第25話 蛇の道は高千穂(たかちほ)


 ちょん、ぴちょん、と。

 かつて階段だった奇形樹が涙らしきものを滴らせる。


 キャタピラ状の樹皮を伝うのは濁った土色の液体。

 マムシが奇形樹を溶かし、少しずつこちらへ降下して来ている。

 傍には当然、タカチホもいるだろう。


「兄ちゃん、下がらないと……!」


 シュウが遠慮がちに告げ、客室へ目を向けた。


「あっちに昨夜使わなかった武器と罠がある。それで迎撃を――」


「ダメだ」


「な、何でだよ?!」


「……あっちにはユメミがいる」


 突如として姿を消したユメミは客室のどこかに潜んでいる可能性が高い。

 あいつは武道を嗜む女だ。

 物音を立てずに俺たちの傍を離れ、どこかに身を隠すことなど造作もないだろう。


「ユメミさんがいたら困るみたいな言い方ね」


 ロッコが探りを入れるような目で俺を見上げる。


「……ヒゲ、私たちに何か隠してない?」


 俺は数秒躊躇したが、水音に急かされ、思い切って口を開く。


「あいつは子どもを殺してる。それも一人二人じゃない」


 もっと言えば、殺し方がまともじゃない。

 オイルがたっぷり入った透明の容器に死体を浸し、悦に入る。

 はっきり言って異常者。


 ――さすがにそこに言及することは控えた。


「……はあ?」


 ロッコが上げたのは驚きではなく呆れの声だった。

 シュウが浮かべているのも怯えではなく、俺の正気を疑うような表情。


「何言ってんの、兄ちゃん」


「信じられないだろうが、マジだ。あいつは――」


 ちとん、ちとととん、と床を叩く水滴が速度を増す。

 俺たちはいっせいに奇形樹を見上げ、顔を見合わせる。


(こんな話してる場合じゃない……!)


「ヒゲ。とにかくユメミさんを探さないと!」


「だからあいつは――」


「人殺しね。分かった。ならもうそれでいいから。それでも、探さないといけないことには変わりないでしょ?」


 その通りだった。

 ユメミの持つジムグリの腕を除けば、今の俺たちに有力な武器は無い。

 この状況でマムシとタカチホに遭遇すれば間違いなく殺される。


 武器と罠は絶対に必要だ。

 そのためには客室の安全を確認しなければならない。


「クソ。離れるなよ……!」


 子供たちを連れ、客室層の中央に伸びる通路を進む。

 左右の部屋のふすまを一つずつ、勢いよく開いていく。


 死者。

 死者。

 死者。

 死者。


 どの客室にも面をつけた死者しかいない。

 めいめい好き勝手に音楽をかき鳴らし、博打や舞踊に興じている。


 なら、ユメミはかわやか風呂場か。

 そう思って覗き込んだが、どちらも空だった。


(いない……?)


 振り返る。

 すべての襖が開け放たれ、客室層が一望できる状態。

 ――ユメミはどこにもいない。


 俺は畳の敷き詰められた床を見やる。


(落とし穴に隠れたのか……?)


 可能性はある。

 俺たちは客室のあちこちにマムシの腕で穴を開け、畳で隠している。

 そこに身を潜め、接近した俺の足首をジムグリの腕で掴むつもりなのかもしれない。


(……。いや、おかしいだろ)


 俺は自らのイメージを打ち消した。

 武道由来の体捌きに加えてジムグリの腕を持つユメミは真っ向勝負でも容易に俺を殺すことができる。

 わざわざ奇襲に徹する必要性がない。

 

 なら、彼女はどこへ行ったのか。

 可能性としては窓から飛び降りたか、かわやの穴から闇へ身を投げたかだが――――


(――――) 


 脳の隅に押し込んでいた幾つかのパーツが、ぱちんと噛み合う。

 ニューロンに甘い火花が散った。

 

(まさか……)


「兄ちゃん、マムシだ!!」


 振り返ると、階段付近に池ほどの水溜りが生まれていた。

 時折、ばしゃ、がらら、と瓦礫が落ち、水が跳ねる。

 もう一分とせずにマムシは客室層に降り立つだろう。


「客室に入れ! 通路に出るな!」


 理由はともかく、ユメミがいない。

 それはジムグリの腕が失われたことを意味しており、事前に用意していた策の九割近くが使用不能になったことを意味する。


 落とし穴はある。槍程度なら武器もある。

 だが、それだけだ。

 突き落とされたら戻れない。溶かされたら治らない。

 この状況で万全のタカチホとマムシが相手。


(どうする……。どうやってあいつらを……!)


 手札が乏しく、敵が強い。

 おそらく、これまでのどの夜よりも。


(溶かす能力と、影で相手を操る能力……)


 槍や罠ではその場しのぎにしかならない。

 決定打が必要だ。

 ジムグリの腕に頼らない決定打。


(何かないか……今ここにある道具の中に……!)


 頭をかきむしり、考える。

 ちりちりと脳が焦げ付く感覚。


「落ち着いて」


 そっと俺の腰に触れたのはロッコだった。

 彼女の背筋は伸び、目線は敵が降り立つであろう地点を見据えている。


「向こうだって万全じゃない」


「何……?」


「光の向き」


「っ! そうか……!」


 奇形樹と化した階段があるのは船首、つまり光源側だ。

 影は二人のヤツマタ様から俺たちの方へ向かって伸びることになる。

 こうなるとタカチホの能力は使えない。


(それに、ここなら……)

 

 客室層を見渡す。


 奇形樹、つまり階段のある方向に窓はない。

 客室には窓があるものの、障子が張られている。

 俺たちの影は薄く、船側へ向かって僅かに一メートルほどしか伸びていない。


「マムシはたぶん、あっち側の壁を溶かそうとするはず」


 ロッコは顎で奇形樹付近を示した。


「それでもまだタカチホは攻撃できない。私たちより船尾側に立たないといけないから」


「ああ」


「タカチホはそこまで強くないし、マムシは真っ直ぐ突っ込んで来ることしかできない。付け入る隙は必ずある。だから、落ち着いて」


「……」


 こっちは三人、向こうは二人。

 こちらには武器と罠。向こうには使用に制限のある能力。

 勝機は薄いが、俺が思う程ゼロに近いわけではない。


「協力、するから」


 ぽつりとロッコが呟く。


「私もシュウも、もうあんたをバカにしないから」


 シュウが小さく頷き、スライドさせた畳の下から槍を取り出す。


「ああ」


 拳を手の平に叩き付ける。


「やるぞ」






 ぱちゃん、と。

 草履とブーツが水溜りを踏んだ。

 降り立ったのは陣羽織に袴姿のマムシと、軍服姿のタカチホ。


 30メートルほど離れた地点で俺たちは身構える。

 手にはふすまの槍。


 退路は無い。

 ジムグリの腕を持つユメミが消え、階段を失った今、甲板に上がることはできない。

 この夜の終わりはどちらかの全滅以外にありえない。


 ぱちゃ、ぱちゃん、と濁った液体が跳ね、二人の蛇が歩き出す。

 緊張は感じられない。

 ギリギリまで獲物に近づく捕食者を思わせる、ゆったりとした歩み。


(後ろの壁を溶かさない……?)


 想定外の動きに俺は眉を寄せた。

 ともあれ、向かって来るなら好都合だ。


「……」


 シュウ、ロッコと目配せする。

 客室の畳の幾つかは落とし穴になっており、武器を隠した畳や足止めの罠を仕込んだ畳もある。

 そこへうまく誘い出し、各個撃破。

 吊り天井のような必殺の罠が使えない以上、そうした泥臭い戦法を取るしかない。


(来い……)


 マムシとタカチホが客室層を一望する。

 俺、シュウ、ロッコはかかとを僅かに上げ、前傾姿勢を取る。


(来い……!)


 汗が頬を伝い、畳で跳ねる。

 速まる心音に合わせて視界が小刻みに揺れる。




 タカチホが、刀を抜いた。

 



(?!)


 漆塗りの鞘から抜かれた刃は――鏡だった。

 『鏡のように研ぎ澄まされた刃』ではなく、文字通りの『鏡』。

 つばの先に伸びているのは刃の形にくり抜かれた鏡だ。


(……。……なるほど。そういう用途か)


 鏡があれば光を反射することができる。

 タカチホの「影」の能力とは相性の良い武器だ。


 だが光源は未だ彼女の背中側にある。

 そもそも、壁には光を通す小さな穴すら開いていない。

 抜くにはタイミングが早すぎる。


(威嚇か。いや、刀としても使えるってことか?)


 刀。

 ――何ら問題はない。

 俺が足踏みで合図すると、シュウとロッコは足元の畳を剥いだ。


 幅と長さを二人のサイズに合わせた『畳の盾』。

 同じものは客室の床のあちこちに仕込んでいる。

 刃物程度ならこれで十分防げるはずだ。

 マムシの能力に比べれば刀など恐れるに足りない。


「まだ持つな」


 俺は囁く。


「刀にビビッて畳を構えてるとマムシが見えなくなる。まだ持たなくていい」


 二人はうなずき、盾から手を離した。


 するすると、黒と緑の蛇が距離を詰める。

 足運びに迷いはない。

 射抜くような視線も俺たちに注がれたままだ。


(――――)


 待て。

 おかしい。

 あの身体能力のタカチホが、刀一振りでこうも大胆になるわけがない。

 甲板であれほど逃げに徹していたくせに、なぜ今になって一直線に突っ込んで来るのか。


「……兄ちゃん。あれ、何かまずい気がする」


 シュウが唇を震わせている。


「タカチホって、影が伸びてる船尾側からしか攻撃できないんだよな? だったら最初からもっと必死にポジショニングしてないとおかしくないか?」


「……!」


「あいつ、すげえモタモタ船尾側に移動してただろ。あれって――」


 自分が船首側では無力であると思い込ませるため。

 戦いの場が客室層に移った時、こちらの油断を誘うため。


「ヒゲ!」 


 タカチホの持つ鏡の刀が動いた。

 半月を描き、切っ先が下ろされる。


(……?)


 遠目なので分からないが、鏡には『何か』が映っている。

 その『何か』をタカチホが掴んだ。

 刀身ごと。


「ふくっ?!」


 呻くと同時に、シュウが槍を取り落とした。

 少年の両肘は腰のあたりにぎゅっと押し付けられ、上半身が鉛筆のように硬くなっている。


「どうした?!」


「つ、掴まれてる!! 何かに!」


 シュウは必死の形相で腕を動かそうとしたが、手首から肩までの部位はぴくりともしない。


「足は動くか? なら走――」


 ずるずるる、と。

 見えない大蛇が締め付けるようにシュウの拘束が強められる。

 太ももと膝がぴたりと閉じ、少年の胸から下は完全に動かなくなった。


「う、動けない!」


 幸い、口は動かせるようだった。


「鏡だ! あいつ、鏡に映った俺の体を掴んでる!」


「何……?!」


 振り向く。

 タカチホは鏡の刀身を片手で握ったまま動かない。


「あいつの能力、掴めるのは『影』だけじゃないってこと……?!」


 本体から伸びた『影』。

 鏡に映った『像』。

 タカチホはそれらを掴み、持ち主を操る。

 定義するなら――――

 

「『掴んだものの「実体」に干渉する能力』……!」


 奴の射程は影の伸びる範囲ではない。

 水でも鏡でも蜃気楼でも構わない。とにかく標的の姿形が映し出されてさえいれば、タカチホは本体に干渉できるのだ。


 刀を掴んだ黒蛇は動かない。

 影と違い、鏡に映った像は鏡自体の動きと連動する。

 不用意に動けば拘束が解けてしまうのだろう。


 立ち止まったタカチホを残し、マムシがするすると接近してくる。


(まずい……!)


 シュウが完全に拘束されている。

 この状況でマムシが突っ込んで来たら、俺たちはシュウを庇いながら奴と戦う羽目になる。

 少しでも目を離せば、マムシは身動きの取れないシュウに噛みつくだろう。


「ロッコ! 黄色の陣!」


 だが、まだだ。

 こっちには客室の罠がある。

 マムシは少しずつ慎重に進むしかない。

 うまく立ち回ればマムシを討ち取




 すっ、と。

 タカチホが柄を握る方の手を離した。


 もう片方の手は刀身と、そこに映ったシュウの胴体を掴んだままだ。




(……?)




 空いた手がゆらりと動く。

 蛇は人差し指を立て、シュウの顔を映した刀身に添えた。




(……)


 能力ばかりに気を取られ、まるで注視していなかった部位がある。

 ヤツマタ様の『爪』。


 タカチホの爪は鋭く研ぎ澄まされていた。

 その爪が、しゅっと刀身を真横に滑る。




 次の瞬間、ぱたた、と何かが畳を叩いた。




 音のした方へ目線を下ろすと、そこには大小の花が咲いている。

 赤黒い花。

 畳に染み、滲んでいるのは血液だった。


「ガぅッッ!!!」


 シュウの首が真っ赤に染まり、流れた血が幕を作っていた。

 つぱっ、と一拍遅れて後方の畳が裂ける。


「シュウッッ!!」


 俺はほとんど悲鳴に近い声を上げたが、少年は勢いよく首を振った。


「あ、顎が切れただけ! 喉じゃない!」


 言葉の通りだった。

 裂けているのはシュウの顎付近で、喉を濡らしているのはそこから流れ出した血だ。

 傷は深いが、命を落とすようなものではない。


 だが、あと数センチ下にずれていたら違っていた。

 そこには頸動脈が走っている。


 寒気に似た恐怖に襲われる。


(拘束したり投げ飛ばすだけじゃない……! 掴んだ像を攻撃すれば、本体にダメージが跳ね返るのか……!)


 ダメージのフィードバック。

 まるで呪術の人形だ。

 甲板で使わなかったのは、投げ飛ばした方が手っ取り早いからだろう。


「ぐ、ァっ……!」


 タカチホの爪は刀身を軽く引っ掻いただけだが、シュウの傷は不自然に深い。

 おそらく奴の能力は対象に働く物理法則を部分的に無視するのだろう。

 掴んだ影を振り払えば質量を無視して本体が吹き飛ばされ、鏡に映った像を引っ掻けばいくら肉が厚かろうと深手を与えることができる。


「ク、ソッ!」


 俺はスターターピストルを鳴らされたように走り出す。

 一瞬で最高速に乗り、全力でタカチホへ向かう。


(この位置はまずい……!)


 拘束を解かなければ次の一撃でシュウは死ぬ。

 その前にタカチホにダメージを与え、鏡を奪うか破壊しなければならない。


「はっ、はっ、はっ……!」


 同じく全速力で走るロッコの息遣いが聞こえる。

 畳だらけの客室が左右に流れ、二人の蛇との距離が詰まる。


 だが――――


(遠い……!)


 俺たちとタカチホは二十メートルほど離れている。

 おまけに、客室には罠がある。

 位置を把握しているため回避は容易だが、スピードは自然と落ちる。


 ヤツマタ様の長は弦楽器でも抱えるように鏡刀を構えたまま、位置と角度を調整した。

 先ほど仕損じたのはシュウの『映り方』が悪かったからだろう。

 掴まれたままのシュウは動けず、はりつけに近い状態のままだ。

 もう数秒で次の攻撃が来る。


(間に合え……!)


 十メートルの距離まで迫ったところで、タカチホの指が刀に触れた。

 更に袴姿のマムシが前に出る。

 ゆらりと両手が動き、迎撃の構え。


(畜生……! こいつ……!)


 マムシを突破し、タカチホを攻撃。

 できるか。間に合うか。


(間に合わな――――)




 どたん、とロッコが畳を踏んで急停止した。




「でええっっ!!!」


 両手が床に突き入れられ、畳が剥がされる。

 ぶおん、と盾用にカットされた黄緑色の正方形が横に飛ぶ。


 タカチホの指が滑ると、宙を舞う畳がざぐんと裂けた。


(! そうか、その手が……!)


 タカチホは『掴んだものの実体に干渉する』。

 彼女は今、鏡に映ったシュウの実体を攻撃している。

 なら、シュウを覆い隠すように別のモノを鏡に映してやればいい。

 ロッコは初めからタカチホへの攻撃ではなく、そちらを狙っていたのだろう。


 どだん、と拘束を解かれたシュウが転倒する音。


「ヒゲ! まだ! 今の読まれてる!」


 袴姿のマムシが突っ込んで来る。

 緑の蛇の能力は『掴んだものを溶かす』。

 鏡と対象の間に遮蔽物を挟まれた場合、こいつの出番ということだろう。


「槍と盾!」


 畳を剥がし、槍と盾を掴む。

 だが――――


(どうするんだこいつ相手に……!)


 袴姿のマムシは脚を一切見せず、滑るように駆ける。

 陣羽織を着た威圧的な姿。

 手の平の『口』から赤い舌が出入りしている。


 十五歩。


 十歩。


 五歩。


「くっ!」


 槍で脛を薙ぎ払いながら後方へ跳ぶ。

 マムシは僅かに速度を緩めたが、怖気づく様子はない。


「だああっっ!!」


 ロッコが真横から振り抜いた襖の槍を、ぱしんとマムシの手が受けた。

 ぴちゃあ、と穂先が液化する。


 マムシが一足飛びで踏み込み、俺に向けて片手を振るう。

 後方へ跳んで回避すると、緑の蛇は回転を織り交ぜながら追撃する。


 蛇の手がカスタネットさながらに何度も宙を噛む。

 ぴちゃちゃちゃちゃ、と液化した空気が畳で跳ねた。

 牙から滴るよだれに似た飛沫が俺の頬を叩く。


(――――……!)


 恐怖がかびさながらに全身を覆う。

 湿りかける心に火を入れ、吠える。


「っらあああっっっ!!」


 足先を狙って槍を薙ぎ払う。

 マムシは軽快に跳び、これをかわした。


「ロォォッコッッ!!」


 着地を狙い、ロッコが槍を突き出「うあっ?!」

 

 一瞬早く、マムシが液化した空気を投げつける。

 目潰しを受けたロッコがよろめき、マムシの目が細められた。


「させねえ!」


 返す刃で再び脛を薙ぐ。

 マムシは片脚で着地し、もう片方の足裏で槍を受け流した。


「っ」


 ぎょん、とマムシが急加速する。

 俺は薙いだ勢いそのままに槍を手放し、後方へ跳ぶ。


 ぶおん、と鼻先を緑の手が掠めた。

 液化した空気がしたたり落ちる。

 

「だああっ!!」


 駆け付けたシュウが畳を投げつける。

 マムシは身を捻って回避し、後方宙返りで距離を取った。


「タカチホが来るぞッッッ!!」


 俺たちは素早く畳を掲げ、タカチホの立つ場所へ向けた。

 ざん、とロッコの持つ盾が裂ける。


「通ってない! ガードできる!」


 ロッコは両断寸前の盾を放り投げ、次の一枚に飛びついた。

 シュウが槍を投げつけ、なおもロッコを鏡に映そうとするタカチホに回避行動を強いる。


(戦える……!)


 タカチホの攻撃は脅威だ。

 が、マムシと俺たちが乱戦にもつれ込めば能力を使われることはない。

 足を止めれば鏡の拘束を使われるが、そのタイミングでタカチホに畳を向ければ防御できる。


 要するに、タカチホはライフルを抱えた狙撃手のようなものだ。

 スコープに入らなければ攻撃されることはなく、引き金を引かれる前に遮蔽物を挟めば防御できる。


 奴の装いはこの客室層で異様に目立つ黒一色。

 常に視界の隅に置き、挙動を警戒し続ければいい。

 まずはマムシだ。

 ここは――――


「……緑の陣!」


 ここは、落とすしかない。

 第二夜でカガチに使った、「部屋の半分が滑落する罠」がまだ残っている。

 ポイントまで誘い出すか押し込む。

 

 突っ込んで来るマムシの腕を避け、槍を振るう。


「ヒゲ!」


 ロッコがマムシの攻撃をかわしつつ、吠える。


「アレを使ったら?!」


「アレ?!! アレって何――」


 ――『アレ』か。

 確かにこの状況なら使える。

 マムシとタカチホはおそらく気付いていない。


 だがアレを隠しているのは滑落罠の反対側だ。

 失敗したりうまく作用しなかった場合、そのままこちらが追い詰められる可能性もある。


(どうする……罠か、アレか……)


 マムシを牽制しつつ、考える。

 畳が飛び、槍が振るわれる。

 マムシは何度か落とし穴に嵌まりかけたが、すんでのところですべて回避していた。

 足運びが慎重だ。

 シマと組んだ夜にこのフロアで戦ったことのある彼女は、罠をかなり警戒している。

 だがアレは――――


(待て。もしかすると――)


 閃く。

 脳内パズルのピースが組み替わり、描き出される図像が変わる。


「もう私の言うこと聞けなんて言わない! あんたが決めて!」


 一秒。

 考え、決める。


「アレを使う。赤の陣だ!」


 三人同時に、動き出す。

 三方向から迫る槍をマムシは手の甲で受け流し、足で踏み、くるりと回転してかわす。

 

 姿勢の崩れた俺たち目がけて緑の手が伸びる。

 回避。

 転倒。

 反撃。

 タカチホに盾を向け、マムシに向かって駆ける。


 槍と畳が舞い、緑の蛇が踊る。

 死者たちが行き交い、対戦型格闘ゲームの背景のように好き勝手な動きを繰り返す。


 アレの隠し場所まで、六歩。

 五歩。

 四歩。


(行ける! ここで――)


 ロッコの槍をマムシがかわす。

 シュウの槍をマムシが溶かす。

 俺の槍が




 槍が、動かない。




(?!)


 槍だけではない。

 身体が動かない。


 ぼろりと槍が手を離れ、畳の上を転がる。


(嘘だろ。何でこのタイミングで――)


 首を九十度曲げ、視界の隅に立つ黒い人影に目の焦点を合わせる。

 そこいるのはタカチホ――




 ――ではない。




 黒衣だ。

 畳に突き立てられた刀の鞘と、その上にかぶせられた黒衣。


(う――――?!)


 俺を挟んで反対側――つまり船尾方向で、ばん、と畳が床を叩いた。

 顔を向ける。

 ラバースーツ姿のタカチホが立っている。

 鏡の刃に俺の姿が映り、首から下が黒い手で掴まれている。


「ッッ……!」


 自分への注意が薄れたところで黒衣を囮に死角へ。

 畳で身を隠しながら俺たちの背後に回り、そのまま船尾方面へ向かった。

 思い付きにしては動きが早すぎる。

 初めから狙っていたとしか思えない。


「――……ッ!」


 言葉を発しようとしたが、できない。

 口までもがタカチホに抑えられている。


「兄ちゃん!」


 俺が棒立ちになったのを認めるや、マムシが攻勢に転じた。

 地を蹴った緑の蛇はシュウを蹴り飛ばし、瞬く間に俺との距離を詰める。


 五歩。

 四歩。

 三――


 かっと緑の手が開かれ、舌と口腔が覗く。


(――――!)


 思わず目を閉じる。

 



「イタチッッ!!」




 金切り声に近い悲鳴と共に、畳を掲げたロッコが割り込んだ。

 ほぼ同時にマムシの腕が振り下ろされる。


 ぼじゅん、と奇怪な音。

 ロッコの身がバレリーナよろしく一回転した。

 鎖骨から腰にかけての肉が斜めに溶け、少女の身が上下で二つに分かれるのが見えた。

 持っていた畳も斜めに裂けながら一回転し、黄緑色の水しぶきを散らす。


 ばたたん、と二枚の畳が床を打つ。

 ロッコはいない。

 消えた。


「――っ?!」


「兄ちゃん逃げろ!」


 畳を掲げたシュウが俺とタカチホの間に割り込む。

 拘束を脱した俺はマムシの腕をかいくぐり、その足を払った。

 緑の蛇が背中から床に叩き付けられる。

 

「こ、のっ……!」


 取り落とした槍を掴み、マムシの腹に突き立てる。

 緑の肢体がぴんとしなり、陣羽織に血が滲んだ。


「死んどけ、クソ蛇が……!」


 ずばん、と畳が裂ける音。

 振り向けばシュウの持つ盾が切り裂かれていた。

 少年は次の盾を探そうとしたが、この辺りに武器を隠した畳は無い。


「兄ちゃん! 俺がやる! 囮お願い!」


「!」


 次のアクションを決めかねていたタカチホが、シュウの言葉に反応した。

 鏡が少年へ向けられ、刀身が掴まれる。


「ぐっ?!」


 タカチホの能力が発動し、シュウが縫い留められたように硬直する。

 ぎりぎりと見えない何かに締め付けられるようにして少年の腕が曲がり、腰に押し付けられる。


「シュ――」


 呼びかけようとして気づく。

 シュウの「囮お願い」は、タカチホのスコープを自分に向けるためのブラフだと。


「っ!!」


 俺は目的の場所まで突っ走り、畳を引き剥がす。

 モノを掴んで引き返すと、タカチホが鏡の角度を調整し終えるところだった。


 爪がナイフのごとく閃き、鏡に映った少年の喉に突きつけられる。


「シュウッッッ!!!!」 


 俺は畳の下から取り出したモノを構え、タカチホとシュウの間に飛び込んだ。

 その瞬間、黒い蛇の指が刀身を滑る。




 数秒、時が止まった。


 ヒバカリの能力によるものではない。

 その場の全員が動きを止めたせいで、時間が止まったように錯覚しただけだ。




 俺が掲げていたのは鏡だった。

 第三夜に船外へ放擲し、舳先へさきに括りつけられていた鏡。


 最終夜は総力戦だ。

 どんな些細な道具も無駄にはできない。

 俺たちはノヅチの目を盗んで舳先の鏡を回収し、このフロアに隠していた。

 いざという時、ヤツマタ様に向ける盾とするために。


「――――」


 ぱきん、と。

 俺の持つ鏡がひび割れた。

 『タカチホの鏡に映った俺の鏡』の本体が、彼女の爪を受けて割れたのだ。


 だが今この瞬間、タカチホの鏡に映っているのは俺の鏡だけではない。

 俺の鏡には『刀を構えた彼女自身』が映っている。


「超強いよな、その能力」


 タカチホの目は未だ俺に向けられている。

 ぴし、と鏡の刀に蜘蛛の巣状のひびが入った。


「……自分で喰らうとよく分かるだろ?」


 びひゅ、とタカチホの喉が裂けた。

 鮮血がほとばしり、へたり込むようにして黒い身体が崩れる。


 ばたたん、と槍が床を転がる。

 シュウの握っていた槍だ。

 持ち主の姿は消えている。


 俺は地の上をのたうち回るタカチホに駆け寄った。

 そして彼女が取り落とした鏡の刀を掴み、傷口を抑える指ごと喉を叩き切る。


 ざぐんという嫌な感触と共に、ヤツマタ様の長は動かなくなった。

 舞い上がった血の飛沫が俺の頬を汚した。

 畳を濡らす赤い血で、ぬるりと足が滑るようだった。


「はっ……、はぁっ……」


 思い出したように心拍がスピードを上げる。

 呼吸は乱れ、機械が排熱するように全身から湯気が漏れ出す。


「ふっ……ふっ……!」


 血を滴らせる刀を目の高さに持ち上げる。

 鏡の刀身には蜘蛛の巣状のひびが入っていた。


 破片の一つ一つに、立ち上がったばかりのマムシの姿が映っている。

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