途切れた記憶と始まりの日 3
病院でもらった地図を見ながら陽菜乃が辿り着いたのは、大きなお屋敷の前だった。
見上げれば窓がいくつもあることから、沢山部屋があるのだとわかる。
「ここが、わたしの家・・・・・」
慣れない手つきで家の門に手を掛けたその時、後ろから「本庄陽菜乃さんですか!?」と声を掛けられた。
知り合いだろうか。
振り向くと、ハンチング帽を被った男が立っていた。彼は、自分は帝都新聞の記者であると名乗った。
「あなた、昨夜の事件の生き残りの本庄陽菜乃さんですよね!?事件当夜の話を聞かせていただきたいのですが」
「え、あ・・・・あの」
言い淀んでいる陽菜乃に、記者が言葉を被せる。
「昨日、家の中は酷い状況だったそうじゃないですか。当主の和夫氏は何か所も刺され、見るも無残だったそうで。血の海の中、隠れていた貴方だけ無事だったわけでしょう。運がよかったですね、犯人の顔は見ました?」
「あ、の・・・・・」
「焦らさないで教えてくださいよぉ」
記者に身を乗り出され、陽菜乃は思わず後ずさる。
この人、何か嫌だ。
実際に起きた出来事を、まるで非現実であるかのように、物語の続きを知るように軽い調子で問い詰められ、とても居心地が悪い。
「あの、わたし・・・・・っ」
「聞けばあなたと当主、和夫氏の仲は険悪だったそうじゃないですか。今回の事件、あなたが関与している、なんて噂もあるんですよ?」
「・・・・・え」
「私としてはそんな細腕の、虫も殺した事のないようなあなたが事件を起こすとは思えないのですが。まぁ、世間はこういう噂話が好きですから。そんな噂を払拭する為にも、質問に答えてくださいよ」
「ちが、わたしはなにも・・・・っ!」
貼りつけたような笑顔が迫る。
じりじりと後退を続けていると、不意に誰かにぶつかってしまった。
「す、みませ・・・・・」
振り向けば、白い軍服姿の男性が後ろに立っていた。
病室を訪ねてきた警察官と重なり、陽菜乃が身を硬ばらさせていると、軍服の彼はにこりと人好きする笑みで言う。
「やぁ、僕のフィアンセくん」
「ふぃ、あんせ?」
この人は、知り合いなのだろうか。
陽菜乃が聞きなれない単語の意味を図りかねていると、新聞記者が声を上げた。
「し、下柳・・・・伯爵・・・・!?」
―伯爵・・・・・・?
驚き固まっている陽菜乃の肩に、下柳と呼ばれた彼の手が触れた。
「そこの君、すまないが彼女は疲れているようだ。質問はその辺にしてあげてくれたまえ」
「し、下柳伯爵のお知り合いでしたか」
「ああ。僕のフィアンセ、婚約者だ」
「こ、こんやくしゃ!?」
上ずった陽菜乃の声が響く。
下柳はその声を気にせず、さらに続けた。
「そうだとも。君は帝都新聞の記者だと言ったね?」
記者はしどろもどろに答えた。
「え、ええ。昨夜の事件、伯爵もご存じでしょう。昨年解決した帝都連続無差別殺人事件以来の大事件ですよこれは。ですから私も取材に・・・・・」
「取材であるなら、被害者である彼女が不快になる言葉を投げてもいいと?」
「不快にさせるつもりは・・・・」
「なるほど。不快にさせるつもりはなかったのなら、何を言ってもいいと」
ぞわりと鳥肌が立つ。
いつの間にか隣に立っていた彼の顔を見上げると、そこに先程までの笑みは無かった。
冷え切った目で記者を見降ろす下柳に、陽菜乃は息を飲む。
しん、という静寂は数秒。
けれども陽菜乃と、おそらく記者にとってもそれは実際よりも長いもののように感じた。
「し、失礼します」
沈黙に耐え切れないという風に、記者が頭を下げながら走り去っていく。
よかった。
記者から解放され、肩の力が抜けたその時、
「え・・・・?」
陽菜乃と視線を合わせるように下柳は腰を折り、口を開いた。
「お嬢さん」
「は、はい」
「昨夜は大変だったろう、歩いて平気なのかい?」
「は、はい。身体は、なんともないので」
言いながら、陽菜乃は気づく。
ふわふわとなびく栗色の髪。
ビー玉のような大きな瞳に、薄い唇。
この人は、とても整った容姿をしている。
吸い込まれるように彼を見つめていると、下柳は首を傾げた。
「身体は、とは?」
「え?」
「君の答え方だと、身体以外の場所に問題があるように聞こえるね」
「いえ、そ・・・・それは」
陽菜乃は下柳から目を逸らす。
『おまえが全員殺したんじゃないだろうな』
記憶が無いと言えば、この人も彼らと同じことを言うかもしれない。
陽菜乃は唇を噛み、下を向いた。
何か言わなければと考えを巡らせていると、パンッと突然下柳が手を叩き、明るい声で言った。
「うん、場所を移動しようではないか」
「え・・・・・?」
下柳は陽菜乃の答えを聞く前に、陽菜乃の手をとり歩きだしてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「お腹はすいていないかい?ちょど甘いものが食べたくなる時間だ、何か好きな物はあるかな?」
「え、いえわたし別にお腹は空いてな・・・・・」
「では僕のお茶に付き合ってくれたまえ」
ああ、だめだ。話を聞いてくれない。
下柳は陽菜乃の手を引きどんどん前へ進んでいってしまうので、陽菜乃からは彼の表情が見えない。
だが、声の調子からとても楽しそうだということはわかる。
これからどうなるんだろう。
予測不能な彼の行動に置いていかれないよう、陽菜乃は懸命に足を動かした。
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