第51話 そいつは上からやってくる
広大な土地。しかし、何も無い空間。
ツェラの脳裏に浮かんだそんな風景は僕と田村に同一の地を想起させた。
「予定地だ……」
「間違いない」
建設予定地、あるいは単に予定地と僕たちは小さな頃からそう呼んでいた。この町にわだかまる絶望感を象徴するといってもいい大きな空白……。
僕と田村は頷き、お互いの気持ちを通わせた。二人のあいだには奇妙な納得感が共有されていた。
「武人さま、その予定地とは?」
ネリが訊ねた。
「詳しくは後で話す。なるほど、あそこに新たな〈絶望〉が生まれるってわけか……」
田村は口の中でブツブツと何かを呟いていた。
ブランコから降りてケンケンを始めたツェラを制止し、ベンチに座らせてから、僕は公園の外へ出てホームランボールであるサンダルを拾ってきた。
「鮎川くん、ありがとー」
「どういたしまして。礼を言うのはこっちの方さ」
ツェラは片足の先にサンダルを引っかけたままその場でくるりと回ってみせた。
ネリは再び表情を硬くしてツェラに向き直った。
「それでツェラ姉さん、その予定地とやらがわたくしたち〈絶望〉の生まれた場所だということは分かりました。ではいったいどうやってそこに現れたのか。それは思い出せますか?」
場所は特定できた。ではどうやって? それが分かれば〈絶望〉への対策も一段と進展するはずである。
だが、そんなに簡単に道は開けるだろうか。
僕の疑念をよそに問われたツェラは事もなげに答えた。
「空から落ちてきたの」
思わず目を瞠った。
「ええっ?」
「そ、空から?」
「落ちてきたって!?」
人差し指を顎に当てて曇り空を見上げるツェラの顔を僕たち三人が驚愕の表情で見詰めた。
「うん、上からひゅーって」
「その……、それでツェラは平気だったのかい? 地面にぶつかったりとか」
言ってから僕は自分がおそろしい愚問を発しているのではと感じた。
「へーきへーき。だってその時はまだこういう格好じゃなかったもん」
「こういう? じゃあどういう格好を?」
「うーん、なんかよく分かんないけどまんまるだったような……」
「それこそ卵みたいな形ってことですか?」
「あ、そうそう! 卵みたいなの! それで上からひゅーって落ちてきたの」
我が事でもあるネリはツェラから語られる事実を受け止めきれないのか何度も目を瞬かせている。
丸い卵が空から……。いや、なにもいまさら驚くことはない。そもそも話は始めから常軌を逸しているのだ。
それでも言うべき言葉を失っている僕の隣で、ふうむ、と田村が呟いた。
「つまりボールみたいってことか」
またしても田村は元野球部員の顔を覗かせた。
今回はネリが気が付くのとほとんど同時だった。僕もまたあることを思いつき、息を飲んだ。
「武人さま!」
田村は僕とネリにうんうんと頷いてみせた。
「ああ、そうだ。フライアウトにしちまえばいいんだ」
自分が卵として空から降ってきたことに動揺を隠せなかったネリがいまや目を輝かせて田村と僕、そしてツェラを順番に見回した。
「作戦は見えました。今回もわたくしの能力に田村さまの専門である野球のルールを適用します」
「専門だった、だけどな」
田村が律儀にも過去形に直した。その表情にはこんな自虐を口に出来るほどに力が蘇っていた。
「わたくしの予感とツェラ姉さんの記憶を総合すると、明日の夕方、予定地と呼ばれる場所に球状の、文字通り〈絶望の卵〉が落ちてきます」
「うん、そのようだね」
「その時点では〈絶望〉はまだ自我を持っていない未成熟の状態です。そこでわたくしたちが〈絶望の卵〉が着地する前に空中でキャッチしてしまうのです。宙に打ち上がったボールを捕球できれば野球のルールではアウトになります。その瞬間にわたくしの能力を発動することでその〈絶望〉の最悪化を阻止するというわけです」
「おお……」
ネリの能力、スポーツ全般に疎い自分には少しややこしいと感じたけれど、使い方によってはものすごく便利なのではなかろうか。
しかし、さっきツェラの靴飛ばしのとき、ネリはルールに見合った困難を乗り越えなければ能力は発動されないと言っていた。
「でもタケちゃん」
「ん?」
僕はせっかく生まれた作戦を否定しようというのではない。困難が前に立ちはだかっているならそのときに最善の状態で臨めるよう身構えておきたいのだ。
「知ってると思うけど予定地はあの広さだよ。落ちてくるのを見つけたところでそう上手くキャッチ出来るかどうか……」
田村は僕の目を真っ直ぐに見た。
「なあシーナ。あの野球部でレギュラーを獲るってのはピッチングやバッティングだけじゃあないんだ」
「うん」
「俺にはこの足だってある。それに幸運の女神は俺たちを見放しちゃあいないぜ。明日、この忌々しいギブスがようやく取れることになってるんだ。ダッシュならまかせとけ」
田村は胸をドンと叩いた。彼の瞳に輝いているのは自信ばかりではなかった。まるでこれから起こることに期待を持っているかのようなワクワク感に満ちていたのだ。なるほど、勝負の世界で生きてきた人間はイチかバチかの局面でこういう目をするのかと、僕はある種の畏怖すら覚えた。
「分かった。タケちゃんを信じるよ」
「ああ。チャンスは一度きりだ」
田村は自分の言葉で己をいっそう奮い立たせた。
一方、能力を託されたネリはじっと目を瞑り、静かに何事かを考え込んでいる様子であった。
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