第47話 いつもの席に羽を休めて
僕たち中高生の教室にはいつだって突風が吹いている。クラスメートの視線という突風が。
だから小さな迷い鳥である僕たちはみな教室に入るなり各々の止まり木にしがみつく。それはいつもの自分の机だったり、いつもの友人のそばだったり、いつもの窓際だったりする。不意にやってくる突風に羽をさらわれないように、よく馴染んだ止まり木に全力で足を踏ん張る。
たまに強力な吸引力を発揮する、まるで止まり木そのものみたいな人もいるけれど、実際はそう見えるだけであって、彼や彼女だっていつ何の拍子に突風に飲まれて墜落するか分からない。うっかり調子に乗って大空へと飛び立とうものなら羽を広げた途端に突風は掌を返したように彼らを捉え、吹き上げ、突き転がし、瞬く間に毛も羽もボロボロにするだろう。
半ば開き直って孤独をきめこんでいる僕みたいな人間だって突風と無縁であるわけには当然いかない。教室に入るなり机を目指して突進。自分の席に座るやスマホを取り出し、足下の細い枝に爪を突き立てる。視線に突き刺されないように。強い風を上手く乗りこなせるように。
だから僕は今日も図書室へと避難する。
図書室に風は吹かない。たまに吹いたとしてもそれは湖面にさざ波を立てる程度の穏やかな微風でしかない。学年もクラスもバラバラ、見た目も鳴き声も種々雑多な鳥たちはほとんどが一羽きりで、大きな声で鳴き交わすこともなく、それぞれが思いおもいに羽を休め、時には空想の羽をいっぱいに伸ばして、自分だけの時間を過ごす。
小楢を迎えに行くまでの時間潰しという名目があるとはいえ、放課後の図書室通いが再開されたのは僕にとっては必然であったのかもしれない。
朝吹さんから本をお借りした、といっても図書室の蔵書だけれど、あの日の僥倖も図書室復帰の良いきっかけになってくれた。借りた物は返さなければならない。この世の真理である。
ドアを開けると僕はいつもの席を目指した。大胆にもカウンターの真ん前である。あの日以来、僕はこの席に座ることに引け目を感じなくなっていた。正確に言えば、引け目を感じていないフリをする術を身につけていた。その術の一端がつまりおのれの〈絶望〉なのであって、今日も目の前にツェラを座らせて、カウンターの中で業務をするあの人につい視線を送ってしまうのを防ぐ壁になってもらうのである。あちら側からツェラは見えないので、もし僕の様子が目に入ったとしても、僕は熱心に読書に励む勤勉な男子生徒にしか見えないだろう。
いちおう顔見知りのくせに他人行儀だろうか? いや、一度だけ本を借りたからといって馴れ馴れしい態度に出ない、出られないところもまた、僕という人間の真理である。
イスを引いて座ると同時にツェラがスマホをせがんできた。
「なにか調べ物かい?」
「ううん。ちょっとレイボ見てもいい?」
僕はスマホをバッグから取り出した。
「見ても良いけど、くれぐれも送信しないようにね」
「うん。ねえ鮎川くん、虹ってどうやったら出るんだろうねえ?」
ほう。ツェラの耳にも入るほど例の虹の噂は学校中の話題となっているのか。僕はスマホを操作すると色選択の画面まで進めてからツェラに手渡した。
「僕も何度か試したけれど出なかった。それにしてもその話って本当なのかね?」
ぺろりと舌なめずりをしてからツェラが画面をタップした。
「あれえ?」
現れたのは一面のオレンジ色だ。
「そりゃそんなに簡単に出たら話題にもなんにもなりゃしないさ」
僕は手を伸ばして送信確認のいいえをタップした。画面は色選択に切り替わった。
ま、頑張ってくれたまえ。そう言って僕は立ち上がると一瞬だけカウンターに視線を投げてから本日の読書ネタを探すために本棚へと向かった。
最近はあらかじめ読む物を決めておくのではなく、こうして本棚を回ってその日の気分で本を選ぶことにしている。この前の偶然の図鑑との出会いが僕に一期一会という言葉を思い出させたのかもしれない。
とはいえ常日頃の優柔不断さが存分に発揮され、書架を何周かぐるぐるとしてからようやく一冊を手に取った。選択したのは太宰治『走れメロス』の文庫本である。完全に「敢えて定番」をきどったつもりだが、よく考えたらちゃんと読んだことがない作品である。
席に戻るとツェラがまだスマホを睨んでいた。すぐに飽きると思ったがこっちはこっちであれこれ考えながら奮闘しているらしい。
「きえええー!」
ツェラが指を滑らせた。穏やかな図書室に掛け声が響き渡るが、幸いにしてその声は僕にしか聞こえない。
あれえ、と言って首を傾げるツェラの向こうの様子をチラッと確認してから僕は音を立てないようにイスを引いた。
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