第23話 蛇の道は寸



 実家を出てから、悪夢を見るようになった。



 

 落ちる夢ではない。追われる夢でもない。

 一家で食卓を囲む夢。


 モノクロの世界。

 湯気を上げる料理を箸でつつきながら、談笑が交わされる。


 父が、母の見識の狭さを嘲笑っている。

 母は「私の貯金まで事業につぎ込んだ」と愚痴を吐く。

 隣り合って座る夫婦は互いの話を聞いていない。

 二人は正面の俺に向かって話し続けている。


 父はいかに経営者が優れた存在で、サラリーマンが愚昧な存在であるかを語る。

 母はいかにクラシック音楽が偉大で、ポップミュージックが低劣であるかを語る。

 祖母と妹も何かを話しているが、まるで会話が噛み合っていない。

 皆、自分が話したいことだけを一方的にまくし立てている。


 ただ一人聞いているのは、俺。

 俺は四人に交互に相槌を打ち、愛想笑いを浮かべる。

 何もおかしなことはない。

 他人が話している時は遮らずに最後まで聞く。

 そう教えてくれたのは両親だ。


 父が便利な時代の到来を嘆き、不便さこそが人間性を高めるのだと熱弁を振るう。

 母は、俺が一流企業に就職していたらと仮定の話を始める。

 父が人脈づくりの重要性を説き、地元の権力者とのゴルフを勧める。

 母が若くして名声を得た俳優について話し、あからさまな失望の溜息をもらす。


 尿意を催し、俺は席を立つ。

 ドアノブに手を伸ばすと、びきびきと手首に血管が浮き上がる。

 皮膚を突き破った血管は蜘蛛の巣状に広がり、食堂の壁や床にへばりつく。

 出て行こうとすれば鎖が俺を戒める。

 仕方なく、また席につく。


 父が自論をぶちまける。

 母が感情を垂れ流す。

 俺は黙ってそれを聞き、求められるがままに同意し、相槌を打つ。


 なんてことはない。

 ただのおしゃべり好きの両親だ。

 俺を理不尽に殴ることはないし、悪行をひけらかすこともない。

 だが俺は不快な汗をかき始めていた。


 幼い俺に寛容と謙譲の美徳を語った父は、傲慢でふてぶてしい男になってしまった。

 幼い俺に勇気と慈愛を説いた母は、悲観的な皮肉屋に成り果てていた。

 ――いや、俺が知らないだけで元からそうだったのか。


 無遠慮な話はなおも続いている。

 聞けば聞くほど、俺は両親のことが嫌いになる。


 赤の他人になじられ、蔑まれることなら耐えられる。

 産みの親を軽蔑する苦しみには耐えられない。


 息が荒くなり、汗が食卓をぽたぽたと汚す。

 いっそ虐待を受けていたら逃げ出すこともできた。

 だがそうではなかった。

 俺は十分に愛され、何不自由なく育った。

 その恩を一時の感情で踏みにじることなどできるわけがない。


 俺は両親の愛を感じている。

 だから何も言わないし、言えない。


 俺はまだ、子供の頃に教え込まれ、叩き込まれ、問答無用で歩まされた『正しい道』の上にいる。

 正しい道を歩む善良な子供は親に逆らわない。

 見識の誤りを指摘して恥をかかせることもしない。

 親のことは尊敬するしかない。

 ――尊敬に値しないと感じていても。


 食卓に座ったまま、俺は年を取る。

 両親も年を取り、顔には皴が、髪には白髪が混じる。


 一方的な話はまだ続いている。

 俺は何も言えないまま身を縮める。

 目を閉じ、耳を塞ぐ。




(――――……)


 泥水から顔を上げるようにして、ゆっくりと意識を取り戻す。

 寒天のようになめらかな冷気と、どこか空々しい畳の匂い。

 一秒ほどかけて、自分の置かれた状況を思い出す。


 半透明の死者が行き交う、畳張りの和室。

 ここは灯籠廻船だ。


 心臓が強く打ち、活力の源である酸素を乗せた血が全身を巡る。

 明滅する視界にフラッシュバックするのは蛇女の残像。

 傾き、崩れる船。

 叫びと怒り。

 戦いと痛みの記憶。


 湖面が揺らぐようにして蛇たちの姿が消える。

 代わって俺が幻視するのは、子供たちの顔。

 父との不和に怒るシュウ。

 母との不和に沈むロッコ。

 それを励ます俺。

 

(……)


 そうだ。

 悪夢を見ている場合ではない。

 戦わなければ。

 戦って、あの親の元へ戻らなければ。

 怨嗟をぶつけるためではなく、対峙するために。


 もうすぐ俺には子どもができる。

 自分の親から逃げ回って来た男が、真の意味で『親』になれるわけがない。


 喧嘩別れか、お涙頂戴の浪花節なにわぶしか。

 あるいは冷淡な、なし崩しのような和解か。

 どんな形になるのかは分からないが、決着はつける。

 他ならぬ俺がシュウとロッコに促したように。

 その為にも今は戦わなければ。


 新たな死者が俺のすぐそばを滑り、ふすまをすり抜けた。

 両膝を押し、立ち上がろうとする。



「イタチさん」



 壊れ物を床に置くように慎重な声。

 振り向く。

 背の高い制服姿の少女が立っている。


「ユメミさん」


 糸を思わせる細目。

 戦闘を終えた今、それが開くことはない。


「気分はどうですか?」


「大丈夫だ。……ロッコとシュウは?」


「上で休んでいます。準備も終わりました」


 ユメミは流れ落ちる反物のようにするすると座り込んだ。

 そして紫色の左腕を軽く掴む。


「……やっぱ無理だったか」


「ええ。すみません」


「謝ることじゃないだろ」


 ヤツマタ様の腕は、肘部を強く掴むことで蜥蜴とかげの尾のように引きちぎることができる。

 同じように肘部から先が失われていれば、俺たちの腕にも接合できる。

 今まではそれをフル活用して戦ってきた。

 だが――――


「色々考えましたが、腕を落とす方法は思い付きませんでした」


 ヒバカリとアオダイショウとの戦いで俺はマムシの左腕を、ロッコはジムグリの右腕を奪われた。

 幸い、ジムグリの左腕を持つユメミが治癒したため、隻腕で戦うはめにはならなかった。

 だが逆に、本来の両腕を取り戻した俺たちはヤツマタ様の腕を接合できなくなってしまった。


 今、こちらの手元にある蛇の腕は三つ。

 一つは掴んだものを癒すジムグリの左腕。

 一つは掴んだものの時を止めるヒバカリの左腕。

 一つは掴んだものを軟らかくするアオダイショウの右腕。


 俺とロッコの「人間の腕」を肘から切り落とすことができれば、どれかを繋ぐことができる。

 だがそのために必要なマムシの腕は既に無い。


「肉はどうにかなりそうでしたが、やはり骨を断つのは無理です」


「だよな……」


 船内には襖や畳といった設備があるものの、人間の腕――特に骨を切断あるいは破砕するほどの鋭利さや強度を備えたモノはない。

 これで俺とロッコ、シュウは人間の腕のみで戦うしかなくなった。


 法則通りなら、最後の夜はマムシが来る。

 戦闘の最中に腕を溶かされれば『接合』の余地が生まれるかもしれない。

 だがそれは向こうも承知済みのはず。

 腕の『接合』を意識して動けば、かえって隙を晒す事態になりかねない。

 ――最悪、いずれかの腕を奪い返されることもあり得る。


「二人には腕のことは忘れるように伝えています」


「それがいい。……ユメミさんはジムグリの腕でいいのか? ヒバカリのもあるだろ」


「あれも万能ではありませんから。タカチホの能力によってはかえって不利になるかも知れません」


「まあ、そうだな」


 ヒバカリの『時間停止』は確かに凶悪だが、万能ではない。

 敵を一撃で葬り、味方の傷をたちどころに癒すことのできるジムグリの腕の方が小回りが利く。


(タカチホの能力、か……)


 以前、彼女はシマの大群をまとめて船外へたたき落とした。

 その前はシロマダラが逆さにした船を元に戻していた。

 ヤツマタ様の能力は「対象を掴むこと」がトリガーになっている。

 彼女はいったい何を掴「イタチさん」


 ユメミと目が合う。


「主様のことで、少し」


「何だ?」


「ノヅチの詠んだ歌のこと、覚えてますか?」


「……歌?」


 山道がどうとか言っていた歌のことか。

 俺の海馬により深く突き刺さったのは歌ではなく、その前後のやり取りだった。


 ――『いい加減、気づいても良さそうなモンですけどねぇ。色々と』

 ――『分かりませんかね? ここは「死者を運ぶ船」ですよ?』

 ――『ヒゲさん。アンタはね?』

 ――『アンタは、もう――』


 黙する俺をよそに、ユメミは続けた。


「こんな歌だったはずです」



 山道やまみち

 さむさみしし 

 ひとつに 

 夜毎よごとしろく 

 百夜ももよ しも



「……よく覚えてたな」


「有名な歌ですから」


「そうか? 聞いたことないけど……。百人一首に入ってたか?」


「いえ。名句として知られているわけではありません」


「?」


「この歌、数字で出来ているんです」


「数字……?」


 ユメミが紙片を見せた。

 やたら達筆な文字が並んでいる。

 


 八万三千八

 三六九三三四四

 一八二

 四五十二四六

 百四億四百



「……。……。……! あー! あー分かった。こういうことか」



 八万三千八(やまみちは)

 三六九三三四四(さむくさみしし)

 一八二(ひとつやに)

 四五十二四六(よごとにしろく)

 百四億四百(ももよおくしも)



 俺がふりがなを振ると、ユメミは深く頷いた。


「そういうことです」


「なるほどな。……で、これが主様に関係するって言いたいのか、ユメミさんは」


「ええ」


 ユメミは一度息を吐き、吸った。


「なぜ急にノヅチが歌を詠んだのか、気になっていました」


「? そういう気分になっただけじゃないのか。船の外、雨が降ったり花が散ったりしてるし」


「だとしたら自分の言葉で歌を詠むはずです。他人の歌、それもこんな風変わりな歌を口にするのは不自然です」


「……確かに」


「ということは、詠まざるを得ない状況だったのかなと」


「この歌を『詠まざるを得ない状況』……」


 どういう状況だ。

 ノヅチがこの歌を詠んだ時、何が起きていた。

 場所は甲板。

 時は――第五夜。

 

「……本気のカガチと三味線抱えたジムグリが来る前だったよな、確か」


「はい。四夜が終わって、五夜が始まる直前でした」


「あの時何か変わったことが――」


 記憶の糸を手繰り寄せ、ピンとくる。


「シマか」


 ユメミは無言で頷いた。


 第四夜、俺たちを襲ったのは緑のマムシと黄色のシマだ。

 マムシは早々に退場したが、シマは「掴んだものを増やす能力」で無限に自分を増やし続けた。

 無敵の能力を前に俺たちは石造りのかわやへ避難し、籠城を決め込んだ。

 そして――――


「シマは夜が明けても船に居座ろうとした。で、タカチホが無理矢理叩き落とした」


 ああ、と思い当たる。


「ルール違反だったってことか、あれ」


 灯籠廻船には幾つかの細かいルールが定められている。

 その中の一つだ。

『ヤツマタ様は毎夜二人が乗船し、夜が明けると船を去る』。


 ノヅチはシマにやんわりと下船を促していたが、あの時点で既に制限時間を過ぎていたのだろう。

 事実、タカチホがシマを叩き落とした時にはもう次の夜を知らせる赤星が灯り始めていた。


「あの歌はノヅチなりの謝罪なのだと思います。もしかすると主様の意思が働いているのかもしれませんが……」


『シマがルールに抵触する行動を取ったので、ノヅチは詫びのつもりであの歌を詠んだ』。

 なるほど、ユメミの考えはまるで見当違いだとは思えない。

 とは言え、あの歌に詫びや謝罪の意図が込められているようには思えない。

 となると――


「あの歌にはこちらに利する何かが込められていると思います。ヤツマタ様攻略の鍵か、もしくは――」


「主様の名前を当てるヒント、か」


 数字のみで構成された歌。

 ――『数字』。


 最も身近な数字と言えば『時間』だ。

 ノヅチの歌はヒバカリの能力、『時間停止』を示唆しているようにも思える。

 だがどうにも違和感が拭えない。

 その場合、シマの悪行のしわ寄せがヒバカリに行く形となるからだ。

 

 ならやはり、主様の名前を言い当てるヒントではないか。


(数字……主様の名前に関係した……)


 思い当たるフシはある。

 あの賽銭箱の文字だ。

 確かやたら数字が書かれていなかったか。


 懐から紙片を取り出す。

 賽銭箱の文字を書き写した紙片。


(なみなり、なみなり、われら、なみなり――――) 


 濃霧の中をさまようような感覚。

 ただ、まったくの五里霧中ではない。

 俺は既に主様の名前の一部について見当をつけている。


 俺が挑んでいるのは真っ白なミルクパズルではない。

 既に一部が埋まったジグソーパズルだ。


彼岸ひがん此岸しがんの、狭間はざまの、なみなり――――)


 ユメミにはまだ話せない。

 不用意に話せば彼女の推理を縛ることになる。

 共倒れの可能性を避けるためにも、今はまだ別々に思考すべきだ。


(わが名呼ばねば、七夜しちやは明けず。わが名呼ばねば、船は巡らじ――――)


 十分が過ぎ、二十分が過ぎる。

 スマホも時計もないため、時間の感覚は曖昧だった。

 

(……ダメだ)


 パーツは揃っている気がするのだが。

 俺のニューロンで火花が散らない。

 発想の問題だろうか。


 見ればユメミも沈思に耽っていた。

 紫の左腕を包む薄い鱗がてらてらと不気味に光っている。


(――――)


 不意に、思い出す。

 ヤツマタ様を撃退し、主様の名を言い当てても、まだすべてが終わりではないことを。


 存在しない学科に在籍していると名乗った女。

 高校生らしからぬ判断力と胆力。

 シュウの持ち物を密かに処分する不穏な動き。


 行方不明の猟奇殺人鬼。

 子供をさらい、ハーバリウムに見立てて殺す異常者。

 そいつの名前は――――


 ゆきしろ

 めぐ

 み


(……!)


 ざわりと全身の毛が逆立った。

 同時に、今置かれている状況に悪寒を覚える。


「……ユメミさん」


「何ですか?」


「その腕、どうする気だ?」


「腕?」


「そのままだと、元の世界に戻った時に大変だろ」


 ユメミはジムグリの腕を見下ろした。

 顔を上げると、すっと糸目が裂けるように開く。


「そうですね」


「そうですねってお前……」


「治療にはジムグリの腕が必要ですから、誰かがこうなることは避けられません」


「……」


 ヤツマタ様の腕を灯籠廻船の外へ持ち出せるとは思えない。

 このまま戻ればユメミは生涯隻腕になってしまう。

 そんなリスクを冒してまでジムグリの腕を保持する理由は何だ。

 ヤツマタ様に勝つため。

 ――――本当にそうだろうか。


 俺、シュウ、ロッコの三人は人間の腕しか持っていない。

 ユメミの持つジムグリの腕は掴んだものを癒すだけでなく、奇形に変えることもできる。

 必要なのはたったひと噛み。


 まずくはないか。

 俺はもしかすると、致命的なミスを犯したのではないか。


「イタチさん」


「何だ」


「ノヅチに聞きたいことがあります。私は上へ行きます」


「……俺も行く」


 




 ノヅチは船尾に立っていた。

 船の外はまだ静かな夜だ。


「ノヅチ」


 狐面の女形が振り返る。


「どうしました? あー……記念撮影でもします?」


「聞きたいことがある」


「はいはい。何です?」


 俺はユメミに目配せし、先を譲った。


「主様の名前は『呼ぶ』で間違いありませんか?」


 ノヅチの動きが一瞬、止まる。


(何……?)


「『呼ぶ』んですよね? 賽銭箱には『名を呼べ』と書いてありましたから」


 ユメミの問いの意味が俺にはまるで理解できなかった。

 もしかすると彼女は俺より主様の謎に近づいているのだろうか。


「んー……」


 ノヅチがゆらりと首を傾げた。


「どうでしょうねぇ。声だけだともしかすると不都合があるかも知れませんよねぇ」


「……どういうことですか」


「だってほら、最後の夜を終えた時、皆さんの喉が無事だとは限らないでしょ? お疲れで声が途切れ途切れだったら、主様が聞き違えてしまうかもしれませんよねぇ」


「……」


「『文字』で書いてもらうことになる……可能性はあるかもしれませんねぇ」


「……。なるほど。わかりました」


 ユメミの声が緊張しているのが分かった。

 主様の名を呼ぶ時、『文字』だと何か不都合があるのか。


「ヒゲさんも何かおありですかね?」


「ああ。……ヤツマタ様が来る順番、最初から決まってたのか?」


 ノヅチは覗き込むように俺の顔を見た。


「さあ、どうでしたかね」


「……」


「そんな顔をされましてもねぇ。アタシはヤツマタ様じゃありませんから。ご想像にお任せしますよ」


「分かった」


 答えないということは決まりだ。

 ヤツマタ様が来る順番は初めから決まっていた。

 だからヒバカリは第一夜の時点で「六夜に会いましょう」というサインを出すことができた。

 と、言うことは――――


 んふふ、とノヅチが含み笑った。


「? 何だよ」


「いえね、これが最後の夜だなと思いまして」


「別れるのが寂しいのか」


「寂しいですよぉ。枕がぐっしょり濡れますねぇ」


 袖で涙を拭う仕草を見せつつ、ノヅチが声を落とした。


「……こんなところでぼうっとされてていいんですか」


「?」


「あんた方、他にやらなきゃならないことがあるでしょうに」


 顔を見合わせた俺とユメミの間を濁った沈黙が漂う。

 ノヅチの真意を問うため俺が口を開いた瞬間だった。




 音もなく、宵闇に光が差した。




 それは俺たちを真横から照らし、甲板に長い影を伸ばす。


 手を翳しながら船首を見やると、船の行く手に巨大な円形の光源が見えた。

 陽光や月光のように生命力をかき立てる光ではない。

 どこか破滅的な、根源的な恐怖を呼び起こす白い光。


 トンネルの終わりを思わせる光を背負い、八匹の大蛇が往く手に立ち塞がっている。


 天に十四の赤星が灯ると、二体の大蛇が動き出した。

 色は緑と黒。


「ヒゲ! 早くこっちに!」


 本殿付近に立つロッコとシュウが手招きする。

 俺とユメミは余力を残すべく、早足で歩き出す。


 甲板近くまで伸びた蛇が口を開けると、粘液まみれの女が現れた。

 一糸纏わぬ裸体。

 顔に口を持たず、手の平に口を持つ化生が二人。


 どちらも長い黒髪の持ち主だった。

 背の高い方はもう何度となく見た女、マムシ。

 やや背の低い方が、おそらくタカチホ。

 ――『ヤツマタ様』の長。


『あ、そうそう。もしかするとお教えしたかも知れませんが、あのお二人は姉妹ですよ』


 のろのろと本殿に近づくノヅチが、花火でも眺めるように二人の蛇を見上げた。


『小さくて険しいお顔なのが姉のタカチホ様。大きくて怖いお顔なのが妹のマムシ様です』


 全裸のタカチホが片手を高く掲げた。


(……!)

 


 おしゅるお ほるろしゅる



 手の平の口が開閉し、奇怪な音が発せられた。

 音の高低がほとんどなく、経を読んでいるようにも感じられる。

 


 しゅるほほ おろるお しゅろ



 おるおるおる ろる ほろる



 何らかの意図をもって発しているのだろうが、まるで意味不明だった。

 黒と緑の蛇の顔に友好的な色は見えない。

 敵意から発せられた言葉。なら、理解する必要もない。


 濡れた黒髪が風に煽られるようにしてぶわりと天を向く。

 彫刻のように研ぎ澄まされた二つの裸身が、ラバースーツに似た装束に包まれていく。


 俺たちの終わりが始まる。

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