第6話 蛇の道は赤
カガチと呼ばれた女の体を、紙吹雪の最後のひとひらが撫でる。
前髪で目を隠した赤茶の女は、左右の膝に手を置いた。
そしておもむろに身をくねらせ、膝から腰、胸、肩へと手を滑らせる。
最後に髪を軽くかき上げ、アルファベットの「A」を作るように両手をぴんと天へ伸ばした。
「……!」
「っ」
俺とユメミは船尾を背に、カガチの一挙手一投足を注視していた。
と同時に、軽く視線を上げることも忘れない。
カガチの遥か上方、石鳥居では桜色の忍者がぱちぱちと拍手している。
――ヒバカリ。
今夜現れたもう一人のヤツマタ様。
降りて来る様子はなく、空になった
だが油断はできない。
カガチがゆらりとポーズを解き、自らの手首に触れた。
(っ! 『能力』か……?!)
手で『掴む』ことをトリガーに発現するヤツマタ様の能力。
わざわざ自分に触れたということは、マムシのような攻撃系ではないのか。
目を皿のようにして見入る俺たちを前に、カガチは手首から肘、肘から肩へ手を滑らせた。
まるで入浴剤のCMに登場する女優のように。
更にカガチは両腕を交差させ、首から鎖骨のラインを撫でた。
挙動こそ柔らかいが、妖艶さは感じない。
背筋をぴんと伸ばした赤茶の忍者から感じるのは、ユニセクシャルな色気だ。
たっぷりと我が身を愛でたカガチは、おもむろに片手を天へ向けた。
ぴんと伸ばされる人差し指。
空いた手は腰に。
真っ赤な夕焼けを背に立つその様は、一枚の絵画を思わせた。
――――もしくは、SNS経由で全世界へ発信される『自撮り』。
「イタチさん、あれは一体……?!」
「……。いや、俺にも分かんねえ……」
何となく分かる気もするが、さすがにありえないだろう。
『お美しいですねぇ。惚れ惚れしますよ』
実体を失ったノヅチがうっとりと呟くと、カガチはこちらへ向けて両手を大きく広げた。
「っ!」
「来ます!」
すわ攻撃かと俺たちは身構えた。
俺は左半身を包む『布団のマント』を手で押さえ、左腕一本のユメミは膝を柔らかく曲げる。
――――が、何も起きない。
「……?」
両手を広げたカガチは十指をうねうねと動かしていた。
何かをねだっているようにも見えるが――――
『よっ! お美しい! お美しいですよカガチ様!』
ぱちぱちぱちぱち、と。
ヒバカリとノヅチの拍手がカガチに浴びせられる。
赤茶のヤツマタ様はこくこくと頷き、なおも自らを扇ぐように手を動かす。
もっと、という意思表示。
『お綺麗でございます!! お綺麗ですよカガチ様!』
ばぢぢぢぢぢ、とノヅチとヒバカリの拍手が激しさを増す。
こくこくと頷いたカガチは両手を首に絡ませ、満足感に浸っているようだった。
「……」
「……」
「ゆ、油断させようって
「そう、ですね……」
もしくは単なるナルシストか。
――――いや、もしくはも何も、ナルシストであることは間違いなさそうだ。
不確定なのはこちらを油断させる目的があるのかどうかがだ。
もちろん、俺たちは油断しない。
なぜならカガチの後方にはシュウとロッコがいるからだ。
機先を制して船尾で叩き落とすつもりが、分断されてしまった。
(先制攻撃は失敗か……)
胸に10グラムほどの失望を感じる。
――問題はない。
この程度の失敗は想定の範囲内だ。
ちらと上を見る。
ヒバカリは罰当たりにも鳥居に腰かけ、足をぷらぷらと振っていた。
怠惰な所作は本気か、フェイクか。
(……)
どちらでも問題ない。俺はそう結論付けた。
仮に彼女が降りて来たところで、接近されれば玉砂利を踏む音で察知できる。
カガチだ。
まずこいつを落とす。
「『鳥の陣』!!」
怒号で合図を飛ばす。
数十メートル離れた場所で、ロッコとシュウが地面に手を入れる。
ヒバカリは手を
「やるぞ、ユメミさん!」
「はい!」
俺とユメミは後ろ腰に手を回した。
取り出したのは長い靴下。
ただの靴下ではない。中に玉砂利を詰めている。
非力な者や子供でも、振り回したこれをぶつければ多少なり大人に痛手を与えることができる。
びょう、と一度降り、ぶぶぶぶ、と継続回転させる。
遠心力が加わったことで靴下は不穏な重みを持って空を切った。
カガチの後方ではロッコとシュウも靴下を振っている。
ヒバカリが参戦しないのなら、四対一。
しかも挟み撃ち。
そこでようやく、カガチがふざけた仕草をやめた。
「マムシは強かったよ」
思考に沈もうとする赤茶の女を現実に引き戻す。
「あんたほどの
右肩から先を失ったユメミを顎で示し、俺自身の左半身を包む『布団マント』を示す。
「あんたとマムシ、強いのはどっちだ?」
ナルシストのカガチは他者との比較に敏感なはず。
その読みは間違っていなかったようだ。
カガチは僅かに身じろぎし、ゆるく開いていた手をゆっくりと閉じた。
満を持して登場した合体ロボットのようでもあり、変身を終えた悪の怪人のようにも見える仕草。
逃がさない。
そして考えさせない。
そうすれば生き物は自然と『長所』に頼り、脅威を排除しようとする。
カガチの能力が何なのかは分からない。
それでいい。重要なのは、『気持ち良く使わせること』。
――そしてそれを逆手に取ること。
「行くぞ!」
まず俺が駆ける。
一拍置いてユメミが、二拍置いてロッコが、四拍置いてシュウが駆ける。
前方と後方から砂利を踏む音が不規則に連なっても、カガチは動かない。
俺に顔を向けたまま、手をゆるく開閉させている。
五歩。
四歩。
三歩。
跳ぶ。
「っらあ!!」
びょう、と空を切る玉砂利の一撃。
カガチは僅かに横へ動き、かわす。
淀みない動き。
能力、未使用。
「ふっ!」
俺の影からユメミが飛び出し、顔面――に見せかけて忍者の膝へ靴下を振り下ろす。
カガチは強めに地面を蹴り、後方へ大きく跳ぶ。
着地と同時にぐりんと背後を振り返り、片足の膝を胸へ寄せる。
蹴りの構え。
視線の先には―――――
「っ! シュウ止まって!」
「っ!!」
ぎゃりりり、と子供二人がカガチの5メートル手前で停止する。
それでいい。そもそもこの二人の役目はかく乱だ。
「どこ見てる!!」
俺の振った靴下がカガチの軸足を打――――
「っ」
衝撃と共に視界が歪む。
ユメミが俺を突き飛ばしていた。
カガチは子供たちを蹴るために胸へ寄せた脚を、振り子さながらに背中側へ振っていた。
あのまま攻撃していたら俺の顔面はヒールキックで割られていただろう。
俺を突き飛ばしたユメミはすぐさま反撃に移ろうとした。
が、カガチが威嚇するように手を掲げると息を詰まらせる。
「っ」
マムシに腕を溶かされたシーンがフラッシュバックしているのだろう。
ほんの一、二秒ではあったが、ユメミは完全に停止してしまっていた。
完全に振り返ったカガチが高らかに脚を振り上げる。
踵落とし。
喰らえば――――
「ユメミさんっ!」
ロッコの放擲した靴下がカガチの脇をかすめた。
一本足の長身が揺らいだところでユメミは飛び退き、難を逃れる。
砂利踏み音が止まり、船に静けさが訪れた。
桜色のヒバカリは鳥居の上に座ったまま。
赤茶のカガチは僅かに乱れた髪に
(強いな……)
今の攻防で分かった。
カガチは間違いなくマムシより強い。
単に身長が高いから、ではない。
素人の俺でも分かるほど、体捌きと先読みのセンスに優れているからだ。
おまけに能力も未知数。
今の攻防で使用しなかったところを見るに、マムシのような攻撃系の能力ではなさそうだが。
(……)
ロッコとシュウが不安そうに俺を見つめている。
無理もない。それだけカガチの『捌き』は鮮やかだった。
傍目には格闘技の達人に素人が無謀な戦いを挑んでいるように映るのだろう。
だが、違う。
これは無謀な戦いではない。
既にカガチは俺の張った罠に踏み込んでいる。
確かに先制攻撃は失敗した。
初手の攻防でも競り負けた。
だが、だから何だ。
こっちには十分に準備する時間があった。
いくつか撃退のチャンスをふいにしたところで、次の罠、そのまた次の罠がある。
カガチの前に広がっている未来は『樹状図』だ。
俺たちの先制攻撃を捌けるか否かで、まず分岐。
捌けなければ即ゲームオーバー。
捌けたら初回の攻防に競り勝てるかで次の分岐。
競り負ければ即ゲームオーバー。
そして次の選択肢。
マムシとの戦いで俺は挑戦者だった。
知恵を絞り、機転を利かせ、あらゆる面で有利なマムシに勝たなければならなかった。
今度は違う。
地の利はこちらのものだ。
俺たちは『待ち受ける側』で、カガチが『挑戦者』。
たった一つの『正解ルート』へ向かわない限り、どう転んでもカガチは負ける。
その事実を彼女は知らない。
もちろん、傍観者であるヒバカリも。
灯籠廻船は既に地雷原だ。
一つでいい。
一つ踏ませれば俺の勝ち。
(大丈夫だ……大丈夫……。罠、ばっちり張っただろうが……!)
高鳴る鼓動を鎮めるように深く息を吸う。
体力の浪費を防ぐためではなく、罠の気配を悟られないように平常心を保つ。
「……シュウ! ロッコ!」
びくりと二人が震える。
「『弓の陣』だ! 走れ!!」
二人の子供が顔を見合わせ、靴下を放り出す。
じゃじゃじゃじゃ、と走ってゆく先は船の右舷。
元はカカシのあった場所。
今は解体されたカカシの手と胴、つまり二本の棒が地面に突き刺さっている。
カガチの顔が子供たちの方を向く。
「今使わなかったってことは、マムシほどヤバい能力じゃなさそうだな、あんた」
カガチが俺を見る。
目は前髪のせいで見えないが、確実にこちらを見ている。
「俺たち二人で十分だ」
俺は急かすように足踏みし、靴下を振り回す。
多少わざとらしく見えるかも知れない。
だが問題ない。
こちらを侮っている奴ほど、騙しやすいものはない。
「さあほら! かかって来いよ!」
カガチの顔が再びゆっくりと動く。
走り去るシュウとロッコに。
ゆらり、と。
蝋燭に灯った炎のごとく長身が揺れた。
次の瞬間、カガチは地を蹴っている。
一瞬で数メートルの距離を稼いだ赤茶の忍者は、チーターさながらに加速した。
俺とユメミは言葉も交わさず走り出し、彼女を追う。
だが―――――
(速っ!!)
じゃがががが、と激しい雨音に似た疾駆音。
カガチと俺たちの差は縮まるどころか開いていく。
追っ手に気付いたロッコとシュウは飛び上がり、左右に別れようとした。
が、すぐさま何かを喚き合い、合流する。
そうこうしている間にもカガチは二人へと迫りつつある。
(ギリギリかこれ……!)
だが、狙い通りだ。
カガチは今まで一度も能力を見せていない。
至近距離で俺やユメミと拳を交えても、中距離でロッコやシュウに襲われてもなお、能力を使わなかった。
射程の外だった、なんてことはないはず。
おそらくカガチは射程に入った俺たちにあえて能力を使わなかったのだ。
彼女が慎重派だから、ではない。
おそらくカガチは頭の中で『シナリオ』を描いている。
勝つためのシナリオではない。
『気持ち良く勝つ』ためのシナリオだ。
カガチは戦いの前に自らの肉体美を見せつけるほどのナルシストだ。
泥臭い勝ち方など望んではいないし、事務的で地味な勝利も望んでいない。
彼女が望むのは、美しく華麗な勝利。
ゲームで例えるなら、必殺の大技で勝負を決めたがっている。
そのためにちまちまと、これまで俺たちの攻撃を適当にいなしてきたのだ。
ロッコとシュウの逃走は、カガチにとって願っても無い展開だった。
なぜならあの二人は明らかに俺の指示で動いている。
つまり、二人を仕留めることは『策を読んで潰す』という美しさ、気持ち良さに通じる。
俺とユメミの目の前で策を潰し、能力でロッコとシュウを船外に叩き落とす。
勢いそのままに俺たちを撃破。
これがカガチの描く『気持ち良い勝利』。
のぼせ上がった奴の思考は手に取るように分かる。
無意識に、口角が持ち上がる。
(五……四……)
俺は走りながらカウントを始める。
カガチと子供たちの間の距離はぐんぐん縮む。
このままだと数秒で――――
(三……二……一……)
ふっ、と。
カガチが消える。
昨夜のヒバカリのような、驚きに値する消失ではない。
俺たちにとって予想通りの消失。
油断はしない。
俺とユメミは突っ走り、カガチが消えた地点へ。
「……知ってたか? それ、作るより隠す時の方が大変なんだよ」
そこには直径2メートル、深さ3メートルほどの大穴が空いている。
座敷から拝借した畳で蓋をして、砂利を乗せてカムフラージュしておいた落とし穴だ。
砂利まみれのカガチが穴の底に落ちている。
落とし穴は一つではない。
右舷のカカシ周辺にいくつか作っておいた。
弓の陣とは、ロッコとシュウが敵に背を向け、落とし穴地帯に誘い込む作戦を指している。
カガチは受け身を取っていたらしく、じっと俺を見上げている。
何せ蓋は柔らかい畳だ。彼女のほどの身体能力の持ち主なら咄嗟に受け身を取ることは難しくない。
底に槍衾でも設置できれば良かったのだが、そんな気の利いた道具はない。
壁も柔らかい。彼女の身体能力なら容易に這い上がることができるだろう。
だが、もう遅い。
カガチは『選択肢を間違えた』。
バッドエンドだ。
穴の縁で、俺とユメミは軽く目配せする
油断はない。
ノヅチの位置。ヒバカリの位置。ロッコとシュウの位置、すべて確認済み。
俺はゆっくりと布団マントを右腕で払った。
そこにあるのは――――苔緑の腕。
手の中に『口』を持つ、マムシの腕。
目を隠したカガチから驚愕の色は読み取れない。
だが彼女は確実に、身を硬くした。
「ちぎれ方が変だとは思ってたんだ。血も出てないし、骨が折れた音も聞こえなかった」
俺の左腕となったマムシの手が開閉する。
肘から上は俺の肉体であるため、手で呼吸をすることはできない。
だが、神経は繋がっている。
「腕、着脱できるんだってな。『不死身』だから細胞が死なないってことか?」
ノヅチが寄こしたその腕は、俺の左肘にぴたりとくっついた。
ものの数秒で細胞が侵食されるように接合され、神経は絡み合った。
元から俺の腕であったかのように。
そして――――
俺は肘から先に力を込めた。
元は他人の、それも化け物の腕だ。
練習は必要だった。
だが細かい調整は必要ない。
要は触って、溶かせばいいだけ。
必要なのはオンとオフだ。
俺は肘のあたりに力を込め、『腕』のスイッチを入れる。
オン。
空気を軽く掴むと、液体が滴る。
毒蛇が毒液を垂らすかのように。
「ゲームオーバーだ。向こうでマムシと反省会でもしやがれ」
マムシの攻撃力は100でも1万でもない。
∞《むげんだい》だ。
スイッチを入れた状態で触れさえすれば、あらゆるものが溶ける。
無敵の攻撃力を持つ腕。
飛び込んで触れさえすれば、カガチがどんな能力を持っていても――――
(ぁ……?)
そこで気づく。
カガチが妙に『近い』ことに。
俺はこの穴を3メートルほど溶かして作った。
なのにカガチの顔は今、穴の縁から50センチほどのところにある。
畳もだ。
妙に地上に近い。
まるで浮いているかの
「!!」
乾いた血を思わせる赤茶の残像が、俺の視界を下から上へ走った。
カガチが俺の目の高さまで跳躍している。
ありえない。
三メートルの穴だ。跳べるわけがない。
「っっ!!」
分かった。
これが能力か。
飛翔。あるいは跳躍。筋力強化。
だが、それが何だ。
(触れば――)
触れれば勝ちだ。
触れれば。
カガチが跳躍を終え、俺の眼前に着地する。
好機。
スイッチは既にオン。
俺は左腕を突き出す。
空気が溶け、舞い上がる砂利が溶ける。
匂いが溶け、感情が溶ける。
獲物を見つけた毒蛇のごとく伸びる腕。
赤茶の手が掲げられる。
もう遅い。防御は間に合わない。
最後に思い切り腕を突き出し―――――
カガチまであと十センチのところで――――俺の手が止まる。
「?!」
防がれた。
マムシの腕を。
その事実に俺は愕然とする。
ありえない。
俺の左腕に繋がったマムシの腕は灯籠廻船の境内すら溶かした。
客室も、船体そのものすら溶かした。
なのに今、俺の腕は止められている。
掴まれてもいないのに。
(……?)
違う。
俺の手に触れるものは溶けている。
止まっているのは俺の『胴』だ。
腕を突き出すためには踏み込み、体ごと前へ出る必要がある。
俺の胴体が壁のようなものにぶつかり、それ以上手が前へ進まないのだ。
透明の壁。
そんなもの、今まで無かっ「ヒゲさん前ッッ!!」
カガチの蹴りが脛を打つ。
バット並みの一撃。
耐えることなど到底できず、苦悶と共に膝を折る。
「ぶぐっ!!」
カガチは手を掲げた格好のまま。
目も口もない顔を俺に向ける。
(今のは……!)
ヤツマタ様の背後にユメミが迫る。
手には靴下。
恐るべき反応速度でカガチが振り返る。
武器が振られる寸前、赤茶の忍者は雑巾で窓を拭くかのように手を動かした。
くるん、と宙に描かれる大きな円。
彼女はもう片方の手でその場所を強く押す。
ぼっ、と。
ユメミが何かに衝突する。
彼女は鼻を赤くしつつも飛び退き、追撃の蹴りを逃れた。
「?!」
がららん、と何かが玉砂利を叩いた。
目を凝らすと、マンホールに似た透明の円盤が視認できる。
ばちんと脳内で電球が灯る感覚。
分かった。
こいつの能力は――――
「掴んだものを『固める能力』……!!」
明答。
そんな声が聞こえた気がした。
振り向いたカガチは両手で雑巾を搾るような動作を見せた。
搾った両手を左右に伸ばし、片方だけ離す。
びょびょう、と。何かが空を切る。
棒だ。
何もない空間から、カガチが棒を作った。
違う。ある。
マムシと同じだ。
こいつは今――――『空気』を固めて武器を作った。
(やばい……!)
まずい。棒はリーチが長い。
しかも空気を固めて作ったせいか、ほぼ透明だ。
まともにやり合ったらこっちが不利だ。
だが、今なら。
今、俺とユメミは格闘の間合いに入っている。
距離を取ればリーチの差で一方的にやられるが、今懐に飛び込めば決して不利ではない。
こっちには布団で隠していたマムシの腕もある。
攻撃に――
ちらり、と。
カガチが真横を見た。
視線の先にはロッコとシュウ。
「っ!」
そうだ。あの二人がいる。
今こいつをユメミと二人で叩けば、あの二人は完全に無防備だ。
護衛のない状態。
そこをヒバカリにでも狙われたら。
あるいはカガチが虚を突いて向こうへ駆け出したら。
落とし穴以外の罠もあるにはある。
だがそれは俺やユメミの追撃ありきで意味がある罠だ。
単独でヤツマタ様を足止めできる罠はこの落とし穴しかない。
攻めれば子ども二人が無防備。
守れば仕切り直せるが、武器の分だけこちらが不利。
攻めるか。
守るか。
(アホか! 考えるまでもないだろ……!)
守る。
守るしかない。
ユメミを下げ、万全の態勢を整えてから攻める。
「っユメミさん! 二人を――!!」
カガチが棒を振り上げた瞬間、俺はマムシの手を突き出した。
赤茶の忍者は砂利の音で攻撃を察してか、半回転しつつ棒を薙ぎ払う。
左手に触れた棒が、ぐじゃんと液化する。
が、カガチは意にも解さない。
再び空中で雑巾を搾り、棒を作り出す。
(こいつ、武器を壊しても何度でも……!)
『溶解』は不可逆の破壊だ。
形あるものはすべてマムシの能力の前に無力。
直撃すればカガチとてひとたまりもないだろう。
だがこの廻船に満ちているのは形あるものだけではない。
最も多く存在するのは『空気』。
空気は何度でも溶ける。
そして何度でも固められる。
そこに空気がある限り、マムシの能力とカガチの能力では決着がつかない。
「……もしかしてあんたとマムシ、仲悪い?」
カガチは薄く頬の肉を動かした。
どうやら笑っているらしい。
その脇をくぐり、ユメミが子どもたちの元へ駆ける。
「――なんてなっ!!」
カガチの視線が動くより早く、俺は左手に握る『空気水』を投げつけた。
マムシと同じ目潰し。
髪の上からでも液体なら効果がある。
カガチの反応は僅かに遅れた。
腕で顔をガードすることもできていな――――
「!」
びしゃ、と。
カガチの顔から数センチの場所で水が跳ねた。
「は……?」
水が、カガチに届いていない。
透明の厚い膜のようなものに阻まれている。
ずず、と。
膜を伝って水が滴る。
はっと気づく。
(鎧……!?)
鎧だ。
カガチは棒と同じように空気を固めて作った鎧を着ている。
いや、形状から察するに『殻』か。
(いつの間に……?!)
いつだ。そんな暇は無かったはず。
こいつはずっと俺たちと戦っていた。
その最中に能力を使えば誰かが気づいたはず。
そこで、ぞっとする。
(まさか、最初に……?! あの変なショーの時に……)
自分の肉体美を見せつけるショータイム。
あの時、こいつは攻撃を受けるであろう部位に透明の殻を纏わせたのだ。
手で、空気を固めて。
「……っ!」
何が『油断しない』だ。
油断――していた。
俺はこいつを侮っていた。
一挙手一投足のすべてに意味があるわけではないと。
罠を張り巡らしたことで、俺は気を大きくしてしまっていた。
違う。
俺は何一つ有利ではない。
俺は――――罠を張り巡らし、十分に時間をかけて準備してもなお、『挑戦者』なのだ。
ずおっ、と。
足を大きく開いたカガチが腰を落とした。
「っ!」
ぱん、と。
カガチが腰に添えた左手に右手を叩きつけた。
ちょうど、カスタネットを叩くように。
「なん――」
ぱん、ぱぱ、ぱん、と。
カガチが見えないカスタネットを叩く。
そして、右手で何かを掴んだ。
五指の隙間に挟まっている『何か』。
ぐりん、とカガチの首が動く。
視線を追う。
ユメミの背中。
カガチの腕が鞭のごとくしなる。
こいつの姿は――――『忍者』。
「っユメミ伏せろおおおっっっっ!!!!」
放たれた透明の手裏剣が、ユメミに突き刺さる。
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