第15話 蛇の道は黄
まず、マムシが石鳥居を滑り降りた。
着地と同時に、緑の蛇は俺を見る。
左肘から先を欠いたアンシンメトリーな姿。鼻に苔緑の包帯。
第一夜の戦いで誇りと肉体を傷つけられたヤツマタ様は、静かな怒りを瞳に宿す。
マムシが地を蹴る。
スピードに乗り、緑の筆痕と化して迫る。
「来るぞ! ――」
コンマ一秒。
事前に練っておいた、『対マムシ』の初手を思い起こす。
「――堀に追い込め!」
加速したマムシは左舷の堀から離れるように弧を描いた。
思った通りだ。奴の中では『堀』が不吉な場所としてインプットされている。
戦場となるのは右舷。
(あの位置から突っ込んで来るとして、使える罠は……)
俺は子供たちを率い、かつてカカシの置かれていた右舷へ走る。
境内のそこかしこに畳が埋め込まれていたが、マムシは賢明にもそれを避けていた。
さすがに見え見えの罠は踏んでくれないらしい。
(……)
もちろん、俺は新手を視界から外さない。
ノヅチが怯えるほどの相手、シマ。
紋黄蝶を思わせるシルエットの少女は鳥居からぴょんと飛び、別の鳥居に着地した。
更に別の鳥居へ飛び移って――
「?!」
四つ。
鳥居が四つに増えている。
元々あった一つ以外は柱が地中に固定されていないのか、シマが乗るとぐらぐらと揺れていた。
幻ではない。実体を持つ本物の石鳥居。
と言うことは、シマの能力は――――
「掴んだものを『増やす』能力……!」
走りながらの呟きにユメミが応じる。
「脅威です」
「ああ。……」
ちらと船尾を見やるが、先ほど射抜いたシマの姿はない。
船外に落ちたのか。それとも俺の見間違いだろうか。
まさかとは思「集中してください」
ユメミの鋭い声。
「合流される前にマムシを」
「ああ……!」
迎撃位置に到着。子供たちを後ろに下げる。
すべてを溶かすヤツマタ様が猛スピードで迫る。
心拍が速度を上げ、首の裏に粘りのある汗が噴き出す。
既にマムシとの距離は10メートルを切っている。
8メートル。
6メートル。
(来る……!)
ごおん、と。
シマの乗る石鳥居が倒れ、轟音と共に甲板が震えた。
それが合図となった。
二度、三度。
左右へのフェイントを織り交ぜたマムシが俺に襲い掛かる。
突き出されるのは、あらゆるものを溶かす必殺の右腕。
俺は大きく後方へ跳び、かわす。
空を切ったマムシの腕はにょるんと反転し、再び俺へ。
これも後方へ跳んでかわす。
ばちゃりと液化した空気が地を打ち、マムシの顔に戸惑いが滲む。
(見える……前よりは……!)
カガチ。シロマダラ。
マムシより体術に長けるヤツマタ様との交戦が、俺の動体視力を少しだけ
更に二度、マムシの腕が空振りする。
怒気を滲ませたヤツマタ様は強く踏み込み、さっと右方へ視線を走らせる。
俺の視界に割り込む形で、ユメミの腕が伸びた。
「腕を――」
ひょるん、と。
蛇さながらに動いたユメミの左腕がマムシの右腕に絡む。
「――置いていけ……!」
一瞬早くマムシが膝を突き上げ、ユメミに防御を強いた。
蹴りを膝で受けたユメミは再び腕をねじり切ろうとしたが、僅かに速くマムシが
びぴっと『手の口』から唾液が飛んだ。
「ッ」
能力発動のトリガーはあくまでも『掴み』。
だが『溶解』を連想させる唾液の飛沫はユメミの動きを一瞬止めた。
マムシは突き上げた膝を開き、ユメミを蹴って飛び退く。
着地点を囲む形で、ロッコとシュウが飛び出す。
「『カラスの陣』!」
ロッコとシュウがその場に膝をつき、両手で畳を引っ張った。
罠を察知し、着地したばかりのマムシが更に後方へ跳ぶ。
――が、子供二人の引いた畳の下には何も無い。
フェイクだ。
俺とユメミは別の畳をずるりと引いていた。
中には
槍を掴み、マムシに飛びかかる。
「らぁっ!」
「たっっっ!!」
俺は両手で、ユメミは片手で槍を突き出す。
マムシは空中で身を捻ったが、一本が脇腹の肉を抉った。
赤い血が飛び、滴る。
マムシは着地と同時に反撃に転じようとしたが、ロッコとシュウが時間差で槍を突き出している。
背中に隠し、紐で結んでいた小さな槍。
「やーっっ!!」
「えああっっ!!」
踏み込みは浅く、狙いも甘い子供の攻撃。
だが襖の骨組みは太く、先端は尖っている。
マムシは嫌がるように手を円形に回し、槍の先端を溶かした。
そのまま素早く後退し――――ずるんと足を滑らせる。
彼女が踏んだのは畳だ。
浅い水溜りに浮かせているだけの畳。
要するに、彼女が先ほどまできちんと警戒していた『罠の畳』。
マムシは今しがたの攻防で、「畳の下には武器が隠されている」と誤認した。
――命取りだ。
「獲ったっっ!!」
ユメミより速く踏み込んだ俺は、思い切り槍を突き出
黄色いシルエットが割り込む。
――シマ。
(……!)
間近で見る彼女は、思った以上に華奢で幼い容姿の持ち主だった。
外見上は九九すら知らない年頃の子供だ。
目が合う。
淀んだ感情を含む、光の無い黒目。
悪寒が背を這い上がる。
マムシを庇った少女は、何の躊躇もなく俺の槍を受けた。
ずぶりと先端が胸の肉を貫く。
臓物の詰まった肉袋を貫く感覚に、全身の細胞が震える。
殺してしまった。
子供を。
(っ)
奥歯を噛み、一線を越えた痛みを耐える。
だが気にしている場合ではない。
今は――――
「!」
胸を貫かれ、『手の口』から血を流すシマが槍を掴んだ。
次の瞬間、プラナリアが分裂するかのように槍がみりみりと裂けた。
――――否、『増えた』。
(『能力』……!)
かららん、と地を叩いた槍をマムシが素早く回収する。
(こいつ、自分を盾にして仲間に武器を……!)
俺は戦慄したが、すぐに思い直した。
好都合だ。
マムシが『能力』ではなく武器を使うのなら。
こっちには畳の盾が何枚もある。
(!)
右半身に何かが絡みついた。
見る。
黄色いシルエット。
――シマ。
「?!」
顔を上げた少女が、目を三日月状に歪めて笑う。
細腕で俺に抱き付いた少女は発泡スチロールのように軽い。
槍の先を見る。
貫かれたシマはなおも手の口からごぷりと血を噴き、鼻腔に赤い泡をこびりつかせている。
苦しみに満ちた笑み。
(何――)
振り払おうとした瞬間、何かが俺に絡みつく。
右斜め後方から、黒髪に黄色い彼岸花。
――――シマ。
右斜め前方から、紋黄蝶を思わせる袖。
――――シマ。
「?!」
槍で貫いたのが一人。
抱き付いたのが三人。
かろ、かろろ、と。
下駄が境内を踏む音。
振り向く。
十人近いシマが、ずらりと甲板に並んでいる。
(っ! こいつの能力、やっぱり……!)
シマの能力は「掴んだものを『増やす』」。
その対象は槍や鳥居のような『モノ』だけではない。
他のヤツマタ様と同じく、『自分自身』も含まれるのだ。
(船に乗れるのは二人じゃなかったのか……?)
いや、二人だ。
『乗った時点では』二人。
乗った後に増える分には制限がないのだ。
「……!」
かろろ、と一人のシマが歩く。
ちるるる、と一人のシマが小さな舌を出し入れする。
はたたた、と一人のシマが袖をばたつかせる。
俺に絡むシマ達がずしりと体重をかける。
一人一人は軽いが、数が揃えば立派な重石だ。
「こっ、のっ、野郎っ!!」
思い切り腕を振り払うと、シマ達はポップコーンの気安さで吹き飛ばされた。
が、その後方にはまだ十人近いシマが控えている。
着ぐるみに飛びつく幼稚園児さながらに、紋黄蝶の少女が襲い掛かる。
足。腰。腕。腿。膝。
筋肉などまるでない。文字通りの子ども。
だが――――
「くっ! そっ!!」
手を振り、足を振り、シマを振りほどく。
次が来る。粘る納豆のように子供たちが絡みつく。
体こそ温かいが、腐った菓子の置かれた仏壇のように、冷たく甘い匂いがする。
「ちょっ、とこいつらっ!」
「あっち行け! ンンっ!」
見ればユメミ、ロッコ、シュウにもシマがまとわりついていた。
子供二人は身体のほとんどがシマに埋もれ、手や頭がかろうじて見える状態だ。
圧殺や絞殺の恐れはないが、目鼻に指を入れられる危険性がある。
「振りほどけ! 大して強くは「イタチさん前っ!!!」」
振り向く。
槍を構えたマムシが迫る。
「ッ」
反射的に、シマのへばりついた腕を突き出す。
ぎぶりと槍が刺さり、一人が手の平から吐血。一人が痛みで手を離し、地でのたうち回る。
マムシは即座に槍を手放し、必殺の腕を掲げる。
俺は腰に掴まったシマをむんずと掴み、突き出した。
槍と違い、『マムシの腕』は標的を貫通する。
だが、少しでも軌道を逸
持ち上げられたシマが、眼前に迫るマムシの手首を掴んだ。
(まさか――――)
マムシの正中線が揺らぎ、みりりり、と左右に分かれる。
プラナリアのごとく分裂――否、『増殖』した二人のマムシが俺を見る。
「う、ぉ?!」
一人の腕はシマの半身を容赦なく溶かした。
残る一人は遮るもののない空間を伸び、俺の眼前へ。
「ッ!」
身を捻ろうとするが、別のシマが纏わりついて邪魔をする。
まずい。防げな「はああっ!」
気合の一声に続き、黒い槍が『マムシ二号』の脛を打つ。
身を揺らがせたマムシの手は、俺の足にへばりつくシマの顔を半分溶かした。
ぐるんと少女の眼球が上向き、手が離れる。
びょう、びょびょう、と。
ユメミは槍を片手で巧みに振り、マムシを牽制する。
「不利です! 下へ!」
視線を左右に走らせ、目印を見つける。
客室へ続くトンネルの入り口だ。
「ッ」
走り出そうとするが、シマが背中に飛びつく。膝裏に抱き付き、腰に手を回す。
俺は打ち払うが、焼け石に水だ。次々にへばりついて来る。
シマの死体を蹴ってマムシを牽制するユメミが吠えた。
「何してるんですか! 目か喉に指を! 早く!」
「……っ!」
言われた通りにする。
シマ一人一人は非力で、俺の攻撃を防ぐこともかわすこともできない。
顔に近づけた手はすんなりと眼窩に滑り込んだ。
ぷぎ、ぴぎ、と眼球が潰れる音。
血を流すシマが顔を押さえて身を離し、地を転がり回る。
次の一人の目を潰す。声なき悲鳴。
一人、また一人とシマが剥がれ落ちる。
俺は束の間、ヤツマタ様が声を発しない存在であることを神仏に感謝した。
シマの断末魔や悲鳴を聞いていたら、確実に戦意を削がれていただろう。
「走って!」
俺はシマを溶かしたロッコ、シュウと合流し、斜め下方へ伸びる穴へ飛び込む。
以前作ったクランク状の穴ではない。一直線に客室層へ伸びる穴だ。
ユメミが追いつき、半ばもつれ合うようにして滑り落ちる。
「~~~~!!」
「っっ!!」
暗い斜面の先に白い穴。
客室の天井だ。
が、床までは少なく見積もっても10メートルほど離れている。
そのまま落下すれば無事では済まない。
「掴まれ!」
穴から飛び出し、明るい空間に躍り出る。
三人にしがみつかれた俺はアオダイショウの腕で空中を掴んだ。
ゴム化した空気がクッションとなり、一度跳ねる。
地面が近づいたところでもう一度。
トランポリンのように跳ね、四人で軟着陸する。
「シマがくるよ!」
シュウの指差す先、天井の穴からシマが滑り落ちるところだった。
「散れ!! 近づくな!」
少女は高い天井から落下し――「見るな」――床に叩き付けられる。
ぐしゃりという異音。
(……)
子供二人の目を隠し、落下死したシマを見る。
手足を投げ出した無様な姿。
血の染みが床に広がっている。
続いて一人。
一拍置いてまた一人。
断崖から身を投げるレミングスのように、斜面を滑り降りるシマが次々に落下死する。
どがり、びだりという子供の肉がひしゃげる音。
目だけでなく耳にも毒だ。
子供たちに耳を塞ぐよう告げる。
当然、これで終わるほど甘くはない。
まだ上には二人のマムシがいる。それに十人ほどのシマも控えている。
だが、奴の能力と戦法は分かった。
(『相方』を増やして、増殖した『自分』で足止め……)
掴んだものを『増やす』。
より正確には『複製する』能力。
攻撃性は無いが、一人でも厄介なヤツマタ様が二人以上に増えるのだから、凶悪無比な能力だ。
増えた相手がカガチやシロマダラならそれだけで『詰み』だ。
妨害を行うシマは非力だが、いくら数を減らしても自身の能力で絶えず『補充』が行われる。
これまでのヤツマタ様とは違う、サポート特化の能力。
(……どうする……)
早々にシマを潰したいが、マムシに背を向けるのは自殺行為だ。
さりとてマムシにばかり注意を割けば、纏わりつくシマの妨害で『溶解』を食らいかねない。
(どう突き崩す……? 今ある罠だけで
カガチを仕留めた時のような大掛かりな罠もある。
前夜の青白コンビと違い、ひとたび船外にはじき出されたらマムシとシマは復帰できない。
(あれにあいつらがハマるか? ……)
どっ、どっと内側から突き上げるような鼓動。
もう時間はあまり残されていない。すぐに奴らが階段を下りて来る。
決断を急がなければならない。
――と、ユメミが折り重なるシマへ歩き出した。
「ユメミさん?! あ、危ないです、そいつらに近づいたら……」
ロッコの言葉にも耳を貸さず、ユメミはシマの一人を掴み、持ち上げた。
ぐったりした着物姿の少女は、へし折れた首をだらりと垂らす。
ユメミはおもむろにその左腕を掴み――――ぶちんと引きちぎった。
「ロッコちゃん、お願い」
びょう、と飛んだ腕がロッコの目の前に落ちる。
袖のついたままの腕は、蝶の羽に似ていた。
「敵が『増える』のなら、こちらの対応は一つです」
ユメミは静かに俺を見た。
「私たちも『増え』ましょう」
合理性を欠いた提案ではなかった。
だが、俺の背筋は粟立った。
「増やすって、シマの手でか……?」
「ええ。こんなにあるのに使わない手はないです」
ユメミが示したのは、クローン処分場を思わせるシマの死体置き場。
右腕も左腕も、何本も残っている。
「これで青、緑、黄色の三本。さっきの話を実現できます」
さっきの話。
ユメミの左腕を溶かし、ヤツマタ様の腕を接ぐ件だ。
だが――――
「増やすって……俺とユメミさんを、だよな?」
「はい」
「戦いが終わったらどうする気だ」
「……」
「シマの能力は『掴んでいる間だけ』の能力じゃない。増えた『俺ら』は、今夜の戦いに勝った後も残るんだぞ……?」
「好都合です。次の戦いも、その次の戦いにも参加してもらいましょう」
「じゃあ、七つの夜が終わったら?」
そこでユメミの声音が冷ややかなものに変わった。
取り繕うような冷徹さ。
「……消えるんじゃないですか」
「根拠が無いだろ。消えずに残るかもしれない。その場合は?」
ユメミが糸目を薄く開く。
「殺せばいいでしょう」
「増えた俺たちを? 俺たち自身が?!」
思いがけず声を荒げたことで、ロッコとシュウがびくりと震えた。
「違います。本物は今ここにいる私とイタチさんです。死ぬのは能力で増えた偽「偽物とか言い出さないだろうな、ユメミさん……!」」
言葉を割り込ませ、俺はシマ達を示す。
「見ただろ、こいつらの動きを。本体の動きをトレースするダミーじゃない。色違いで能力が劣化したイミテーションでもない。どいつもこいつもそれぞれの意思を持ってる。ってことは、増えたシマと元のシマの関係は『本物と偽物』じゃない。どっちも『本物』だぞ……!」
そこまで口にしたところで、俺はシマの能力の本質に思い至った。
能力で増えたシマは別人格であり、別々の物理存在。
これはつまり、奴の能力が無視しているのが物理法則のみではないことを意味している。
奴は――魂すら増やしているのだ。
例えオリジナルの複製であったとしても、独立した肉体を動かし、独立した思考を持つ以上、それは魂が増えていることに他ならない。
人類が語り継いできた神仏の
俺は未知の寒気に震えた。
「能力で増やした私たちも独自の考えを持つから、土壇場で裏切られるかも知れない、と言いたいんですね?」
ユメミは微かに笑った。
不敵さと酷薄さが同居した冷笑。
「そんなことは承知の上です。増やした瞬間にマムシの手で手足の一本を溶かしましょう。そしてマムシたちが来たら盾に「違えよ」」
俺は思わず歯を剥いていた。
「それは人殺しだって言ってるんだよ……!」
「……」
「相手はヤツマタ様じゃない。俺と、お前だ! 人を殺すのは人殺しって言うんだよ……!」
「能力で増えた紛い物です」
「違うだろうがよ……! 元素構成だけじゃなくて知識や記憶も完全に同じなら、『オリジナル』と『複製』の間にどれだけの差があるんだよ……!」
能力で増やした俺は、おそらく俺と同じ人生を辿った記憶を持っている。
俺と同じ物理肉体を有している。
――俺と同じ悩みや苦しみを抱えている。
それはもう、完全に一人の人間だ。
殺せるわけがない。
「向こうは死にもの狂いで抵抗するぞ……!」
「させないように、増やした時点で四肢の一つを溶かします」
「そういうことじゃねえよ! ってか、そんな奴が戦力になるか……!」
「なります」強い言葉。「イタチさんはともかく、能力で増えた『私』は必ず戦ってくれます」
「……!」
俺は説得を諦めざるを得なかった。
ユメミと俺では思考以前に価値観がまるで噛み合わない。
彼女にとっての人殺しは『過程』であり、『手段』に過ぎない。
そこに躊躇や忌避感の介在する余地は無いのだ。
俺は先ほどから感じている懸念を胸の奥から引っ張り出すことにした。
「シマは――」
反抗的な目が気に入らないとばかりに、ユメミが不快感を覗かせる。
「能力を逆手に取られることを承知してるぞ。それでもやるか?」
「!」
「自分の能力のヤバさを理解してる奴が、こんな風に自分の死体を晒すわけがない」
俺は立てた親指でシマを示した。
「理由は分からねえけど、こっちが数を増やしても向こうは平気なんだよ」
増殖には俺のあずかり知らないデメリットがあるのか。
あるいは、シマは自身の能力の決定的な弱点を知っているのか。
いずれにせよ、無策ではない。
ノヅチが怯えるほどの相手が、無策で自分の腕をプレゼントするわけがない。
「ではどうするつもりですか。何か妙案がおありですか?」
「……。これは推測だけどさ」
ユメミは無言で続きを促す。
「シマには『オリジナル』がいるのかもしれない」
「? おりじなる?」
「そこのシマ達、死んでるのに『迎え』が来ないだろ」
「! そう言えば……」
ヤツマタ様のルールの一つに、『深手を負った場合は大蛇が迎えに来る』というものがある。
天井の穴から落下したシマ達は深手どころか死に瀕しているというのに、一向に迎えが来る様子がない。
「あいつらはたぶん『増えた方のシマ』だ。だから深手を負っても回収されないのかも知れない。ってことは、『オリジナルのシマ』はどこか別のところにいて、そいつに深手を負わせれば戦いが終わるのかも知れない」
何せ華奢で小柄な女だ。
自分を増やすどさくさに紛れて、船内のどこかに隠れたのかも知れない。
オリジナルの自分が逃げ隠れても、分身たちは自立した思考を持つのだから戦闘に影響は出ない。
そいつを倒せば、戦いは終わる。
もしかすると増えた方のシマは消えるのかも知れない。
――――安いホラー映画の化け物のように。
「……。その理屈が通るなら、増えた方はやはり偽物でしょう」
「だからそういう話じゃないって「ゆ、ユメミさん!!」」
ロッコの叫びに俺とユメミは振り向いた。
「ダメ! 繋げない!!」
黄色い腕を肘に添えたロッコは、真っ青な顔を向ける。
「細すぎるの! これ!」
確かに、ロッコの肘に対してシマの腕は細すぎた。
太さの差はアオダイショウの時以上のようだ。
骨はかろうじて接合できそうだが、それ以外の部位――神経その他が物理的につながらないのかもしれない。
「だったらもっと細い腕の――」
言いかけ、ユメミが口をつぐむ。
ロッコより細い腕。
その持ち主はシュウしかいない。
「っ」
「!」
俺とユメミは同時に息を呑んだ。
既に俺、ユメミ、ロッコは片方の腕を欠いている。
公平性を考えるなら、シュウに「腕を一つ差し出せ」と命じることも許されるように思われる。
だが、いくら何でもあんまりだ。
まだランドセルを背負った子供に腕を――
「シュウくん」
ユメミが決然とした顔で前に出るが、俺は素早くそれを遮る。
「待った」
「待ちません。勝つためです」
ユメミは俺の肩越しに声を投げる。
「ロッコちゃん。シュウくんの腕を溶かして」
「待て待て待て!」
ユメミが呆れと怒りをない交ぜにした表情で俺を睨む。
「だったら私たちを増やすのはやめます。それ以外のモノを増やしましょう。それで「に、兄ちゃん! あいつらが来た!」」
「!!」
「!!」
階段へ視線を向ける。
すっかり襖のなくなった客間からは、階段が丸見えだった。
四人。
四人のマムシが居並び、こちらへ歩いて来るところだった。
(……!)
あらゆるものを溶かす右腕も四つ。
その後方には一人につき二人ずつ、近侍のようにシマが付き従う。
俺たちの姿を隠すものは無い。
八つの瞳が俺を認めるや、マムシ達が一斉に地を蹴る。
びょう、と。
緑の筆痕が四つ、一直線に突っ込んで来る。
「……! イタチさん、いったん退きましょう!」
「どこにだよ。もう隠れる場所も逃げる場所もないだろ……!」
隠れたところで引きずりだされるのがオチだ。
マムシの能力を前に防御や避難は意味を為さない。
緑のヤツマタ様に続き、黄色のヤツマタ様が走り出す。
罠を警戒する様子はない。
それはそうだろう。何せ、代わりを幾らでも『増やせる』のだから。
ばたたたた、と足袋で床を打つ四人のマムシはアスリート並みの速度で突っ込んで来る。
距離は既に15メートルを切った。
「イタチさん、まだ間に合います! シマの手を!」
「……いや、要らない」
「え……?!」
10メートル。
8メートル。
俺はすぐ傍に置かれていた
「確かに四人いれば四倍だ。観察力も、攻撃力も、突破力も」
だが――――
「元が同じ個体である以上、決定的な判断は高確率で
「? 何を言って……」
俺は身を屈めた。
「一つしかないものは、四人じゃ分け合えないってことだ」
距離、5メートル。
高らかに。
マムシの『左腕』を放り投げる。
四人のマムシは一斉に上を見た。
俺は敵への敬意を込めて、嘲るように言葉を放る。
「『本物』はどいつだ?」
四人のマムシにはそれぞれの意思がある。
誰もが「自分こそ本物のマムシ」だと思っている。
だから、『本物の証』には反応せずにはいられない。
左右の腕を備えて完全な姿に戻ったマムシと、俺の息の根を止めたマムシ。
生存者四人を始末し終えた時、『本物』を名乗れるのは後者ではない。前者だ。
四人のマムシは互いの目を見た。
そして、一斉に右腕を伸ばした。
その先にあるのは彼女達自身の左腕だ。
大きな隙。
俺とユメミは強く、大きく踏み込む。
「っらああっっ!!!」
鎧袖一触とは行かなかった。
虚を突いた一撃で俺とユメミが仕留めたのは二人。
腹部を貫かれた二人のマムシは身をくの字に曲げる。
残る二人はすぐさま左腕の奪い合いをやめたが、既に遅い。
薙刀のように振るわれたユメミの槍が片方の腿を貫き、俺が蹴り飛ばした最後のマムシは、
深手を負った三人目のマムシが片膝をつくと、障子窓が破られた。
現れたのは家ほどもある大蛇の顎。
俺とユメミは大きく飛び退く。
「四人いるのに何でわざわざ同じ方向から来るんだよ」
傷ついたマムシ達は逃げようとしたが、次々に大蛇に呑まれていく。
最後の一人は俺に憎しみを込めた目を向けた。
「焦りすぎたな、マムシ」
ばくん、と緑の女が大蛇の口に消える。
静けさが訪れる。
「……右腕、回収しておけば良かったですね」
ユメミは俺にマムシの左腕を投げ寄こした。
「そうだな。勿体な――」
シマ達と目が合った。
黄色い少女たちは嗤っていた。
くつくつと肩を揺らし、目を歪めて。
「……。……何笑ってるんだよ。もうマムシはいないんだぞ」
嗤う。
嗤う。
シマが嗤う。
仲間を失い、無力な自分だけが残されたというのに。
十数人の少女達は示し合わせたように笑う。
――――異様な光景だった。
(……)
全身の細胞がアラートを鳴らし始める。
何か、嫌な予感がした。
ただ、その正体がまるで分からない。
「!」
黄色い子供たちは一斉に背を向け、甲板へ向かって駆けだした。
俺はマムシの左腕をロッコに放り、後を追う。
「待てッッッ!!」
下駄を履いているせいか、シマが階段を駆け上がる速度は遅い。
一段飛ばしで駆け上がる俺は、次々にシマを追い越した。
そして追い越す端から、子供たちを蹴り落とした。
客室から本殿へ伸びる階段は長い。
ごっ、ごがっと嫌な音を立てながら階段を転げ落ち、何人ものシマが再起不能、あるいは死に至る。
遥か下方ではロッコの悲鳴が聞こえていた。
甲板に辿り着く。
青と紫の稲妻が走り続ける夜天。
そこは、数百を超えるシマに占拠されていた。
船べりに座り、足をぶらぶらさせているものがいる。
地面の罠を解体しているものがいる。
穴に何かを詰め込んでいるもの、傷ついた仲間を小突いているものがいる。
肩を震わせて笑っているものがいる。
ぴたぴたと両手を打ち鳴らし、遊んでいるものがいる。
半透明のノヅチに集り、顔を覗き込もうとしているものがいる。
天を駆ける雷が世界を白く染める。
船の周囲に、何か異様なシルエットが見えた。
灯籠廻船。
――――が、六つ。
(……!!)
六艘、いや六艇もの巨大船が俺たちの乗る船を取り囲んでいる。
ぞろぞろと甲板で何かが蠢いている。
それは葉にびっしりとこびりついた蟻にも似た、シマ達だった。
数は数百、いや数千。
船同士の隙間を縫うようにして、硫黄色の大蛇が泳いでいる。
大蛇は時折口を開け、傷ついたシマ達を飲み込む。
一人を飲み込むと別の場所へ向かい、またのろりとシマを飲む。
その瞬間、俺は理解した。
客室のシマ達に『迎え』が来なかったのは、大蛇のキャパシティを超える数の『負傷者』が存在していたからだ。
それが複製であれ、『シマ』が傷つけば大蛇は迎えに来るのだ。
だが当のシマは深手を負った自分を増やし、大蛇をコントロールすることができる。
それはつまり、『どこかにオリジナルがいる』という俺の考えが見当違いの憶測であったことを意味する。
(『オリジナル』なんていない……! ここにいる全員が『シマ』……?!)
俺が一歩後ずさった瞬間、シマ達が一斉にこちらを見た。
そして、嗤った。
「――――!」
何かが飛んでくる。
サッカーボールを思わせるそれをキャッチする。
それはシマの生首だった。
眼球の入っていた場所に、赤く濡れた小指がぎっしりと詰め込まれている。
まるで傷口から這い出すウジ虫のように。
「う、おああああっっっ?!!!」
頭を投げ捨てると、シマ達が一斉に嗤った。
声は聞こえない。
聞こえるのは、しぴるるる、という舌が出入りする音だけ。
「っ!!」
ようやく分かった。
こいつらの目的は、俺たちを船から落とすことではない。
初めから、不思議に思っていた。
船から落とすつもりならマムシを数百、数千人に複製して客室へけしかければいいのに、なぜそれをしないのか、と。
俺はそこに合理的な理由があるのだと考えていた。
『増殖し過ぎるとデメリットがあるから』とか、『弱点を見破られたくないからだ』とか。
――違う。
シマが能力の使用をほどほどに抑えたのは、合理的な理由があったからではない。
こいつらは。
俺たちをできるだけ長く痛めつけ、嬲り殺すつもりだ。
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