせるようになっている事に気付く。
望はようやく開くようになった口を大きく広げて、重く鬱積したものを外に吐き出す。
こうして望は、新たな世界に産声を上げたのだった。
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