第21話 蛇の道は桜


 青と、桜。

 一対の大蛇が去ると、灯籠廻船の甲板に二人の女が残された。


 一人は隻腕の巨女、アオダイショウ。

 スチールウールを思わせる髪を白頭巾に押し込み、紺青の僧衣に身を包んでいる。

 首には大ぶりの数珠。帯にはずらりと匕首あいくちが並ぶ。

 履き物は高下駄で、背中には薙刀が一本。


 一人は優美な手弱女たおやめ、ヒバカリ。

 纏うのは桜色のグラデーションのみで構成された十二単じゅうにひとえ

 裾は地に垂れ、ボディラインはおろか足すら見えない。

 クリーム色の髪は肩に乗り、蛇のごとく波打っている。


 風のない夜天を淡く発光する桜の花弁が流れていく。

 それらは時折、名残を惜しむかのようにふわりと浮かんでは振り返り、また後方へ流れて消える。

 さながら、冥府へ向かう霊魂のように。


(――――)


 俺たちは動じない。

 勝ち筋をすでに見定めているからだ。

 『道連れ』か『籠城』。

 ヒバカリがどんな能力の持ち主であれ、狙うのはこの二つ。


 何よりも先に、ヒバカリの能力を見定める必要がある。


 俺たちが『籠城』に使うのは客室層の最奥にあるトイレ

 扉は重く堅い石製だが、和式便所のように開いた穴が船外の闇に続いている。

 この石扉の破壊、あるいは空中移動による室内への侵入を可能とする能力だった場合、『籠城』は選択肢から外れる。

 その場合、狙うのは『道連れ』。

 誰かが敵と共に船外へ落下し、船に残る者がジムグリの能力を発動。

 掴んだものを癒すジムグリの腕は対象の破片を引き寄せる作用があるため、事前に準備を整えている俺たちだけが船内へ帰還できる。


(いや――)


 アオダイショウ。

 そうだ。今夜はアオダイショウがいる。

 ヤツは掴んだものをゴム状に変える。

 船体や空気を掴めば厠の穴から内部へ侵入できてしまうし、船外に放り出されても自力で帰還することができる。


「……ヒバカリの能力が分かったら、アオダイショウの腕を潰す」 


 ロッコ、シュウ、ユメミが頷く。

 俺は苔緑の左腕を軽く掴んだ。


「逆は狙わなくていい。アオダイショウは右腕一本だ。ヒバカリに集中する」


 俺がマムシの左腕を接いでいるように、ユメミは左腕を、ロッコは右腕を紫の腕に置き換えている。

 無限の治癒力を持つジムグリの腕。

 即死しない限り、アオダイショウの攻撃で受けた傷は即座に癒すことができる。


 更にジムグリの腕は無限の攻撃力をも備えている。

 四人中三人が「必殺」の腕を持つ以上、アオダイショウの攻め手は確実に鈍る。


 注視すべきはヒバカリだ。

 シロマダラやシマのように治癒が意味をなさないタイプの能力だった場合、一気にこちらの有利が崩れる。


「固まれ。行くぞ……!」

 

 サイコロの四の目と同じ陣形。

 俺とユメミが前、ロッコとシュウが後ろ。

 一メートル以上距離を開けず、じりじりとすり足で前進する。


 アオダイショウとヒバカリも似た陣形を取った。

 僧兵が前。姫君が後ろ。



 30メートル。



 こっ、こっ、こっとアオダイショウが下駄を鳴らして前進する。

 遅くなく、速くもない足運び。

 闇雲に襲い掛かる雑兵ではなく、死合いに臨む戦士の歩速。



 25メートル。



 ずるずるとヒバカリが裾を引きずる。

 遅くなく、速くもない足運び。

 口を覆った桜の蛇は微笑すら浮かべている。



 20メートル。



 ロッコが懐に手を入れる微かな音。

 次の瞬間、ばしゃあっと堀の水面が破られ、襖の破片が飛び出す。

 位置は二人の蛇の斜め後方。


 びょびょびょう、と空中で回転するふすまの破片。

 曲芸師の投げた鎌を思わせるそれらが、ロッコの隠し持つ破片目がけて一斉に飛来する。


「食らえ!」


 アオダイショウが素早く後方を見た。

 が、ヒバカリは振り返りもしない。

 桜色の手をゆるりと持ち上げ、手鏡でも見るように手の平を返す。




 ぎゃぎぎぎ、と。

 不快な衝突音。


 襖の刃がヒバカリとアオダイショウの肉体に弾かれた。


 


(!)


 初めてヒバカリと遭遇した時と同じだ。

 鋼鉄のように体を硬化させての防御。


 弾かれたふすまがヘリコプターのローターよろしく回転しながら飛んでくる。

 ロッコが破片を放り捨てると、刃は慣性を保ったまま玉砂利の上をからからと転がった。


 青と桜のヤツマタ様が再び動き出す。

 二人は一メートル以上離れるつもりはないようだ。

 怒気を発散させるアオダイショウは先行せず、悠揚と構えるヒバカリは足を止めない。

 連携に重きを置いた動き。

 今までの奴らとは違う。


「……イタチさん」


 ユメミのもの問いたげな声。

 俺は軽く首を振る。


(何の能力だ、今のは……?)


 ただの『硬化』なら対処は難しくない。

 ヒバカリの手をくぐり抜け、アオダイショウさえ無効化すれば『籠城』でケリがつく。


 だが、そうではない。

 以前ヒバカリは煙のように視界から消え、一瞬でこちらの背後に回ったことがある。

 あれは『硬化』で実現できる現象ではない。


 奴はまだ何かを隠している。

 その『何か』を見破らない限り、籠城も道連れも有効打にはなりえない。


「来ます! 槍を!」


 俺とユメミは玉砂利に手を入れ、隠していた槍を掴み上げた。


(倒さないまでも……能力だけは……!)


 青と桜の怪女は歩みを止めず、太刀を構えた武士のごとくじりじりと距離を詰める。


 10メートル。


 7メートル。


 5メートル。


 槍の間合いへ踏み込むや、アオダイショウが薙刀を振り上げた。

 動きこそ仰々しいが、所詮は隻腕の一撃。

 見切れない速さではない。


(――!)


 回避と防御の選択を強いられた俺は、迷わず防御を選んだ。

 刃をかわせばヤツは次撃のために武器を手放し、能力を使うだろう。

 アオダイショウの能力は汎用性が高い。武器は握らせておくべきだ。


 敵の得物は薙刀。懐深く踏み込めば威力は落ちる。

 俺はてんさながらに姿勢を落とし、射られた矢のごとく駆けた。


 振り下ろされる一撃を折れた襖で受ける。

 がん、と手首まで痺れる一撃。


「ッ」


 ヒバカリの姿が視界に入った。

 その手が僅かに動く。


「っでええあっっ!!」


 じゃがん、とユメミが踏み込む。

 視線を滑らせたアオダイショウが薙刀を振






 るう。


 ――


 ――


 青い巨体が消えている。

 薙刀も。

 ユメミも。


 何もかも、俺の視界からいなくなっている。


「……えっ」


 左腕に圧迫感。

 マムシの腕が何かに掴まれている。

 その何かは太く青く、がっぷりと俺の手首を掴む様は蛇を思わせた。


 視線を左方に滑らせる。

 アオダイショウと目が合う。


(! なん――)


 口を覆った僧兵が目だけで俺を嘲笑う。

 めぢん、と。

 マムシの左腕をちぎられる。


「っ……?!」


 よろめき、バランスを崩す。

 槍だけは手放さない。 

 俺は右腕一本で掴んだ槍をアオダイショウへ向けて突き出






 す。


 ――


 そこにあるのは空白。

 アオダイショウはいない。

 左腕を失ったうえに空振りしたことで姿勢が崩れ、たたらを踏む。


「くっ!」


「――! ――――」


 声と物音に振り返る。

 ユメミ、ロッコ、シュウが数メートル離れた場所にいる。


「?!」


 おかしい。

 何かがおかしい。


 今、俺はアオダイショウと打ち合っていたはずだ。

 なのに気づけば奴は消え、左腕を奪われた。

 迎撃しようとしたところで再び奴は姿を消した。

 そして俺は子供たちと引き離されている。


「ロッコちゃん逃げないで! シュウくんっ! 陣形を――」


「ダメだっ!! 固まってたらやられるっ! 散らないと――」


 子供たちに目だった傷はない

 が、明らかに狼狽している。


 視線を感じ、顔を向ける。

 マムシの腕を掴んだアオダイショウは俺に背を向け、子供たちに向き直っていた。

 彼女と背中合わせになる格好でヒバカリが俺を見つめている。

 浮かぶのは微笑。


(ッ!)


 闘志に燃える肉体が濡れた泥のごとき恐怖を浴びる。


 アオダイショウではない。

 こいつだ。

 こいつの『能力』だ。

 ただ、ヒバカリが何をや

 


 



 ったのかが「ゃん前っっ!!」


 影が落ちている。

 顔を上げる。

 数メートル離れていたはずのアオダイショウと目が合う。

 

 掲げられているのは緑色の左腕。

 マムシの腕。

 俺から奪ったばかりの腕が、なぜかもう繋がっている。


「ッ?!」


 バックステップ。

 側転。

 防御。

 どれも間に合わない。


 振り下ろされたマムシの腕が胴を掠め、袈裟懸けに肉が溶かされる。

 皮膚、筋肉、脂肪のすべてが液化し、地を叩く。


「っづあッッ!!」


 幸い、致命傷ではない。

 そう思い込まなければ卒倒しかねないほどの肉が溶けた。

 胸と腹の骨が露出し、脂と血が噴き出す。

 ぎゅうぎゅうに詰まった臓腑がこぼれ落ちることはなかったが、溶けた肉は吐瀉物のように地面を叩く。


「う、ぐっ……!」


 数歩歩いたところで肉体が強制停止する。

 足がもつれ、崩れ落ちる。

 穴の開いたトマト缶さながらにどぶどぶと血が溢れる。


「ぁ、ハっ……」


 痛みよりも熱の方が強かった。

 それに多量の血液が流れ出す喪失感と虚脱感。


 視界の隅が焦げたように黒み、脳はゆるゆると永遠の休息に入ろうとする。

 心臓だけがどくどくと抗い続け、滑稽なほど強く俺の身を震わせる。


「――! ――――!!」


 ユメミが何かを叫んでいる。

 正確には聞き取れない。

 耳を澄まそうとする意思すら薄らいでいく。


 顔を上げる。

 左に緑腕、右に青腕を備えた五体満足のアオダイショウ。

 雪辱に燃える巨女は既に薙刀を振り上げている。


 防御も回避もできない。

 諦念を抱きかける。

 最後に、親への僅かな「イタチさんッ! 足っっ!!」


 ほとんど反射的に脚を突き出す。


 ユメミがジムグリの左腕で己を掴んだ。

 治癒が発動し、欠損した部位は彼女の元へ引き寄せられる。

 俺の靴下に潜ませた彼女の足の中指も、それに含まれる。


 ぎゅお、とワイヤーアクションのように引き寄せられ、宙を飛ぶ。

 アオダイショウの薙刀が虚空を切り裂く。

 血と脂と肉をまき散らしながらユメミの元へ。

 自分の血が玉砂利を汚す様をぼうっと見つめながら落下し、転がる。

 衝撃で意識が飛びかける。


「しっかり!」


 ジムグリの腕に掴まれると、瞬く間に傷が癒える。

 まだ地面に染みていない血肉が逆再生のように俺の身に集い、傷を塞ぐ。

 左肘から骨が生え、筋肉が張り詰め、血管と神経が絡みつく。

 脂肪が纏わりつき、皮がそれらを覆う。


 失った左腕も含めた完全回復。

 負傷感だけは消えず、極度の緊張が息を弾ませる。


「っ、はっ、はっ……!」


 パニック寸前の肉体に鞭打ち、よろよろと立ち上がる。


「来ます!」


 左腕を得たアオダイショウが薙刀を構え直し、駆ける。

 ヒバカリが滑るようなすり足でそれに続く。


 彼我の距離はほんの七メートル足らずだ。

 あっという間に薙刀の射程に入り、ユメミが襖の槍を下段に構える。


「イタチさんっ! 私から離れて!」


 ヒバカリがゆらりとこちらを見る。

 手が掲げられる。

 何かを掴む所作。


「あいつの能」

 





「力は――」


 ぶおん、とユメミの槍が何もない空間を切り裂く。


 アオダイショウがいない。

 ヒバカリもいない。


「ッ?!」


 左。いない。

 右。いない。


 後方。

 ――いる。


 ロッコが膝をついている。

 切り裂かれた胸から、霧と雨の中間の勢いで血が噴き出している。

 目はどろりと濁っている。


 シュウは――――


「!」


 シュウは船の外にいる。

 身体をくの字に曲げ、吹き飛ばされていた。


 ロッコの傍に立つアオダイショウは左右の手を大きく広げていた。

 能力だ。

 能力で空気をゴム状に変え、スリングショットのようにシュウを吹き飛ばしたのだ。


 少年の姿が闇に消える。

 ユメミが腰に吊るす木片を掴んだ。


「イタチさん! 『網』は任せますっ!!」


 紫の腕が木片をぎゅっと握る。

 割符のように砕いた木片の片方はシュウのポケットの中だ。


 闇に消えたばかりの少年が船外に浮かび上がり、円盤のごとく宙を飛ぶ。


「――――ぁぁぁああああっっっ?!!」


 悲鳴を上げながら少年が引き寄せられる。

 ユメミが木片を放り捨て、慣性に乗った少年は俺の腕の中へ。

 どっと抱き止め、下ろす。


「大丈夫か?!」


「お、俺は大丈夫――っ。……ロッコッッ!」


 アオダイショウが緑の腕を振り上げ、ロッコに振り下ろさんとしている。

 

「させないっっ!」


 ユメミがシュウの腕を掴む。

 治癒が発動。

 シュウの足指の一つを靴下に忍ばせたロッコが浮かび上がり、致死の一撃を回避する。


 アオダイショウの手をすり抜け、瀕死のロッコが宙を飛ぶ。

 すぐ傍に立つヒバカリの目と鼻の先を掠める。


(一旦大丈夫か。……いったい何)


 俺が思考を再開しようとした瞬間。

 桜の姫君がゆらりと片手を上げ、飛び去ろうとするロッコに向けた。






 次の瞬間、俺はヒバカリの能力を理解した。


 ――自分の身に何が起きていたのかも。






 ロッコが空中で停止している。


 停止。

 ――停止だ。

 癒しの引力はもちろん、重力すら無視して空中で完全に『停止』している。


「ッ!!」

「なっっ?!」


 俺とユメミの思考より早く、アオダイショウが動き出す。

 ヤツは巨体の持ち主で、ロッコは地面から一メートル足らずの高さを飛んでいる。

 テーブルに乗ったミカンを拾う気安さで巨女がマムシの腕を伸ばし、ロッコを掴んだ。

 掴んだのは頭でも胸でもなく、紫色の腕。

 ――なぜか、マムシの能力は発動しない。


「五秒だっっ!!」


 叫び、シュウが走り出す。

 熟練のスプリンターを思わせる、肘を直角に曲げたフォーム。

 その顔面は恐怖と焦燥に歪んでいる。


「五秒経つ前に」俺とユメミも反射的に彼を追う。「引き離せっっっ!!! でないとロッコが――――!」


 四。

 強く踏み込む。


 三。

 スピードに乗り、視界の端が歪む。幻痛のせいで俺だけが僅かに遅い。


 二。

 三人ばらばらの全速力でアオダイショウに迫る。


 一。

 ヒバカリが立ちはだかる。ユメミとシュウが桜の蛇を挟むようにして二手に別れる。


 十二単の女は軽くうつむき、胸の前で手を交差させた。

 そして――『掴む』。

 彼女の左右をくぐり抜けようとしたユメミとシュウが能力をまともに受け、空中で停止する。


 半歩遅れていた俺は能力の直撃を免れた。

 停止した二人を避け、ロッコを掴んだアオダイショウに飛び蹴りを放つ。


 間に合った。

 そう叫ぼうとした俺の目に、己を青腕で噛むアオダイショウの姿が映る。


 ぐにいいい、と。

 ゴムを思わせる巨体が、突き刺さった足を飲み込む。

 肉は傷つかず、血管は破れず、俺は腰までアオダイショウの巨体にめり込んでいた。



 ゼロ。



 ロッコが動き出す。

 まさにその瞬間、マムシの腕がジムグリの腕を溶かす。


 ばちゃっと紫の液体が飛散し、砂利を叩く。

 宙を飛ぶロッコの肉体は急旋回し、十秒ほど前に癒しの力を注がれたシュウに向かった。


 シュウとユメミは疾走体勢で停止している。

 表情も。

 思考も。

 肉体も。


 がん、と。硬化したシュウにロッコがぶつかる。

 そして壁に行き当たった掃除ロボのごとく、がたがたと不毛な接触を繰り返す。


「――――!」


 想像を超えた異様な光景。

 ただ、自分がやるべきことは分かっていた。

 

 俺はアオダイショウにめり込んだ片脚にもう片方の脚も添えた。

 限界まで凹んだ巨体はトランポリンのごとく俺を跳ね飛ばす。


 着地。

 同時に大きく横へ跳び、手をかざしたヒバカリを避ける。

 アオダイショウの巨体が転倒する音。


 二。


 一。


 ゼロ。


「っ」

「うっ?! わっ?!!」


 ユメミが動き出す。

 ロッコがシュウと衝突し、もつれ合いながら地を転がる。


 血だらけの砂利を見、ユメミが状況を察する。

 ロッコに紫の腕を伸ばす。

 

「ロッ――」


 ヒバカリの手が動き、何も無い空間を『掴んだ』。

 再び、ユメミが動きを止める。

 シュウが瀕死のロッコから離れ、顔を上げる。


「兄ちゃん!! ヒバカリを止めてっ!」


「っ!」


「早くっっ!! ロッコ姉ちゃんが死んじゃうっっ!!!」


 ユメミに飛びつく。

 その全身は銅像のように硬く、冷たい。

 どれほど力を込めても微動だにしない。ジムグリの腕も奪えない。

 死んでいるのではない。

 ただ――――


「っ、このっ!!」


 接近する気配を感じ、振り向きざまに玉砂利を蹴り上げる。

 ヒバカリは嫌がるように身をくねらせ、後退。


 馬蹄に似た疾走音。

 アオダイショウがヒバカリの傍へ舞い戻り、薙刀を構える。

 先ほどの蹴りで転倒していなければ構えるだけでなく、踏み込み、斬りつけることまでできただろう。


 一。

 ゼロ。


「ッコちゃん!」

 

 ユメミが再び動きだし、ロッコに飛びつく。

 ロッコの靴下から飛び出した指がシュウの靴下に潜り込み、癒しの力を注がれたロッコの右腕が復元される。


「ロッコ姉ちゃん! ねえ大丈夫?! 目を開け――」


「シュウ! 前見ろ!」


 青と桜のヤツマタ様が動き出す。

 今度はアオダイショウではなくヒバカリが前に出た。

 するすると動きながら片手を掲げ、ピアスのついた舌を覗かせる。


「下がれ!」


 俺は前を向いたまま後方へ走り出す。


「下がれ下がれ下がれっっ!!!」


 気を失っているロッコを掴み、負傷兵を塹壕へ引き戻すように後退。

 アオダイショウは苛立ちを見せたが、ヒバカリは不必要に速度を上げなかった。


 五メートル。

 七メートル。

 十メートルまで離れたところでロッコが身を起こす。


「いったっっ!! ちょっと、離してっ!」


「……」


「ひ、ヒゲ?! あんた腕――っ、わ、私の腕っ?! あれっ?!」


 ロッコの声が空々しく聞こえるほどの沈黙。

 ヒバカリだけが微笑を浮かべている。


(――――)


 俺たちは動じない。

 勝ち筋をすでに見定めているからだ。

 『道連れ』か『籠城』。

 ヒバカリがどんな能力の持ち主であれ、狙うのはこの二つ。


 ――『どんな能力の持ち主であれ』。




 たとえそれが、『時間停止』であっても。

 



「イタチさん」ユメミが険しい表情でヒバカリを睨む。「私は……理解しました」


「俺もだ」


 桜の蛇は足を止めている。

 疲労のためか、あるいは思考のためか。


「……あいつの能力は『掴んだものの時間を止める』だ」


 疑いの余地はない。

 ヤツの能力を受けた者は皆、『時間を止められていた』。

 自分が受けた時はまるで理解できなかったが、シュウやユメミ、ロッコに起きた現象を解釈すればヒバカリの能力は『時間停止』以外にありえない。


 時間が止まっている間、掴まれた対象は鋼鉄のように硬化する。

 外部から一切の干渉を受けなくなる反面、事象を知覚することもできない。

 気づいた時には世界の時間が進んでおり、自分だけが強制的に後手に回ることになる。


 これまでの動きから察するに効果時間は常に『五秒』。

 ヒバカリの能力を食らうと、時間を五秒間だけ止められる。


 完全な無敵時間を得ることと引き換えの、『後手強制』。

 それがヤツの能力の正体だ。


 停止した対象がその場からほぼ動かないのは、灯籠廻船の船速が体感より遅いからなのか。

 あるいはこの船は空間的・物理的な移動を伴わない形で「あの世」に辿り着くからなのか。

 少なくとも、地球の自転の影響は受けていないようだが。


 いや、重要なのはそこではない。

 本当に重要なのは――――


「なんでいっぺんに全員の時間を止められるんだよ……!」


 シュウが悲鳴に近い呻きを漏らす。


「最初に遭った時、あいつは俺たち全員の時間を止めたんだ。だから煙みたいに消えたように感じた。……でもそれって変だろ!」


 そう。異常だ。

 なぜならあの時、俺たちは直接ヒバカリに掴まれてはいない。

 先ほどの攻防でもそうだ。

 ヒバカリは手をかざし、何もない空間を掴むばかりだった。

 だと言うのに、一度に二人以上の時間を止めている。


「……『空間』だ」


 俺の言葉にシュウがびくりと動きを止める。 


「今までの奴らもそうだっただろ。あいつは空間そのものを掴んで、その中の時間も止められる。ただ――」


「それなら空気も止まるはずだろ?! マムシもカガチもそうだったじゃん!」


 その通りだ。

 あらゆるものを溶かすマムシは空気すら液体に変えた。

 カガチは空気を固形化し、アオダイショウは空気をゴム化した。

 ならばヒバカリの能力を受けた空間は、『空気そのもの』の時間が停止していなければならない。


「時間停止なら原子とか分子の動きも止まるじゃん! だったらあいつの掴んだ空間はコンクリの塊みたいになるはずだ! ……何で時間の止まった人間に直接触れるんだよ!?」


「……げんし?」


 ユメミが首をかしげたが、説明している場合ではない。


「俺が知るかよ。大気の組成が違うとか、この場所自体に元々時間が流れてないとか、ターゲット指定ができるとか、そういうのだろ」


 原理は問題ではない。

 重要なのはヒバカリが空間を掴んだ場合、『そのフィールド内の人間すべて』に効果が及ぶこと。

 つまりヤツは『遠隔範囲攻撃』ができる。

 射程に入った瞬間、俺たちはなすすべもなく時を止められてしまう。


 時を止められている間は無敵になるようだが、問題は再始動時だ。

 シュウの言う通り、灯籠廻船の空気は時間停止の対象外らしい。

 つまり時間停止を受けた人間は先ほどのロッコのように一方的に先手を取られてしまう。


 時間を止められている間にアオダイショウの接近を許せば『時の再始動』と同時に攻撃を喰らう。

 殴打や斬撃ならともかく、今のアオダイショウはマムシの腕を持っている。

 時間停止中に頭を掴まれでもしたら数秒後には死が確定してしまう。

 誰かが時間を止められたら、死に物狂いでアオダイショウを妨害しなければならない。


「どうするんだよ、兄ちゃん……! もうジムグリの腕は――」


「まだ一本ある」


 元より無傷で勝てるとは思っていない。

 ヒバカリの能力を理解するための代償が、マムシの腕一本とジムグリの腕一本。

 ――安い。

 誰かが突き落とされたり死ぬことに比べればはるかに。


「勝ち筋は決めただろ。あいつがどんな能力だろうと、ゴールは二つだけだ」


「……」


「ユメミさん」


「分かっています。こちらもうまく連携を。全員が時間停止を受けないように」


「ああ。あいつの能力にはまだグレーな部分がある。そこを――――っ!」


 言葉を切る。

 ヒバカリとアオダイショウがこちらへ向かって歩き始めている。

 並び立つ二人の目に慈悲は無い。

 嘲りも、侮りも。


(――――)


 これまでの戦いはどれも長期戦だった。

 息つく暇があり、思考する余裕があり、怯える余力があり、逃げる隙があり、逆転の策を練る時間があった。

 ハーフタイムと後半戦があるスポーツの試合のようなものだった。


 今夜は違う。

 おそらくこの戦いは、あと数分で終わる。

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