第7話 蛇の道は楝(かがち)


 空中で無数の手裏剣を浴びるユメミの姿。


 俺の肉体はそれをただ呆然と見つめるだけだったが、思考は猛スピードで回転していた。




 ――いったい、何を間違えた。



 罠を設置しての防衛戦。――間違っていない。

 マムシの腕の利用。――間違っていない。

 囮と攻撃役で戦力を分散。――間違っていない。

 落とし穴で動きを封じ、無敵の『溶解』で仕留める。――これも間違っていない。


 なのに俺は追い詰められている。


 間違っていたのは――――俺の認識。

 自分が挑戦者であるという認識の欠如。


 それはつまり――――




 だあん、という銃声すら想起させる音が俺を現実に呼び戻す。


「!」


 空中で手裏剣を喰らったユメミは、しかし、力強く地を踏んでいた。

 カガチの放った不可視の手裏剣は、肩、腰、腿、膝に命中している。

 窓ガラスを這う雨粒のいやらしさで、赤い血が流れている。

 

 が、ユメミは白い脚に絡まる赤い筋を気にも留めない。

 そのまま駆け抜け、子供たちと合流し、叫ぶ。


「イタチさん! こっちへ!」


「っ」


 そうは問屋が卸さない。

 カガチは再び腰を下ろし、両手を重ねた『カスタネットの構え』に入っている。

 『掴んだものを固める能力』で『空気の手裏剣』を生み出す体勢。


 俺とカガチの距離はあまりにも近い。

 この距離で手裏剣を放たれたら、まず避け切れない。


(……っ!)


 身構える。


 が、手裏剣は飛ばなかった。


 カガチは両手を重ねたままぶんと横に振り、地面と水平の三日月を描いた。

 立ち上がった彼女が掴んでいるのは――――


「『刀』……!!」


 柄の無い、刃だけの刀。


 ――いや、柄はあるのかもしれない。

 ただ、俺には目視できない。

 『掴んだものを固める能力』で生み出された、『空気の刀』。

 形状を知るのは作った本人であるカガチだけだ。


 俺は身を強張らせたが、カガチは肩に刀の背――『峰』を乗せた。

 そして片手の甲を俺に向ける。

 

 四本指が立った。

 くいくいと。指が曲がる。

 意味はすぐに分かった。


「……。四人で来いってか」


 目を隠し、口を隠した赤茶のカガチ。

 ほとんど感情の読み取れない彼女の全身から「首肯」らしい雰囲気が漏れる。


 その傲慢さに、血管が何本か切れそうになる。

 こっちがたった今、自分の油断を悔いたばかりだというのに、こいつはむしろ積極的に油断しようとしている。

 命を賭して戦う相手に、この驕慢さ。

  

「はっは……ははっ」


 昂ぶる感情のあまり目尻に涙が浮かんだ。

 口には引き攣った笑い。


 久しぶりの感覚だった。

 俺は本気で憤激した時、怒りながら、泣きながら、笑う。 


「ナメやがって……!」


 布団マントの下からマムシの腕を出す。

 苔緑の奇怪なスキンに覆われた腕。


「その鎧で防げるのはせいぜい砂利か水までだろ。どこから出て来るんだよその自信は……!」


「イタチさん!!」


 四人。

 四人ということは、ロッコやシュウも頭数に入っている。

 ありえない。あの二人は前には出せない。

 それが狙いか。こいつの。


 四対一。

 四対一だと。


「一つや二つ罠を抜けたぐらいでいい気になるな……!!」


 ボルテージが上がっていく。

 脳内にイメージされたカガチが紙に描かれた絵のごとくぐちゃぐちゃに歪み、曲がり、破られ、溶ける。


 腕の『スイッチ』をオンにする。

 ぼたたた、と空気が絶えず溶かされ、地を叩く。

 口を開いた蛇が、牙から毒液を滴らせるように。


「跡形もなく溶かし尽くしてやる……!」


 一歩前に出た瞬間だった。




「イタチッッッ!! いい加減にしなさいっっ!!」




 ぼっ、と。

 背を何かが叩いた。


「痛ぁっ?!!!」


 じゃらら、と落ちたのは玉砂利だった。


 石を投げたのはロッコやシュウではない。

 ユメミだった。


「まだ『背水の陣』があります! こっちに来てください!」


 ――『背水の陣』。

 ある。確かに、ある。

 だがあれは使いたくない。

 あれは文字通りの最終手「出し惜しみして勝てる相手じゃないっっ!!」


「っ」


 奇襲を受けないよう、俺はカガチから視線を外さない。

 その耳にユメミの怒号が叩き付けられる。


「一対四じゃないとその人には勝てない!! そんなこと、とっくに分かってるでしょう?!」


「――――」


「傲慢にならないで! 私たちは弱い!」


(……)


 傲慢。

 そうだ。俺は傲慢だった。

 カガチの挙動から性格を見抜いた気になり、不意を突かれ、ユメミに傷を負わせた。


 カガチは――――違う。

 優れた身体能力を持ちながら虚を突いて鎧を纏い、能力もこれ以上ない最適なタイミングで使った。

 こいつに自分を誇示する意図はない。

 あったのは、こちらの油断を誘う意図。


 一対四で来いという仕草も、自己陶酔に由来する挑発ではない。

 確実に一人を潰すための『作戦』。

 こいつが纏うのは驕慢を装う謙虚さ。

 敵の弱さを知りながら、決して侮らず、決して逸らない慎重さ。


 カガチは強者でありながら『挑戦者』。

 俺は――弱者でありながら『防衛戦気取り』。


(!)


 分かった。

 今、分かった。

 俺が欠いていたものの正体。


「ロッコちゃん、シュウくん、『背水の陣』!」


 後方でユメミが砂利を踏み散らす音。

 俺は軽く頭を掻き、呟く。


「……そう言えば、昔から言われてたな。お前は独善的で高慢だって」


 カガチが首をかしげる。


「親の言うことも、先生の言うこともよく聞く良い子だったからな。間違いはいつも俺の『外』にあった。……」


 優等生で、真面目だった。

 教育熱心な両親のお陰で、文武両道に秀でていた。


 だからすぐにのぼせ上がり、周囲を侮った。

 勉強のできない奴を蔑み、社会に対する知見を広めようとしない者を侮り、自分の能力を過信した。

 高慢さが祟って何かをしくじっても、自分の非を認めないことの方が多かった。


 なぜなら俺は大人の示す『正しい道』を歩いている自信があったからだ。

 親に、先生に、こんなにも愛されている俺が間違っているわけがない、と。


 他のみんなは、俺が歩く道から少しずれたところを歩いている。

 だから、正しくない。

 軽蔑に値する。

 『正しい道』に固執するあまり、俺は昔から他人への『敬意』を欠いていた。



 ――だが、違った。



 俺は『正しい道』など歩んではいなかった。

 今も、昔も。

 俺が歩んでいるのは『俺の道』に過ぎなかった。

 他の皆が歩んでいたのも彼ら自身の道。

 『人生の正解ルート』を選び取ろうとしていたのは俺だけだった。


(そうだったな……)


 そのことに気付いたから俺は大学で将来を見失い、親を憎んだ。

 正しい道を歩かせてくれているんじゃないかと、クレームをつけるような気持ちで親に恨みを抱いた。


 今、俺は再び「正しい道」に落ちかけている。

 這い上がらなければならない。

 ――『俺の道』へ。

 


 かちん、と。

 何かが頭の中で噛み合った。



 そうだ。何も不思議なことはない。

 俺の首を絞めたのは俺自身だ。

 幼い頃から変わることのなかった俺の未熟さが、命を賭けた死闘の最中ですら俺を苦しめた。


(――――)


 大きく息を吸い、吐く。

 胸から浮かび上がった言葉を舌に乗せる。


「――『敬意』」


 独り言つと、カガチが再び首をかしげた。


「敬意が、足りなかったな」


 カガチが肩をすくめ、刀を両手で握る。

 放たれる異様な緊張感。

 もう話すことはない、という意思表示。


「ああ。来いよ。もう油断はしない。俺はあんたに『敬意』を払う」


 俺は腰を落とす。

 ユメミの砂利踏み音が近づいて来る。


「『背水の陣』……使わせてもらう」


 カガチの重心が動いた瞬間、踵を返す。

 赤茶の忍者に背を向け、走り出す。


 周囲は落とし穴地帯。

 ダメージこそ受けないものの、慎重なカガチは一瞬、まごつく。


 その隙に俺は落とし穴の隙間を縫い、ユメミと合流する。

 カガチとの間に開いた距離は10メートルほど。


 ぱん、ぱぱ、ぱん、と。

 カガチが『カスタネットの構え』を取り、手を叩く。

 手と手に挟まれたビスケット状の空気が、数枚の手裏剣と化した。


「! 来るぞ!」


「はい!」


 びょう、と跳躍しながらの、放擲。


 びしゅるるる、と手裏剣が飛来する。

 不可視のため、見てからかわすことはできない。

 俺とユメミは別々の方向へ跳び、身を伏せた。


(手裏剣はかわせる……! でも、これだけか……?!)


 敵を低く見ない。

 敵は俺より賢いのではないか。俺より機転が利くのではないかという疑念。

 それこそが『次の一手』への対処を分ける。


 顔を上げ、気づく。

 カガチが両手を天へ向けている。


(!)


 例えるなら、熟練のピザ職人が頭上で生地を回すような、奇怪な動き。

 ぐりん、ぐりん、ぐりんぐりんとカガチは両手で何かを回す。

 あの形は――――


円月輪チャクラム!!」


「ちゃく……え?!」


「後ろ向きに走れ!!」

 

 無茶な要求だとは分かっていた。

 それでも、そうするしかなかった。

 俺とユメミはカガチの方を向いたまま、真っ直ぐ後ろ向きに走る。


 両手を振り終えたカガチは、そのまま勢いよく横回転した。

 一度、二度、三度。

 三回転でエネルギーを溜めたカガチは、ぐいんと大きく開脚する。

 尻が地面につくほどの蹲踞そんきょ

 そして両手で掴んだチャクラムを、地面すれすれの高さで投げつける。


「!!」

「っ」


 びょぶうう、というおぞましい飛来音を伴い、見えない刃が迫る。

 サイズ。おそらく手裏剣より巨大。

 威力。おそらく手裏剣と同等かそれ以上。


 足首の高さ。

 タイミングを合わせて跳べばかわせるかも知れないが、チャクラム自体が見えない。


(どうする……?!)


 どうするもこうするもない。

 防ぐか、かわす。

 だが見えないものはかわしようがない。


 なら――――― 

 

「伏せろ!」


「伏せても当たりますよ?!」


「当たらねえ!!」


 ユメミを掴み、腰をかがめる。

 かがめながらマムシの手で地面を掴み、溶かす。


 どぶぶぶ、と斜め下方へトンネルが伸びる。

 俺たちは巣穴へ飛び込むリスのごとくトンネルに転がり込む。

 びううう、と真上をチャクラムが通過。


「出るぞ! 走れ!」


 泥水まみれで穴から這い出し、駆ける。

 今の回避に思うところがあるのか、カガチはまだ動かない。

 その隙に俺たちは走り、走り、走り―――――本殿へ飛び込む。


「ふっ……ふっ……!」


 休んでいる暇はない。

 すぐさまユメミの手を掴み、転がり落ちるように階段を駆け下りる。


 畳張りの通路に辿り着く。

 一直線の道。

 左右には襖。

 膝に手を置き、呼吸を整える。


「はっ……はっ……!」

「ふっ……ふうっ……!」


 ぼたぼたと泥水の滴が畳を汚す。

 蒸した髪から汗が落ち、畳で跳ねる。


 激しい心拍に身を震わせながら振り返る。

 カガチはまだ来ない。


「兄ちゃん!」

「ヒゲ!」


 襖が開き、ロッコとシュウが現れた。

 緊張した面持ち。


 俺は布団マントを手で押さえる。

 

「悪い。アレやるぞ」


「……」


 四人で額を突き合わせ、別れる。


 




 かつん、かつーん、かつん、と。

 カガチのヒールが階段を下りて来る。


 赤茶の忍者と相対するのは、俺とユメミ。

 ゆっくりと現れたカガチは俺たち二人の姿を認め、大仰に肩をすくめた。


「四人だよ。言っただろ、『敬意を払う』って」


 カガチは左右の襖を見、小さく頷いた。

 そしてやおら腰を落とし、『カスタネットの構え』。

 重ねた両手を左右に滑らせ、『刀』を掴む。


 カガチは刃を顔の高さまで上げ、刺突の構えを取った。

 呼吸も躊躇われるほど空気が張り詰め、ユメミが息を呑む。


 距離はまだ20メートルほど開いているが、開いたままではおかれない。

 俺たちも、カガチも。


「イタチさん、もう半歩後ろへ」


「……ああ」


 すり足で下がると、ヒールブーツのカガチも素早い足運びで迫る。

 見る見る階段が遠ざかってゆく。


 じりじりと距離が詰まる。

 ちんちん、かんかん、と襖の向こうでは死者たちが踊る。


 後ずさる俺たちの目の前を、矢庭に幽霊が横切る。

 カガチの姿が青白く透けた浴衣姿の向こうに見える。


 今度はカガチの目の前を別の幽霊たちが過ぎる。

 水族館のガラス越しのように、赤茶女の全身が歪む。


 幽霊が通り過ぎると、カガチが揺れる。

 蝋燭に灯された炎のように。


(来る……!)


 びゅ、と赤茶の残像が視界を走る。 

 刀を構えているとは思えない、まさに忍者そのものの疾駆。

 たたっ、たたたっとヒールのタップ音が置き去りにされる。


 15メートル。

 10メートル。


 7。

 5。


「今だ!」


 俺とユメミの左右で襖がすたあんと開く。

 ロッコとシュウが、三分の二ほどに溶解加工された畳を盾に突っ込む。


 左右からの挟撃。

 カガチは一切動じなかった。

 まずロッコの畳を蹴り、次にシュウの畳に回し蹴り。


「うわっ!」


「うっ!!」


 踏ん張るパワーのない二人は元居た部屋へ蹴り飛ばされる。

 めちゃくちゃに剥がされ、散らかされた畳の山に二人が突っ込む音。


 二人が足止めしてくれている隙に俺とユメミは一歩下がり、別の襖を開いている。

 置かれているのは半分の畳。

 鉛筆と布団の端切れでこしらえた畳の取っ手を片手で掴み、構える。


 次の瞬間、カガチの刃が迫る。

 ほとんど反射的に畳の盾を構えると、ざぐ、と刃が突き刺さった。

 だが貫通することはない。


「軽いよな、それ。素材が『空気』だからか?」


 実はユメミの傷も大したことがなかった。

 おそらく手裏剣が『空気』製だからだろう。


 カガチは応じず、刃から手を離す。

 後躍でユメミの足払いをかわし、着地。


「それがあんたの本気か?」


 煽っているつもりではない。

 ある程度、時間を調整する必要がある。

 

 勝利条件は変わらない。

 カガチに深手を負わせるか、船の外へたたき落とすこと。


 前者はカガチ自身の強さのために難しい。

 なら後者しかない。

 だがそれも、結局はカガチと戦うことを意味する。

 実力でねじ伏せられない相手は、どうやっても船の外へは叩き出せない。


 だから、『ポイント』に追い込む。

 あそこなら、俺たちより強いカガチを船外に放り出すことができる。

 それも一方的に。


 じりじりと畳の盾を構えたまま俺たちは後退する。

 既に階段は遥かに遠い。

 もうすぐ俺たちの背中は通路の突き当たり、つまりトイレと風呂の石戸にぶつかる。


 その場所まであと二部屋。

 罠に気づかれないまま、誘導できるか。


(!)


 じりじりと迫るカガチが矢庭に立ち止まった。

 そして左右の手を宙へ持ち上げ、手首をぐりんと回す。

 ちょうど、ドアノブを回すように。


 ぐりん、ぐりん、ぐりん、と左右の手が何度も何度も捻られる。


(何だ……?)


 動作の意味が分かったのは、こつっという音が聞こえた時だった。

 こっ、こ、こ、こ、と。

 カガチの足元で音が聞こえる。


 こおおお、と音がこちらに近づいて来る。


「……イタチさん、これ……!」


 それは『球』だった。

 空気を固めて作った『球』。

 カガチの足元には不可視の球が幾つも積み上げられ、ぶつかり合い、転がり始めている。

 ――――こちらへ。


(! やっべ……!)


 今までで最も大きく胸が高鳴った。


 ものの数秒で数十の『空気球』を作りだしたカガチは、思い切りそれを蹴り飛ばした。

 か、かかかん、かここん、とビリヤード球よろしく弾け合い、ぶつかり合う玉がこちらへ転がって来る。


 カガチの能力で造られたものは確かに『軽い』。

 だが、殴ったり蹴ったした程度では破壊できない。

 破壊不能の真球が足元に散らばるということは――――


「っ」


 カガチが駆けだす。

 玉を追い越しかねない速度。


「くっ!」


 畳を構える。

 サイズが小さいため、防ぐことができる面積は小さい。

 上段と中段。または中段と下段。

 俺がカガチならどちらを狙うか。――――決まっている。


 掬い上げるような下段蹴りを、畳で防ぐ。


「っらあっ!!」


 快哉混じりの怒号。

 だが反動は殺しきれず、数歩よろめいて後退する。

 まさにその場所に、カガチの空気球が転がっていた。


 踏む。

 ぐりんと足裏に刺激。

 重心が崩れる。


「うっ?!」


 ユメミが体当たり気味に俺を支え、カガチの振るう刃を畳で防ぐ。

 次の瞬間、大きく跳んだカガチが蹴りを放った。

 

「ぐっ!」

「っ」


 俺とユメミはしゃがみ、回避。

 ぶおおお、とカガチの脚が頭上をかすめる。


 足元には無数の玉。


(馬鹿が……! 自分も着地できな――)


 みきい、と。

 俺の目の前で畳に穴が開く。

 鉄棒ほどの太さの穴。


 はっと顔を上げると、自ら生み出した棒を床に突き立てたカガチが一回転するところだった。

 ポールダンスさながらの回転。

 そして勢いを乗せた蹴り。

 側頭部に一撃を喰らい、俺は真横の部屋へ吹き飛ばされる。


「イタチさん!」


 襖を破り、畳の上を二回転。

 散乱する畳の山に頭をぶつけ、肩をぶつける。


「っぐっ!」


 見ればユメミもカガチの猛攻にさらされている。

 棒による殴打の応酬。

 ユメミも武道の心得はあるようだが、長身のカガチが相手では分が悪すぎる。

 更に腕一本の差。

 おまけに足元はおぼつかない。


 瞬く間に顔、腕、脛を棒で打たれ、ユメミが膝をついた。

 棒を手放したカガチの両手が首へ伸びる。

 ――――首をへし折る気だ。


「くっそがっ!」


 畳に手をつき、走り出す。

 こちらを見たカガチが手で円を描き、前蹴りを放つ。

 がごお、と何かが飛んでくる。

 

「ぶっ?!」


 空中に生まれた『空気マンホール』が俺の顔を潰す。

 威力はさほどでもない。

 畳の上を滑りながら踏みとどまるが、カガチは大きな虎でも抱きかかえるように『球』を描いた。


 ごっ、ごっ、ごっという音。


「!!」


 見えない『大球』が座敷に転がり込む。

 一つ。二つ。三つ。

 妨害としても厄介だが、それ以上にまずい。

 こんなものを何個も創り出されたら、ポイントへ誘導する前に『罠』に気付かれてしまう。


「んのっ!」


 畳の盾で球を弾き、弾き、弾く。

 カガチは先に俺を潰すべきだと考えたのか、ユメミから視線を外すところだった。


 座敷を踏むヒール。

 カガチは握りこぶしに握りこぶしを乗せた。

 そのまま拳同士を左右に離す。

 生まれたのは―――――


(ジャベリ――)


 咄嗟に転ぶ。

 びょうう、と。

 透明の槍が髪を掠め、ばあんと障子窓を破る。


「っ!」


 まずい。今のはまずい。

 何度も喰らえば、下手すると畳の盾ごと叩き落とされる。


 カガチが再びジャベリンを構える。

 そこに、畳を掴んだユメミが飛び込む。


「させないっ!」


 ユメミが一回転し、畳を振り抜く。

 が、ざぐっと何かが彼女の畳を破り、止めた。


「?!」


 鎧。

 不可視の鎧。


 いや、違う。

 畳が止まった位置はカガチの首から十センチほどの距離。

 鎧にしては厚い。それに、鎧は畳を破らないはず。

 まさか――――


「か、鎌……?! 鎧に……?!」


「!! いつの間に……!!」


 ユメミが畳を手放し、警戒に飛び退く。

 カガチはそちらを見ようともせず、俺に歩み寄る。


 俺は転ぶように立ち上がり、カガチの方を向いたまま隣の部屋へ走る。


(だ、ダメだ。『戦闘』だとマジで手に負えねえ……!)


 マムシとは応用力の次元が違う。

 少しでも目を離すと変幻自在の道具を生み出される。

 しかも俺たちには目視できない。


 だが、あとひと部屋。

 もう隣の部屋が『ポイント』だ。

 ポイントとはすなわち、風呂の隣の客室。


「!」


 カガチが部屋に飛び込む。

 しゅ、と短い刃物を『作る』所作。


「……!」


 また投げるつもりか。

 あるいは飛び込んで切り付けて来るのか。

 好都合だ。畳で防ぐ。

 

 俺は後退し、『ポイント』に――


「射程っ!!」


 ユメミの声と同時に、足首に熱が走る。

 馬鹿な、という思いが痛みに塗り潰される。

 

「~~~~っっ!!」


 転び、転ぶ。

 じわりと足首を血が濡らす。


 大丈夫だ。繋がっている。

 刃は骨で止まったらしい。


(短刀だと思わせて、元々持ってた『長刀』で斬りつけて来た……!)


 いつ作った。

 どこに隠した。


「クソッ……!」


 硬軟自在。

 自分の首が繋がっていることが不思議に思えるほどの強さ。

 

 確かにこいつを落とし穴程度でどうにかできると思い違えたのは、とんでもないミスだ。

 だが、勝つ。

 強さで勝敗は決まらない。


 左右を見る。

 紙が不自然に敗れた障子戸。

 ここだ。

 俺が想定していたポイント。


「着いたぞ……!」


 カガチが室内に踏み入る音。

 ユメミが通路側から襖を開く。


 カガチは一瞬窓に目をやり、俺を見下ろした。

 目が見えないため、薄い感情は読み取れない。

 軽侮か、警戒か。

 それとも勝利を目前にした余裕か。


 彼女はゆっくりと『雑巾絞り』の構えを取り、棒を生み出した。

 これまでと違うのは先端。

 棒を生み出したカガチは端の部分で軽く手を動かし、そこに『刃』を作った。


 見えない長刀。


「……!」


 立ち上がり、身構える。

 ここまで誘導してしまえば、あとほんの少しだ。

 ほんの少しで、カガチは船の外に落ちる。


「イタチさんどいてくださいっ!!」


 ユメミが打ちあわせ通り、畳を構えて突っ込んで来る。

 あれを受ければ、カガチは終わりだ。


「行け! ユメミ!」


 カガチはユメミを見ず、僅かに斜め上を見上げた。




 そして――――軽い所作で数歩後ろの畳を踏む。




 ずるる、と。

 部屋の半分ほどの面積が『滑った』。

 ちょうど、豆腐に斜めに包丁を入れたかのように。


 ずるるる、ずるるる、と。

 障子戸を残し、床の半分が滑り落ちる。

 斜面の向こうには、闇。

 夕焼け空から照り返した赤い光が室内に流れ込む。


「っ!」


 部屋の半分を使った、特大の落とし穴。

 上に立つものを滑り台のように外へ排出するトラップ。

 それなりにインパクトのある大穴を見ても、赤茶の忍者は驚かなかった。


 カガチは闇を見やり、俺に顔を向けた。

 失望らしき呼気が手のひらから漏れる。


「み、見破られてた……?!」


 ユメミが歯噛みする。

 カガチは首を軽く鳴らし、長刀を構えて走り出




 ここっ、こここっ、と。

 カガチの爪先に触れた球が、落とし穴から外へ流れ出した。




 赤茶の忍者は鬱陶しそうに足を動かしかけ、ぴたりと動きを止める。

 その目線が足元へ。

 そして――通路から転がって来る大量の『球』へ。


 がらららら、かららら、と。

 玉が転がって来る。

 カガチ自身が先ほど生み出した球だ。


 何の不思議もないはず。

 だが、何かがおかしい。

 それに気づいたカガチが足を止める。


「ヤツマタ様は毎晩『二人』来る」


 微かな震動を感じながら、俺は呟く。


「落とし穴じゃ倒せるのは一人だけだ。二人同時に倒すなら、こういう手が要る」


 カガチはじっと俺を見た。


「最後まで気付かなかったな。ここ、船の上だからな。揺れてるし、何より俺たちは戦ってた」


 かか、かかかかっとカガチの脚にぶつかった球が船外へ。




「傾いてるんだよ、この船」




 なぜなら、俺がマムシの手を使ったから。

 四人がかりで客室や通路の畳を外し、その下の床を少しずつ溶かしたから。


 通路も座敷も傾いている。

 階段側から風呂とトイレのある突き当りに向かって、下り坂になっている。


 そしてこの部屋も傾いている。

 通路側から窓側へ。


 だから―――――


「ユメミ!」


「はい!」


 ユメミが畳をカガチに放り投げ、通路を挟んだ反対側の部屋へ走り出す。

 俺もそれを追い、途中で左腕のマントを外し、猛追するカガチに投げつけた。


 マントをむしり取ったカガチが、びくりと身を震わせる。

 ――『俺の左腕にマムシの腕が無い』。


「マントはマムシの腕を隠すためにつけてたわけじゃない。『バトンタッチ』に気付かせないためだ」


 轟音。

 船全体が震動する。

 通路を挟んだ部屋に着き、俺は振り返る。

 客室に一人ぼっちのカガチを。


「背水の陣だ」


 階段を烈しく叩くものがある。

 それは通路を走り、競い合うようにこちらへ突っ込んで来る。

 迫るのは――――水。

 堀に溜まった水。


 俺から渡されたマムシの腕で甲板を溶かし、ロッコが堀の水を階段まで導いたのだ。

 もちろん、ロッコの左肘から先は無い。

 カガチが来る直前の作戦会議の際、俺が溶かした。

 だから使いたくなかったのだ。この陣は。


 だが、必要だった。

 二人用の罠だが、カガチ一人に使わなければならなかった。

 彼女は強いから。


「敬意は払ったぞ……! これが今の俺たちの「全部」だ!」


 カガチが弾かれたように走り出す。

 通路へ。


 そして、落ちる。

 どぼお、と。

 出口付近の一枚の畳に。


「落とし穴だ。深くはないからすぐ出れる」

 

 斜面となった通路を濁流が走る音。

 もう間に合わない。


 膝まで落とし穴にはまったカガチが軽く脱力した。


 そして、手を叩く。

 ぱちぱち、ぱちぱちぱちと。


 目線を隠した忍者は俺に、ユメミに、拍手を送る。


 俺の胸に嬉しさはこみ上げない。


(――――結局、一発も入れられなかった……!)


 一瞬で廊下の端へ至った濁流が浴室を叩き、厠を叩く。

 濁流の壁が俺たちとカガチを分かつ。


 石戸で止められた濁流が出口を探し、見つける。

 排出口となった部屋。

 カガチの立つ部屋。


 荒々しい濁流が赤茶の忍者を飲み込み、そのまま闇へ連れ去った。

 





 おぞましいほどの濁流はやがて途絶えた。

 嘘のような静けさ。

 水がつんと匂う。


 幽霊が何事もなかったかのように行き交い始める。


「ふう……」


 俺はどっと脱力していた。


「やりましたね」


 ユメミも息を吐いた。


「ああ。ユメ――――」


 息を呑む。

 ユメミのすぐ傍に、桜色のヒバカリが立っている。

 彼女は水の流れ出した部屋を覗き込んでいる。


(こいつ、いつの間に……?!)


 咄嗟に腕で払うと、また煙のように彼女の姿が消える。

 はっと前を見ると、桜の忍者は穴へ向かって歩いている。


「! ヒバカリ……!」


 振り返ったヒバカリは、指を立てた。

 五と、一。


「……?」


「……」


 桜の忍者は俺たちに尻を向け、斜面を滑り台のように滑り、消えた。

 そして再び静寂が訪れる。

 





「すまん、ユメミさん」


 俺が呟くと、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「最初からこれをやっとけばよかった」


「……」


 ユメミの脚や腰は血で赤く染まっている。

 手裏剣に重みがないのでダメージそのものは深くないが、傷には違いない。


 この場所には『食事』の概念がない。

 失った血は取り戻せない。

 傷が増えれば、徐々に不利になる。


「大丈夫です。私は」


「……」


「……」


 ユメミは穴を見た。


「何か掴めましたか?」


「あ?」


「さっき、敬意がどうとかって」


「ああ……」


 どばたたたた、という騒がしい足音。

 通路を駆けて来たのは、ロッコだった。


「ロッ「ヒゲ!! シュウが!」」


 ずええ、ずええ、と激しく息を切らし、顔を上げる。


「し、死ぬって! もう、死ぬって言って、ノヅチに……!」


 戦いの熱が一瞬で引いた。

 ユメミと顔を見合わせ、走り出す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る