途切れた記憶と始まりの日 2

 昨夜未明、造船業で財を成した本庄家屋敷に何者かが侵入。

 侵入者は家の主、本庄和夫ほんじょうかずおをはじめ、妻の本庄基子もとこ。他、使用人五名を殺害。

 今朝方、屋敷に新聞配達の為訪れた男が家の異変に気づき、事件が発覚。

 惨劇の中、本件捜査にあたっていた警官がクローゼットで意識を失っている本庄家の一人娘陽菜乃を発見。病院へ搬送。

 現在も警察の捜査が続き、未だ犯人は捕まっていない。

 本紙は今後もこの事件の追い、報じていく所存である。

                 (大正十年三月十日。帝都新聞朝刊)



 医者と看護婦に渡された新聞を丸める。


 これが昨日、自分の身に起きたのだと言われても、全てが作り物のように感じる。


「きっと、精神的な負担が大きかったのだろう。あれだけの事件だ、無理もない。体に問題はないし、記憶の方はおそらく、時間をかけて戻っていくだろう」

 しかしそれがいつなのかわからないと医者は言った。


 本庄陽菜乃ほんじょうひなの、十六歳。本庄家社長令嬢。

 自分に関することで、持っている情報はこれだけだ。

 住んでいた場所も、家族の詳しいこともわからない。


 自分の事がわからないなんて。

 陽菜乃は目を閉じ、ベッドに身体を沈ませる。


 途方もない喪失感に飲み込まれそうになっていると、コンコンと病室の扉を叩く音がした。


「はい、どうぞ」


 陽菜乃が返事をすると、揃いの紺色の服を着た男性が二人入って来た。

 背の高い髭の生えた男と、つり目が印象的な小柄な男。

 背の高い男が陽菜乃を見据え口を開いた。


「本庄陽菜乃だな」

「そうですが・・・・・あの、どちら様でしょうか」

 彼らは黒い手帳を見せ、警察官だと名乗った。

「昨夜の事件、おまえしか生き残りがいないんだ。クローゼットの中に隠れていたのなら、犯人の顔を見たんだろう。どんな風貌だ」

「聞けば、あなたの父上はかなり強引な経営をされていたようで。誰かに恨まれていたとか、心当たりくらいはあるでしょう?」

 背の高い警察官とつり目の警察官に交互に質問される。

「あの、待ってください」

 頭が追いつかない陽菜乃に痺れを切らしたのか、背の高い警察官が大きく机を叩いた。

「早く答えろ!お前の身内が殺されているんだぞ」

 その音に、言葉に、身体が固まる。

「わたし・・・・・っ」

「答えんとしょっぴくぞ」

 背の高い警察官にギロリと睨まれる。

 つり目の警察官は私達の会話を無表情で静観していた。

 このまま黙っていても、何も解決しない。

 正直に話そうと、陽菜乃は口を開く。

「思い、出せないんです・・・・・」

「思い出せないだと!?ふざけるな」

「―っごめんなさい。記憶が、ぬけてて・・・・・」

「家族が殺されてるんだぞ。そんな都合のいいことがあってたまるか。もしや、おまえが全員殺したんじゃないだろうな」

「っ・・・・・違います!」

 咄嗟にそう叫んだ後、後悔した。

 違うと言える根拠は、今の自分には・・・・・。

 大声を出した陽菜乃を不審そうに見ている二人。

 どうしようと思ったその時、言い争う声に気づいたのか目が覚めた時に傍にいた看護婦さんが部屋に飛び込んできた。

「大丈夫ですか!本庄さん」

 彼女は警察官二人に気づくと、ぐっと眉を寄せた。

「彼女は今不安定なんです。とてもお話しできる状態ではありません。お引き取りを」

「この娘に話を聞かねば捜査がすすまないだろうが!」

 彼女はなおも引き下がらない警官よりも大きな声を上げた。

「ですから、この子は話せる状態ではないと何度お伝えすれば満足ですか!お引き取りを!」


「チッ・・・・・」

 警察官二人は今のわたしからは何も聞けないとわかったのか、連絡先だけ押し付けて帰っていった。

「またあの人達が来たらすぐに呼んでちょうだい」

 看護婦さんに労わるようにそう言われ、再び病室に一人になった陽菜乃はため息を吐く。


『家族が殺されてるんだぞ。そんな都合のいいことがあってたまるか』

 

 警察官の言葉が、妙に頭に残っていた。


 今のわたしは、どれだけ疑われても否定できるだけの記憶を持っていない。

 わたしは昨日、何を見た・・・・・?

 強く目をつぶり陽菜乃は自分に問いかけるが、答えは出ない。


「まるで迷子だ」


 それならばと陽菜乃はベットから降り、クローゼットを開く。

 そこにはセーラー服が綺麗に掛けられていた。

 制服に袖を通し、陽菜乃は今自分がやらなければいけないこと、求められている役割を果たそうと決めた。


「まずは、自分の記憶を探すところから始めないと」


 陽菜乃はそう口にした後、静かに病室の扉を閉めた。

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