第18話 蛇の道は紫


 顔が巨大な『手』に成り代わり、胴に胴を繋ぎ、節足動物に似た無数の手脚を生やした肉塊が迫る。

 こびりついているのは黄色い衣服のパッチワーク。


 恐怖は薄い。

 千手観音や阿修羅のように『五体満足の姿にプラスアルファの変化』を遂げたのならともかく、アレはただの奇形だ。

 合理を欠いた肉体で元のシマより強くなれるわけがない。


 俺は一歩引き、低く唸る。


「ユメミさん……!」


「こけおどしです」


 静かな応答。

 

「注意すべきは体重だけだと思います。他の部分は――」


 奇形生物はムカデめいた動きで20メートルにまで迫っていた。

 よく見ると胴から生える脚の何本かは折れており、引きずっている。

 傷ついた指先は口紅でも塗ったかのように赤い。


「……強くなってないな。もろいままだ」


「ええ。ヤツマタ様には歯がありませんから、噛みつかれる心配もありません」


「でかい手は?」


「あの位置なら全身を振らないと使えません。かわせます」


「じゃ、やれるな」


「ええ」


「な、何で二人ともそんな落ち着いてるの?!」


 限りなく地面に近い場所からロッコの声。


「あ、あんな化けも「ロッコ姉ちゃん」」


 シュウが静かに告げる。


「早く立って。オレたちも行――。――」


「――! ――……!」


 俺とユメミは既に走り出している。

 懐に忍ばせた骨のナイフを掴み、化け物との距離をぐんぐん縮める。


 15メートル。

 14。

 13。


 真横から殺気。


(ッ!)


 カガチ。

 鳥居から飛び降りた神職姿の戦士が、一直線に駆けて来る。

 コカカカカッ、とヒールブーツが地を打つ。


 速い。

 マムシより遥かに。

 剣と盾を持っていながらあの速度――



 ――



 ――



 何かおかしい。


 気づいた瞬間、叫ぶ。



「後ろに跳べっっ!!」


「!」


 地面を強く蹴り、俺とユメミは後方へ跳ぶ。

 一秒後、びょびょう、と回転する不可視の剣が目の前を通り過ぎる。


「ありがとうございます。危な「もう一回ッッ!!」」


 安堵しかけるユメミを怒鳴り、更に後ろへ跳ぶ。


 ぼっ、と。

 着地したユメミの髪が真横へ流れた。

 剣より遥かに強い力で投擲された盾が目の前を通過したからだ。 


(野郎……!)


 こちらが怪物に臆せず前進することを予測して剣を。

 それを回避することまで読んで、更に盾を投げたのだ。

 二手先まで読んだ攻撃。


 狩衣の袖を翻し、カガチは弾丸のごとく迫る。

 あいつを足止めするのが先か。

 いや、シマが一直線にこちらへ向かって来る。

 それにその後ろには――


「ジムグリだ、兄ちゃん」


 俺とユメミに追いついたシュウが、氷を思わせる声を発した。


「あいつを潰さないと、その辺に残ってるシマを『使われる』」


(確かに……)


 カガチは強い。

 四人がかりで挑んでも楽には倒せないだろう。

 もたもたしている内に『シマだったモノ』を増やされるかも知れない。

 なら、先に潰すべきはジムグリだ。


 それに、奴を潰すことには増援を防ぐ以上の意味がある。

 あいつの能「あいつの能力があれば、ユメミ姉ちゃんを治せる」


 シュウが獲物を認めた狐よろしく目を細めた。


「腕、獲らないとね」


「――あ、ああ」


 シュウと目が合う。

 黒曜石の刃を思わせる光。


(こいつ……?)


 シュウはこんな目をするヤツだっただろうか。

 昨夜まではヤツマタ様の一挙手一投足に怯え、慌てふためく子どもだったはずだ。

 何かが――


「ひ、ヒゲ! き、来てるああれ! あれあれあれ!!」


 ロッコが指差す先では、人間大の肉ムカデが槍の間合いまで迫っている。

 分かっている。

 ジムグリより先にコイツだ。


「オレが目をやる」


 するりとシュウが走り出す。

 驚くほど美しいフォームで。


「脚を潰して」


 止める間もなく、シュウは肉塊の攻撃範囲に入った。

 泡めいた複眼で敵を認めた怪物は、高らかに振り上げた手の平をシュウ目がけて叩き落とした。


「待っ」

「シュウ避け――」


 特大の平手を、シュウはぎりぎりまで引き付けてひょいとかわした。

 追走していた俺とユメミは顔を見合わせる。

 お互いの顔に、「シュウに何を吹き込んだ?」という疑問の表情が浮かぶ。


「二人、ともっ!」


 ひょるる、と海藻の間を泳ぐ魚のごとく多脚をすり抜け、少年が大きく手を振り上げる。

 放られたのは骨のつぶて

 それは複眼をびしゃりと打ち、肉塊の動きを束の間、止めた。


「今だっ!!」


 俺とユメミは素早く飛び込み、多脚に骨のナイフを振り下ろした。

 筋張すじばったハムを裂くような感触。

 

 ぎょぷるる、と肉塊が気味の悪い悲鳴を上げた。

 カマキリに似た下半身がうねり、脚に混じって生えている手が己の身をかきむしる。

 生温かい半身から、汗と血がむわりと匂った。


「まだだ! もっと脚を切って!」


 シュウが次々に礫を投げつける。

 ユメミが多脚の腱をぶちぶちと切り、俺は太い部位を狙ってナイフを振り下ろす。

 血が飛び散り、脂がしたたる。

 骨のナイフが柄まで濡れる。


 『シマだったもの』は上体を揺さぶり、手の平の口から濁った奇声を上げ続けた。


(弱い……!)


 痛みに対する堪え性の無さ。

 攻撃手段の乏しさ。

 やはりこいつは図体だけの肉塊だ。昨夜のシマとは比べるべくもない。


(なら――――)




 ぱん、ぱぱ、ぱん、という音。




「ッ!」


 振り向く。

 片膝立ちのカガチは『カスタネットの構え』。

 あの手の中には空気の手裏剣が握られている。


 目線の先には、棒立ちのロッコ。


「ロッコっ! こっち来い!」


「で、でも!」


「びびるな! でかいだけだ!」


 ロッコの視線が俺とシマを行き来する。


「……! ……!」


 蝋のように真っ白な顔が激しく振られた。

 このグロテスクな生物には近づけない。

 彼女は無言のままそう叫んでいる。


(クソ……!)


 戻って手を引くか。

 ――いや、ダメだ。

 20メートルほど先で、カガチが手裏剣を掴んだ腕を振り上げようとしている。

 今戻ったら、俺があれを防がなければならない。

 俺が抜ければ奇形シマへの攻め手が緩む。

 攻め手が緩めばシマが暴れ出す。

 脅威度は低いものの、ユメミとシュウだけでシマを抑えることは難しい。

 そうこうしている間にカガチが合流したら総崩れだ。


 ここは全員が攻勢に出るべき局面だ。


 だが、ロッコが動けない。

 動けなければ手裏剣をまともに食らう。

 

 身体の内側に冷たい汗が噴く。


(どうする……! あいつこのままじゃ――)


 そうだ。ノート。

 ノートの中身をここでぶちまければ恥ずかしさで 




「ロッコッッ!! ぼうっとしてんじゃねえよ!!」




 破裂音に近い叫び。

 それを発したのはゆだったように赤くなったシュウだった。


「動け!! 早くっっ!!」


「!!」


 ロッコは何かに取り憑かれたかのように走り出した。

 走り出した下半身が上半身を引っ張るような、奇妙な動き。


「……!!」


 にわか雨にでも降られたかのように頭を下げ、少女が多脚の隙間へ飛び込む。

 すどどど、と放られた手裏剣の何枚かがシマだったものに直撃。

 何枚かは肉を裂いて闇に消える。

 哀れっぽく吠える怪物が身を揺さぶり、粘る汗と血が飛散した。


 ロッコを見る。

 顔はまだ白いが、卒倒するようには見えない。


(これなら――)


 ぎょろりと複眼が動き、ロッコを認めた。

 ひっと呻いた少女は腰を抜かしかけたが、ユメミが素早く肉塊に槍を突き立てる。


「どこを見ているの」


 ぶぷっと血が噴く。

 返り血を浴びたユメミは更にごりりと骨をひねった。


「早く死になさい……!」

 

 ぴぎぎぎぎ、とくぐもった悲鳴。

 無数の手足がうねり、亀裂からあふれ出すように真っ赤な血が流れる。


「殺すな!」


 俺が叫ぶと、ユメミが糸目を開いた。


「何故です? まさか今さら情けを「違う! とにかくシマは殺すな! カガ「兄ちゃん! いいから先にジムグリを――」」」




 小豆を洗うような音が甲板に響き渡る。


 


(!)


 見れば小さな虫らしきものが次々に甲板へ飛び込んで来るところだった。

 色は白、黒、灰の三色。

 来し方は船外の闇。

 数は数百、いや数千。

 あれは――


(玉砂利……!?)


 黒無垢姿のジムグリは、浅いクレーターの中央で地に手を置いていた。

 見る見るうちに地面が盛り上がり、船外から集まった玉砂利が甲板に広がって行く。


「あいつ、船を『癒してる』!」


 シュウの指摘は正しかった。

 右舷にはとうに失われたはずのカカシが蘇り、左舷の掘は水で満たされている。

 カカシも水も玉砂利も、シロマダラとの戦いで闇に消えたものだ。

 そのすべてが闇から呼び戻されている。


(ジムグリの能力も、『モノ』に効く……!)


 元の姿を取り戻しつつある甲板に、異様なものが転がっている。

 それはシマの死体だった。

 修復される船体に埋もれるのではなく、異物として弾き出されたらしい。

 硫黄色の大蛇が待ち構えていたかのように近づいて来るが、それより先にジムグリが動いた。


 一人、二人、三人。

 シマ達の傷が次々に癒され、大蛇の回収対象から外れる。

 ――ただし、『癒され過ぎた』少女たちは無事では済まない。

 どの個体も手足を痙攣させ、沸騰したアメーバのようにぶくぶくと奇形に変じる。


 ある者はブリッジした姿勢で三つ首を生やし、ある者は暖簾のれんのように眼窩から無数の爪を生やす。

 ある者はへたり込み、膝関節が五つにも六つにも増えた多脚をくねらせる。

 ある者はアイスバーのごとく膨張し、指や眼球を生やしたヌリカベめいた姿に。


 素材はシマだ。

 明確に強化・巨大化されていない限り、身体能力は子供並み。

 ただ、数が多い。

 そして明らかに理性を失っている。

 『掴んだものを増やす』能力は残っているはずだが、それを使う思考能力すら失っているらしい。

 つまり次の動きが読めない。


 夜叉の面で口元を覆ったジムグリは、弦の張られた三味線を軽く爪弾いた。

 哀切を含む甲高い音。

 頬を涙で濡らしながら、紫色のヤツマタ様は異形の隙間を縫って歩き始める。


「逃がすか……!」


 俺が走り出すと、奇怪なシマ達も一斉に動き出す。

 ブルドッグ。ゴリラ。ヤシガニ。ナメクジ。

 まるで統一感のない移動方法、速度で奇形が迫る。


 俺は一人目をかわし、二人目を蹴り飛ばし、三人目四人目五人目をかわした。


「ユメミ! とにかく殺すな!」

 

 ジムグリが涙で濡れた赤い目をこちらに向ける。

 骨のナイフを逆手に構え、格闘の間合いへ飛び込む。


 刃を振り抜く。

 返しながら突き、捻り、また振る。

 三味線を抱えたジムグリは一、二、三、と後退して回避。


(――!)


 反応、悪し。

 動き、鈍し。

 手に三味線。服は動きづらい黒無垢。


(仕留める……! 今……!!)


 強く、素早く踏み込む。

 懐に入ったところでナイフを振り上げ――三味線に阻まれる。


「!」


 間近で見るジムグリの目には嘲りではなく悲哀が見て取れた。

 今までのヤツマタ様とは違う精神性の持ち主らしい。


 半分割れた三味線は軋んだが、そこにはジムグリの手が触れている。

 掴んだものすべてを『癒す』手が。


 砕けた破片が集まり、三味線は音もなく元の姿を取り戻した。

 ――いや、それだけではない。


「ッ」


 さおがあちこちから飛び出し、弦が毛髪のごとく伸びる。

 胴の皮が破れて別の胴が膨れ上がり、また棹が生える。

 その冒涜的な武器を放られ、俺はとっさに飛び退いた。


(厄介過ぎる……!)


 シマに有効だった籠城戦法は使えない。

 石扉にこの能力を使われたら過剰回復で形を歪まされ、突破されるおそれがある。


 もちろん肉体を直に掴まれるわけにも行かない。

 この能力を『直当て』された場合、待っているのは奇形化。マムシに溶かされるより悲惨な末路だ。

 それでいて遠距離からの攻撃は――


「!」

  

 温かいヒトデのようなものが背にしがみついた。

 変異したシマだ。

 手の平から、ぴぎょるぱあ、と奇怪な吐息。


「邪魔、だっ!!」


 振りほどき、蹴り飛ばす。

 別方向から飛びかかる一体に骨のナイフを突き立てる。


 ジムグリは婚儀に臨む花嫁のごとくゆったりとした歩みで本殿へ向かっていた。


「逃が――」


 シマ達を振りほどいた俺は素早く青腕で空気を掴み、引いた。

 ゴムじみて伸びた不可視の弦に、骨のナイフを番える。

 アオダイショウの能力を使った『矢』。


「すかッ!!!」


 びゅお、と飛んだ矢は狙い違わずジムグリのうなじに突き刺さった。

 赤い血。

 ぐらりと揺らぐ肉体。

 だが――――


(……! ダメか……!)


 ジムグリが自らの腰部を掴むと、首の傷はたちどころに塞がった。

 衣服は復元され、骨の刃はぽろりと地面に落ちる。

 もちろん奇形化は起こらない。

 これが『癒す』能力の本懐。


(両手が使える間はダメージが入らない……!)


 思考を許さない『即死』なら能力を使う間もないだろうか。

 ――いや、そんなことはない。


 首をネジ折っても、心臓に刃を突き立てても、完璧な『即死』は望めない。

 致命傷を受けてから意識がブラックアウトするまでの間に必ず数秒のラグが生じる。そこで能力を使われたら一瞬で傷を癒されてしまう。

 仮にマムシの腕で頭部を溶かしたとしても、発動のスイッチが『意思』ではなく『動作』なら、とっさに自分を掴むだけで復活できてしまう。


 両腕を奪わない限り、ジムグリが殺害あるいは負傷で退場することはない。

 五体満足の場合、『落とす』しか勝ち筋が無いのだ。


「待ちやが「イタチさんっ!! カガチがそっちに!!」」


 振り向く。

 赤茶の残影が視界を走る。

 逃走が間に合わない距離。


「……!」


 敗北の記憶。

 傷一つ与えられなかった屈辱。

 心拍が急上昇する。


 赤茶の狩衣を翻し、頭に烏帽子を乗せたカガチが瞬く間に槍の間合いへ。

 その手は何かを握っている。

 

「くっ!」


 目の前の空気を青腕で掴み、真横に引く。

 ゴムの壁。

 カガチは思い切り腕を振り上げ、上半身を反らせた。


(投槍……!)


 ゴムの壁では防げない。

 手を離し、横へ飛ぶ。

 カガチは振り上げた腕を後方へ流し、地を蹴った。


「!」


 フェイント。

 今、こいつは素手だ。


 空中で加速したとしか思えない速度でカガチが距離を詰める。

 息も触れ合わんばかりの距離。

 膝。間に合わない。

 腕。間に合わない。


 咄嗟に唾を吐く。

 が、カガチには届かない。

 透明の面頬に阻まれ、泡はカガチの数センチ手前で止まった。


 赤茶の手が蛇さながらに伸びる。

 俺は思わず顔を庇ったが、衝撃が来ない。

 殴られもせず、刺されもしない。

 目潰しも、喉抉りも来ない。


(……?)


 ぐっ、と。左腕を掴まれる。


(こいつ、何で腕を――)


 カガチの能力は掴んだものを『固める』。

 今までは空気から武器を創


「ッッ!!」


 気づく。

 怖気おぞけ

 振り払おうとするが、遅い。




 ぴききき、と。

 アオダイショウの左腕が凍結したかのように『固まる』。




 皮も、脂肪も、筋繊維も、骨も血管も神経も。

 すべてがブロンズ像さながらに硬直する。


(しまっ――)


 更に硬化の感触は肘を通り過ぎ、俺自身の肉体へ至り始めた。

 みききき、と生身を侵略される恐怖。


「う、おおああっっ?!」


 カガチの腕を振りほどこうとするが、今度は右手を掴まれる。


「っ?!」


 焦げ茶色の前髪の海から、鼻だけが突き出した顔。

 その鼻腔から、細く静かな息が漏れる。


 カガチの手に力が込「やあああっっ!!」


 赤い残像を俺の網膜に走らせ、カガチが飛び退いた。

 苔緑の手が眼前を掠め、続いてロッコが割り込む。


「はあああっっ!!」


 着地点目がけてユメミの槍が突き出されるも、カガチはひょいとかわした。


「てああっ!!」


 少年の怒号。

 赤茶の手が淀みない動きで宙に円を描く。

 シュウが放った骨の礫は『空気の盾』に阻まれ、じゃりりと叩き落とされた。


「くっ……ぐっ!」


 俺は石化したように動かないアオダイショウの腕を掴んだ。

 ――――外れない。


「開けた場所でカガチの相手は無理です!」


 ユメミが俺を庇い立ち、左右の子どもたちに怒鳴った。


「撤退します! 援護して!」




『できるかな?』




 そんな声が聞こえた気がした。


 神職姿の女が片膝をつき、重ねた手の平を横に滑らせる。

 空気を固めて生み出した『刃』。

 その柄を握り、カガチが舞う。

 ユメミがふすまの槍で受けるも、衝突音と共に彼女は膝をついた。


「ぐっ?!」


 透明の刃をめり込ませた槍が、かたかたと震えている。

 重すぎるのだ。一撃が。

 

「このっ!」


 マムシの腕を持つロッコが真横から飛びつく。

 カガチは剣を持たない方の手で宙に円を描いた。

 空気の盾。

 ロッコが怯み、横へ身を逸らす。


 カガチは円を描き終えたばかりの手をぐっと握り、軽く上下させた。


(盾はフェイント――!)


 カガチは空気を固めた『槍』を無造作にロッコへ振り下ろした。

 

 ばあん、と。

 ロッコの前に滑り込む者がいる。

 ――ランドセルを前面に抱えたシュウ。


「姉ちゃん今だッッ!」


「やああっっ!」


 マムシの手を突き出したロッコが突撃すると、カガチはすっと身を引いた。


「えっ?! あっ!」

「つっ!?」


 剣を押し返し、今まさに攻めに転じようとしていたユメミとロッコが正面衝突。

 カガチはもつれ合う二人にゆらりと両手を伸ばす。


「であっ!」


 何かが真横から飛び、カガチの頭部をべしゃりと赤く濡らした。

 布袋に詰まったシマの血液だ。

 透明の鎧のおかげでダメージは受けないが、視界は塞がれた。


「兄ちゃんっっ!! 今っ!!」


「お、らあああっっっ!!」


 姿勢を低くしてのタックル。

 頭部を赤く染められたカガチは目線を動かさず、空中でドアノブを回す動作を見せた。

 こごっ、こごごっと不可視の球体が玉砂利を叩く。


「ッ!」


 一つを思い切り踏んでしまい、俺は転倒した。

 その隙に後方へ跳んだカガチは頭部に触れ、『鎧』を解除。

 付着していた血はびしゃりと地面を打つ。


 素早く立ち上がった俺、ユメミ、ロッコ、シュウはカガチを睨みつけた。

 が、奴はまるで動じていない。

 どこからどう攻められてもすべて捌いて見せる、とでも言いたげな悠然とした構え。


(クソ……!!) 


 前回と違い、こちらにはアオダイショウの腕があった。

 戦いの経験も積んだ。腹も括っていた。

 それでも、カガチに打ち勝つヴィジョンがまるで見えない。


 読みは深く、膂力に優れ、技巧は硬軟自在。

 付け入る隙が無い。


(自力じゃどうしようもないか……!)


 カガチがあや取りをするように指を動かし、手を動かした。

 生み出されたのは七支刀。

 その切っ先がこちらに向けられる。


 カガチは一歩踏み出そうとし――――気づいた。

 俺は軽く首を振る。


「まあ、こうなる可能性が高そうだったからな」


 玉砂利を踏む音。

 一、二、三。

 四、五、六、七。


 ユメミ、ロッコ、シュウは既に動き出している。

 カガチの立つ場所がちょうど『中間』となるように。


「あえて残しておいた。不確定要素を」


 カガチが僅かに首を動かし、後方を見やる。




 これまでやり過ごし、傷つけて放置していたシマ達が一斉に突っ込んで来る。

 



 まるで動物園を脱け出した獣の群れだった。

 敵味方を識別する最低限の知能こそあれど、それ以上の思考能力を持たない獣。

 

 四人の生存者目がけて突っ込む奇形の一群は、その途上に立つカガチに激突した。

 赤茶の戦士が体勢を崩し、シマを押しのけようともがく。


「今だ! 本殿に走れ!」

 

 四人揃い、走り出す。

 その後を追い、みだっ、みだっ、みだっと砂利の敷き詰められた甲板を奇形のシマ達が走る。 


「はっ、はっ、はっ……!」

「くっ……ふっ……!」


 賽銭箱を越える。

 一人、二人、三、四。

 本殿へ飛び込み、階段へ飛び込む。


「走れ! 下へ!!」


 子供たちが転がり落ちるように階段を駆け下りる。

 三秒後、すべてのシマが階段に殺到する。

 びだっ、びだだだだっ、という激突音。


 穴から伸びた手の一本が俺の数十センチ手前で止まった。

 が、扉の幅より大きく膨らんだシマはそれ以上こちらへ踏み込めない。

 次々にシマが扉に殺到し、本殿の向こうに見える境内を覆い隠していく。

 ぴぎぎぎ、ぴぎぎぎ、と奇怪な声。


「ご苦労さん……!」


 理性を持たないシマ達はさほど広くもない階段の入り口へ殺到し、見事に詰まっていた。

 膨張した奇形ばかりであるため、ぎゅうぎゅう詰めだ。

 手足も絡まり、向こう側は肉の草むらと化しているに違いない。


 さしものカガチもこの肉壁を突破するのは容易ではない。

 『能力』で船側に足場を組めば侵入できるだろうが、それも時間が掛かる。

 非力なシマ達が自分の肉体をこちらへ押し込むことも難しいだろう。


(逃げ切れた……!)


 短いインターバル。

 階段の中頃まで降りた俺は、汗に濡れた身体を壁に預けた。


「ふっ……ふっ……!」

「はー……はー……っ!」


 やや下ではロッコがへたり込み、両膝に手を置いたシュウが顎の汗を拭っている。

 ユメミは階段の下を注視しつつ、ちらと俺を見た。

 緊張に隠された焦燥。


 分かっている。

 これでは前回と同「イタチさん」


 ユメミの言葉が思考に被さる。


「まずジムグリを」


 ユメミはかつて右腕のあった場所を手で探った。

 確かに、彼女が万全の状態になればカガチに抗えるかも知れない。


 問題は、治癒能力を有するジムグリがカガチと同程度には無敵であること。






 客室層に駆け下りると、黒無垢の背中が見えた。


 通路の中央を歩むジムグリは膝をつき、客室を押し潰す吊り天井に触れているところだった。

 ぶわりと天井が浮かび上がり、吸い込まれるようにして元の場所へ。


 その手がふすまに触れると、辺りに散らばった破片が吸い寄せられる。

 穿たれた穴に触れると、みりみりとせり上がるようにして床が元通りに。

 魔法の絨毯のように畳が飛び、客間の床を元通りに復元していく。


(手当たり次第に……!)


 ジムグリは時折足を止め、目元を拭っている。

 泣いているらしい。

 俺には理解不能の涙だ。


 距離は数十メートル。

 もたもたしてはいられない。

 カガチが来るより先にヤツを仕留めなければ。


(腕を獲る……!)


 俺は左腕にマムシの腕を装着していた。

 アオダイショウの腕はもはや使い物にならないため、溶かした。


(腕を獲って、床に穴を開けて落とす……!)


 危険な攻め手ではあった。

 ジムグリの腕を奪うためには、奴の間合いに入らなければならない。

 掴まれれば奇形化による死が待っている。


 兄ちゃん、と青ざめたシュウが囁いた。


「ま、まずいよ」


「何がだ」


「ぺちゃんこのシマ、触られたら……!」


「……!」


 吊り天井があった場所には蝿も逃げ出すほど醜い黄色混じりの肉塊がひしゃげている。

 数は数百だ。

 もしあれら全てを癒されたら――


「っ、止めろ! ジムグリをっ――――!!」


 俺たちは一斉に通路を駆けだした。

 回復も過剰回復も関係ない。

 とにかく奴の動きを止めなければこの数のシマがすべて――――




 振り返ったジムグリと目が合う。


 涙で頬を濡らした女は、にこりと笑みを浮かべた。




「何……」


 ジムグリはおもむろに正座し、黒無垢を脱いだ。

 がこここん、という奇妙な音。

 黒無垢の内側に隠されていた、白く平たいものが転げ落ちる。


 それは骨だった。

 二枚一組の骨。


 紫の手が触れると、床に置かれた骨がぴたりと結合した。

 恐竜のそれに似た、巨大な生物の頭蓋骨。


 いや、恐竜ではない。

 恐竜にしては平たく、何より牙が小さい。

 あれは――――


「蛇の、骨……?」


 脳内で回っていた歯車が、一気に速度を上げる。



 蛇の骨。

 蛇。

 長い背骨に、偃月刀じみた無数の肋骨を生やした生物。


 俺たちの立つ場所。

 左右に窓。

 薄く脆い障子戸。


 癒しの能力。

 モノを修復する際、破片を集合させる能力。

 頭蓋骨があそこにあるということは、肋骨はどこに――



「ふ――――」


 伏せろ。

 俺の言葉より早く、ぼぽぽぽっと古銃の斉射に似た音が響いた。

 左右の障子戸と襖を破り、岩塊ほどの背骨と、白刃に似た長い骨が飛来する。


 どかかかかっ、と。

 蛇腹剣が収縮するようにして、ジムグリの触れた頭蓋骨に幾つかの背骨が連なった。

 その背骨に、ヘリコプターの回転翼ローターさながらに回転する肋骨たちが合流する。


「――」

「……」

「――――」

「……」


 蛇の背骨は、切っ先部分が赤く濡れていた。

 それを見たジムグリは、正座したまま静かに涙を流す。


 一瞬の後、思い出したかのように俺たちの肉が裂けた。

 血の雨が降り、血の霧が噴く。

 

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