第56話 永遠に引き延ばされた予定
四日目。
ところどころに濃淡を描いて、重苦しい灰色が空一面を覆っていた。冷たい雨をその内に蓄えた雲は分厚く重なり、一粒の雨滴を皮切りに雪崩れ落ちたら、その下に暮らす僕たちをいとも容易く押し潰してしまいそうだった。
「あらためて来るとすげえな……」
その荒涼とした風景にほとんど声を失っていた四人だったが、吹きすさぶ風に乗せて田村がポツリと漏らした。
予定地。あるいは建設予定地と僕たちはそう呼んでいた。
その地はまさに〈絶望〉の到来にうってつけの、この町にわだかまる絶望感の象徴のような場所であった。
予定地と呼ばれるからにはこれから先に何か建物が建てられたり、新しく人々の集う空間が開かれたりすることが期待されているはずだ。けれど、それはもはや叶うことの失われた、どこまでも引き延ばされた〈予定〉であった。
もちろんその呼び名はかつては確かに存在した予定に由来している。
大型商業施設、いわゆるショッピングモールが建設されようとしていた。地域の活性化を目論み、というよりもおそらくは一発逆転の大勝負を賭けて自治体主導のもと大規模な土地の買収が行われた。休耕地を含む農地が多くを占めたとはいえ、用地確保だけでもそれなりの費用が投じられたとされる。
さて土地は確保できた。いざ着工という段階になってあの悪夢に見舞われた。
三年前にこの町を襲った大災害である。
人々の暮らしを立て直すのが目下の重要事であった。町は莫大な復興資金を必要とした。しかし、一方で僕には理解出来ない大人の事情というのがあるのだろう、いったん回り出した歯車は止められないとばかりに商業施設の開発へも予算は順調に流れていった。とはいえ土地をならし、工事車両用のアスファルトを敷くくらいが精一杯だった。もはや融通も自制も利かなくなったこの町はついに全国でも二例目となる自治体の再建を果たした。てっとりばやく言うと町が倒産したのである。それが一年前だ。
あの日を迎えた町の人々の顔を僕は今でも思い出せる。皆一様に空っぽの目をしていた。その虚ろな表情の上には分厚い雲が停滞していた。そうだ、あの日の空もこんな灰色の空だった。中学生だった僕にだってこの町が抱えた〈絶望〉の色に自分の気持ちが染まらないではいられなかった。
さらに僕の〈絶望〉はいっそうその色を濃くすることとなった。
再建へと舵を切ったこの町がまず行ったのは自治体関係者の人員整理だった。そして、町が提出した退職者リストの中には僕の父親の名があった。大災害が起こる数ヶ月前に役所の職に就いたばかりの父親は件の商業施設開発に関する部署に籍を置いていた。役所に転職したことも、商業施設開発に関わったことも、まったくの偶然であった。
雀の涙ほどの退職金を受け取った父親はそれを有以さんに渡し、僕たちの家から出ていってしまった。
人はそれを無責任だとなじるだろうか? 偶然に対してナイーブ過ぎると非難するだろうか?
自身の被った不運に対して父親が何を思い、どう決断したのか、僕は知ることが出来ない。想像するのも手に余る。だから僕は、そして妹の小楢も、有以さんの態度に従った。いくら僕らの家庭が、ひいては僕たちの将来が変わろうとも、父親を責める勇気と、無知に開き直る愚直さとを僕は持たなかった。
冷たい風が僕の頬を打った。
放課後を知らせるチャイムが鳴ると同時に教室を出た僕と田村は昇降口でツェラとネリと合流し、この予定地へと自転車を飛ばした。周囲に張られたフェンスはあちこちでその壁を途切れさせ、工事の中途半端っぷりを悲しく示していた。脇に自転車を停めて足を踏み入れてみると、見晴らしよく開けた一帯の足下には砂利が敷き詰められており、ところどころから猛々しい草が生えていた。遠くにはアスファルトが伸びる地帯もあって、一見では広大な駐車場を思わせもするが、駐車場と異なるのは車が一台も停まっていないことだった。その先には本来あるはずだったショッピングモールの代わりに丈の高い雑草が生い茂っていて、買い物客の賑やかな声ではなく冷たい風が草を揺らすさざめきだけが僕たちの耳に届いていた。
田村の呟きを合図に僕とツェラ、ネリが、広い、とか、すごい、とか、ほとんど感想とも言えない独り言を口々に漏らした。それほどにこの予定地はそこに立つ人を圧倒するほどの絶望感を湛えていた。
けれど、僕は深く息を吐き、両足を踏みしめた。今日はこの雰囲気に飲まれるわけにはいかない。この地がさらなる〈絶望〉をもたらす未来を、僕たちは食い止めなければならないのだ。
僕は空の一点を見据えた。灰色の中に吸い込まれそうになる視線をそれでも背けず、そこから落ちてくる物を待ち受けるべく僕は目を細めた。
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